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2017年12月28日 (木)

ブラック・パワー・サリュート ――オリンピックで真実を訴えた三人――


ブラック・パワー・サリュート

――オリンピックで真実を訴えた三人――

 

「スポーツに政治を持ち込むな」は良く聞かれる言葉です。きちんと決められたルールにのみ従って勝敗を決するスポーツに、それ以外の議論を持ち込むべきではないという考え方ですが、スポーツも人間の活動ですから、その「人間」と100パーセント切り離して存在する訳には行きません。

 

政治とはきわめて人間的な活動であり、それが社会のあらゆる側面と密接に関わっていることも事実です。そして、多くの人間的活動の場で見られるように、物事の定義そのもの、そしてルールそのものさえ、何らかの意味での「政治的力」を持つ人々の意思によって決められてしまう傾向があります。

 

しかし、このような形で作られてきた社会の歪みは、人類史の中で多くの人たちの努力で表現され言語化され、政治的な課題として捉えられ、さらに多くの人たちが力を合わせることで、全ての人間にとってより公平で理想に近い形に修正されてきました。

 

一年を振り返る毎年の習慣に倣って思いを巡らせる内に、スポーツ選手たちの果した役割が如何に大きかったのかを改めて咀嚼しています。モハメッド・アリに続いて、今回は1968年のオリンピックでの三人のアスリートの勇気に触れたいと思います。

 

                 

John_carlos_tommie_smith_peter_norm

           

By Angelo Cozzi (Mondadori Publishers) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

有名な写真ですので、御存知の方は多いと思いますが、1968年のオリンピックで男子200メートルの表彰台の三人です。金メダルはアメリカのトミー・スミス、銀はオーストラリアのピーター・ノーマン、銅はアメリカのジョン・カーロスです。

 

スミスとカーロスは頭を下げ、黒い手袋をはめて、拳を突き上げる「ブラック・パワー・サリュート」(黒い力の敬礼)をしています。靴は履かずに、アメリカの黒人の貧しさを示すために黒いソックス、スミスは黒人の存在と誇りを示す黒いスカーフを巻き、カーロスは、白人至上主義者によってリンチその他の方法で殺された黒人の慰霊のためのロザリオを掛けていました。

 

そして、銀メダルのノーマンはというと、ただその場にいたのではなく、胸に、二人と同じ「人権を求めるオリンピック・プロジェクト(Olympic Project for Human Rights 略称:OPHR)」のバッジを付けていたのです。

 

当時のアメリカは、国外ではベトナム戦争を起こし、国内では戦争反対の声と、200年にわたる黒人差別に対する怒涛のような反対が公民権運動として大きなうねりとなる大変動期でした。1964年には公民権法ができて、成果は上っているようにも見えたのですが、差別やリンチは続いていました。そして1968年には、20世紀後半の世界を象徴するような運動のリーダーだったマーティン・ルーサー・キング牧師が暗殺され、さらに、政府側から運動を支えてきた大統領候補のロバート・ケネディーも暗殺されるという、大きな痛手を受けていた年でもありました。

 

メキシコ・オリンピックにも参加すべきではないという主張も黒人アスリートの中では多くの選手に支持され真剣に検討されてはいたのですが、参加することにしたスミスとカーロスは、表彰台での明確な意思表示をする決意をしていました。英語の表現がその力を示しています。「take a stand」、つまり台の上で、自分たちの意思を疑う余地のないハッキリとした形で世界中の人たちに届けるという決意です。この時、スミスは24歳、カーロスは23歳でした。

 

 

John_carlos_tommie_smith_1968

By Angelo Cozzi (Mondadori Publishers) [Public domain], via Wikimedia Commons

 

IOCの会長だったエイベリー・ブランデージは、スミスとカーロスをアメリカ・チームから除名し選手村から追放しました。二人はオリンピックからも永久に追放されました。さらに二人はアメリカのメディアからも厳しく批判されますし、カーロスの妻の自殺といった平坦ではない人生を送ることになりましたが、その後も陸上やフットボールの世界で活躍することができました。もちろん、オリンピックとは全く縁のない世界での活躍ではありましたが。

 

一方、ノーマンは、オリンピックからは追放されませんでしたが、白豪主義のオーストラリアではアメリカ以上の批判を受け、今でも破られていない200メートルのオーストラリア記録を作りながら、帰国時の空港には誰一人として出迎える人がいないほどの孤立無援の状態に置かれます。その後のオリンピックにも、記録を見ると誰よりも先に出場して良い力がありながら、オーストラリア代表には選ばれず、生活を維持するための低賃金の仕事を転々とする日々が続きました。

 

こうした三人のオリンピック後を総括して、「勇気ある行動の付けは大きかった」という形で、「だからオリンピックを政治利用してはいけない」という結論に導こうとする人たちも多いのですが、実は三人の友情と、ノーマンの勇気は今でも多くの人に希望を与えています。

 

[続きます]

 

 

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