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2018年1月14日 (日)

兵庫教育大学での講義 ――今年も熱心に聞いて貰いました――


兵庫教育大学での講義

――今年も熱心に聞いて貰いました――

 

一年ぶりに兵庫教育大学の大学院で話をしました。今回も、教育現場で教員として働きながら大学院でグローバル・リーダー育成の専門家としてさらなる研鑽を積んでいる皆さんが、熱心に話を聞いてくれました。昨年は、3人の学生諸君とじっくり議論ができましたし、それに加えての一般講演もあったのですが、今年の学生は9名(うち女性7名)で、小学校の先生が5人、高校が3人、教育委員会の方が1人でした。

 

昨年と今年の大きな違いは、核兵器禁止条約ができたことです。成立の経緯や、今後の展望等も講義に加えたのですが、かなりの時間を割いて説明することになったのが、原爆という大きな悲劇を体験した日本が、何故原発に走ってしまったのかという歴史です。一人の学生からの質問に対する回答でした。

 

念のために付け加えておきたいのは、一部の論者による事実誤認と被害者非難です。つまり、「ヒロシマ」が核兵器廃絶には熱心なのに、原発については無関心だった、あるいは推進する側に回っていたのは怪しからん、という調子での論難です。機会があれば、詳しく調べた上で反論をすべきなのだとは思っていますが、それだけの時間が取れるかも問題ですので、今回は問題意識の共有だけにしておきます。

 

学生の質問から分ったのは、戦後の時代には生れていなかった人たちが勉強を続ける中で、原爆による被害からは、さらにそのかなりの部分は放射線被害であるという事実からは、原発という選択はあり得ないという因果関係を理解していること、にもかかわらず原発が推進されている現状には納得ができないと強く感じていることでした。

 

「フクシマ」後にも、原発が再稼働され政策の変更がないのはなぜかという疑問と重ねての質問だということも理解した上で、終戦直後には専門家といえども放射線についての理解には限界があったこと、被爆体験の意味を苦しみながら模索していた人たちに取っての「平和利用」という名の「夢」が大きな意味を持っていたこと等を話しました。同時に、少数のリーダーたちが警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、「原子力 ムラ」が作られて行った背景を、日米それぞれに分けて説明しました。

 

合計約3時間話をしましたが、最後の方は駆け足になってしまいました。パワーポイントを映すのは、スクリーンではなく、大型の液晶装置でしたしHD画像でしたので、細かい字も良く読めたようです。

 

               

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そして、昨年は友人との話に夢中になって気付かなかった、ハーバーランド・キャンパス前のキリンのオブジェ (頭が切れてしまいましたが――) と、キャンパスのある建物の写真も撮れました。

 

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こちらにはキリンの全体が写っています

 

「来年は、政治の世界の話をもっと聞きたい」というリクエストを貰って、神戸を後にしました。

 

 

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