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2017年6月25日 (日)

福島原発被災地フィールドワーク① ――浪江町の状況を伺いました――

 

福島原発被災地フィールドワーク

――浪江町の状況を伺いました――

 

広島県原水禁では、2017624日(土)から26 (月)までの三日間、福島の原発被災地を訪ね、多くの皆さんのお話を伺いながら、被災地の現状を確認した上で、私たちに何ができるのかを再確認しさらなる行動に発展させたいという思いを元に、フィールドワークを実施します。

 

開催の趣旨を簡単にまとめておくと次のようになります。

 

福島第一原発事故から6年。命を、くらしを、絆を、故郷を、奪われた人は数えきれません。今もなお8万人を超える被災者が苦しい避難生活を強いられ、帰還の問題、生活の再建や復興、風評被害、子どもを中心とする健康被害、除染廃棄物の処理問題など課題が山積する中で悩み苦しんでいます。

にもかかわらず、政府は福島への帰還政策を強引に進めています。さらに、各地の原発再稼働を強行しています。私たちは、原発政策に前のめりする政策に抗い続け、福島原発事故を風化させず、フクシマに連帯する取り組みを継続して行っています。

201411月には、福島県平和フォーラムの協力のもと飯館村内、浪江・南相馬沿岸、帰還困難区域境周辺を視察し被災地の現状を学んできました。今回、二度目になりますが、被災地を訪れ、被害の実態や復興状況などを視察して、改めて原発事故とは何だったのかを考え、今後の脱原発.原水禁運動に活かしていきます。

 

今回のフィールドワークの参加者は10名、一日目の24日午後3時にJR福島駅近くのコラッセふくしまの会議室に現地集合しました。

 

最初に、受入れて下さる側の福島県平和フォーラム事務局次長 湯野川 守さんによるオリエンテーションがあり、その後、浪江町長の馬場有さんと、浪江町の紺野則夫町議会議員から、「原発事故から6年――フクシマの現状と課題」をテーマに、浪江町を中心にこれまでの取り組み、課題、そして今後の展望や広島との連携の可能性等についてお話を伺いました。

 

馬場町長のお話のポイントは、被災した事実の「風化」と無責任な「風評」による被害、そして避難している町民の生活の再建と同時に、これから町を存続させて行けるのかどうかということでした。パワーポイントを駆使した講演でしたが、風化と風評被害を語り未来の世代への責任を果すべく決意を表明する馬場町長に人間としての「風格」を感じ、静かな闘志を垣間見たのは私だけではなかったはずです。詳細を載せるには時間が足りません。またの機会に是非御紹介したいと思います。

 

               

Photo

             

馬場町長(左の人)

 

また紺野議員が強調されたのは、国や福島県の無責任さ、その結果として「二次災害」が起り多くの犠牲者が出たという点でした。例えば原発事故の直後に、浪江町周辺の放射線量のデータを国は持っていたのもかかわらず、それを被災地には伝えなかった。その結果、原発から遠い地点という理由で北西方向に避難した数千人の浪江町民が被曝したことです。

 

Photo_2

紺野議員(左の人)

 

被災者の健康を優先する制度ができる日を思い描きながら、そのための基礎になるデータを書き込む「健康手帳」を広島・長崎の先例を見習って作ったこと、そして、やはり子どもたちの未来が一番心配で、被災者の医療費を無料にする恒久的な制度を作ることを最優先したい、そのためには、以前、一緒に案を練ったけれど実現できなかった、国際的な支援体制の構築にも取り組みたい、と強い決意を語ってくれました。

 

 

Photo_3

健康手帳

 

その後、場所を移って、紺野議員や福島の受け入れ団体の責任者を交えての夕食交流会が開かれました。浪江町を訪問しお二人にお会いしたのは20133月でしたが、久闊を叙しさらなる協力体制について建設的な意見交換ができ、大変有意義だったと思います。

 

参加者の皆さんに取っても感慨深い一日目になったようです。参加者の一人、自治労広島県本部の鈴木孝文さんは短時間の内に次のような感想をまとめてくれました。

浪江町馬場町長からは、63カ月が経過し風化と風評被害があること、また避難の状況や国の対応の遅れにより、線量の高い地域に避難してしまったことが強調されました。それは、浪江町が原発から北西の方向に細長い形の町であること、そして放射線がその方向に放出されたためでした。その結果全町域が帰還困難になりました。

しかし、2017331日に、一部の地域でその指定が解除され、苦渋の選択の結果、町長として解除を承認した理由についても語ってくれました。

その一つは、帰りたいという人は少ない、それは若い世代の人たちの間では、避難先に定住を決めた人が多いからなのですが、「自分の家で最期を迎えたい」という高齢者も多く、その人たちの思いを尊重したことと、「最低限の形でも良い、次の世代に町を残したい」という意見に耳を傾けたためでした。

曾孫の世代が「町が残ってくれていて良かった」と思うような町作りをしたいと、町長としての力強い決意も示してくれました。

原発は町の全てを奪うと改めて感じ、原発はいらないことを再確認できた一時でした。

 

また、自治労はつかいちユニオンの瀬戸将央さんは紺野議員のプレゼンテーションについて次のような感想を寄せてくれました。

報道では決して語られることのない、2011311日、東日本大震災発生時の現場の生々しい話でした。

私が率直に感じたのは、国、東電の無責任さです。事実として、地震、津波ではなく、原発事故で、60人から70人の人が施設から避難先に向かうマイクロバスの中で亡くなっていること、子どもたちへの影響の可能性も出ていること、現在も放射線の影響の管理をしなければならないことなど、本来であれば最優先されるべき問題が後回しどころか、放置されていることなどが具体的事例です。

私たち、事実を知るに至った人間が情報発信をすることで、フクシマのミライに向けて、国際社会への訴えの第一歩を踏み出すことも含めて、進んで行きたいと思います。

 

第二日目は、現地での視察が中心になります。第一日目の今日は、現地での見聞をしっかり受け止めるための枠組みが私たちの中にできましたので、明日は現地でこの枠組みを元に多くの情報を整理しつつ、さらなる活動につなげられればと思います。

 

 

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