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2017年7月

2017年7月31日 (月)

7月のブルーベリー農園

 

        7月のブルーベリー農園

 

広島市豊栄町のブルーベリー農園は妻の実家であり、7月はこれまで家族でコツコツとブルーベリー栽培を続けてきた成果が約40日つづく実りの季節をもたらしてくれるのでうれしいが、気ぜわしい季節となる。

 

ブルーベリーの摘みとりは家族だけでは無理なので、安芸の郷にかかわるボランティアグループ、農園の友人知人、そのまた友人知人、職員といった方々が援農においでいただくのでにぎやかになる。


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梅雨が明けて夏雲が暑い夏を象徴し、木々の緑は濃く青さを増す。手前のブルーベリー農園は実りの季節。717日(月)

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田んぼの稲は青さをまし、どんどん伸びる。畦の草は刈ってもルドベキアの黄色い花は刈らずに残して景色にアクセントがつく。(77日)

 

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721日から安芸の郷の3事業所の摘み取り研修がこのブルーベリー農園で始まる。車で約70分かけてこの日からブルーベリーの摘みとりスタート。とった実は持ち帰り選別、加工に回される。


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724日からはブルーベリー農園の隣町の福富町にある障害者の事業所「しゃくなげファーム」からも参加して摘み取り研修が始まる。ベニヤ板に15mmの穴をあけて大きさに迷ったらこれに合わせて点検する工夫が研修らしい。


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ブルーベリーの実り具合が本格的になってきたのに合わせて29日、30日の土日からボランティアの皆さんが摘みとり援農においで頂く。(730日)



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炎天下の合間の休憩時間は、みんなで摘んだとれたてのブルーベリーを使った冷たいジュースを飲んだりして会話がはずむ。


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29日午後2時ごろの雷雨、雨が激しく降る。


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29日の午後の雷雨の合間のブルーベリーの実。28日も午後から雷雨だった。

85日が安芸の郷の第14回森の工房AMAブルーベリーまつりが午後4時半から開催されるのでブルーベリーの実もたくさんストックしておかないといけないので、収穫後のブルーベリーは安芸の郷のコンテナ型の冷蔵庫に保管される。

摘みとりは9月上旬まで続く。

*お知らせ。安芸の郷のほかに紙屋町の地下街シャレオの本通りそばの「ふれ愛プラザ」で火曜日、金曜日の夕方100gパックを納品しており、おかげさまで好評。


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ブルーベリー園の周囲に住むキジも元気そう。(729日雨上がりの夕方)


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イトトンボ(717日)

2017731日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年7月30日 (日)

石川教授の講演 ② 9条論の構造 ――「生活」の4層構造を元に考える――

 

石川教授の講演 ② 9条論の構造

――「生活」の4層構造を元に考える――

 

722日、東京大学法学部の石川健治教授による四部構成の講演中、今回は第三部の「9条論の構造」を報告します。念のために、4部を掲げておきます。

⓪ 導入  ①憲法論の構造  ②9条論の構造  ③今日的課題

 

 

9条は厄介な条文だ。憲法の第2章には、9条という一つの条文しかない。軍隊を持つ国では、軍隊についての多くの条文があるのだが、それがない。構造的理解が必要な所以でもあるし、9条に触ると憲法の全構造が崩れるという特徴とも関っている。実は憲法学としても扱い兼ねている。

 

日本の人文科学の特徴の一つは、巨人の肩に乗っての議論ができることにある。欧米の知見を基に、経験と研究を積み重ねて議論する。でも9条にはそれができない。特別な存在である9条の議論の出発点として、特殊性のない普通の憲法の構造から見て行きたい。

 

私たちが生きて生活をすることを階層的に見た場合、まず「個人生活」がある。その上には「社会生活」があり、それをまとめる形で「国家生活」がある。政治の場で「個人」が取り上げられたことは文明の成果だと考えて良い。そして、19世紀には「社会」が考察の対象になった。「国家」で問題にされるのは統治システムだが、地方自治もこの中に含めている。そして世界的な比較をした場合、かなりの共通点があることも事実だ。

 

20世紀になって、その上に「国際生活」が現れるが、あまり歴史がないので、国際憲法にまでは至っていない。国家と国際の中間的存在としてはEUがある。国際憲法の規定だと捉えても良いものは、今のところ国内憲法に表現されている。しかも、どの国でもそれは一方的に書かれている。例えば、ドイツでの、EU誕生の暁にはそれに主権を譲るといったような形の規定だ。また、不戦条項を憲法に入れている国もあるので、その点では日本だけが孤立しているのではない。長い目で見ると、このような形の条項が集まって国際憲法になるのかもしれない。

 

四つの階層を視覚的に縦に並べておきます。

 

国際生活

国家生活

社会生活

個人生活

 

しかし、9条については先例がないので、これからが仕事だ。出発点として、国家生活、社会生活、個人生活とどう関わるのかを考える必要がある。これは今まで行われてこなかった。

 

9条は個人生活にも大きな影響を持つ。それは風通しの良さや日常レベルでの空気感という言葉で表せば良いのかもしれない。

 

終戦後、GHQは日本政府に対して「自由の指令」を出し、政治犯の釈放等を行った。これは、批判の自由を保障する指令だった。東久邇宮内閣はこれに対応できず、総辞職した。次に、GHQは「神道指令」を出し、国家神道や神社神道を禁止した。さらに天皇の人間宣言が行われ、一連の改革の形が明らかになった。

 

         

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「国体護持」と「一億総懺悔」を掲げたが、54日で総辞職した東久邇宮内閣

 

「自由の指令」は憲法21条に盛り込まれ、「神道指令」は20条、そして人間宣言は第一章という形で、憲法に反映されている。これらはすべて軍国主義の排除を目的としており、それに止めを刺したのが、9条だ。そのことで「国家生活」が非軍事化された。それが、13条の意味だ。「個人生活」が尊重されるという条項で、戦前は否定されていた「個人生活」が保障されたのだ。

 

次回は③今日的課題です。

 

 

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2017年7月29日 (土)

石川教授の講演 ①憲法論の構造 ――人類の英知の蓄積――

 

石川教授の講演 ①憲法論の構造

――人類の英知の蓄積――

 

722日に広島弁護士会主催で開かれた講演会の報告を続けます。東京大学法学部の石川健治教授の講演は四部構成でした。

⓪ 導入

 憲法論の構造

 9条論の構造

 今日的課題

今回はその第二部です。

 

憲法の条文の逐条読みでは本質がつかめない。その理由は二つあって、一つは憲法の中身には多くの抽象的概念が網羅されていること、もう一つは、2000年の歴史があること。その歴史中、「国民主権」という概念は比較的新しいもので、16世紀なって現れている。

 

つまり憲法を読むということはギリシャ悲劇のような古典劇を読むことに比肩できる。そしてそこには人類の英知が蓄積されている。この点については、かつて青島幸男氏が都知事だったときに東京で開かれた国際憲法学会での挨拶で、素晴らしい指摘をしている。

 

「人間のDNAに全ての生物の歴史が刻まれているように、憲法には人類の英知の全てが詰め込まれている。」

 

           

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DNA には全ての生物の歴史が刻まれている

 

 

それはその通りなのだが、憲法の制定という政治過程では、制定時点での政治状況を反映しての思惑が入ってくることも事実だ。つまり不純物も紛れ込んでいる。これはいわば偶然の所産なので、出し入れ可能な部分だ。日本国憲法には96条があって、それがこの出し入れを可能にしている。

 

では9条はどちらなのだろうか。このような背景を考えずに、「お試し改憲」をしようとしたり「火遊び」として改憲を考えたりする人たちに水を掛けるのも憲法学者の仕事だ。憲法の中で触って良い部分とそうでない部分とを峻別しなくてはならないということだ。

 

最近の問題提起の一つに、憲法の条文数が少ないという議論がある。計量系の政治学者が、憲法中の単語数を比較して日本の憲法が短いことを指摘している。一番長いのはインドの憲法だが、確かに日本国憲法は短い。それは、大日本国憲法を改正した形を取っているからで、元々の大日本国憲法が短かったということだ。

 

しかし、長過ぎる部分もある。刑事手続きに関する31条から40条で、全体で103条ある憲法の一割だ。これは戦前の状況が悪かったことを示している。憲法で正さないと改善できなかったということだ。

 

もう一つ、日本は連邦制ではないので、国と州との規定を憲法に盛り込む必要がない。これが、短いことのもう一つの理由だ。

 

憲法が短いので、実際の政治の場面では隙間を埋めなくてはならない場合が出てくる。解釈が必要になるということだ。例えば衆議院の解散権はどこにあるのかの明文規定はない。一行書いてあればそれで済むことなのだが、それがないので、判断を下すには統治システム全体を見なくてはならない。つまり構造的議論が必要だ。

 

こう見てきて分ることは、憲法は普通の法律とは違うということだ。改正するかどうかという点も含めて、普通の法律と一緒に扱ってはいけない。

 

次回は②9条論の構造です。

 

 

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2017年7月28日 (金)

非核・平和行進が広島入り

 

非核・平和行進が広島入り

 

 

 昨日(27日)正午前、被爆72周年原水禁世界大会が主催する「非核・平和行進」東コース(太平洋コース)が、広島県入りをしました。

 午前10時に笠岡市を出発した岡山県行進団約80名は、元気にシュプレヒコールを繰り返しながら、県境を越え、予定通り正午少し前に、待ち受ける広島県行進団の拍手に迎えられ、引き継ぎ場所である福山市大門町野々浜バス停に到着しました。

 

早速、福山地区労清水副議長の司会で、引継ぎ式が行われました。

 

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                  あいさつする岡山県平和センター梶原議長

 

 

最初に岡山県行進団を代表して岡山県平和センター梶原議長が、「非核兵器条約に反対する安倍政権を厳しく問わなければなりません。この非核・平和行進を通じて、市民の皆さんに強くそのことを訴えてきました。広島の皆さん、その思いをつないでください。」とあいさつ。続いて、広島県側を代表して広島県実行委員会金子代表委員が「核兵器禁止条約の採択は、『核兵器の非人道性』を強く訴えてきた被爆者やその声を一緒に広げてきた私たちの運動の成果です。岡山県行進団、そしてこの行進を引き継いできた全国の仲間の思いをしっかり受け止め、平和公園慰霊碑前までの行進を続けます。そしてその成果を8月4日から始まる被爆72周年原水爆禁止世界大会成功の大きな力とします。」と決意を述べました。

 

 

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その後、岡山県代表団から「核も戦争いらない平和な21世紀を 子どもたちに核のない未来を 非核・平和行進」と大きく書かれた行進用横断幕が広島県側に、手渡され、午後0時20分に広島県行進団(福山地区労の仲間約150名)が、今日の目的地である福山市役所をめざし元気にスタートしました。しかし、出発時には、やや風が吹いてはいたものの気温は32度近くに達しており、歩き始めるとすぐに首筋に汗が滴る厳しい環境でした。行進団には、多くの若い人たちの姿があったことを特に強調しておきたいと思います。

 

この東部コースは、福山市、尾道市、三原市、竹原市、東広島市、呉市、坂町、海田町、府中町などを経由しながら広島市に入り、8月3日の午後3時ごろ、他の2コース(西部コース、北部コース)とともに平和公園慰霊碑前に到着する予定です。

 

西部コース(日本海コース)は、8月1日午前10時に大竹市栄橋で山口県から引き継ぎ大竹市、廿日市市を経由し、広島市に入ります。北部コースは県内独自コースとして今月30日に庄原市を出発し、三次市、安芸高田市を経由して広島市に入ります。

 

4月8日に青森市で開催された「反核燃の日集会」からスタートした「非核・平和行進」が広島県入りをすると、いよいよ原水禁世界大会が近づいたことを実感します。

 

厳しい暑さが続く中、元気にそして安全に行進が続くことを願っています。

 

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2017年7月27日 (木)

石川教授の講演・導入 ――共和制と専制政治――

 

石川教授の講演・導入

――共和制と専制政治――

 

722日に広島弁護士会主催で開かれた講演会の報告をさせて頂きますが、一人目はスダンダップコメディアンの松元ヒロさんでした。スタンダップコメディーの良さを味わうには、その場でリズムや躍動感、即興のセリフや間の取り方等、内容を要約したのでは伝わらない要素が多いので、是非、YouTubeで御覧下さい。その内の一つを貼り付けておきます。

 

 

https://www.youtube.com/watch?v=rw69U0ocvgM

 

東京大学法学部の石川健治教授の講演は、私の勉強不足の結果かも知れないのですが、これまで聞いたり読んだりしてきた憲法論とは違った次元からの内容で正に「目から鱗」でした。

 

           

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石川教授の言葉を拾いながら説明すると、キーワードは、「人類の英知」「物語」「構造」「生活」です。

 

まず、憲法には人類の英知がまとめられている、ということなのですが、「押し付けられたから変えるべき」という主張と対極にある考え方だと言っても良いように思います。次にその人類の英知をどう表現するのかを考えると、それは「物語」である、ということに注目したいと石川教授は述べています。実は、アインシュタインの方程式「E = mc2」も同様に物語なのですが、それについては機会を改めましょう。

 

その物語を詳しく理解するために、憲法の構造的な分析を見事にして下さいました。これは講演の中でさらに詳しく論じられます。その構造の一つが重層構造です。その中で今回の講演で取り上げられたのが、「生活」という視点です。憲法が働き掛ける対象、あるいは主体になる存在等、憲法に関わる「世界」を「個人生活」「社会生活」「国家生活」「世界生活」という4層に整理した上で、それぞれの生活と憲法がどう関わるのかを理解することで、憲法の存在や意義、その位置付けがしっかりと伝わってきました。

 

冒頭で、石川教授は講演アウトラインとして4つの項目を掲げました。

 

⓪ 導入

 憲法論の構造

 9条論の構造

 今日的課題

 

まず導入部です。今私たちが直面している問題点を整理して、安倍総理が憲法記念日に提案した「自衛隊の存在を明記」の本質は、私たちが思っている以上に深刻であることを指摘してくれました。

 

これまでの改憲論は、「何かを変える」ためだった。例えば「戦後レジームからの脱却」。しかし、今回は「変えない」という方針に変った。しかし、何かが変わるはずだ。その何かを探そう。そのためにカントが重要だ。

 

[ここで、『恒久平和論』が書かれた背景、構成についての興味深い話がありましたが、長くなりますので省略します。]

 

カントは、恒久平和のためには共和制が必要だと言っている。実はアリストテレスの頃から、政治の形態は「君主制」、「貴族制」そして「民主制」と定式化されてきた。しかし、統治の仕方から整理すると、「専制」(despotic)と「共和制」(republican)だ。[:専制とは独裁制とも訳される。]

 

共和制とは、執行権と立法権が分離されていることを指す。つまり、立憲的だということだ。民主制との違いは、民主制が専制(despotic)になり得る点だ。それは、公的決定を私的に扱う場合に発生する。そして、権力の私物化は平和を害する。これがカントの言い分だが、9条を認めた上で一部を付け加えるという提案を考えるに当って、「変えないのなら問題はない」と簡単に結論付けてしまわないで、「専制」か「共和制」かという視点から、背景を理解することが重要だ。

 

次回は、①憲法論の構造、です。

 

 

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2017年7月26日 (水)

憲法施行70周年、今、ヒロシマができること ――松元ヒロ、石川健治お二人は圧巻でした――

 

憲法施行70周年、今、ヒロシマができること

――松元ヒロ、石川健治お二人は圧巻でした――

 

               

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722日の土曜日、広島弁護士会館で素晴らしいパーフォーマンスと講演を聞くことができました。お一人は、スタンダップコメディアンの松元ヒロさん、そしてもう一人は東大法学部教授の石川健治さんです。

 

 

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そのレポートを、広教組の有田智樹さんが寄稿してくれました。もう一人のスター・ライターの登場です。

 

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日本国憲法くんに聞いてみたい

 

以前、ある活動家の方が次のようにおっしゃられた。

 

「私たちは護憲勢力ではない。憲法第9条をはじめ、生存権などを今、変えてはいけない条文を恒久法へと改正していく、いわば『改憲勢力』でなければならない」と。

 

確かに、今の内閣に、今の与党に憲法を「改悪」されたくはない。しかし、だからといって「良い方向へ」といえど、「改憲」してもよいのだろうか?その言葉が、ずっとどこかに「引っかかり」を残していた。

 

7月22日(土)、広島弁護士会館にて、「憲法施行70周年、今、ヒロシマができること」と銘打って集会が開かれた。日本弁護士連合会と中国地方弁護士会連合会の共催で開かれた集会に、市民、民間団体等、大勢の人が集まった。

 

集会では、元ニュースペーパーの一員で、スタンダップコメディアンとしてソロ活動されている松元ヒロさんが、ステージに立たれた。松元ヒロさんは、今の内閣総理大臣、防衛大臣をはじめ、政治の正解を痛快に笑い飛ばしてくれた。また、ステージ最終盤には、自らを「日本国憲法」となって演じ、それはまるで「参加者への改憲への警鐘」であった。歯切れの良さ、スピード感、そして、最終盤の「憲法くん」では日本国憲法前文を、一言一句間違わず、暗唱した。その姿は圧巻そのもの。会場は静まりかえり、そして拍手喝さいだった。

 

次に「日本国憲法施行70年の今、考えるべきこと」と題し、東京大学法学部教授の石川健治さんより講演を受けた。石川さんは、憲法のもつ理念とその構造、そして私たちの個人生活に密着している憲法9条とその背景にあるものについて話しをされた。石川さんは、現在の改憲論のポイントとして、憲法の現状を変えないと言いながらも、9条に自衛隊の正統性を盛り込もうとしている事を見過ごしてはならず、私たちが阻まなくてはならないとした。聞き心地の良い言葉を用いての改憲提案であるが、9条がどのような役割を果たし、またどのような役割を果たさなければならないのかという事。その中で、9条を守るヒロシマの役割はとても大きいものであると論じた。改めて、憲法をもっと身近に感じられ、また重要性を考えさえられる集会になった。

 

皆さんよくご存じの古舘伊知郎さん。この方が、某局の報道番組を降板される前に、ある特集を番組内でオンエアーした。内容はドイツのワイマール地方を訪れ、当時世界各国から「最も民主主義的な憲法」として讃えられた、かの有名な「ワイマール憲法」についての特集であった。当時世界の中で「最も民主主義的」な憲法であったにもかかわらず、なぜ第2次世界大戦という戦争の引き金を引くことになったのかを、わかりやすく解説された内容であった。理由はいたってシンプル。政権を持つナチスに、国家発動権を議会で付与してしまったことだ。それは、ファシズムという亡霊に国民が引きずられ、一握りの権力に「主権」を「明け渡した」瞬間であった。その後、どのようになっていったのかは、誰もが知る事実である。

 

どこか、今の日本にそっくりではないか?まったくもって、戦前復古の道が再び開きかけてはいまいか。私たちが許してしまえば、この国の「危うさ」はもはや思い過ごしではなくなる。今、30代を終えようとしている人生だが、憲法くんはその倍を生きてきた。本当に憲法くんが、しゃべるとしたら、今の私たちに、今のこの世界になんと語るだろうか? 

 

[by 広教組 有田智樹]

 

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石川教授の講演を敷衍したインタビューがWebRonzaに掲載されています。有料のサイトですが、憲法問題の重さを伝えたい朝日の心意気でしょうか、石川教授のインタビューは無料で読めます。URL

http://webronza.asahi.com/free/list.html

 

それだけで十分だと言っても良いのですが、やはり私がどう咀嚼・理解しているのかもお伝えしたいので、次回から、石川教授の講演内容を報告したいと思います。

 

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2017年7月25日 (火)

東京での発見 ――「横丁」を曲ると「つぶし餡」の「到来物」がある――

 

東京での発見

――「横丁」を曲ると「つぶし餡」の「到来物」がある――

 

最近、上京することが多い家人なのですが、子どもたちの下宿の掃除などもこなしながら、いろいろ楽しい時間を過しているようです。楽しみの一つは、広島や関西とは違う言葉や仕種を発見することらしく、それを聞くことで、東京生れの私にとっては別の意味で勉強になっています。発見するのは、主に高齢の女性の言葉が多いというのも面白いのですが、最初に御紹介したいのは、飯田橋のあるお店の店番をしていたおばあさんの言葉です。

 

道順を聞かれたらしいのですが、その答えが、「その先の横丁を曲るとすぐだよ」だったのだそうです。なめくじ横丁とか法善寺横丁、それから加藤周一作詞・中田喜直作曲の「さくら横ちょう」といった「横丁」は知っていても、歩いている道を曲って小さな路地に入る、という行動としての「横丁」、「横丁を曲る」とが結び付いていなかったようです。

 

これが関東と西日本との違いなのか、家人だけの感覚なのかは分りませんが、興味深い指摘でした。

 

横道に逸れて、私の注釈を点けさせて頂きたいのですが、「横丁」は「横町」とも書きます。元々は「横町」だったようなのですが、「町」の略字「丁」の方が簡単なので多用されてきたのかもしれません。ちなみに、藤島恒夫さんが歌ってヒットした『月の法善寺横町』は、「町」が正しい曲名です。また、加藤周一さんの詩『さくら横ちょう』について、加藤さんは著書『羊の歌』の中で、「横町」と書いています。

 

二番目は「つぶし餡」です。新宿の近くのお店でこれもおばあさんが「うちのはつぶし餡だから美味しいよ」と言っているのを聞いて、「粒あん」は知っているけれど「つぶし餡」て「粒あん」のこと(?)、と疑問を持ったようです。これも地域的な差ではなく、粒の状態が残っているのが粒あんで、皮は残っていても小豆が潰れている物をつぶし餡と呼ぶだけなのかもしれませんが、家人にとっては新鮮な響きだったようです。

 

そして「到来物」。お中元で頂いたお菓子をお茶請けとしてお客様に出すときに、「到来物ですが、お口に合いますでしょうか」という風に使います。これも広島や関西では聞いたことがなかったようです。

 

といったような話をしながら、今日の暑さを吹き飛ばすために、「到来物」のビールで乾杯です。

 

             

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2017年7月24日 (月)

暑気払い ――LECTで夕食です――

 

暑気払い

――LECTで夕食です――

 

一日中動き回って、とにかく暑さを逃れたい思いでしたので、「暑気払い」のため、LECTまで足を延ばしました。買い物もあったのですが、横道に逸れてスパークリングワインを買ってみました。

 

               

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スペイン産ですが、750ml458円です。アルコール度は10度、泡も入っていますので、コスパはビールより良いかもしれません。味次第ですが--。

 

夕食は栄養を考えて肉です。まずはサラダとスープ。

 

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飲み物は、スパークリングワインとジンジャー・ティー。スパークリングワインはグラスで450円と、一本分とほぼ同じ値段なので、釣られてしまいました。

 

 

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メインディッシュは、サイコロステーキとハンバーグ。美味しい食事とエアコンの利いた環境で暑気を払い、とても元気が出てきました。

 

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LECT名物の電飾です。いつものことながら、これが一番の御馳走かもしれません。

 

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コメント

グルメ写真にみるライスの量→前から思っていましたが、
多くないか、いつも完食されているのか、と。
あのご飯の量であのノン・メタボのスリムさ。
”目かくし”ポン酢のおかげでしょうか。
(マエハタじゃなかった、マエカワ、ガンバレ)

「されと映画」様

コメント有り難う御座いました。御心配頂き感謝しています。

高齢者用のメニューを用意しているところなどでは、「小ライス」が出てきますが、残念ながら、ほとんどのところではそんな配慮はありません。中年以前の人たちの嗜好と分量ですので、写真には撮りますが、全部は食べていませんし、食べられません。

バイキングでも高齢者料金を設定しているところがあるくらいですから、自動的に高齢者用の分量が出てくるようにすれば、お店側でも経費の節約になると思うのですが。

2017年7月23日 (日)

八王子平和・原爆資料館(2) ――竹内良男さん・佐藤あずささんの案内で見学しました――

 

八王子平和・原爆資料館(2)

――竹内良男さん・佐藤あずささんの案内で見学しました――

 

八王子市役所から通り一本隔てたビルの二階にある八王子平和・原爆資料館は、東京圏内で原爆に焦点を合わせた資料館としては唯一の存在ではないかと思われます。しかも、19977月に開館して以来20年間、市民・ボランティアの皆さんの手によって維持・管理されてきました。資料館の入口です。

 

           

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広さは約30平米ですが、中に入ると資料の多さに圧倒されます。案内を買って出てくれた竹内さん()と佐藤市議()です、

 

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この資料館の歴史は、ホームページに載せられています。

 

1996年、八王子市内に住む原爆被爆者の会(八六九会)の会員から、原爆に関する文献・資料の寄贈を受けました。

 

そこで八六九会や地域で働く市民の手作りで資料館の開設の準備をすすめ、19977月にこの資料館を開設することができました。

 

広島・長崎の被爆者の手記や原爆に関する評論、写真集などのほかに、子ども向けの絵本や、各地の中学・高校などの修学旅行の実践記録集なども含めて、その数は、現在およそ2,000冊。

 

ほかに、原爆瓦や溶けた皿、また特筆すべき原爆の遺品として、被爆死した中学生の服があります。

 

さらにまた、広島在住の美術家から寄贈されたオブジェなども展示されています。

 

戦争の記憶が風化しつつある今日、ぜひ一度来館されて、あらためて、戦争と原爆の悲惨さ、平和の尊さを実感してください。

192-0051 東京都八王子市元本郷町3-17-5    電話 042(627)5271

 

この資料館の「訪問記」を書く積りでいたのですが、素晴らしい訪問記をブログにアップしている人がいました。竹内さんの案内で資料館と八王子市を巡った記録を、「しのさん」が「継承ブログ」というブログにアップしてくれています。「ノーモア・ヒバクシャ記憶遺産を継承する会」の運営するブログですが、詳細かつ正確で読み易い報告です。とにかく感心しました。是非お読み下さい。

 

実は、竹内さんは駒込で2016年から「トークセッション<ヒロシマ・2016連続講座>」を月に一回から三回、開いています。今年は<ヒロシマ・2017連続講座>に変っています。しのさんはその12回目に参加して竹内さんから八王子平和・原爆資料館の存在を聞き、取材に訪れたということのようです。こちらの記録も一読に値します。

 

竹内さんからは、駒込の講座は高齢者が多いのだけれど、高校生が一人来てくれたり、若い人の参加もあってとても嬉しいという言葉を聞いていました。

 

私の資料館についての感想も二つだけ付け加えておきたいと思います。一つは、2000点以上の資料のほとんどを運営委員の皆さんが手分けして確認し、きちんとした目録を作成されたことです。私の蔵書と重なるものも多くありましたので、書名を見るだけで内容は分りますが、これからこの資料館を利用する人たちは原爆についての関心はあっても、時代が変って、私たちには常識だったことについても知識はそれほどではない人が増えるはずです。その人たちが利用する上で、目録は必要です。でも手間が掛かります。

 

もう一つは、私たちの時代の常識が100パーセント次の世代の常識として引き継がれることはない、という点です。原爆観・平和観もそれにつれて変るでしょう。でも大切な根幹部分はぶれることなく伝える必要があります。そのためにも、「広島・長崎講座」のような形で学問化、定式化して未来に伝える努力が必要だと私は考えてきたのですが、八王子平和・原爆資料館でその思いが一層強くなりました。

 

最後に、竹内さんに負けず劣らず凄い人だと思ったのが、市会議員の佐藤あずささんです。経歴や政策、そして個人的な思いなどは、公式ブログをお読み頂きたいのですが、今の時代に社民党公認候補として保守的な八王子の市議会議員選挙に出るだけでも勇気のいることですし、トップ当選したことも凄いです。

 

 

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2017年7月22日 (土)

八王子平和・原爆資料館 ――竹内良男さん・佐藤あずささんの案内で見学しました――

 

八王子平和・原爆資料館

――竹内良男さん・佐藤あずささんの案内で見学しました――

 

昨年の9月、「忘れられた」金輪島、というタイトルで竹内良男さんが掘り起こした金輪島の歴史を紹介しましたが、今回は同じく竹内さんに教えて貰った八王子の歴史、そして市民の手で20年間活動を続けてきた「八王子平和・原爆資料館」を御紹介したいと思います。

 

八王子平和・原爆資料館に近いJRの駅は西八王子でした。改札口で出迎えてくれたのは、竹内さんと八王子市市議会議員の佐藤あずささんでした。二人がまず案内してくれたのは、資料館のすぐ隣の市役所周辺です。実は、八王子市は、今話題になっている萩生田光一官房副長官の地元ですので、かなり保守的な土地柄なのです。でも平和をテーマにした石碑や像も多く、また194582日には死者450人、被災人口約77000人と言われる八王子空襲があり、その爪痕が今でも残っています。

 

               

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 このブロンズ像は圓鍔勝三氏による「平和な朝」です。皆さん御存知のように圓鍔氏は尾道市出身の彫刻家で文化勲章受章者です。広島駅の新幹線口にある「朝」を思わせるテーマです。

 

また、八王子市の主要な公園である冨士森公園には「平和の像」があります。これは、八王子市が非核平和都市宣言を行った10周年を記念して1993年に建立された「平和の像」です。これも圓鍔勝三氏の作品です。

 

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八王子市の平和と原爆に関連する史跡はそれだけではありません。時間があれば案内しますと、竹内さんには言われたのですが、私が知らなかった多くの場所とそれぞれの簡潔な説明を付した地図を頂きました。その表紙です。

 

 

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どこかで見たことのあるデザインですね。そうです、金輪島の島めぐり案内冊子の表紙と同じデザインです。ということはこれも竹内さんの作品だということです。次にこの小さなパンフレットを開くと、八王子の平和関連の場所がいくつも紹介されています。

 

 

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左上の説明を大きくしてみると、「ランドセル地蔵」の紹介があります。

 

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左下は浅川地下壕の説明です。

 

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なかなか平和・原爆資料館に辿り着きませんが、それは次回に回したいと思います。

 

 

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2017年7月21日 (金)

同じお題で書きましょう ――「スカッとした話」とは言えないのですが――

 

同じお題で書きましょう

――「スカッとした話」とは言えないのですが――

 

大まかな比較になりますが、アメリカの小売店と日本のそれとを比べると、接客は日本の方が丁寧だという印象です。それも店によりますし、販売商品等にもよりますから一概には言えませんし、長く住んでいるとその土地の雰囲気にも慣れてきますので、普段の生活ではあまりストレスには感じなくなるものです。

 

そんな中で、郊外にあったSears(シアーズ)には良く行きました。特に、DIY関連の道具や材料は品揃えも豊富で品質も定評がありましたので、頼りにできる店でした。

 

             

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By Niceckhart (Own work) [CC BY-SA 3.0 (http://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons

 

何を買いに行ったのかは覚えていないのですが、ある夕方、Searsの自動車部品売り場で私の番を待っていました。でも、前のお客さんと店員さんとの間はちょっとぎくしゃくしていて、それも店員の側が何かにイライラしている感じでした。

 

私の番になって、「What can I do for you?」という店員の声も荒っぽく苛立っていましたし、顔付きもちょっと険しさが残っていました。でも、根っから意地悪そうな人でもなく、何より若い学生っぽさがありました。因果なことなのですが長く教える立場にいたため、若い学生くらいの人を見るとつい一言出てきてしまうのです。

 

「ことによると、あなたに取って今日はいろいろ嫌なことがあったのかもしれない。そうだとしたら同情します。でもそれと、今日たまたまこの店にやって来た私たち客とは関係ないのでは?

 

一瞬の間をおいて、その店員の表情が変りました。

 

「あなたの言う通りです。あなたとは関係ありません。今日という日がもっと悪くならないように努力します。」

 

 

買い物を終えて、お互い同士「Have a good day!」そして「Have a good day!」と言って別れましたが、余計な一言かも知れなかった言葉の意味を汲んでくれた若い店員の賢さに感心しながら一日を締め括ることができました。彼に取っても少しは良い日になったのであればそれ以上望むことはありません。

 

 

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コメント

コメント失礼します。
まさに、このブログを読んでスカッと致しました。指摘を受けて直ちに反省し態度を改めた若い店員さん。素晴らしいですね。今の日本政治家の現状に嫌気どころか嫌悪、どこまで国民をバカにして、どれだけ嘘をつき続けるのか。みえみえの言い逃れ、虚偽答弁、自分自身に恥ずかしくないのか、、間違ったり、悪いと思ったら謝る、責任を取る。要職を辞す。当たり前の事だと思います。
店員さんの様な態度こそがスッキリとした尊敬に値する生き様です。

参加ありがとうございます。

若い店員さん、とても偉いですね。なかなか素直に
なれるものではないし、ましてや指摘されると反抗
したくなるのが若者じゃないですか。素晴らしいお話
をありがとうございました。

先生の言い方も素晴らしかったんですね!

こういう互いの思いが平和へと繋がって行くと思います。

「ハクセキレイ」様

コメント有り難う御座いました。大統領が罷免されること必至だったアメリカのウォーターゲート事件では、元々の盗聴より、それを隠そうとした嘘の方がより重く糾弾された記憶があります。

誰が読んでも真実としか思えない記録を否定し、自分で言った言葉も認めない政治家たちには政治に関わる資格などありません。

次の選挙、そしてその次の選挙、さらにこれからの数年間のすべての選挙で、都議会選挙と同じように自民党・与党には投票しないという決意を有権者がすれば政治は簡単に変るはずなのですが--。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。こんなに素直に話が通じるのは例外だと言った方が良いかもしれません。でも、言葉がより大きな意味を持つ大学や言葉を大切にしている人たちの間では、このような会話が比較的多かったような気がします。

とは言え、どんな世界でも「自分こそ正しい」と信じて疑わない人たちの数も半端ではありません。となると、権力を持って、しかも「自分の言うことが全てだ」と根っから信じ込んでいる政治家たちが一番危険なのかもしれません。

「ふぃーゆパパ」様

コメント有り難う御座いました。そうですね。冷静さと謙虚さ、そして寛容さが平和の三本柱かもしれません。

2017年7月20日 (木)

浄水器    一生、縁がないと思い込んでいましたが――

 

浄水器

一生、縁がないと思い込んでいましたが――

 

本格的な暑さの季節になり、冷たく美味しい水の有り難さを身に沁みて感じています。それも、二三日前から、水を飲む度に痛感するようになりました。浄水器を買ったからです。

 

実は、十数年前からもう一生、浄水器とは縁がないのだろうと思い込んでいました。それは、広島市の水道水がとても美味しいからです。広島市の水道は1898(明治31)に牛田の浄水場が竣工して以来、119年の歴史があります。その間、1945年の86日にも、職員の必死の努力で全市域の断水を避けることができました。その結果、「水道の歴史」 イコール 「不断水の歴史」という、正に市民サービスのお手本となる金字塔を打ち立てています。

 

広島の水道水は太田川から取っていますが、吉和に水源涵養林を確保するなどの努力もその一因になっているはずです。また、その美味しさについても、全国的に評価されています。毎年、フラワーフェスティバルには、「水のひろば」を開いて、冷水のサービスや利き水体験を通して、水の美味しさのアピールをしています。ここにその報告があります。

 ゆるキャラ「じゃぐっちー」によるPRもかなり広まっていますし、じゃぐっちーが手にしている、500mlの水道水を詰めたボトル「飲んでみんさい!広島の水」も、10年ほど前から売られています。

 

               

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広島市の水道水に対して水道局職員の抱く思いも強く、「広島の水道に浄水器を付ける必要はありません」という言葉は何回も聞かされました。事実、東京の水道水の不味さに辟易して広島に戻った時には、何杯も水を飲んでしまうほどでした。強く意識した訳ではありませんでしたが、浄水器とは縁がなくなったなぁ、と漠然とは感じていたように思います。

 

事情が変わったのは、広島市の外に引っ越したからです。美しい自然や田畑に囲まれ、空気は澄んで、夏でも平地よりは涼しい素晴らしいところです。Z級グルメを自認する私ですから気付かなくて当然なのですが、今年の春から夏、生活全般についての改善を少しずつ進めている中で水の話になりました。家人は、飲み物用の氷はスーパーやコンビニで買っていたのですが、その原因は水道水にありました。カルキ臭が強過ぎるということなのです。

 

水源は同じ太田川なのだと思いますが、その後の処理の仕方が違うのかもしれません。水道局のホームページには、安全面から考えて浄水器は必要ない、と書かれていますし、雑菌が繁殖する可能性についての言及もありましたが、物は試しで、浄水器を買いました。据え置き型で、フィルターは、直径10cm、高さ17cmの本体の方にあります。

 

 

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写真を撮るために本体は動かしました。ホースが長いので調理等の邪魔にはなりません。

 

 

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浄水と原水との使い分けも簡単です。

 

カルキ臭は消え、「美味しい」水が飲めるようになりました。これで、水のボトルも氷も買わなくて済みます。梅雨明け後は気象も安定して、これ以上の災害が起きないよう祈りつつ、夏の暑さを乗り切る上での力強い援軍に感謝しています。

 

 

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2017年7月19日 (水)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト⑥ 市民によるロビー活動・(3)――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト⑥ 市民によるロビー活動・(3)――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels”20154月号から転載

 

前回まで説明してきた諸々の活動は立派な「ロビー活動」ですが、具体的な内容は千差万別です。どのような可能性があるのか、できるだけ具体的な活動が分るように、WPCのメンバーがどのようなことをして来たのかを整理した形で説明しましょう。

 

例えば、NGOのメンバーがかなりのレベルの専門家(A氏と呼びましょう)で、B国の国連代表部の新任の軍縮担当官で関心は持っていても軍縮については抽象レベルでの知識に留まっているC氏と話をしたとしましょう。これまでのWCPの活動を説明するだけではなく、フランスの核実験から始まる歴史や、これから国連内で予定されている活動等を説明することになるはずです。話の内容から表現すると「教育活動」と言っても良いでしょう。

 

一方、A氏とは様々な場で同席した経験があり自分自身も核廃絶のために努力してきたベテランの外交官D氏との会談は、これから他の国を交えてどのような会合が開かれるのか、その会合ではどの国がどんな主張をするのか、最終的にスケジュールはどうなり、「勧告的意見」実現のためにそのスケジュールが役立つのかどうか、そのように時間的制限の中でのこれからのD氏の動きはどうなるのか、といった内容になっても不思議ではありません。となると、これは、「戦略会議」だと言うと分り易いはずです。

 

それだけではありません。ある国Eが、核兵器についてはこれまで決まっていた方針に従って国連では活動してきたとして、世界情勢が変わってきたので、それに合わせて国連での動きを元にE国の方針を微調整すべきか、あるいはかなり大きく変えるべきなのかといった判断に迫られることもあります。そのE国の担当者F氏と日頃から情報の交換をしているA氏に、情勢判断の基礎になる最新情報の提供を依頼することも稀ではありません。その際に大切なのは、その情報が客観的なものであり、手に入り易い公開情報であることです。

 

しかし、核廃絶とは反対の立場をとる人たちも、自分たちに有利な情報を提供するはずです。その際に、矛盾する内容をどう解釈するのかまで、十分な勉強をしていないと、役に立ちません。善意があり熱意があり、知的にも体力的にも優れている人がボランティア活動に飛び込んだとしても、NGOとしての実質的な活動を続けるためには、人並み以上の勉強が必要なのです。

 

また、複数の国を対象にセミナーを開いたり、複数の国と共に文字通りの「作戦会議」を開いたりということも必要です。核廃絶には反対している国からの妨害活動について市民への情報提供をし、市民の力を借りて反論したり、マスコミを通してきちんとした対応をすることも時には必要です。

 

また逆に、エキスパートである外交官や学者、政治家等からから専門的な知識やそれぞれの立場の人たちが持っている深い知識についてのレクチャーを受けることになる場合もあります。

 

もう一つ、ロビー活動で大切なことがあります。これも人を説得する仕事をしたことのある人たちの間では常識なのですが、説得するのは、目の前にいる人だけではないのです。前に挙げた、C氏やF氏に戻れば、C氏やF氏は説得できたとしても、次にはC氏やF氏の上司や本国の担当者の説得をする必要があります。本国の大統領の説得が必要になることもあります。その説得をするのはC氏でありF氏です。その際に役立つ情報や説得のための材料を提供することで、何歩も前に進めるという点も大切です。

 

NGOの仕事の中には、活動費、有能なスタッフに助けて貰うための人件費を含む事務所の維持費等の資金を調達する仕事、そのための準備等も必要ですし、NGO内部での方針決定やそのための会議、多くの市民との間の連携の仕事、マスコミとの連携や広報等々、まだまだ多くの仕事があり、それらの総体が、「結果」として現れるのです。

 

こうした活動を何年か続け、多くの国の支持を取り付けた結果が、WHOや国連総会での、市民の声を反映した決議になりました。1993年5月14日、WHOが総会で、ICJに勧告的意見を求めるよう決議、9月にはICJに受理され、次いで、1994年12月15日には、国連総会はICJに勧告的意見を求める決議を採択、数日で受理されました。

 

WHOの付託した問題については、33か国が陳述書を提出、国連総会の付託した問題については、28か国が陳述書を提出、1995年10月30日から11月15日まで、22か国および、WHOICJの法廷で口頭陳述--歴史的多数の陳述だったのですが、日本からは、政府だけではなく、広島・長崎両市の市長が陳述したことには既に触れました。

 

日本ではあまり報道されなかった、NGOの努力とその具体的姿の一端、そして勧告的意見の持つ意味について、少しでもお伝えすることができたでしょうか。

 

改めてここでお伝えしたかったことを二つに整理しておきたいと思います。一つは、核兵器の廃絶にしろ、地雷の禁止にしろ、国際的な場で政治を動かす仕組みの中で、市民としてどのような活動ができるのかを少しは具体的に知って頂きたかったのです。国際政治を動かすことは可能ですし、成功した事例から、それがどのような活動の結果なのかを知って頂きたかったのです。もう一つは、このような地道な活動の結果として、例えば国際司法裁判所での感動的な陳述が行われたのですが、その舞台を作る仕事があって初めて、それが可能になったことにも注目して欲しいのです。特に若い人たちには、この舞台作りの場で活躍して欲しいと思いつつ、今回の報告を行った積りです。

 

最後に、時期的には2005年とWCP後の活動ですが、NPT再検討会議の際の「ロビー活動」の写真をアップしておきます。最初はオノ・ヨーコさんに銀の折り鶴の贈呈をしました。そして国連の本会議場での写真です。

 

           

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2017年7月17日 (月)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト⑤ 市民によるロビー活動・(2)――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト⑤ 市民によるロビー活動・(2)――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels”20154月号から転載

 

WCPに戻って、国際的なロビー活動の具体的な姿を描いてみたいと思います。まず、ニュージーランドの市民と政府が一体となってICJの勧告的意見を求めようと決意をしたのですが、それを実現するためには、次のステップとして国連あるいは専門機関での決議が必要になります。その決議を実現するためには、当然、世界各国に賛成して貰わなくてはならず、そのためにはICJの勧告的意見が何故必要なのかから始まって、最後には、決議に賛成して貰えるように説得しなくてはなません。

 

国際社会に働きかけるのは、建前として国が行うことになっています。国としてのニュージーランドが動くという形を取るのですが、その実質を考えると随分難しい仕事でもあります。なにしろ国連加盟国だけでも200近くあるのですから、その一つ一つの国の代表と会い説得をすることにはエネルギーも時間もかかります。

 

その全てを、人口500万に満たない国の責任で行うだけでも大変です。しかも国の中の外務省というお役所が形式的には全てを仕切るとは言っても、ニュージーランドは小さな国です。ニュージーランドという国の存亡に関わるという問題意識もあったはずですが、それ以上に、世界・人類の存亡に関わる問題でもあります。他の国々の協力があって当然なのですが、それでも政府のお役人という立場で仕事をする人たちが使える「資源」つまり能力がありこの問題に精通している人たち、さらにその人たちを支える環境や資金には限りがあります。

 

さらに、国の外交の仕事にはWCPの他にも大切な「日常業務」も含まれています。それらを熟しながら、新たに付け加わったWPCの仕事を世界の200か国を相手に精力的に行うには、時間と人手そしてお金が必要だということです。

 

           

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ニュージーランド外務省のスタッフ数は約1400人--同省ホームページから

 

そこに登場するのが、国境を越えた集団であり、かつ専門的な知識やノウハウを提供することのできるNGOです。事実、WCPでは、その支援をするためのNGOが誕生し、実質的にこの運動を引っ張って行くことに成功しました。

 

国際平和ビューロー、核戦争防止国際医師会議、国際反核法律家協会という核廃絶に熱心なNGOが中心になって、ケイト・デュース、ロバート・グリーン、そしてアラン・ウエアというニュージーランドきっての活動家3人が加わった、WPCの国際運営委員会が1992年に作られ、ここから実に効果的に国連大使を含む外交官、各国の外交担当者や議員、マスコミ等に最新の情報と市民からのメッセージを発信する仕事を分担したのです。

 

最後に何か国かの外務省職員数の比較グラフを掲げておきます。外務省が作成したものです。人口当たりの職員数の少ないことが日本の特徴です。人口一万人当たりの職員数では、日本が0.42であるのに対して、ニュージーランドは、2.8で、約7倍です。ただし、ニュージーランドは貿易の仕事も外務省の管轄ですので、それも考慮すると、数値はかなり下がります。

  

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2017年7月16日 (日)

クマゼミが鳴き始めた

クマゼミが鳴き始めた

 

715日朝。8時頃「シャンシャンシャン」の音。クマゼミの夏の第一声だった。空は薄く曇っているが「梅雨は終わり!夏じゃっ!」と言われているよう。以下は狭いベランダの朝の様子。

 

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3階のベランダの前のイチョウの木でクマゼミは鳴いている。

 

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目の高さの位置にとまって鳴いている。

 

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これから盛夏中に毎朝このイチョウの木にとまっては鳴き続ける。今住んでいる船越は山が近いのでセミも多い。小学生の頃はクマゼミ取りに夢中になっていたが・・・。

 

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ベランダに咲いている花。ルリトラノオ。

 

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夏中しっぽが長く伸びながら先に向けて咲き続ける。

 

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乾燥に強いローズマリーも先週位から開花。

 

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1個だけついたオリーブの実。去年も1個だった。

 

 

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社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

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2017年7月14日 (金)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト④ 市民によるロビー活動――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト④ 市民によるロビー活動――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels”20154月号から転載

 

国際的なレベルでのロビー活動と聞くと、かなり高級なことをしているような感じを受けますが、ロビー活動はもっと日常的な存在です。国際的な活動だけでなく、国内でも、それも国会だけではなく地方議会等でも、多くの人が毎日のようにロビー活動をしています。ロビー活動の主体、つまり誰がこの活動をするのかというと、個人、企業、業界、NGO、圧力団体等々、ほとんどの人が何らかの形で、どこかでロビー活動をしているとさえ言えそうです。

 

ロビー活動をもう少し幅広く捉えると、地方自治体、国さえもこうした活動をしています。地方自治体と国との関係では「陳情」と言った方が分り易いかもしれませんし、力関係の違いが大きかった時代背景の下に行われた「直訴」も広い意味での「ロビー活動」だったと言って良いのではないでしょうか。

 

             

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直訴する田中正造--野州日報から

 

「陳情」をするのが地方自治体だけではないことは言うまでもないのですが、「清々しい」といったイメージと結び付かないのは、これが上下関係を前提にした言葉で、権力を持つ者に対して、下々が実情を陳べ善処を要請することを指しているからです。もっとも近年では、官僚社会も上下関係を余りにもあからさまに表現している言葉であることに気付いて、「提案」とか「パブリックコメント」といった表現を使ったりしています。

 

長い間の因習として私たちの頭の中に、「陳情」と切っても切り離せない存在としてインプットされているのが賄賂です。公務員に便宜を図って貰うために金品等を贈る行為ですが、「贈収賄」「汚職」「疑獄」といった文字がマスコミで報道される頻度の高いことから、陳情そのもの、政治家や官僚に働きかけること自体に問題があるかのような雰囲気も作り出されてしまいました。

 

しかし、「陳情」の本来の目的である政策面での「提案」、それ以前の問題として、主権者である市民の主張や知見を立法・行政・司法のあらゆるレベルに反映させることは、健全な民主主義を創るためには必要不可欠ですし、それこそ、民主主義そのものだと言っても良いくらいの重みがあるのではないでしょうか。こうした本来の、民主主義の働きの一環としての活動を表す言葉として、当面「ロビー活動」という言葉を使いたいと思います。

 

過去の、汚れた面が目に付いたロビー活動とは袂を分かって、あるべき姿のロビー活動を展開し、世界規模での民主主義を手作りで実現し始めたのが、新しい世代の、環境や人権、福祉、平和等の世界的な活動を行って来たNGOです。献金をしたり、裏取引によって自分たちの言い分を通すという旧来のやり方ではなく、客観的なデータを元に、論理的・合理的な筋道を辿って結論に至るプロセスを、ある時は極めて知的に、またある時は情に訴えて、市民レベルでの支持を増やしつつ、民主的な政治に理解のある官僚や政治家たちを仲間に加え、その結果、多くの分野で成果を挙げてきました。

 

最近の良く知られた例では、対人地雷禁止条約締結のために大きな力を発揮したICBL(International Campaign to Ban Landmines――地雷禁止国際キャンペーン)があります。ダイアナ妃が応援したことでも有名ですが、彼女の果した役割は、彼女なりの「ロビー活動」だと言えるのではないかと思います。そして数回にわたって取り上げてきたWCPは、ICBLの先駆けとして、同じように効果的かつ大きな足跡を残しました。

  

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対人地雷埋設地域でのダイアナ妃

 

 


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2017年7月13日 (木)

夏野菜を頂きました ――これから毎日が楽しみです――

 

夏野菜を頂きました

――これから毎日が楽しみです――

 

核兵器禁止条約に至る道はまだまだ続きます。道のりの長いことはお分り頂けたはずですが、少しずつ休みながら先に進めればと思います。今回は、夏野菜で小休止です。

 

庄原の野菜名人さんから夏野菜を頂きました。美味しさは勿論なのですが、大きさも特別です。まずは写真を御覧下さい。

 

             

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 ズッキーニです。新聞紙の大きさと比べて下さい。大きいでしょう。

 

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キュウリもちょっと大きめですが、美味しいことに変りはありません。

 

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ピーマンも大きめです。

 

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 茄子その他

 

 

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じゃがいもと玉ねぎです。

 

色々な食べ方がありますが、まずは簡単でお気に入りのレシピ―から。「パキポキ胡瓜」です。気軽に寄れて美味しい創作和食の「虎之介」の定番メニューです。と言っても、決め手は胡瓜の上の海苔の佃煮です。これにウニが加わることもありますが、どちらも好物です。

 

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パキポキ胡瓜

 

 

それに虎之介もお勧めです。福屋のフタバ書店側の入口の隣の地下にあります。リーズナブルかつ全室個室、そして味もなかなかです。とは言っても、私がZ級グルメであることをお忘れなく。

 

 

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写真はホットペパーの虎之介ページから

 

 

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2017年7月12日 (水)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト③ 市民から政府へ――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト③ 市民から政府へ――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels" 20153月号から転載

 

《草の根の「非核宣言」と政府》

 

核兵器の使用あるいは使用すると脅すことは国際法違反であることを国際司法裁判所に認めて貰うために、市民たちは力強く、効果的に動きました。

 

目標は、国際司法裁判所に「勧告的意見」を出して貰うことなのですが、そのためには国連総会か専門機関、例えば世界保健機構(WHO)が、その要請をする必要があります。現実には、この両方が要請をしたのですが、それもただ見ているだけで起ったのではありません。まずは運動の発祥地、ニュージーランドの政府を説得し、ニュージーランド政府とともに国連加盟国の中でも、志を同じくする国々に働きかけて、国連総会やWHOで、勧告的意見を国際司法裁判所に要請する決議を採択して貰うというシナリオを描いてその通りの結果を作り上げたのです。

 

この流れを簡単に整理しておきましょう。

 

l 1986年、元判事のハロルド・エバンズ氏が世界法廷プロジェクトを提案

l 1989年、IPB(国際平和ビューロー), IALANA(国際反核法律家協会), IPPNW(核戦争防止国際医師会議), PGA(世界的活動のための国会議員連盟)等のNGOの間でWCPへの支持が高まる

l 1993年5月14日、WHOが総会で、ICJに勧告的意見を求めるよう決議、9月に受理された

l 1994年12月15日、国連総会はICJに勧告的意見を求める決議を採択、数日で受理される

 

このような結果を出すために、市民たちは署名集めや集会、街頭からの呼び掛けという世界共通の手段も使いました。同時に、自分の属している組織毎の「非核地帯宣言」運動では、各家庭から始まって、職場、学校、教会、趣味の集まり等々、あらゆるレベルの団体に協力を呼び掛け、非核地帯宣言を出して貰うことに成功しています。

 

日本の自治体でも非核自治体宣言を積極的に出した時期がありました。しかし、その後の活動がどう続いているのかも大切です。庁舎や自治体内の目立つところに看板を立てることや、周年記念行事を催すことも続ける価値はあるのですが、ニュージーランドで行われたように、学校や家庭での「非核宣言」の場合には、子どもたちも巻き込んでの意見の交換や意思表示になります。子どもたちにとっては多くの場合、言葉だけ「非核」と言えばそれでことが済んだことにはなりません。次には何をすれば放射線の被害から身を守れるのかを考え問い詰めます。そこから次の行動が生まれるのです。

 

その影響だと考えて良いのだと思いますが、私が参加したニュージーランドでの平和集会には、驚くほど多くの若者の姿がありました。しかも、大切な役割を担っている人が多く、自らの考えもしっかりしていますし、明るく積極的かつごく自然に平和集会と向き合っていたのです。

 

ニュージーランド政府が動いた背景には、こうした世論がありました。でも世論の通りに政府が動いてくれないことも、世界の至る所で見られます。その点でもニュージーランドは特筆に値するのかもしれません。特にロンギ首相の果たした役割の大きさはもっと評価されるべきだと思います。彼の言葉を引用しておきましょう。

 

               

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ロンギ首相

 

「もしニュージーランドのような国が核兵器に対してノーと言えないのならば、どのような国が核兵器に対してノーと言えるのか。もしニュージーランドのような国が核抑止論なくしては安全であり得ないとするならば、どのような国がそれなくして安全であり得るのか。」

 

日本政府の言葉であっても良いくらいの内容です。残念なことに、(別の意味では幸運なことに、とも言っておきましょう)、日本ではなくニュージーランドで、国民と政府とが一体になって核兵器のない世界を創るために努力をしたということなのです。

 

さて、国から世界への広がりには、ニュージーランドと同じ志を持つ国々、その中でもNAMという略称で呼ばれる非同盟諸国、そして多くのNGOが力を発揮しました。

 

国際社会に働きかける上では、国単位の枠組みが尊重されますので、国としてのニュージーランドが中心に動くという形を取るのですが、そこから先も大変です。国連加盟国だけでも200近くあるのですから、その一つ一つの国の代表と会い説得をすることはエネルギーも時間もかかる仕事です。政府の仕事を全てNGOが請け負うなどということは、当然不可能なのですが、NGOが政府の支援をするという立場で出来る仕事、それが政府の負担を減らすことになる種類のものもたくさんあるのです。市民の立場や視点を世界に広める、そしてその立場からまとめた核廃絶や勧告的意見等についての最新情報を、多くの国の外交官たちの伝えることはその一つです。

 

そのために、国際平和ビューロー、核戦争防止国際医師会議、国際反核法律家協会が中心になって、ケイト・デュース、ロバート・グリーン、そしてアラン・ウエアの3人が加わった、WPCの国際運営委員会が1992年に作られ、ここから効果的に国連大使を含む外交官、各国の外交担当者や議員、マスコミ等に最新の情報と市民からのメッセージを発信するだけでなく、ICJでの勧告的意見につながることはできる限り何でも引き受けて対応するという超人的な仕事を分担しました。

 

(次回はロビー活動について)

 

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2017年7月11日 (火)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト② 仏核実験――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト② 仏核実験――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels 20153月号から転載

 

《フランスの核実験》

 

世界法廷プロジェクトの前段階として、フランスの南太平洋における核実験に対する大きな反対運動がおこり、それが成功したことを特筆したいと思います。

 

そもそもフランスは、1963年の部分核実験禁止条約は批准せずに大気中の核実験を続け、サハラ砂漠での実験に対する反対が大きくなると、ヨーロッパから離れた南太平洋に実験場を移しました。1966年から1974年の間に、ムルロア環礁、ファンガタウファ環礁で44回の大気圏核実験を行い、それに反対する多くの市民不安と怒りが大圧力を作り出し、反対運動は1972年から急速に広がりました。一つのピークは、フランスの核実験に抗議する「平和船団」にフランスの海軍の船の衝突でした。このことが報道されると、国際的な世論にも一気に火が点いたのです。

 

市民の声に応えてニュージーランド政府はフランスを国際司法裁判所に提訴して、フランスに核実験を止めさせることに成功しました。もっとも当初、ニュージーランド外務省はICJへの提訴には反対だったのですが、世界的世論の後押し、特に、放射能の害に対して母親たちをはじめとする女性の声が大きな圧力となり、1973年5月と6月に、ニュージーランドとオーストラリア政府がICJに提訴、6月にICJは、8対6で、ニュージーランドとオーストラリアの立場を認める仲裁的意見を発表し、フランスは大気中核実験の中止を決定、1974年12月、ICJは訴訟の継続を打ち切る、という一連の動きがあったのです。

 

しかし、それからもフランスは核実験を続けます。1985年には、フランスの諜報機関が抗議船を爆破し、死者まで出す騒ぎになっています。それでも、大気中核実験を続け、ICJの勧告的意見が出た後に包括的核実験禁止条約に調印するといった形で、一応終止符は打ったものの、フランスの拘りは並大抵のものではありませんでした。

 

穿った見方になりますが、ICJの勧告的意見が実現した裏には、フランスが「悪玉」として、完膚なきまでにその役割を果した点も一つのポイントではあった、と歴史的な分析をしておくこともどこかで役立つかもしれません。「勧善懲悪」の映画のように、核実験については、誰から見ても――とはいってもフランス政府はそう考えていなかったのでしょうから、そこが怖いのですが――理不尽な態度を取り続け、どちらの「味方」になるべきかは誰にでも明らかだったからです。

 

フランスに対して効果のあったICJへの提訴と、その背後に控えていた世論を合わせて考えた時に、「勧告的意見」という制度を使おうというアイデアが浮かんだとしても不思議ではありません。

 

こうして核実験は中止されましたが、その被害者が今でも苦しんでいることは、昨年何回かにわたって報告した通りです。昨年はフランスの核実験が開始されてから50年の節目の年でした。核実験による被害者を救済するために立ち上がった若い世代そして宗教家たちを中心にタヒチのパペーテで集会が開かれました。その背景と運動の今後について、下記の記事を再度お読み頂ければ幸いです。

 

               

Photo

             

パペーテでの集会

 

「モルロアでの仏核実験から50年」

「モルロアの課題」

「核実験被害者の記念碑」

193の会とキリスト教」

「タヒチの独立」

「独立 = 平和」

 

次回は、フランスの核実験を中止させた市民運動がさらに大きな「世界法廷プロジェクト」に取り組み様子を復習します。

 

 

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コメント

フランスと言えば、ドゴールが、アルジェリア戦争でも核実験を威嚇に使ったことを思い出しました。そしてソ連の軍拡を招いたことも含め、フランスが、「脇役の悪役」として歴史の流れをつくっているという感想を懐きました。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。

核保有国の中で、特にフランスが注目されることはあまりないように見えますが、御指摘のように十分「悪役」としての活動をしています。

同時に、核実験被害者に対しての無責任さはどの核保有国も同じですし、自分勝手な理屈を平気で主張し続けることについても、どの核保有国も引けを取りません。

「核」がこうした国々の良識や正常な思考力を奪っていると考えると、核の罪深さが一層際立ちます。

2017年7月10日 (月)

核兵器禁止条約に至る道 ――世界法廷プロジェクト①――

 

核兵器禁止条約に至る道

――世界法廷プロジェクト①――

 

以下、『数学教室』連載”The Better Angels 20153月号から転載

 

1999年ハーグ平和市民会議》

 

国際司法裁判所(ICJ)の勧告的意見について、当初は日本での評価があまり高くなかったことは前にも指摘しましたが、その考え方を修正すべきだと感じたのは、Kate Dewes (ケイト・デュース)さんにお会いした時でした。19995月、ハーグで開かれた 「ハーグ平和市民会議」の場でした。ICJの勧告的意見が出されてから3年、参加したNGO関係者から、世界法廷運動(以下WCPと略します)への熱い思いが伝わって来たからです。そのリーダーの一人がデュースさんだったのです。

 

ICJで行われた口頭陳述での、当時の平岡広島市長と伊藤長崎市長の発言が如何に感動的だったのかを、その場の雰囲気を交えて熱く語ってくれました。被爆地からのメッセージがあったからこそ、国際法上の大きな成果が実現したのだと評価してくれたのです。加えて、自分たちの10年以上の努力がこのような形で実ったことがとても嬉しいという言葉が続きました。謙虚さと仲間への信頼、そして市民の力の大きさがしっかり伝わって来ました。

 

その後、核兵器廃絶のための国際会議が開かれる度に、と言って良いほど、デュースさん夫妻(彼女のパートナーが、前に引用したロバート・グリーン氏です)とは様々な機会に御一緒することになりました。

 

               

Kate_dewes

             

ケイト・デュースさん

 

Robert_green

ロバート・グリーンさん

 

 

中でも印象的だったのは、「WCPは、我が家のキッチンテーブルから始まったのよ」とデュースさんが披露してくれたことでした。日本流に言い直せば「井戸端会議」が発端だったということになるでしょう。クライストチャーチでの集会が終って、近くのサンドイッチ・ショップでお昼を食べようとしていた時でした。先に来ていた何人かの女性たちを紹介してくれたのですが、1970年代の後半、その人たちがデュース家の台所で話し合ったことが、何年もの努力の結果、国際司法裁判所を動かし、「核兵器は国際法違反」という勧告的意見につながったという説明がありました。

 

とは言え、井戸端会議さえ開けば世界が動くということではありません。その間にどんな活動があり、どう最終的な結果につながったのかが大切です。

 

一口で要約すれば、考えられるあらゆることを実行したと言えるのですが、WCPそのものの出発点は、1986年でした。その年に、元判事のハロルド・エバンズ氏がリーダーとなって、国際司法裁判所に核兵器の違法性についての判断をして貰おう、そのために「勧告的意見」という制度を使おう、と提案するまでに「井戸端会議」が成長したのです。しかもこれは、ニュージーランド全体に広がっていた平和運動の延長線上の運動になっていたのです。

 

[次回はニュージーランドの平和運動とニュージーランド政府の勇気ある決断、そしてその後の市民運動についてです]

 

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2017年7月 9日 (日)

核兵器禁止条約の採択を歓迎する原爆ドーム前集会開催

 

核兵器禁止条約の採択を歓迎する原爆ドーム前集会開催

 

 

ニューヨーク国連本部で「核兵器禁止条約」が採択された昨日午後3時から原爆ドーム横で「核兵器禁止条約のためのヒロシマ緊急共同行動そのⅢ」として「核兵器禁止条約案採択を歓迎する原爆ドーム前集会」が開催されました。

この集会は、「核兵器禁止条約」が、世界の圧倒的多くの国々、市民の努力によって採択されたことを歓迎している意思を出来るだけ早く、広島からのメッセージとして伝えることが必要だとの思いから、この時間が設定されました。広島県原水禁も実行委員会の中で、「8日しかない」ということを強調し、開催を積極的に支持してきました。

心配された雨も降らず集会が始まる時間には日も差しはじめ、蒸し暑い中での集会となりましたが、100名を超える被爆者や市民が集まり、ヒロシマの思いを世界に発信しました。

 

78_hiroshima_11

 

渡部朋子さんの司会で始まった集会は、最初に青木克明(HANWA共同代表)の開会あいさつ、続いて国連交渉会議の現地行動に参加された箕牧智之広島県被団協(坪井理事長)副理事長、大中伸一広島県被団協(佐久間理事長)事務局次長の「活動報告」と「核兵器禁止条約採択歓迎」への強いメッセージと今後の決意が語られました。

 

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                   報告・アピールする箕牧智之さん

 

続いて、共同行動実行委員会の森滝春子事務局長から「核兵器禁止条約採択に際してヒロシマ共同声明」が読みあがられ提案されました。この「ヒロシマ共同声明」は、多くの参加者の心を打ち、参加者全員が、手にした折り鶴を高く掲げ、賛同の意思を表すとともに、力強い拍手で確認されました。

 

78_hiroshima_5
                  共同声明を提案する森滝春子事務局長

 

最後に秋葉忠利広島県原水禁代表委員から閉会のあいさつ。秋葉さんは「今日は歴史的ない日。それは新たな出発でもある。その気持ちはこのアピールに込められている。」と訴えるとともに「1996年に出されたICJ(国際司法裁判所)の勧告的意見では、核兵器を違法とする法律がなかったため、明確は判断を示すことができず、核保有を許してきたが、この道を閉ざす条約が出来た。」と、「核兵器禁止条約」の持つ法的役割を強調し、集会は終了しました。

最後に参加者全員が、改めて折り鶴を高く掲げ、広島は、今日を出発点に、これからも核兵器廃絶を実現させるまでまで、頑張りぬくことを誓い合いました。

 

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          閉会のあいさつを述べる秋葉忠利広島県原水禁代表委員

 

秋葉忠利県原水禁代表委員も強調されているように、「ヒロシマ共同声明」に、参加者の思いや集会での発言者の願いがきちんと盛り込まれていますので、ここでは一人ひとりの発言は紹介せずに、少し長いですが以下に全文を掲載します。

なお、この「ヒロシマ共同声明」は、首相官邸、外務省、そして岸田外務大臣事務所へと直ちにFAX送信するとともに本日郵送されました。

 

 
 

   核兵器禁止条約採択に際してヒロシマ共同声明

 

  核兵器禁止条約の採択をヒロシマは心から歓迎する

 

 

 

20177月7日、ヒロシマ・ナガサキ原爆被爆の未曾有の非人間的惨禍から72年目の今日、世界の生きんとする人々の悲願である核兵器禁止条約が国連で122ヵ国の賛成と反対1、棄権1と圧倒的多数で採択されました。

まさに世界に人類生存への希望をもたらした歴史的な日を迎えたのです。

 

 ここヒロシマで、アメリカによる原爆投下によって無残に命を奪われた十数万の人々、被爆後72年の間、家族関係を原爆により破壊され辛酸をなめながら、放射能の後遺症に苦しめられ「遅れた死」をもたらされた二十数万人の人々、そして今なお、病魔や生活苦を背負わされている多くの人々と共に私たちは核廃絶を求めてきました。

 そのことについては、核兵器禁止条約前文において、ヒバクシャの受け入れがたい苦難と被害、核廃絶への貢献を特記して表しています。

 

その実現のための最も現実的な法的規範である「核兵器禁止条約」は、「核と人類は共存できない」という理念を掲げた私たち世界民衆とその代表者である志を持つ国々の連帯の力で勝ち取ることができました。市民社会に解放された禁止条約国連交渉会議のあり方が、人類英知の結晶を生み出したのです。

 採択された「核兵器禁止条約」は、核の非人道性を問い糺し、核が人類生存の道を阻む「悪」であるという烙印を押した国際規範です。核兵器の開発、実験、保有、移譲、使用及び使用の威嚇が禁止されました。特に、爆発を伴わない核実験も禁止したことは新たな核開発の防止の実効性を高めるものです。さらにこれらの行為をいかなる形でも援助、奨励、勧誘することも禁止されました。核兵器使用の威嚇が禁止されたということは、核抑止力依存を国策とする国家にとっては深刻な打撃を与え、国際法で禁じられる故に安全保障策の根底的な転換を迫るものになります。

 

 また、核廃絶の原点である世界の核被害者に目を向け、その国家と被害をもたらした加害国の被害者への支援及び核汚染地の環境回復という責任と義務を明記したこと、核被害が特に弱き側の先住民の上に押し付けられていること、放射能の影響が母体である女性や将来の世代に及ぶことを明示し、核被害の及ぼす放射能の脅威を強調したことは、私たちが長年、核被害実態の解明と被害の救援に取り組んできたことの反映です。

 

 一方、原子力利用による核被害の実態に踏まえ、「核と人類は共存できない」という理念を掲げてきたわたしたちにとって、NPT(核不拡散条約)にもとずく「核の平和利用の権利」の保障に言及した点は今後の大きな課題と言えます。

 

この条約はさらに、核保有国が条約に加入したうえで保有核兵器を時間枠の伴う検証可能かつ不可逆的な方法で解体していく道筋も定めています。
 アメリカ等が関係諸国に不参加や反対投票をするよう圧力をかけている中で、また核の傘に依存する被爆国日本が反対表明や不参加の態度をとるなど妨害が続く中、確固とした信念に基づき採択を実現させたホワイト議長をはじめとする人々、国々に深い敬意を表します。

 

 私たちは日本政府に要求します。直ちに被爆国としての責任ある態度を持って締約国となるよう署名、批准を果して、国際社会の信頼を取り戻すべきです。日本政府がアメリカの核の傘に依存する政策は、すでに国際法によって違法となったことを肝に銘じなければなりません。

 

 9月20日の署名開始から50ヵ国の批准が行われて90日経つと核兵器禁止条約はいよいよ発効します。日米両政府などの抵抗妨害を市民の力で無力にして自国の署名批准を推し進めましょう。禁止条約を実現した大きな力を私たちは持っています。

 

核兵器の最後の一つをこの世界から無くするまで、ヒロシマも世界の市民も声を一つに頑張りぬくことを誓います。

 

             2017年7月8日

 

 

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2017年7月 8日 (土)

核兵器禁止条約の案文がまとまります ――そこに至る道を振り返ってみましょう――

 

核兵器禁止条約の案文がまとまります

――そこに至る道を振り返ってみましょう――

 

ニューヨーク時間の77日、国連で開かれている核兵器禁止条約交渉会議で、条約の案文が採択される予定です。その後、世界中の国々が署名できることになり、署名後、各国はそれを自国に持ち帰り、議会での批准を経て条約に正式に加盟し、一定数の国の批准を待って正式に発効ということになります。批准国の中に、どこそこの国が入らなくてはならない等の条件が設けられることもあります。

 

最終の条約文は日本時間の8日にならないと確定しませんので、その後、報告したいと思いますが、まずはこの段階にまで世界が動いたことを確認し、条約の案文をしっかりと理解し、次の段階でどんな行動をすべきなのか、中でも世界や未来から笑われるであろう信じられない判断・行動をしている日本政府に翻意を促すにはどうすれば良いのかを考えるための集会が、今日8日の午後3時から原爆ドームの東側の広場で開かれます。多くの皆さんの御参加をお待ちしています。

 

核兵器禁止条約案採択を歓迎する原爆ドーム前集会

日時  7月8日(土) 15:00~15:30 

雨天決行(注意報・警報が出ている場合は中止。午前10時に決行か中止かをメーリ

ングリストで連絡)

場所  原爆ドーム東側(キャンドルメッセージと同じ場所)

主催  核兵器禁止条約のためのヒロシマ共同行動実行委員会

 

趣旨  国連の核兵器禁止条約交渉会議で7日(現地時間、日本時間では8日)禁止条

約案が採択され、世界は核兵器廃絶へ向けて歴史的な一歩を踏み出す。核被害の原点

であるヒロシマから条約案の成立を熱烈に歓迎するメッセージを世界に先駆けて発

し、秋の国連総会での条約採択に向け、条約制定に反対する日本政府に翻意を促し、制定に賛成するよう迫る。

 

             

Photo

               

 

ここまでに至ったのは、「こんな思いを他の誰にもさせてはならぬ」と決意し、世界的な運動を展開してきた被爆者の皆さんそして被爆者とともに生きてきた多くの方々の努力の成果ですが、それは同時に「世界」という場を民主的に動かそうという運動の成果でもあります。これまでの道筋を振り返って、今後のエネルギーを創り出す一助にしたいのですが、中でも「世界法廷運動」に注目したいと思います。1996年に国際司法裁判所が、「核兵器の使用または威嚇は一般的には国際法違反である」という勧告的意見を出しましたが、それを実現したのは実は世界の市民たちによる運動の力だったのです。

 

その歴史を簡単にまとめたものを、数学の先生方が発行している月刊誌『数学教室』(国土者刊)の連載として2年前に掲載しました。次回から、それを何回かに分けてお届けしたいと思います。

 

 

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2017年7月 7日 (金)

ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町 ――Sky Gallery Lounge Levita が最高でした――

 

ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町

――Sky Gallery Lounge Levita が最高でした――

 

昔から略称の「アカプリ」で知られている赤坂プランスホテルには色々な御縁がありました。個人的な思い出を辿り始めるときりがありませんので省略しますが、近くで食事をした後ということもあり、最近オープンした「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」に行ってきました。

 

夕食後の時間でしたので、ゆっくり寛げるバーかラウンジということになるのですが、昔の「アカプリ」にも、夜景で有名なラウンジが最上階にありました。

 

ザ・プリンスギャラリーの中での配置は最上階ではなく、その一階下の35階のLEVITA(レビータ)です。

 

                   

20170707_0_00_48

         

 

でも、35階に直接エレベーターで昇るのではなく、まず36階まで行ってから一階下に降りるという構造になっていました。

 

さて36階で降りると、エレベーター前の雰囲気は、ボストンのプルデンシャル・ビルとほぼ同じといって良いお洒落な空間になっていました。実は「プルデンシャル」とのお付き合いも長く、いつか思い出のいくつかは言葉にしておきたいのですが、まずは35階に降りなくてはなりません。それが簡単に行かなかったのは、下に続く階段の上からの景色に見惚れたからです。

 

20170707_0_02_15

 

真正面に東京タワーが見えます。さて35階まで降りて席に着くと、そこからも東京タワーが目の前でした。下の写真の左下の方です。

 

 

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視線を右に移すと壁があるのですが、光を大胆に使ったデザインが見事でした。写真ではその立体感まではお伝えできませんが、近似値として御覧下さい。

 

 

20170707_0_03_40

 

お絞りや水にも感激したのですが、次には飲み物の注文です。特別な夜には特別な飲み物ということで、紙のメニューではなくタブレットのメニューから選びました。

 

20170707_0_03_16

 

「アカプリ」時代もそうでしたが、束の間とは言えども「非日常」の時を異次元空間で過すことができました。

 

 

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コメント

池原先生についてふれていただき、ありがとうございます。
私の担当で作った丹下先生設計の赤プリももう今はありません。
世の中、どんどん変わっていくのですね。
・・・・・

6/28 からの”久し振り”第3弾?!
都内在住ながら、こもりっきりのシニアには楽しくありがたい情報でした。
銀座編→老化現象か。 いえいえ。成熟都市から遠く離れて感がマックス 、なだけでは。日産ビルと松坂屋あとを、こうして同時に眺めますとその感は強まるばかり。ソニー・ビルあとはせめて”いつまでも右肩上がりが続くと思うなよ”的であってほしい。
赤坂編→わ、素晴らし。けど、今も昔もおハイソすぎて敷居は高いまま。ホテル関連は映画で味わうことにしよ。

先日、元安川さんから、20年前に作られた広島プリンスホテル(今のグランドプリンスホテル広島)のプロモーションビデオを見せて頂き、色々と思い出に耽っていたところでした。

ちなみに、私が初めてアカプリに泊まったのは30年以上前のことですが、Apple社の新製品「Apple III」の発表会で、それは東レの招待でした。

当時、Apple社の日本の総代理店は東レで、新製品発表会に地方の代理店まで交通費や宿泊費まで負担する、それも赤坂プリンスホテルという一流ホテルへの宿泊という時代でした。

「元安川」様

コメント有り難う御座いました。

「アカプリ」の設計は丹下健三先生でしたね。御指摘有難う御座います。「グランドプリンスホテル 広島」の設計をされたのが池原先生で先生の愛弟子の貴兄が、「アカプリ」と「グランドプリンスホテル 広島」と両方の担当をされたということから、勘違いをしてしまいました。間違った記述の部分は、早速削除させて頂きました。

丹下先生、池原先生ともに、広島には深い思いを寄せて下さり、大きな貢献をして下さいました。そのことをより詳しく、別稿で元安川さんに取り上げて頂ければ幸いです。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。赤ゲットの東京見聞記を、東京にお住まいの方にお読み頂き光栄です。また銀座についての感想を御理解頂けたことも大変嬉しく読ませて頂きました。

昔はただ忙しく走り回っていたところを、ゆっくり味わえる年齢になったのですから、これからも懐かしい場所を「再発見」して歩きたいと思っています。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

広島プリンスホテルができたのは、広島にとって画期的な出来事でした。それは「アカプリ」をはじめとするプリンス・ホテルの全国的評価があったからに違いはないのですが、美しい海岸線を工場が独占してしまい、市民にはアクセスできなかった時代の終りを告げていたことも大きかったのではないでしょうか。

そしてバブルの時代も今となると懐かしいですね。

2017年7月 6日 (木)

家族でロンドンに行ってきました。その2

 

家族でロンドンに行ってきました。その2

 

フードマーケットの禁煙ゾーン

 

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2日目の午後からウインブルドンにある大学の卒業制作展の会場に行く。娘の作品はその入り口にあった。学生に示された卒業作品のテーマは「移民」だそうで、私の父の姉と母の兄もハワイに移民しておりその事実を織り込んで作られた作品となっている。移民はヨーロッパだけの問題ではないことに気づかされた。先生や学生の方に紹介されながら会場の作品を見て回った。

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滞在中は毎日地下鉄を使って移動していたので、車窓からの景色の中に中国が原産地のブッドレアの花が沿線にたくさん咲いていた。写真のようにこぼれ種から生えて駅ホームの間にも咲いている。ウインブルドンの住宅の庭にもアジサイとともによく植えられていてどこか見慣れた風景を連想させる。(ウインブルドンまでの地下鉄は地上に出ている)

 

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ロンドン交通局発行のオイスターカードが便利だった。滞在中の移動はこのカードを一人1枚購入していたので移動がスムースにできた。そして安い。使用エリアはロンドン中心部からゾーン制で1から6までありウインブルドンは3のゾーンになる。このゾーンの7日間のトラベルカードを38.7ポンドで購入して、写真のオイスターカードにチャージさせて使う(娘の説明)。バス、地下鉄の改札口で日本と同じようにカードを読み取り機にカードを押しあてればよかった。広島でもイコカカードがJR、広電などの電車やバスに使えるようになっているが、割引率は随分差があるようだ。

 

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大英博物館のカフェ。サンドとともにたくさんのスイーツが並ぶ。飲み物と、サンドと、スイーツでお腹がいっぱいになる。特別展示会場は「北斎」展が行われていたがパス。ビッグウエーブとして人気が高いことが分かった。

館内散策の途中、階段の踊り場に展示されているコバルトブルーの大きな花瓶が突然目に入った。「ひょっとして東広島市で作陶している木村芳郎さんの作品?」と説明書きをみると確かに木村さんだった。東広島市に勤務していたので、木村さんが西条町に窯を開いたころから存じ上げていたがここで作品にお目にかかるのも旅の楽しさか。

 

5

ウインブルドンの借りている家の近くのパン屋さん。朝7時から開いている。パンの他にてんこ盛りのマフィンなど菓子パンもたくさん並べてある。

 

6

ロンドン、ヴィクトリア駅近くのカフェ(モロッコ料理)で時間つぶし。交差点を行き交う人々は様々な国のひとでいっぱいで人の流れを飽きることなく眺める。

昨夜は夜遅くまでミュージカルを見てホテルに一泊した。前々日予約で「キンキー・ブーツ」が19ポンドで一番後ろの席が取れたので鑑賞。地元の高齢女性たちが2階席に陣取ってしきりと掛け声をかけ最後は総立ちの拍手だった。歌も踊りも演奏もシッカリしていて家族全員で楽しめた。

また街中のポスターで広島を舞台にしたアニメ「この世界の片隅に」があったが、娘によるとイギリスでも好評なのだそうだ。

 

7

最終日。ヒースロー発上海行の飛行機は夜の9時20分発。バスで時間をかけていくことにして午前中から昼にかけてフードマーケットの「バラ・マーケット」に行く。線路のガード下やアーケードの中に色々な食材を扱い、すぐに食べられるものが色々ある。

 

8

マーケットに掲げられている看板には禁煙のマークもある。屋内全面禁止もまだできていない日本に比べ、ロンドンオリンピックを経験したこの都市では、このアーケードと屋外テントの店がたくさんある半屋外のエリアでも外でしかタバコは吸えなくしているので、誰もが気持ちよく利用できるマーケットになっていた。それと犬もダメとある。

2020年の東京オリンピックまでに屋内全面禁煙や、受動喫煙防止のタバコ規制の法律は間にあうのか。このブログサイトでも62日付けの「531日は世界禁煙デー」で紹介しているように、一日も早く実現しないといけない課題だと思う。そうでないと世界にたいして恥ずかしい。

 

9

8日間家族と過ごした住宅。右のドアから上がって3階の2つの窓のある部屋がそれ。ここからタクシーでロンドン市内のホテルに1泊して帰途についた。ちなみに次の借主は73日から始まるテニスのウインブルドン大会に出場する選手だそうだ。タクシーからちょっとだけセンターコートの建物が見えた。

 

10

終わりに、3つ目の花。ロンドンから100㌔あまりの国立公園内のセブンシスターズの丘に咲くバラ(たぶんハマナスの一種)

 

201776日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年7月 5日 (水)

家族でロンドンに行ってきました。その1

 

          家族でロンドンに行ってきました。

          その1-障害者割引適用の体験

 

イギリスのウインブルドンの大学に行っている娘が7月に卒業なので、その前に卒業制作展を見に行く目的で620日から628日まで家族3人が広島からロンドンまでの長旅を行った。

滞在中の家族の希望は、①大学の卒展に行き、先生や学生に会うこと。②息子は大英博物館、ロンドン交通博物館、自然史博物館見学、2階建てロンドンバスに乗ること、④妻はバッキンガム宮殿の衛兵の交替式の見学とロンドンバスで市内巡り、③私は大英博物館見学とチャンスがあればミュージカル鑑賞、④娘はセブンシスターズを案内する、というものだった。

そのなかで印象的だった事柄を紹介したい。

1

ヴィクトリア&アルバート博物館のアジサイ。アーツ&クラフト運動でいられるウイリアム・モリスの手掛けた2つの部屋はカフェになっているが、その前の中庭の両サイドの壁周りはすべてアジサイで今が満開。花が斜めに盛り上がるように計算されて剪定されているようだ。イギリスの風景に日本のアジサイは溶け込んでいた。この博物館も無料。

2

ウインブルドンの住宅の庭のアジサイ。日本原産のアジサイは今日広くヨーロッパで鑑賞用として愛されていることがよくわかった。

3

ロンドンの交通博物館でのできごと。(ロンドンに行く前に息子がしっかりチェックしていたJTBパブリッシンク・イギリスより転載)。

4

館内の様子。馬車で引いていた昔からロンドンバスは2階建てでその変遷がよくわかった。

この博物館は有料で、18歳以下は無料、大人は16ポンドだった。他に優遇措置がある表示があったので入り口の受付で娘が、兄が知的障害者であることを申し出たところ、結果的に本人と付き添う父の私が1名半額で入場できることになった。

 

学生らしき受付の女性は落ち着いて対応し、分からないところがあるので担当の職員の指示を受けて、本人と付き添い者の名前を求められたのちチケットを発行してくれた。その際付このチケットに付き添いの私のサインを求められ署名したところ、次回来るときにこのチケットを提示すれば入場できることを説明された。受付のコンピューターにもその旨入力されたようだ。

 

日本ではこうした場合必ず息子の療育手帳の提示を求められるのだが、この博物館では私たちの申し出と息子の様子を確認しただけでこうした扱いを行って頂けた。担当者の表情、所作に何の動揺もなかったのにも感心した。

 

他にも電車や、地下鉄に乗った際にも息子の様子を瞬時に見て席を譲ろうとする人たちもいて乗り物も安心して利用できた。ベビーカーに子どもをのせた母親たちも、臆することなく堂々と利用し、周りがすぐに席を譲り、時には会話も弾む光景もほほえましかった。

 

日本の場合、たとえば平和公園の資料館にお見えになる外国人の方々にもこうした対応ができるかどうか考えさせられた。資料館の案内には障害者の場合、「手帳をお持ちの方」、65才以上の方の場合、「年齢を確認できる公的証明書の提示」となっているが。証明する物の提示を求められるのが常だ。また、有料対象も小学生までだが、18歳未満にならないかなど。

 

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ウインブルドンに借りた部屋からみる住宅街は一方通行。道路の向こうがメインの道路。これらの住宅の様式はどれもほぼ一緒で、下から、半地下、1階、2階、3階、屋根裏部屋となっているものが多い。私たち家族が借りたのはこうした建物の3階のフロアで屋根裏部屋はなかった。

滞在中道路工事が始まり、終わるまで見ることができたが歩道の下30センチくらいにあるケーブル(有線か通信のどちらか)をつないで反対側の住宅まで配線をしているらしかった。日本の地下に埋めるケーブルなどはどれも規制が強く1m以上の深さが殆どなのでコストは随分低くてすむと思った。

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滞在中の食事。朝ごはん。焼いた卵の色が薄いのも面白い。キッチンもあるので毎日ウインブルドンの駅前の3軒のスーパーマーケットで買い物をして朝夕食事を作り、食べ、洗濯をし、掃除をして出かけ、外食はファーストフード店が便利でほとんどこういった店で済ませた。

 

201775日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年7月 4日 (火)

YEBISU BAR ――久し振りに懐かしいスポットでランチです――

 

YEBISU BAR

――久し振りに懐かしいスポットでランチです――

 

久し振りに田舎から東京に出て、チョッピリ時間的余裕もあったため、いろいろなところに足を延ばしました。新幹線を待つ間の東京駅での45分間は、ずいぶん長い間寄ることのなかったYEBISU BARでした。

 

             

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場所は、「黒塀横丁」の一番奥ですが、東京駅八重洲北口の近くにある地下二階の一角がこう呼ばれています。丸の内北口と八重洲北口を結ぶ自由通路のすぐ横と言った方が分り易いかもしれません。

 

かつて、仕事を何とかこなすために、30分いや10分でも捻り出せれば素晴らしい、というメンタリティーで毎日を過していた時期がありました。新幹線を待つ間も、その時間を有効に使いたいと思っていたのは当然なのですが、駅という存在のせいなのか東京駅独特の魔力なのか、「一息つきたい」という気持も無視できませんでした。その相矛盾する気持を満たしてくれたのがYEBISU BARでした。

 

中に入って、ちょっと高さのあるバー独特のテーブルに座ってまずビールを注文。そしてパソコンを取り出して、ビールを飲みながら仕事を片付けて新幹線に。車中では、睡眠不足を補うためにしばらくは寝て過ごす、という効率の良いそしてちょっと贅沢な時間を大切にしていました。

 

今回は、その当時よりは余裕ができましたので、食事もできるテーブルでランチということになりましたが、まずビールという順番は変りません。

 

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でもこのビールはギフトに限定して販売している物のようなのですが、黒塀横丁店の特別サービスとして注文できました。

 

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ビールに合うランチ、そして少しでヘルシーなものをと考えて、ロールキャベツ・ランチにしました。

 

 

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久し振りに古巣に戻った感じで寛げましたし、何年か若返ったような気がしました。でも、今回はパソコンを開かなくても良いくらいの余裕があったことにも感謝して、新幹線ホームに向かいしました。

 

 

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コメント

旅のいいところは、日常ランチと違ってビールを飲めることですね。
珍しいところで食べるという楽しみもあります。

「金星」様

コメント有り難う御座いました。旅に出て飲むビールは格別ですね。

先日あるテレビ番組で、名前を思い出せないのですが、結構有名な芸能人が、新幹線のグリーン車に乗ってビールを飲むのが最高の贅沢だと言っていました。その気持良く分ります。

2017年7月 3日 (月)

蛍の里に住んでいました ――家の庭にまで飛んできてくれていました――

 

蛍の里に住んでいました

――家の庭にまで飛んできてくれていました――

 

つい最近、御近所の方から教えて貰って、家の近くの川と農業用水の周りに蛍が生息していることを知りました。この二日間、幸い雨が上っていましたので、夜を待って蛍を探しに外に出てみました。でも「探す」までもなく、たくさんの蛍が飛び交っていました。道から足を踏み外さないように、でも蛍には光を当てないように注意しながら懐中電灯を一時的に点けて、水辺まで行きました。

 

三脚を使って、絞りは全開にして時間を掛ければたくさんの蛍のイメージをお伝えできるのですが、スマホで撮った写真では、ようやく一二匹の姿を捉えるのが精一杯でした。

 

             

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左の方に一匹。下は川です。

 

 

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今度は二匹の蛍が写りました

 

よく見ると、我が家の庭まで蛍が飛んできてくれていました。全国的にも蛍が減少したり絶滅したりする地域が増えているようですので、この辺りでもその心配をしなくてはなりません。近くの畑や水田の農薬使用量が増えませんようにと祈りつつ、そして光の害その他の人害で蛍が悪影響を受けないよう気を付けながら、蛍の来訪を歓迎しています。

 

蛍が通って行く後を追うと、西の空には、半月そして金星がきれいに見えました。それも写真に撮りましたが、スマホには半月の形まで写す能力はなく、金星は月の光との相対的な強さで写っていませんでした。肉眼での自然との触れ合いに感謝しながら、しばらくの間、天が与えてくれた恵みを大切にしたいと思います。

 

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月は半月で、金星は画面の中央近くなのですが――

 

 

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2017年7月 2日 (日)

6月のブルーベリー農園

 

          6月のブルーベリー農園

 

 

6月の農園の農作業も5月と一緒で剪定や草刈りが中心だが、3か所の畑のブルーベリーの列と列の間に防草シートをかける作業が加わる。麦秋が訪れ麦が実り、稲がどんどん伸びて、蛇など生き物もいろいろ登場してくる。

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617日。麦の収穫まであとわずか。

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実った麦の穂もなかなか美しい。

 

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617日。梅雨入りしてから1日しか雨が降っていないので水の少ない田ではひびが入っている。

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618日。ブルーベリーの真ん中の畑でキジとばったり遭遇(写真右下)。飛ばずに走って逃げるキジをカメラを出しとにかくシャッターを切る。キジは上の山の方へ逃げて「ケーン」と一声。

71日(土)の農園作業では、大雨の後で心配だったが大きな被害もなく、落ち着いて作業ができた。夕方、真ん中のブルーベリー畑で、草場に草刈り機の刃が入る寸前でメスのキジが飛び出した。慌てて切らずに草場を残した。巣があるのかもしれない。キジの夫婦に出会えた初夏だった。以下は71日の様子。

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ブルーベリー畑の電気柵のワイヤー越しにコガネグモが巣を作っている。

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山のブルーベリーの木の下のカメ。撮影後ちょっと離れてまた戻ってみるともういなくなっていた。

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早生のブルーベリーの摘みとりを剪定の合間に行う。

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今日はこれだけ。明日も摘み取ってまとめて安芸の郷に納品する。

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いよいよたくさん実る季節に入った。

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山すそに咲くホタルブクロ。

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もうショウブも終わりで最後の1輪。(71日、稚児化粧)

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社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2017年7月 1日 (土)

物置を設置しました ――基礎作りの大切さが良く分りました――

 

物置を設置しました

――基礎作りの大切さが良く分りました――

 

庭の草刈りや、草花の手入れのために少しずつ揃えてきた鍬やシャベル、鋏等の道具や肥料、殺虫剤や殺菌剤、培養土といった、屋外に置いておきたい物類がかなり増えてしまいました。雨曝しにはしないよう気を付けてはきましたが、この際、思い切って物置を設置することにしました。

 

近くのホームセンターで手頃な大きさのものを選びましたが、物置そのものの値段と、設置のための費用が大体同じくらいになりました。ちょっと驚きましたが、それは設置の際の仕事を見て納得できました。また、物置そのものを、コンクリートを流し込んで作る「基礎」に「アンカー」で止めないと、台風時の風で吹き飛ばされてしまった家もあったということで、安全のための出費は優先順位を高くしました。

 

設置は職人さん一人、休みなしで頑張ってくれて2時間弱で済みましたが、そのかなりの部分は基礎作りのための時間でした。ブロックを6つ並べる「だけ」と言ってしまえば簡単なのですが、ブロックを置く場所が軟弱だとすぐ傾いてしまいます。土を固めつつ、水準器でブロックを水平に並べて行く作業には時間が掛かります。

 

                 

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6個のブロックの位置が決ると、その上に底板が乗ります。

 

 

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後は、側面と背面の板を立て、天板を載せれば、あっという間に物置の形になります。

 

 

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中の棚を付けるのにも時間は掛かりません。

 

 

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開閉扉も付いて出来上がり。


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いやもう一つ、アンカーでコンクリートの基礎に固定する作業が残っています。

 

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早速、道具や肥料等を中に入れましたが、もう一杯です。高さ160センチ、幅150センチ、奥行き75センチですが、これ以上物を増やさないようにやり繰りをするのがこれからの課題です。

  

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コメント

稲田大臣は弁護士という「法律の専門家」でありながら違法な発言を繰り返し、自民党の政調会長という「政策通」でありながら政策についての発言は聞こえてこない。大臣になる前は勇ましい発言はよく聞いたが。それにしてもこういう大臣をみてると岸田外相が少しはまともに見えるから悲しい。

「国民」様

コメント有り難う御座いました。

稲田大臣の発言は、次から次へ、歪が大きくなっているようです。他の物言わぬ大臣に比べることも大切ですが、アメリカのトランプ大統領と比べるのも参考になりそうです。

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