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2018年7月20日 (金)

無抵抗降伏論・その2 ――豪雨災害からの教訓 (11)――


無抵抗降伏論・その2

――豪雨災害からの教訓 (11)――

 

『日本の選択』の出発点は、森嶋通夫氏がロンドンから東京までの日航機内で読んだ、サンケイ新聞の「正論」という欄でした。筆者は政治学者で元参議院議員の関嘉彦氏、エッセイのタイトルは、「"有事の対応は当然」でした。

 

Photo

関嘉彦氏と著書

 

森嶋氏は、関氏によるこのエッセイを簡潔に要約していますが、それをさらに短くまとめておきます。

 

 第二次世界大戦の初期、劣悪な軍備のままイギリスが優秀な装備のナチスと戦わなくてはならなかったのは、両大戦間にイギリス人たちが誤った平和主義の虜になって、しっかりとした軍備を整えなかったからだ。

 善意であっても、歴史の教訓に無知な人たちの平和思想は、「邪悪」なものを勇気付け、かえって侵略戦争を奨励している。だから政府だけではなく、民間組織も万一に備えた防衛組織、例えば核戦争に備えたシェルターなどの用意をすべきである。

 ヒトラーがスイスを攻撃しなかったのは、スイスが民兵組織ではあるが軍備を持っていたので、スイスを通ってフランスに攻め入るのは余りにも犠牲が多過ぎると考えたためだ。

 

それに対する森嶋氏の反論は197911日の北海道新聞に「何をなすべきでないか」というタイトルで発表されました。ロンドンに帰国するまで、日本でよく耳にした「カラオケ」の意味が分らなかったことにも触れている洒脱な文章で (同じ年ボストンから帰国して夏を過していた私は、カラオケに遭遇するやその魅力に取り付かれてしまったことを思い出しました――) 全文をお読み頂きたいのですが、長くなりますので以下、私なりの要約です。

 

 イギリスが強力な軍備を持っていたとすると、大戦の発生を何年か遅らせることはできたかもしれないが、ヒトラーがいる限り戦争は始まったはずだ。その何年かの間に独英両国ともさらに軍備を増強させたとなると、例えば両国が核兵器を保有するといった状態での開戦の可能性も考えられる。その結果が如何に惨憺たるものになったかとの比較もすべきだろう。

 歴史の教訓から学ぶことは大事である。第二次世界大戦から学ぶべきことは、最初は劣勢ではあっても、ヨーロッパのほとんど全ての国を自分の陣営に引き止め、さらにアメリカまで巻き込み、ソ連すら参戦させたことである。イギリスに勝利をもたらしたのは、軍事力ではなく、この政治力である。

 軍事力があるからヒトラーがスイスへの攻撃を諦めたのではなく、中立国として、敵国との交渉の通路としてスイスを利用する意図があったからだ。

 

説得力のある見事な反論だと思いますが、この論争の焦点はソ連が攻めて来た時に日本はどうすれば良いのかという点でした。関氏と、その後論争に加わった猪木氏は、「アメリカの援軍が来るまでの間――たとえば一週間程度――は日本独力で戦い続ける」のに十分な軍隊を最小限の自衛力と考え、その程度は日本が持つべきだと主張していました。

 

森嶋氏の反論は、まず、安保条約があったにしろ、現実問題としてアメリカが参戦すれば世界戦争になるであろうときに、本当にアメリが自国の若者の命を犠牲にしてまで日本防衛のために駆け付けてくれるだろうかという疑問から始まります。そして、歴史的に、他国が闘っている戦争に同盟国が参戦する場合にもかなりの時間が掛っていることを例示して、例えば半年というようなスパンで考える必要のあることを示しています。

 

ソ連が本気で日本を攻撃してきたとしたら、それは、アメリカ軍が上陸した後の沖縄戦を、今度はソ連を相手にして戦うことになる、という分り易い比較で、その困難さを説明してくれています。

 

そして、そこで持ち堪えられなくなって日本が降伏するというシナリオになるかもしれないことも頭の隅に起きながら、それでも降伏することの意味はあることを説いています。

 

その点を森嶋氏は次のようにまとめています。

 

あの時日本は無意味な勝ち目のない戦を続けたのだが、米軍が沖縄に上陸した段階で、御前会議が聞かれて終戦していたとすれば、どれ程大勢の日本人(や米人)が死ななくてすんだか、またどれだけの都市や財産を焼かなくてすんだか、またどれだけの伝統的文化財を失わずにすんだかを考えてみるがよい。

 

さらに、沖縄戦の教訓として、1945611日午後1130分に玉砕した沖縄方面根拠地隊の司令官・大田実少将が、恐らく海軍総司令長官あてに発信した長文の戦闘概報を暗号から平文に訳したのが、西海航空隊(大村基地)に勤務していた森嶋通夫氏だったのですが、その概報の中で小田少将は次のように述べています。

 

(一) 略

(二) 本土戦は、いままでのような海外占領地での戦いとは、その意義も戦い方もちがっている。住民がすべて日本人だということは、種々なる意味で慎重に考慮さるべき事柄である。沖縄の場合、一般市民は非常に勇敢に戦ってくれた。 (大田は六月六日「沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力:::ナシト認メラレルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ」にはじまって、「沖縄県民斯ク戦へリ県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」におわる長文の電報を海軍次官に送っている。――戦史叢書十七巻『沖縄方面海軍作戦』朝雲新聞社、参照。)

(三) 沖縄のような日本固有の領土で、将兵が全員玉砕することは正しい処置の仕方とはいえない。自分(大田)は司令部の首脳部以外の者は、軍服を脱いで平服にかえ、一般市民の中にまぎれこんで、将来を期すべきであると信ずる。自分は彼らにそう命令し、彼らはすでに実行した。このような処置の全責任は自分にある。彼らは決して逃亡したのではなく、自分の命令に従ったのである。いつの日にか、日本軍が再び逆上陸した場合には、彼らは必ず武器をとって立ち上がるであろう。玉砕するのは司令部の首脳部だけで充分である。

 

「無抵抗降伏」と聞くと、戦う勇気を持たない空想的平和主義者の言辞のように捉える人がいてもおかしくはないのですが、森嶋氏の「無抵抗降伏論」は、実戦の現場で玉砕を決意した司令官が後世に残した日中・太平洋戦争の総括を、暗号から平文に訳した著者が、自らの戦争との関わりの、もう一つの総括として提起している、現実的かつ歴史的な根拠のある主張です。

 

森嶋氏は、これに関連して天皇の戦争責任や、日本国民が何故、戦争についての発言力を持てなかったのか等についても、「目から鱗」の解説をしてくれています。折角の機会ですので、こうした点についても、続けてアップしてみたいと思っています。

 

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[2018/7/19 イライザ]

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