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2018年7月22日 (日)

無抵抗降伏論・その3 ――豪雨災害からの教訓 (12)――


無抵抗降伏論・その3

――豪雨災害からの教訓 (12)――

 

西日本豪雨災害からの教訓として、災害救助を主任務とする災害救助隊といったものを創設することが挙げられます。現在の自衛隊を改組して、主任務を災害救助にすれば、憲法上の問題もなくなり、また「防衛省」の予算は「防災省」に振り返れば、これまでの災害後に十分な対応が行われて来なかった歴史を書き換えることが出来ます。

 

そのような観点から、これまで私が垣間見ることのできたいくつかのアイデアを復習しながら、論点を整理してきたつもりですが、森嶋通夫氏の「無抵抗降伏論」を下敷きにして、その論理的帰結を加え、さらに水島朝穂氏や石橋政嗣氏等の提案等と整合性のある部分は大胆に借用することで、「自衛隊 ⇒ 災害救助隊」というパラダイム転換の発射台が姿を現します。関嘉彦氏との論争を踏まえて、その形は三部構成です。

 

(A) 軍隊としての自衛隊の適正規模は「ゼロ」である。

(B) 「国防」のための手段は、軍事力といった「ハードウェア」ではなく、外交や経済・文化等の分野における国際的な活動、つまり「ソフトウェア」ではなくてはならない。

(C) 人、知恵、金をこうしたソフト面に注入して国内では「防災省(仮名)」を創設し、防衛省は廃止するとともに、世界貢献をするために、国際的に活躍する「サンダーバード」のような組織を「防災省」内に創設する。

 

それぞれの柱について説明を加えたいと思います。ほとんどは森嶋氏の『日本の選択』からの引用、または要約ですが、森嶋氏の論理を敷衍する場合にはその旨、明記します。

 

(A) 軍隊としての自衛隊の適正規模は「ゼロ」である。

(ア) 実は、森嶋氏は「ゼロ」とは言っていません。それどころか、それは危険だと言っています。『日本の選択』の37ページから引用します。

 「私自身は、自衛隊はこれ以上大きくすべきではないが、それかといって、急激に縮小したり廃止したりすべきでないと思っている。昭和のはじめに軍縮をしたことから、かえって軍国主義化したように、存在する軍隊を大縮小したり、廃止したりすることは非常に危険な荒療治である。」

(イ) 但し、「災害救助隊」のような非軍事部門は充実すべきだということも主張しています。

 「また掃海隊のような純粋に防衛的な、戦闘能力ゼロの部門や、災害時の救難、復興作業を専門とする特別工兵隊は充実しておくべきであろう。」

(ウ) そう断った上で、森嶋氏が主張しているのは、「しかしこのような自衛隊も、もしソ連が本格的に攻めて来た場合には、戦うべきではない。」ということなのです。さらに、自衛隊の規模の可能性として、中武装と重武装のケースを検証していますが、そのどちらの場合も、コスト的に見合わないか、最終的には「一億総玉砕」か「一億総降伏」になってしまい、まさか「一億総玉砕」は考えられないので、これらのケースでも「降伏」という結論になっています。

 

「戦うべきでない」理由は、ソフトウェアによる国防の実質的内容にもなりますので、次の (B) の最初の項目としてまとめておきましょう。

 

(B) 「国防」のための手段は、軍事力といった「ハードウェア」ではなく、外交や経済・文化等の分野における国際的な活動、つまり「ソフトウェア」ではなくてはならない。

(ア) 戦争を仕掛けられても、「降伏」する方が、その後の社会に取ってはより良い選択である。

 1945815日、「日本人は後世に誇るに足る、品位ある見事な降伏をしたと私は思う。そしてこのような降伏をした国民であったからこそ、日本は戦後、奇跡的な復興をすることが出来たのである。」

 前回も触れましたが、ソ連が本気で日本を攻撃してきたとしたら、それは、アメリカ軍が上陸した後の沖縄戦を、今度はソ連を相手にして戦うことになる、という分り易い比較で、その困難さを説明してくれています。そして「降伏」がより良い選択だと述べています。

 「あの時日本は無意味な勝ち目のない戦を続けたのだが、米軍が沖縄に上陸した段階で、御前会議が聞かれて終戦していたとすれば、どれ程大勢の日本人(や米人)が死ななくてすんだか、またどれだけの都市や財産を焼かなくてすんだか、またどれだけの伝統的文化財を失わずにすんだかを考えてみるがよい。」

 「降伏」の時期については、そもそも開戦のとき、それ以前の国際連盟脱退といったタイミングでも当然検討されるべきだったことを森嶋氏は主張していますが、もう一つのタイミングは東條総理大臣の辞任でした。

 「事実、戦争は東條が首相を辞任した段階でやめるべきであった。そうしたならば、フィリッピン戦争、硫黄島の玉砕、沖縄戦争、本土空襲、広島、長崎への原爆攻撃はすべて回避出来た。もちろんこの時でも無条件降伏はまぬがれ難いので、中国本土はもちろん朝鮮、台湾を失うが、百万人の将兵および一般人民は死なずにすんだろうし、ほとんどすべての都市は戦災をまぬがれた。しかし当時、天皇はまだ勝機が来るかも知れないと考え、敵に一泡ふかせてから、条件を有利にして戦争を終結しようとしていた。何という甘い情況判断であったことか。」

 つまり、中日・太平洋戦争については、開戦するよりはABCDと呼ばれた国々の要求を呑んで撤退すべきだったし、戦争が始まっても、「降伏」するチャンスは何度もあった。それは、実際に起きた1945815日の降伏よりは、日本に取ってはより良い結果をもたらしたと考えられる。しかし、それらのタイミングより悪しき時期だった815日にしても、「降伏」したこと自体、それに対する代替案の結果と比べるとより良き決定だった。

 

                     

Shigemitsusignssurrender

       

ミズーリ号甲板で降伏文書に署名する重光葵全権(194592)

 

(イ)  ソフトウェア的国防にこそ、力がある。それを示している事例を示す。

 

[以下、次回に回します。]

 

[2018/7/21 イライザ]

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