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2018年4月11日 (水)

「第33回 4・9反核燃の日全国集会」-青森

「第33回 4・9反核燃の日全国集会」-青森


全国から約1000名が結集

 

去る4月7日(土)午後2時から青森市・青い海公園で「第33回 4・9反核燃の日全国集会」が開催されました。今年は、広島県原水禁からは一名が参加しました。

この全国集会は、1985年4月9日に当時の北村青森知事が県議会全員協議会の場で「核燃料サイクル施設建設受け入れ」を表明したことに抗議し、その撤回を求めて翌年から始まりました。当初は、青森県の核燃反対派が、抗議集会を開催してきましたが、1989年からは全国規模での集会が開催されてきたものです。今年も原水禁国民会議や原子力資料情報室、青森県反核実行委員会、核燃サイクル阻止1万人訴訟原告団、核燃料廃棄物搬入阻止実行委員会の5団体によって集会実行委員会が結成され、全国からの参加者約1000名が参加し、集会とデモを行いました。

 

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集会では、主催者あいさつ、基調報告に続き、全国からの報告が行われました。集会は、気温3度、横殴りの雨が降りしきる中で開催されました。厳しい悪天候のため、残念ながらとてもメモを取る余裕もありませんでしたので、ここでは発言者を紹介します。原子力発電に反対する福井県民会議代表の中嶌哲演さん(明通寺住職)、大間原発訴訟の会代表の竹田とし子さん、福島県平和フォーラム副代表の瓜生忠雄さん、新潟地区労会議議長の阿部清利さん、元東海村村議会議員の相沢一正さんです。

中嶌哲延さんはこう訴えました。「私は若狭にいて、関西電力に原発を押し付けられる被害者だといってきましたが、この集会に先立ち青森県内の3か所の核施設を回って、今度は私たちが、青森県の人たちに被害を押し付ける立場になったしまったということを感じました。立場が逆転してしまったことを全国の人たちが考え、どう向き合えばよいのか本当に考えなければなりません」と。特に印象に残って発言でした。

全体で確認された集会アピールの要旨を掲載し、集会趣旨の紹介にしたいと思います。

<集会アピール(要旨)>

〈略〉受け入れを表明してから33年目を迎えるが、この間当初の計画通りに事業が進んでいるものは一つもない。ウラン濃縮工場は全停止、低レベル放射性廃棄物の搬入が10カ月も止まり、受け入れ再開がようやく始まった。再処理工場に至っては、着工から28年目の2021年上期に完工が予定されている。しかし、原子力規制委員会職員からも「日本原燃の希望的観測にすぎない」と報じられている。2016年末に高速増殖炉・原型炉「もんじゅ」の廃炉が決まり、誰の目から見ても、核燃料サイクル政策は完全に破綻している。〈略〉安倍内閣は六ケ所再処理工場の安定的な運転に寄与するためとして「使用済核燃料再処理機構」を設立し、国民が環境にやさしい電力会社を選んでも、再処理とMOX加工などの費用を負担し続ける制度を作り上げた。その上、各電力会社の廃炉費用まで、電気利用者に上乗せしようとしている。〈略〉

原子力発電の使用済燃料は、どこにも搬出できないと原子力発電の運転を止めざるを得ない。一日も早く脱原発社会を実現するために、使用済燃料を六ケ所村再処理工場とむつリサイクル貯蔵に搬入させない闘いを強化する必要がある。

以上のことから、下北半島に操業・建設・計画を続けている六ケ所核燃施設、東北電力東通原発1号機、東京電力東通原発1号機、大間原発、むつリサイクル貯蔵施設の撤去を求め、全国の原発を運転停止に追い込み、未来の子ども達への負担軽減のために全力を挙げて取り組むことをアピールする。

   2018年4月7日

    「第33回4・9反核燃の日全国集会」参加者一同

 

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集会参加者はアピール採択後、市内のデモ行進へと移りました。デモ終了後、会場を屋内に変え、「全国交流集会」が開催されました。

そして翌日(8日)は、青森市からバスで移動し、六ケ所村再処理工場正門前で、現地抗議行動を行いました。この模様は写真で見てください。

 

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私は、今回で3度目の「反核燃の日全国集会」への参加となりましたが、第1回目の参加は、1989年4月9日に行われた初めての全国規模での抗議集会です。当時原水禁国民会議の代表委員を務めておられた森瀧市郎先生の同行者として、現地入りしました。この日の集会場は、核燃施設建設予定地からわずか数キロの尾鮫浜。海岸に作られた特設ステージ。当日は今年と同じように、小雨混じりの冷たい風の吹く中での集会でしたが、東北各地を中心にバスが次々と到着した景色を思い出します。そして全国から集まって参加者は1万1千人。この人々を前に、森滝先生が、声高く「核と人類は共存できない」と訴えられた姿が忘れられません。集会後参加者全員で、デモ行進と「核燃基地包囲の人間の鎖」などで反核燃をアピール。森滝先生も元気にすべての行動に参加されました。ちょっと見えにくいですが、当時の原水禁ニュースに乗った「人間の鎖」の写真です。バスの車列が見えると思います。

 

1989

 

そんなことを思い出しながら参加した今年の「4・9反核燃の日全国集会」でした。

 

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