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2017年2月

2017年2月28日 (火)

2月のブルーベリー農園


2月のブルーベリー農園


安芸の郷は2つの建物の屋上と、近隣の農家の休耕田で栽培しているが、それでは足りないので東広島市豊栄町のブルーベリー園と提携して夏の収穫時期には摘み取りの研修を行っている。冬から春の農園はブルーベリーの剪定作業が続いている。この作業で実の大きさと樹勢のコントロールを行うことができる。

 

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211日の農園。雪がしっかり残っている畑の剪定作業。寒そうだが陽がさすと結構暖かさを感じることができる。

 

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212日。青空を背景に膨らんできたブルーベリーの花芽を時折眺めながら黙々と枝を切る。

 

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219日。畑は雪がすっかり溶けた。剪定したブルーベリーの枝を片づけるため、作業の合間で野焼きをする。

 

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225日。ブルーベリーの枝先の花芽が赤く色づくので園全体がもやっーとした色合いになる。

 

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226日。キジのオスと出合う。田んぼからブルーベリー園をゆっくり横断していった。(写真真ん中のあぜ道にいる)

 

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226日。ブルーベリーの先端まで3m位ある(ラビットアイ系ティフブルー)。たくさんの枝に花芽がついている。実がなると弓状にたわむので摘み取るときに手は届く。今年は花芽が多い予感。あとはミツバチ次第。

 

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足元のシュートを200本くらい切って3種類別にくくった。ブルーベリーの増殖は挿し木で行うので安芸の郷に提供して苗木を栽培して販売するのが目的。

 

春の息づかいのする景色を探す。

 

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 もぐら塚。地面のそこから暖かくなって外に出てつくる穴。土が盛り上がったりしているところもある。(226日)

 

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 枯葉を取り除くとクリスマスローズの花が顔を出す。(226)

 

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 伸びてきたラッパズイセンの葉とオオイヌノフグリの花。(225日)

 

2017226日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良


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2017年2月27日 (月)

論理の出発点 ――西欧流の「自由、平等、民主主義」ではなく日本の「情緒と形」――  


論理の出発点

――西欧流の「自由、平等、民主主義」ではなく日本の「情緒と形」――  

 

『国家の品格』の内容のお浚いを、ここからは駆け足で続けましょう。これまでは、「論理と合理」が諸悪の根源であることを具体例で示し、特に論理については4つの理由を挙げて、それだけでは全ての問題の解決にならないことを「証明」する段階までをお浚いしました。

 

それと同時に、「問答無用」で正しいこととして認めるべきいくつかの命題が示されています。一つは「重要なことは押し付けよ」ですし、もう一つは、「論理の出発点が大切だ」です。後者は、論理を使う上での大前提でもありますから問題はないのですが、「重要なことは押し付けよ」と組み合わせると、結局は、「重要なことは押し付けよ」を強調することになっています。

 

そして第三章では、「論理の出発点」として西欧流の「自由、平等、民主主義」を採用することには問題があるので、それに代るものが必要であるという結論が示されています。

 

第四章ではその代りに、日本文化のエッセンスである「情緒と形」の重要性が述べられます。実はこれが「日本型文明」だという特徴付けもされます。言葉の意味を大まかに説明しておくと、「情緒」とは「もののあわれ」、そして「形」とは「武士道精神」です。

 

何故「情緒と形」が大事なのかは、第六章で詳しく説明されていますが、日本という国は「情緒と形」を大切にしてきたからこんなに素晴らしい国だったのだという歴史とともに、「情緒と形」を大切にすることで未来が開けてくること、さらには、「情緒と形」の持つ意味は日本だけに限定されているのではなく、世界に共通の普遍的な価値であることも説かれます。

 

藤原氏は、特に「武士道精神」に重きを置いて第五章では「武士道精神の復活」を提唱しています。

                  

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第七章では、日本人一人一人がこの「情緒と形」を身に付けることで、日本という国家が品格を持つようになること、そして品格ある国家の指標として①独立不羈②高い道徳③美しい田園④天才の輩出、が挙げられています。そして『国家の品格』の結論は次の通りです。

 

日本は、金銭至上主義を何とも思わない野卑な国々とは、一線を画す必要があります。国家の品格をひたすら守ることです。経済的斜陽が一世紀ほど続こうと、孤高を保つべきと思います。たかが経済なのです。

大正末期から昭和の初めにかけて駐日フランス大使を務めた詩人のポール・クローデルは、大東亜戦争の帰趨のはっきりした昭和十八年に、パリでこう言いました。

「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残って欲しい民族をあげるとしたら、それは日本人だ」

日本人一人一人が美しい情緒と形を身につけ、品格ある国家を保つことは、日本人として生まれた真の意味であり、人類への責務と思うのです。ここ四世紀間ほど世界を支配した欧米の教義は、ようやく破綻を見せ始めました。世界は途方に暮れています。時間はかかりますが、この世界を本格的に救えるのは、日本人しかいないと私は思うのです。

 

『国家の品格』はベストセラーになりましたから、この結論に感動したり賛同したりした人は多かったのだと思います。この結論について、またそれに至る議論について論じるのは別の機会に譲ることにして、本稿では内容以上に、「論理と合理性」を捨てた結果がどうなったのかという因果関係に注目しています。その視点から『国家の品格』の構成をまとめると、「論理と合理性」が駄目だということを示した上で、その代りに「情緒と形」を大事にしようという結論を導いています。しかもその結論は、「重要なことは押し付けよ」という大原理に従って、説得するというよりは押し付ける側面が強いように読めました。

 

私のまとめ方が雑すぎるのかもしれませんが、これまで一生懸命に読んできた『国家の品格』から得られた教訓は、人を説得する上で一番基本になるパターンでした。つまり、先ずダメなものを挙げて、その代りに自分が推奨している代替物を「売り込む」形だと言って良いように思います。

 

これはテレビショッピングの典型的なパターンでもあります。今までのフライパンだと焦げ付いたり、洗ってもきれいにならないといった「ダメ」な点が多くあり、それに代ってこの製品なら、油を使わなくても目玉焼きができ、洗うまでもなく汚れは落せるし、様々な料理も簡単にできる上、味も美味しいですよ、という謳い文句で「売り込む」様子は皆さん御存知の通りです。

 

これはトランプ候補の選挙運動でも有効に使われていました。「エスタブリッシュメントは駄目だ。何故なら、彼らは工場や仕事場を海外に移し、多くのアメリカ人から仕事を奪った。また多くの不法移民を受け入れ、犯罪を増やし麻薬の被害を拡大した。自分は、国境に壁を造って、仕事が海外に流出することも、違法な移民が入ってくことも許さない。」

 

これは一応、一つの「論理」になっていますが、多くの嘘を吐き、聞き逃しのできない差別発言や、「事実」の捏造等も視野に入れて考えたときに、何故、多くの女性がトランプ候補に投票したのか、あるいは差別される側の有権者がトランプ候補を支持したのか、そして何故当選できたのかについては別の枠組が必要になりそうです。

  

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2017年2月26日 (日)

第5回ワンコインシンポジウム ――ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017――  


5回ワンコインシンポジウム

――ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017――  

 

来週の日曜日、35日の午後1時半から、福島と広島をつなぐ、もみのきの会」主催の第5回シンポジウムが開かれます。テーマは「託されたもの――大地と人と。」です。袋町にあるひと・まちプラザの6階、マルチメディアスタジオでのシンポジウムのメイン・スピーカーは、ふくしまの樽川和也さんです。

 

             

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樽川さんの略歴は、1975年、専業農家の8代目として福島県須賀川市に生まれる。青森の大学で機械工学を学び、いわき市で会社勤めを経験。10年前から実家に戻り、父とともに農業に従事。原発事故後も放射能汚染と闘いながら、先祖から受け継いだ4haの農地を守って米を作り、胡瓜やブロッコリーなどの野菜作りに勤しむ。「生業を返せ、地域を返せ! J福島原発訴訟に原告として参加している。

 

樽川さんのメッセージは次の通りです。

 

わたしたちは、農の民です。

土を耕し、土からの恵みを受け、

土とともに生きてきました。

その土が理不尽にも汚された今、

わたくしたちは、どのように

生きていけばよいのでしょうか。

答えはありません。

ない答えを探すため、

わたしたちは、きょうも

土を耕し、土とともに

生きています。

 

ない答えを探すために、ひろしまからは、詩人でオピニオン・リーダーとして力強い活動を続けているアーサー・ビナードさんそして私が参加します。

 

福島と広島をつなぐ、もみの木の会のホームページも御覧下さい。

 

再度、シンポジウムについての情報をまとめておきます。

 

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ひろしま・ふくしまを結ぶ ワンコインシンポ2017 第5回シンポジウム

テーマ:  「託されたもの--大地と人と。」

201735() 13:30 ~~ 16:30

合人社ウェンディひと・まちプラザ

北棟6Fマルチメディアスタジオ

入場料  前売り券は500円。当日券は600円です。

主催 福島と広島をつなぐ、もみのきの会

 

 

沢山の皆さんの御参加をお待ち致しております。

 

 

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2017年2月25日 (土)

論理と合理を捨てる ――その代りに「孤高の日本」そして「America First1」――  


論理と合理を捨てる

――その代りに「孤高の日本」そして「America First1」―― 

 

嘘を平気で吐きその時その時のテレビ受けを狙って過激な発言をし、差別的発言を繰り返しながらトランプ氏は大統領になりました。多くの人たちには毛嫌いされながら、それでも彼は信じられないほどの共感を得、多くの人たちの心をつかむことに成功しました。それは何故なのかを考える上で、ベストセラーになった『国家の品格』を下敷にしようと考えたのは、著者藤原正彦氏が「論理と合理」を諸悪の根源として糾弾しているからです。「論理と合理」の対極にあるような選挙運動を展開し勝利したトランプ氏の言動を理解する上でこれ以上の枠組はないかも知れないと思えたからです。それも日本的な背景を舞台に書かれ多くの人に読まれた一書ですので、私たちには分り易い材料でもあります。

              

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 『国家の品格』で、何を伝えたいのかを著者は「はしがき」で明確に述べています。

 

戦後、祖国への誇りや自信を失うように教育され、すっかり足腰の弱っていた日本人は、世界に誇るべき我が国古来の「情緒と形」をあっさり忘れ、市場経済に代表される、欧米の「論理と合理」に身を売ってしまったのです。

(中略)

欧米支配下の野卑な世界にあって、「孤高の日本」でなければいけません。「孤高の日本」を取り戻し、世界に範を垂れることこそが、日本の果たしうる、人類への世界史的貢献と思うのです。

 

このことを著者は7章にわたって情熱的に「証明」しています。論理は駄目だと主張している藤原氏が数学者であることは御存知だと思います。その結果、やはり数学者としての資質は捨て去ることはできなかったからなのだと思いますが、『国家の品格』の構成は論理的に実にしっかりしています。だからこそ、多くの人の共感を呼んだのだと思いますが、当然、藤原氏御本人もこの「矛盾」には気付いていたのではないでしょうか。

 

さて、『国家の品格』の内容を簡単にお浚いしたいのですが、第一章「近代的合理精神の限界の限界」では、現代世界の荒廃の原因が近代的合理主義の限界であることを、いくつかの例を引きながら説いています。

 

本書の構成上、それ以上に重要なのは第二章「「論理」だけでは世界が破綻する」です。そこでの主張は「どんな論理であれ、論理的に正しいからといってそれを徹底していくと、人間社会はほぼ必然的に破綻に至ります。」で、「これからそれを証明したいと思います。理由は四つあります。」との宣言の後、四つの理由が挙げられています。

 

 論理の限界

 最も重要なことは論理で説明できない

 論理には出発点が必要

 論理は長くなりえない

 

それぞれの内容については、大方御理解頂けると思いますが、③と④は少し説明が必要かもしれません。そのために、『「国家の品格」への素朴な疑問』 (吉孝也/前川征弘著・新風舎刊) に登場して貰いましょう。略して『疑問』と表記します。コメント付きの4つの理由の内容を理解して頂ければと思います。

 

「私は、人間社会は、論理だけで動いているわけではないと考えています。ですから、人間社会の問題解決にあたって、科学の問題を解くように論理を辿れば、一つの正しい解に行き着くとも思っていません。しかし、人間社会の問題解決においても、理性的・論理的に対応しないと、陰謀によって罪なき人が抹殺されるような、中世の暗黒が蘇る可能性があると怖れています。」

 

ですから、①についても②についても趣旨には問題がないという立場を取っています。『疑問』の異議は、それらの点を「証明」するに当って『国家の品格』中で取り上げられている事例の適切さと、それらが社会の中でどのような位置付けをされているのかという点が中心になっています。そして、①の結論とでもいうべき部分で『国家の品格』が主張している「重要なことは押し付けよ」については次のような反論がなされています。

 

「ところで、著者が言う重要なものとは、どのような集団の中で、誰にとって重要であり、誰に押しつけるかということです。著者は、どうやら日本という集団を意識しているようですが、あまりにも集団の規模が大きすぎるので、さまざまな問題が起きます。このような大きな集団では、重要なことを誰が決め、誰の手を借りて、どこで、どのように押しつけるのか、その合意形成が難しいでしょう。重要なものの具体的なイメージも、誰にとって重要かもいまだわかりません。」

 

「重要なことは押し付けよ」、あるいは「問答無用」と言って有無を言わさず自分の意思を通すことと、次の③とは大きな関係があります。

 

③で、藤原氏が指摘しているのは、数学なら「公理」と呼ばれる前提が必要だということです。それがなければ、「AならB」という論理の流れが作れないからです。そしてその前提が「重要なこと」である場合には「押し付けよ」が正当化される、というのが藤原氏の主張です。この点についての『疑問』のコメントの一部です。

 

「論理に出発点が必要なのは、自明のように思われます。しかし、私は、人間の現実の世の中では、論理の出発点とは何かはっきりしません。また、常に出発点が必要だとは思いませんし、仮説を立てて議論するものでもないと思います。人間社会の現実の諸問題を解決するには、論理的な帰結を求めるのではなく、現実に採りうる最善の方法の模索と、採用しようとしている方法が、関係者に最善だと思わせ、多くの人の賛同を得ることが重要だと思います。」

 

その出発点としては、次のような可能性を提案しています。

 

「ところで、著者の言う論理の出発点とは、昔、指導者に要求された仁徳や人生観
などに裏打ちされた総合判断力のことだと思うのですが、違うのでしょうか。」

 

そして④は、「風が吹けば桶屋が儲かる」式の危うい因果関係を指しているのですが、これは、誰でも理解できることでしょう。同時に藤原氏が指摘しているのは、ワンステップやツーステップという短い論理的な結論にも問題があるということです。「国際化が大切、だから英語」というような短絡的な論理に騙されてはいけない、ということです。長くてもダメ、短くてもダメ、だから論理はダメという結論だと考えられそうです。

 

さて、このようなお膳立ての後に、本論が控えています。

 

 

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2017年2月24日 (金)

トランプ大統領の精神状態 ――専門家の意見が分れています――  


トランプ大統領の精神状態

――専門家の意見が分れています――  

 

「『国家の品格』 ――諸悪の根源は「論理」と「合理的精神」――」では、トランプ候補が論理と合理性の両者を捨てたことで選挙戦に勝利し、アメリカ社会は藤原正彦氏の著書『国家の品格』が理想とする社会に向かうとも考えられるのではないかという問題提起をしました。また、論理と合理性を捨てたトランプ氏を熱狂的に支持した人が多かった事実についても考える必要のあることを指摘しました。そのために、『国家の品格』とそれに対する反論である『「国家の品格」への素朴な疑問』(吉孝也/前川征弘著・新風舎刊)を取り上げる予定でしたが、その前に、論理と合理性を捨ててはいけないことを精神医学や心理学の立場から訴えている専門家たちの声をお届けしたいと思います。

 

恐らく最も注目されたのは、213日付のニュー・ヨーク・タイムズ(NYT)電子版に掲載された、精神医学の専門家35人による警告です。大きな波紋を呼んだ投稿のタイトルは「精神衛生の専門家がトランプ氏についての警告をする」です。専門家としての観察は次のような内容です。

「トランプ氏の発言や行動は、異なる意見を受容する能力に欠けることを示し、その結果、怒りという反応を示す。彼の言葉や行動は他者への共感能力に著しく欠けることを示している。こうした特徴を持つ個人は、自分の精神状況に合うように現実を歪めて捉え、事実と事実を伝えようとする人物(ジャーナリストや科学者)を攻撃する」

 

そして結論としては、次のように述べています。

 

「トランプ大統領の言動が示す重大な情緒的不安定さから、私たちは彼が大統領職を瑕疵なく務めることは不可能だと信じる」

 

NYTへの手紙の中で、これら35人の専門家は、1973年にアメリカ精神学会が制定した「ゴールドウォーター・ルール」を破っての行動であることを宣言しています。そのルールの内容は、精神科医がニュース・メディアと精神医学についての話をすることは許されるけれど、自分が直接診察したことのない人について、さらにその人の合意なく、精神医学的な診断を行い公開することは許されない、というものです。

 

このルールが作られた背景には、1964年の大統領選挙で、『ファクト』という雑誌が、共和党のバリー・ゴールドウォーター候補の精神状態について、精神医学の専門家の意見調査を行いその結果を掲載したことがあります。ゴールドウォーター候補に取って大変不本意な内容でしたので、同氏は名誉棄損で訴え勝訴したのです。

 

このルールを守らない理由として、35人の専門家は次のような見解を示しています。

 

「これまでこのルールを守って沈黙を続けてきたことによって、今という危機的状況にある時に、不安に駆られているジャーナリストや国会議員に専門家としての力を貸すことができなかった。しかし私たちは、これ以上沈黙を続けるにはあまりにも重大な危機に瀕していると考える。」

 

それだけではありません。以前にも報告したChange.orgを使っての署名運動が展開されています。35000人の精神衛生の専門家の賛同を呼び掛けてこの運動を始めたのは、心理学者・精神科医のジョン・ガルトナー博士です。現在、28000人を超える署名が寄せられています。まずはそのページです。

 

               

Changeorg

             

 呼び掛け文を訳しておきましょう。

 

「私たち、精神衛生の専門家として下記のごとく署名をした者たち (署名に際して、御自分の持つ資格を明記して下さい) は、ドナルド・トランプがアメリカ合衆国の大統領としての義務を適切に果す上で、心理学的な能力に欠けることを明確に示す精神疾患を患っているとの判断が正しいと信じている。よって、「(大統領としての) 権限を行使したり義務を果たすことが不可能な場合には」大統領の職務から解任される、と述べている米国憲法修正25条の第3項に従って、彼が大統領職から解任されることを謹んで要請します。」

 

ガルトナー博士はゴールドウォーター・ルールについても、それが制定された時とは条件が変わってきていることを、『フォーブズ』誌のエミリー・ウィリングハムさんの記事で指摘しています。

 

大きな違いの一つは、その後、アメリカの精神医学会がDSM (精神疾患の診断・統計マニュアル) と呼ばれるマニュアルを採用した結果、個人の言動についてのいくつかの客観的に判断できる基準を満たせば特定の精神疾患に罹っていることを判断できるようになったことだと主張しています。それに従えば、ある人物について直接の診察をしなくても精神疾患についての判断が出来ようになったから、ゴールドウォーター・ルールの適用はあまり意味がなくなったという結論です。

 

参考までに、ガルトナー博士がトランプ大統領の疾患として特定している「自己愛性パーソナリティー障害」をDSMの第4版では次のように規定しています。

 

誇大性(空想または行動における)、賛美されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち5つ(またはそれ以上)によって示される。

1. 自分が重要であるという誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待する)

2. 限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。

3. 自分が特別であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人達(または団体)だけが理解しうる、または関係があるべきだ、と信じている。

4. 過剰な賛美を求める。

5. 特権意識(つまり、特別有利な取り計らい、または自分が期待すれば相手が自動的に従うことを理由もなく期待する)

6. 対人関係で相手を不当に利用する(すなわち、自分自身の目的を達成するために他人を利用する)。

7. 共感の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。

8. しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。

9. 尊大で傲慢な行動、または態度

— アメリカ精神医学会DSM-IV-TR 精神疾患の診断・統計マニュアル]][9]

 

この意見に対する反論も当然あるのですが、このDSMの筆者の一人であるアレン・フランシス博士は、トランプ氏の言動に問題のあることは認めるが、例えば何人かの人たちが主張しているような「悪性の自己愛性パーソナリティー障害」としての認定はできない、と述べています。

 

その他の反論もあります。もう一つ、仮に精神疾患があったとしても、そのこと自体が大統領としての不適格性を示すことにはならないという指摘もあります。それは過去の大統領の言動を、DSMに従って篩に掛けると、精神疾患があると認められる人が何人もいるにもかかわらず、大統領としての職務はこなしている、という指摘です。例えばリンカーンはうつ病だったと信じられていますが、偉大な大統領の一人としても不動の地位を占めています。

 

また別の面からの批判もあります。ニュー・ヨーク・タイムズのリチャード・フリードマン氏は、人間としてのモラルの欠如や政治家としての不適格性を「精神疾患」だからと言ってしまうことで、その本人の政治的・倫理的・人間的等の責任を免除してしまうことになる危険性のあることを指摘しています。

 

難しい議論なのですが、マスコミを通して日本で政治家の評価をする際に、このような知的なレベルでのやり取りにはほとんどお目に掛かったことがないような気がします。『国家の品格』の視点からは、どう判断すべきなのでしょうか。そして、アメリカでトランプ大統領が誕生したことは事実ですが、アメリカ社会はまだ「論理」も「合理性」も捨ててはいない、と言って良いのでしょうか。

 

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2017年2月23日 (木)

熱い高齢者 ――明治維新の「志士」以上かもしれません――  



熱い高齢者

――明治維新の「志士」以上かもしれません――  

 

「憂国の士」として天木直人さんを紹介しましたが、今回は加藤繁秋さんです。1990年の衆議院選挙で、社会党の一年生議員だけでも60人以上当選したときの仲間です。

 

その後、香川県の社会党・社民党の県連合代表等、リーダーとして活躍し、12年前に引退してからは香川県丸亀市内の病院に勤務、医療・福祉等のスペシャリストとして活動しています。

 

お会いするのは20年振りなのですが、若々しさと情熱は全く変っていませんでした。天木さんと同じように、現在の日本の政治に危機感を持ち、何とか改善しなくてはならないと考え続けてきたこと、そして今、自分たちが次の世代に残せることは何なのかについて真剣に勉強し、仲間と議論をしながら「同志」の輪を広げていることを熱っぽく語ってくれました。

                

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 彼が中心になって月一度開いている勉強会のために、勉強し考え論文を書き、政治活動にも参加してきた、脱原発を目指し核兵器の廃絶や憲法を守るための運動を続け、そして市民一人一人の生活を最優先する政策を推進するために、様々なレベルでの議員選挙で頑張ってきた。自分たちが発信している内容は正しいと信じているしそれなりの手応えはあったけれど、国政というレベルになると結果が出なくなってしまっている。それを打開するためには、自分と同じような考えを持っている人たちと今までと同じように勉強・議論し活動するだけでなく、自分とは違った視点から物事を見られる人と話をすることが大切だと思って、いろいろな人に声を掛けている。その一環として、広島に来る機会があったので、昔から一風変っている君に声を掛けた、という趣旨の説明がありました。

 

確かに、市長あるいは知事や町村長という経験は貴重です。私の世界観が大きく変ったのも、一つの都市の最高責任者として、党派を離れて、自分の支持者であってもそうではなくてもできるだけ公平・平等に、市民・主権者としての立場を尊重するという立ち位置から仕事をした結果です。代議士という言葉が示しているように、議員の立場は基本的には自分を支持してくれる人たちの代弁をする事です。それも勿論重要な役割なのですが、意見の異なる人、職業や宗教、価値観の異なる人たちの住む都市を一人で代表する立場になるとそれとは違う発想が必要になります。

 

その点を都市と国家の違いという形で説明しましたが、ヒロシマという地域・歴史は、被爆者や被爆体験を重んじてきたために、自然な形で都市や市民と国家との違いを体現してきています。広島の他にも多くの都市はこのことに気付き、その視点からの政策を実現してきています。その点がさらに広く全国的・世界的に共有されることで、良識によって政治が動くという理想に近付けるのではないかと感じた一時でした。

 

それにしても、このところ高齢者の熱さに圧倒されています。天木さんしかり、原水禁学校の参加者しかり、戦争をさせない1000人委員会メンバーによる厳寒の中の街頭行動、そして今回は香川から加藤さんです。70歳を過ぎたら、いや60歳を過ぎたら「晴耕雨読」、「悠々自適」の生活を楽しむという道も一つの可能性なのだと思いますが、敢えて政治を変えよう、日本を変え世界を変えるようと、「老骨に鞭打つ」(済みません、敢えて自虐的な表現にしました)男たち、女たち、つまり高齢者たちに心からの声援を送ります。熱い高齢者は、明治維新時の「志士」以上に貴重な役割を果しているように思えるのですが、如何でしょうか。

 

 

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2017年2月22日 (水)

引っ越し当日です ――荷物の一部は別の場所で保管して貰っています――  


引っ越し当日です

――荷物の一部は別の場所で保管して貰っています――  

 

引っ越し当日です。朝から一日掛りになりました。とは言え、かなりの時間は今住んでいるところ、つまり引っ越し元からの荷物の運び出しです。役割分担で、そこは家人が仕切りました。マンションですので、エレベーターに乗らないものもあり大変だったようです。でも前回ここに引っ越してきたときのことを覚えていてくれたプロもいて助かりました。

 

そこを出発できたのがようやく午後2時頃。それから市内の某所に寄って当分要らない家財道具を降しました。一二年は保管して貰う積りです。

 

それがようやく終わって最後に「新居」です。でもここが一番時間は取らなかったようで、5時少し前から6時頃まででした。日が長くなったので助かりました。

 

いつもの迅速丁寧な仕事振りを見せてくれたのは、中国トラックの皆さんです。

                    

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棚の組み立てもあっという間でした。

 

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そして、家中、引っ越し荷物で足の踏み場もありません。

 

 

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今夜これから箱を全部開けて、タンスやクローゼット等に収納するのは不可能です。数日掛けてようやく落ち着くことになるはずです。

 

でもやはり疲れました。早めにお風呂に入ってゆっくり休みたいと思います。

 

 

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コメント

引越、たいぎいですよね。
頑張ってください。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。頑張ってます。大変ですが、あと一二回は引っ越ししそうです。

2017年2月21日 (火)

Serendipity ――引っ越しの準備で意外な発見!!――  


Serendipity

――引っ越しの準備で意外な発見!!――  

 

いよいよ引っ越しが佳境に入っています。そちらに時間を取られて、他の事に時間を割けませんので、引っ越しについての報告です。

 

家財道具等実際に移動するのは明日なのですが、その準備は数日掛けて行っています。今まで、前の引っ越しのときから全く手を付けていなかった階段下のスペースには、昔から撮り溜めていたビデオやCD-ROM、そしてアメリカ時代に買い集めたレコードまでしまってあったのですが、今回は再度、動かさなくてはなりません。

 

箱詰めになっているものの中身を一応調べて要らないものは捨てる積りでいたのですが、飛んでもないものが出てきました。スキャンスナップです。スキャナーの一種なのですが、例えばA4の紙なら50枚く連続して読み込んでくれる高速の連続スキャナーです。しかも読み取りの途中で追加の用紙を補給することもできます。名刺を読み込んでコンピュータで整理するためにも、本をばらして読み込ませて、PDFのファイルとして残す、いわゆる「自炊」もできる優れものです。

 

           

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発見されたスキャンスナップ――本来なら読み取る名刺を入れる場所にパスピーを置いています

 

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発見されたスキャンスナップ――蓋を閉めたまま

 

前回の引っ越しの後、どうしても見付からず、かなり前に諦めていたものです。見付からなかった理由も分りました。スキャンスナップ用の箱は取っておいたのですが、私の指示が上手く伝わっていなくて、引っ越し業者さんが別の箱に入れて運んでしまったからです。入っていたのは、「AFS」と印を付けた箱だったのですが、AFS関連の書類の下に隠れていました。

 

そこで初めて理解できたこともあります。「開運! なんでも鑑定団」の評価基準です。焼き物でもそうですし、おもちゃも掛け軸も、どの鑑定士さんも「箱があればもっと高い」というコメントを良くなさいます。そうなのです。箱が一緒なら、スキャンスナップももっと早く見付かっていたはずなのです。箱は大事です。そのことが今回改めて、腹にストンと落ちる形で分りました。

 

そしてもう一つの発見です。もうなくなったと思って諦めていたものが出てくることが、「新たな発見」と同じ喜びを生むという事実です。英語で言えば「serendipity」がぴったりです。「思いがけない幸運に恵まれること」「探していたものとは違う予想外の発見をすること」などの意味ですが、英語として最も美しい音を持っている単語の一つだとも言われます。

 

最近は大量の名刺と付き合わなくても良い生活になっていますので、スキャンスナップをどう活用するのかについても考えて見たいと思っています。新しい楽しみがもう一つ増えました。

 


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2017年2月20日 (月)

利用者流のグランドゴルフと早咲きの桜


利用者流のグランドゴルフと早咲きの桜

 

 

知的の障害者の皆さんは毎週月曜日から金曜日まで安芸の郷の運営する森の工房AMAと第2森の工房AMAで働いている。昼休みの1時間は給食を食べた後で、一つの広い作業室や食堂、庭で過ごす。利用者の過ごす場所と一緒に遊ぶグループはほとんど決まってくる。その一つ第2森の工房AMAでは、外で遊ぶ利用者のグループでホールインワン狙いを楽しむグランドゴルフがある。

 

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始めはルール通り一つのゴールポストだったが、今は自分たちでゴールポストを取り出して4つ並べてどれかに入ればいいルールで楽しんでいる。

 

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ゴールの手前には歩道があるがそんなことは頓着なしで程よい距離優先らしい。

 

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入った! だめだった! の繰り返しで15分前にはゲーム終了して片づけて、午後の作業につく。彼らのなかで自然にこういう形になった。当分続きそうだ。(28日撮影)

 

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矢野東2丁目にある安芸の郷のある場所までJR海田市駅から徒歩で20分~25分くらいだ。駅の構内にある早咲きの桜の様子。(2月18日撮影)

 

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242~3分咲きから

 

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218日には7~8分咲きになっている。撮影中ほかのカメラマンに声をかけられた。テレビで紹介されたのできたとか。花の名前を聞かれたが、緋寒桜か河津桜のどちらかだろうがよく分からないと答えておいた。

 

  

2017218日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良


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2017年2月19日 (日)

『国家の品格』 ――諸悪の根源は「論理」と「合理的精神」――  


『国家の品格』

――諸悪の根源は「論理」と「合理的精神」――  

 

最初にお詫びです。217日は「2016原水禁学校の最終日」で、福島から福島平和フォーラムの代表で福島県教職員組合の委員長をなさっている角田政志さんを迎えてフクシマの現状について学びました。広島県原水禁常任理事の中谷悦子さんが、詳しく報告して下さっているのですが、アップするのが遅くなってしまいました。まだお読みでない方には、是非御一読頂きたく、再度御案内致させて頂きます。

 

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マイケル・ムーア監督が、トランプ大統領の当選を予言したことは良く知られていますが、実はもう一人しかも10年以上前に、こんな動きが起るべきだと熱く説いていた人がいます。藤原正彦氏です。ベストセラーになった彼の著書『国家の品格』の中で、氏が諸悪の根源として糾弾していたのが「西欧流の論理」そして「近代的合理精神」です。この二大悪が昨年のアメリカ大統領選挙でどう捨てられていったのかを見ることで、アメリカ社会が藤原氏の理想に近付いていることが分るはずなのですが、果たしてそれが人類の目指している方向に沿うものなのかどうか、考えて見たいと思います。。

 

トランプ大統領が「論理」と「合理性」を捨てていることについては信頼するに足る証言者がいます。2015年から選挙の時までトランプ候補に密着取材をした『ローリング・ストーン』誌の記者マット・タイビ氏です。彼の記事を集めた『Insane Clown President (狂気のピエロ大統領)――2016年のサーカスからの報告』 (Spiegel & Grau社刊) が秀逸です。そこから、大切なポイントをいくつか拾っておきましょう。

 

                 

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 選挙中 (そして選挙後、大統領就任後も続いていますが) のトランプ候補の言動の内、誰にとっても明らかだったのは、トランプ氏が嘘を言う、あるいは矛盾した内容を臆面もなく言い続ける、前に言ったことを平気で否定する、しかもそれに対する説明や謝罪は一切ない、ということです。マスコミを通じて私たちもそのことは良く知っていたはずです。例えば、就任式の会場に何人の人が集まったのかについて、マスコミ報道ではオバマ大統領の最初の就任式では180万人、それに対して今回は70から90万人とのことでした。トランプ大統領の反応は、マスコミは嘘をついている、自分には150万人くらいに見えたと報道されています。

 これまでの大統領選挙の報道では、これほど明白な嘘が並べられれば、マスコミが一斉に叩き、その結果、候補は陳謝に追い込まれ選挙戦から撤退するというシナリオしか想定されていなかったのだそうです。しかし、トランプ候補は自分の嘘は認めずマスコミに対する反撃をすることでさらにマスコミから注目されるというパターンを繰り返してきただけではなく、マスコミはそんなトランプ氏をさらに取り上げ、注目度を上げることに貢献してきたということなのです。

 つまり、政治という重要なトピックの当事者としての扱いではなく、あくまでも視聴率を稼げる「エンターテインメント」としてトランプ候補を取り上げ続けたということです。

 自分でコマーシャル代は出さずにマスコミに取り上げられ、その結果支持率が上がる現実を見て、共和党の他の候補もトランプ候補の真似をし始めます。その結果、選挙戦の実質的内容はなくなり、いかにセンセーショナルなことを言ってマスコミに注目して貰えるかの競争になりました。最終的にはマスコミの操縦術に長けたトランプ氏が勝利を収める結果になったことは、皆さん御存知の通りです。

 嘘が罷り通ったということは、論理を捨てたということですし、マスコミに取り上げられるために広く社会全体そしてその構成員である市民の立場を尊重するのではなく、また歴史を謙虚に振り返ることもなく、どれほど突飛な発言ができるのかに走ってしまった共和党候補だけが残ったということは、アメリカ政治に残されていた合理性を捨て去ってしまったことでもあります。より広く捕らえれば、知性まで捨ててしまったのです。

 

しかし、それでもトランプ候補の演説に涙し、就任式で感涙に咽んでいた人が多かったのは何故なのでしょうか。

 

次回は『国家の品格』とそれに対する見事な反論である『「国家の品格」への素朴な疑問』(吉孝也/前川征弘著・新風舎刊)を取り上げて、この問に答えるのと同時に、これからどうすべきなのかについても考えて見たいと思います。

 

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2017年2月18日 (土)

3.11から6年目 フクシマの現状を学ぶ

広島県原水禁常任理事の中谷悦子さんの登場です。被爆二世として「ノーモア・ヒバクシャ」「ノーモア・ウォー」等の運動を続けてきた経験を元にした力作です。

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3.11から6年目

フクシマの現状を学ぶ

 

2月17日、原水禁学校最後の受講日。福島から角田政志さんを迎えフクシマの現状について学んだ。角田さんは福島平和フォーラムの代表で福島県教職員組合の委員長をしている。2014年に行われた広島県平和運動センター主催のフクシマ現地フィールドワークでお世話になった方だ。

 

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 1.事故収束していない福島第一原発

 

最初に語られた言葉は「福島現地の者でも現在どのような状況になっているかを汁のは難しい。原発を視察しても真実は語られないし真実をしることは難しい。報道に頼るしかない。まだ収束していないと感じる」と述べられたことが印象的だった。報道では、「汚染水の貯蔵が限界に近づいている」「凍土壁での地下水対策が困難を極めている」[炉心近くに燃料デブリの存在を確認]「炉心下の調査にロボットを投入」[炉心近くは予想以上の放射線]など収束困難な状況が断片的に伝えられるが、その最後には希望観測的な東電の決意表明がついている。国民は何が真実かわからないままに置かれたままだ。原爆の放射線被害を知っている広島・長崎の者は、収束はそんなに簡単なものではないと焦りにみちた目でこれらの報道を見ているのが現実だ。

 

【角田さんの報告】

未だに高い放射線値

◆1~3号機は原子炉内の燃料デブリの冷却を継続中で状況は不明。使用済み核燃料プールには核燃料がそのままになっていて、冷却が継続され冷温停止状態を維持している。

その理由は3号機の使用済み燃料プールからの共用プールへの取り出しは放射線量が下がらないため取り出し開始ができない。

◆燃料デブリの状況がいまだ判らない。東電が公開した画像では、圧力容器下部にある格子状のグレーチング上に厚さ数センチの堆積物が拡がっていた。破損した部分も確認できた。高温の燃料デブリに触れて溶け落ちた可能性があるという。

◆2月9日に掃除用ロボットを投入したが線量が高くて破損した。カメラの映像のノイズから分析毎時650シーベルト(速報値)の高い放射線量が推定される場所が見つかったと発表された。

◆2月16日にさそり型ロボットを投入したがこれもまた作動しなくなり放置された。

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 第一原発の事故収束の最大の問題は汚染水の処理

福島第一原発では増え続ける汚染水の処理が最大の課題となっている。地下水がどんどん流れ込んでいる。2015年末時点で、背後の山側から流れ込んでいる地下水は一日当たり約300500トン。

 

これを2016年度中に凍土壁を使って100トン未満にする計画をたてたが山側の凍土壁は凍らない。いまだに汚染水は増え続けている。くみ上げられた汚染水はタンクに保存される。敷地内にタンクが増え続けている。

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◆汚染水はアルプスで放射性核種を取り除くがセシウムは取り除くことはできるがトリチウムが取り除けない。それを海に流そうとしている。これには漁民が反発。

事故収束作業と原発労働者の被ばく問題

 

2015年8月、原子力規制委員会は緊急作業時被ばく限度をそれまでの100svから250msvに引き揚げ、緊急時対応を行った労働者が継続して仕事ができる措置を決定したという。こんな非人道的な決定が許されるのだろうか。自分の身に置き換えてみてほしい。放射線について熟知しているはずの学者たちがこんなことをして許されるはずがない。なかなか大らかな心を持てない未熟な私は政治家や官僚たちに言いたい。「あなたやあなたの家族に置き換えて考えてほしい。それでもあなたは被ばくを甘受しますか」

 

角田さんの報告

◆被ばく限度の引き上げは原発の再稼働を進めている政府や電力会社は、福島事故レベルの事故を想定・容認していることになる。

 ◆原発労働者の労災認定が困難を極めている。認定されれば次の仕事はなくなることを考えなければならない。

 ◆労災申請をした11人の内で認定されたのは2人で、3人は却下、一人は本人取り下げ。残り5人が調査中である。

 ◆認定の基準が厳しい。

  

廃炉を明言しない福島第二原発

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第二原発は第一原発廃炉作業のバックアップ施設、後方支援施設の拠点として使われているが、冷却水のポンプが停止し核燃料の冷却が停止したり問題が続出している。福島県民は県内にある全ての原子力発電書の廃炉を求めているが東電は廃炉を明言しないという。安倍首相は「県民の心情を考えると他の原発と同列に扱うのは難しい」と言いながら「廃炉については事業者が判断すると考えている」と明言を避けた。国民の税金を湯水のように注入しながら、まだ再稼働を考えているのだろうか。あれほどの事故を起こした東電を存続させる意義はどこにあるのだろうか。新会社による電力供給を考えた方が良いのではないだろうかと思う。

 

角田さんの報告

◆県民世論調査(福島民報社2016年7月13日報道)

東電福島第二原発について「廃炉にずべき」の回答は81.6

18歳、19歳の回答では「廃炉にすべき」の回答が100

 

18.19歳の回答が廃炉にすべきが100%というのが気になった。事故当時12歳、13歳だった若者だ。彼らの中には事故によって進路変更を余儀なくされ人生を変えられた者もあったはずだ。

 

◆現在、福島県平和フォーラムが中心となって「原発のない福島を!県民大集会」実行委員会で即時廃炉を求める署名を実施しているとう。2017年3月末までに10万筆を目標に集め4月に国と東電に提出し廃炉要請を行う予定。

 

2.原子力災害が奪ったフクシマの人権と避難指示解除

 

福島県から避難している子どもへのいじめが表面化し心を痛めた人もおおいはず事

故から丸5年。被災者や県民は苦しみ、それぞれの人が生活の重みを背負ってきた。生活再建についての答は簡単には出せない。角田さんの話を伺えば伺うほど被災者へかける言葉を見つけることができなくなった。簡単に「こうすれば」という答はない。被災者の心情に寄り添いながら広島の思いを伝えることしかできないのかもしれないと思いながら報告を聞いた。

 

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政府は2017年末までに被災者を帰還させるという方針をとっている。その基準が年間20svを下回ることが基準という。現在世界的な基準は年間1msvだ。原発事故で高線量の被ばくをしている人も多く、それだけにより帰還の放射線基準量については配慮しなければならないはずだ。健康を無視したこの基準に基づく避難指示解除は、「事故は収束した」と見せたい意図があからさまだ。未熟な私は政治家や官僚にもう一度言いたい。「あなたやあなたの家族に置き換えて考えてほしい。それでもあなたは被ばくを甘受しますか」

 この避難指示解除で、賠償金の支払いの打ち切りがセットにされていることを考えると非人道的な政策そのものだ。

 

角田さんの報告

◆国は「戻りたい人が戻れるようにする」というが、早期帰還を進めることによって事故の被害をできるだけ小さいものに見せようとする意図や、賠償金を早めに打ち切ろうとする目論見が見える。また、原発災害を過小に見せ、復興の名のもとに事故の収束をアピールする意図がある。

 

◆原発災害からの生活再建にはまだまだ幾多の困難があり、国と東電の責任による賠償の問題も引き続き闘っていかなければならない。

 ・帰還しない場合、自主避難の扱いになる可能性がある。

 

 ・避難を継続したいと考えている住民と、復興を掲げる自治体との間に対立が生じる。


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3.原発災害がもたらした放射性降下物下での生活

 

現在、子どもたちの甲状腺異常が取り上げられることが多いがこれからガンも含め色々な病気の発現が予想される。目には見えなくても臭いはしなくても放射線は確実に体を蝕む。この不安は広島・長崎の被爆者・被爆二世と共通している。この不安に対して国家補償の視点で恒久的な救済法を早く実現すべきだと思う。決して放置できるものではない。2月17日に全国被爆二世団体連絡協議会に加入している被爆二世が国の責任を問う裁判を提訴した。同じ日の出来事ということで、何か因縁めいたものを感じた日であった。

 

角田さんの報告

201110月から2013年3月31日までの先行検査結果

 受診者約10万人の内、二次検査受診 2,294

 二次検査の結果、異常が認められ通常診療を受けた者 1,376

 通常診療のうち、116人が悪性ないし悪性のうたがいと判定

2014年4月より2016年3月までの本格調査受診者約27万人の内、2,222人が二次判定。その内、1,553人が二次検査終了。

 二次検査の内、68人が悪性ないし悪性のうたがいと判定。

 

 角田さんの報告

◆除染が進み空間線量は低下してきた。しかしホットスポットはあちこちにあり、放射線量は雨風によって変動する。除染が済んだはずの家屋や公共施設などでも雨樋の下では5usv/hなどの高線量のホットスポットも存在する。

◆各家庭での除染物は各家庭で保管しているが、これも不安。

◆中間貯蔵施設が大熊、双葉町にまたがる帰還困難区域に設置されるが、その地域に住む者は最終的に帰還できるかさえ分からない状況。契約は進まない。国の約束は信用できないという声がある。


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4.脱原発社会の実現を!

 

福島の現実を直視すると、そこに住む人間や生き物だけでなく山も大地も樹木も植物も川も海も人間の一生と比べものにならない長い期間を汚染してしまう放射線。改めて核と人類は共存できないと思う。それが素直な感覚だと思う。それがゆがめられ潰されてしまうということが恐い。地球という視点に立ち返らなければ。日本にはプルトニウムが47,9トン保有と発表されている。プルトニウムは核兵器の材料である。このプルトニウムを増やさないためには産みだす原因の原発を一日も早く完全に止めてしまうことである。ここから地球の未来を考えていくしか生き延びる方法は見つからないのではないだろうか。

 

**

秋葉校長のまとめの後で今回が最後の原水禁学校ということで全回参加者に記念品が

渡された。秋葉さんのまとめの中で印象的な言葉があった。「困難な時こそ原点に立ち返り、そこで考えた一番シンプルな言葉こそ解決へ導く道である。原発に関しての言葉が原発を廃止するということだ」

 

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2017年2月17日 (金)

私のお宝(1) ――英単語カード――  


私のお宝(1)

――英単語カード――  

 

アメリカでの高校時代、自分で作った単語カードです。一枚目は授業中に先生の指示に従って作り、それに加えて30枚くらい、宿題として出されていた単語のペアを一枚のカードに書き写して作りました。

 

まず、「3-by-5 card」、つまり3インチ×5インチの大きさのインデックスカードを半分に切ります。角を斜めに切って、裏表と上下が手で触っただけで分るようにします。表には、スペリングが紛らわしくて、アメリカ人でも良く間違う単語 (このリストは宿題として渡されていました) の一対を書き込み、ひっくり返して裏には、それぞれの単語の意味を書きます。私はそれに日本語の意味も書き加えました。

 

宿題に出された単語についての試験もありましたので、とにかくカードを持ち歩いて何度も繰り返しましたので、全部覚えることができました。懐かしくて最近、このカードを取り出して何枚かを復習してみましたが、老化現象でしょうか忘れている単語があって、それはちょっとショックでした。

              

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さて、今の時代、高校生はどんな単語カードを使っているのか聞いてみると、きれいに印刷され、例文付きの覚え易いものが出てきました。自分で作ると手間が掛かります。同時にその手間が記憶のためのカギになって覚えやすいという側面はあるものの、分り易いフレーズが一緒になっていたり、例文が添えられていることも大切ですので、どちらがベターなのかは一概には言えないのかもしれません。

  

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 かつて、覚えていた単語を忘れていることのショックに加えて実はもう一つショックがありました。最近の子どもたちは英語の時間に「筆記体」を教わらないのだそうです。国際化が進んで、ハンコの代りに自筆のサインが必要になる時代だけに心配なのですが、サインくらいは練習次第で書けるようになるでしょうから杞憂かもしれません。

 

でも、アップルの創始者であるスティーブ・ジョブズ氏が大学生の時にカリグラフィーに魅せられたことから、美しいコンピュータができた史実を思い起こすと、筆記体を学ぶことには創造性を育むというもう一つの大切な役割もあるような気がするのですが――。

 

 

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コメント

ペンでは筆記体でしかかけないので、筆記体で書いたら
「そごっ、書けるん?」と子供に言われましたw

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

消えつつある筆記体を守るために、「昭和の歌を守る会」を真似て、「筆記体を守る会」でも立ち上げましょうか。

20年ぐらい前に通信添削の仕事をしていました。
その当時から、ブロック体オンリーでした。

最近、ある掲示板で、英語圏在住に方々に質問しました。
オバマ大統領のメッセージが筆記体だったので、果たして今でも使われているのか疑問に思ったからです。
複数のアメリカ在住の方々から回答があり、大体30〜40代が境目で、やはり若い方々はブロック体を使うとか。でも、おばあちゃんの手紙を孫が読めないなど、不都合があり、州によって違うようですが、筆記体復活のところが増えているそうです。
なお、signatureだけは各自が工夫した筆記体みたいなものだそうです。

「komitan」様

コメント有り難う御座いました。筆記体についての貴重な調査結果も教えて頂き、感激です。おばあちゃんの手紙が読めないのは、そう言われてみれば分りますが、気が付きませんでした。「筆記体を守る会」も立ち上げたいですね。

2017年2月16日 (木)

初期不良品に良く当ります ――「新しい物」好きだからでもありますが――  

2017216日アップ

初期不良品に良く当ります

――「新しい物」好きだからでもありますが――  

 

Regzaテレビの外付けHDDに録画した番組をブルーレイ・ディスク(BD)に落して保存するために、同じく東芝のブルーレイ・ディスク・レコーダーを買いました。ちょっと予想外な点もありましたが、その報告は、前にさせて頂きました。


Regza

 

その後少し経って、もう一つのトラブルが発生しました。テレビの外付けHDDに録画した番組をレコーダーのHDDにダビングするには、まずLANケーブルを使って、ルーター、テレビ、レコーダーをつないでネットワークを作らなくてはなりません。(こんなに面倒臭いことをいちいち利用者にさせる大企業の姿勢が大問題だと思いますが、その点も含めて前回、いろいろなコメントを頂きました。)

 

しかし、突然、このネットワークが切れてしまい、レコーダーが画面に現れなくなってしまったのです。パソコンでも良くあることですので、LANコードをレコーダー側の端子から一度抜いて再度差し込み、もう一度確かめるときちんと認識してくれました。

 

しかし、それでも数時間経つと同じ現象が起きてしまい、これは、LAN端子に問題があると思って、東芝のコンシューマー・マーケティング・センターに持ち込みました。症状を説明したのですが、端子の不具合ではなく、基板かもしれないと言われました。相手はとにかく専門家ですので、修理を依頼しました。

 

1週間で修理が終り、基板を交換したので大丈夫だろうとのことでした。しかし、症状は全く変りません。つまり、問題は基板ではなく他の箇所だということなのですが、新品を買って、製造元が初期不良個所を特定できず、そのため消費者が無駄な時間を費やすなどということは理屈に合いません。レコーダーそのものを新品に替えて欲しいと強く言って帰ってきましたが、それから3日してようやく新品との交換が許可になりましたという電話があり、それから5日経って代替製品が手に入りました。

 

そして今のところ、全く問題なくレコーダーは動いています。基板など替えずに最初から新品と交換してくれれば、東芝側も私も大いなる時間の節約になったはずなのですが--。

 

 

Regzatv

黄色がレコーダーです。ネットワークにつながっていて、認識されていることを示しています。

 


でも、これはまだましな方で、太平洋を跨いで送られてきたコンピュータが初期不良製品であったため苦労したこと等、話せばキリがありません。「何故こんなに初期不良品に当るの」と家人には呆れられています。「新しいもの」好きで、まだバグが残っているものを買った場合、初期不良品に当たる確率が高いのも一因なのですが、新しくないものでも良く当ります。そんな経験を、と言うより「愚痴」でしょうか、をまたの機会にお聞き頂くことになるかもしれません。「楽しみにしていて下さい」とは言えませんが。

 

 

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コメント

基盤を変えると判断したのは、他にも同じ症状のクレームがたくさんあり、基盤を変えたら治ったという処理結果があったからだと思いますが。
そうでなく、とりあえずの適当な処理だったのでしょうか?
私も買ってすぐに不良になった事がありますが、大抵は新品と交換してくれました。
最近では、iPhoneが新品と交換になりました。
こんな対応をしているから、今の東芝があるような感じがしますね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

東芝ですが、「コンシューマー」と名前が付いていても、「お客様」として大切にするという姿勢ではなく、「工場」の意向の方が大切で、そこのマニュアル通りに接客しているという感じでした。

対照的な経験もあります。初期不良ではないのですが、例えばヒューレット・パッカード社は、電話一本で、故障したプリンターを取りに来てくれました。その時に「当面これを使って下さい」と、同じ型の代替品を持ってきてくれましたので、全然不便はしませんでした。二日後に、新品に取り換えるという電話がありましたので、今使っている代替品でも良いですよ、と言ったところ「とんでもない、新品を送らせて頂きます」ということで、換えて貰ったものは全く問題がありませんでした。

ネット社会の到来において象徴的な出来事として「東芝クレーマー事件」があり、ユーザー対応では「生まれ変わった」はずの東芝ですが、それでも原発を扱うことから生まれた隠蔽体質と補助金頼みの経営は致命的だったようです。
我が家にもいくつかの優秀な東芝製品があるだけに残念です。

しかし初期不良は新しもの好きで使いこなしている人の宿命とも思います。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

東芝のダイナブックも持っているのですが、キーボードが故障したときは、先ずヤマダ電機に持って行ったのですが、そこでは解決できず九州にある東芝の工場に修理に出してくれました。その時の対応は全く問題がありませんでした。

大手業者への対応と一消費者への対応では違いがあるということなのかもしれません。

2017年2月15日 (水)

バレンタイン・デーの由来 ――チョコレートの他にも大切なことがあります――  


バレンタイン・デーの由来

――チョコレートの他にも大切なことがあります――  

 

214日は、バレンタイン・デーですが、2004年に上梓した『報復ではなく和解を(旧版)(岩波書店刊)と2015年刊の『新版 報復ではなく和解を』(岩波現代文庫)  の中で、その由来に触れています。ちょっとお説教臭くなってしまいましたが、読み易い形で再録してみましたのでお読み頂ければ幸いです。

 

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バレンタイン・デーというと今では義理チョコまで登場するような大変日本的な習慣になってしまいましたが、起源を見ると意味がかなり違います。

 

いろいろな説があるのですが、通説としでほぼ定着しているのは、西暦三世紀、ローマ皇帝のクラウディウス二世、大変過酷な悪政を布いた、しかも戦争が好きだったということで不人気だった皇帝です。

 

彼の治下、戦争に行きたくない若者が多かった。なぜ若者たちが戦争に行きたくないか、皇帝が考えたら、家族とか愛する人たちがいるからだという結論になりました。そこで皇帝クラウディウス二世は結婚を禁止しました。そのときローマのキリスト教司祭だったパレンチーノという人がいたのですが、英語の名前はバレンタイン、彼は秘密裡に若者たちの結婚を執り行なっていました。秘密が漏れない聞は良かったのですが、皇帝にばれて投獄され、遂に二月十四日に処刑されたという歴史があって、それがローマ時代のずっと長い間続いていた二月のお祭りと一緒になってバレンタイン・デーになったという説があります。

 

だとすると、バレンタイン・デーというのは、本当は反戦の日ではないか、戦争に反対をするとはどんなことなのか、あるいは戦争の意味について、家族について、愛の意味について考える日なのではないでしょうか。

 

                             

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123RF画像


その愛の意味を非常に表面的なレベルで捉えているバレンタイン・デー、表面的なレベルといってしまってはちょっと言い過ぎかもしれませんが、もっと深い意味があることに心すべきなのではないでしょうか。

時代的に近いことで思い出すのは、ギリシャ時代のアリストパネースの『女の平和』という戯曲です。これまた、女性と平和についての非常にいい問題提起をしていると思います。芸術と平和の聞には切っても切れない関係がありますし、平和な世界を実現する上で女性の役割にもさらなる期待をしたいと思います。

 

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2017年2月14日 (火)

犯人はWindowsでした ――しかも簡単な対応策がありました――  


犯人はWindowsでした

――しかも簡単な対応策がありました――  

 

「クラウド」を「帝国主義」者呼ばわりしてしまいましたが、真犯人はWindowsのファイルシステムでした。お詫びするとともに、以下、「工場長」さんに教えて頂いたことを、コメントをお読みでない方もいらっしゃると思いますので、簡単にまとめておきたいと思います。

               

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 WindowsHDD等の記憶装置を使うときに「フォーマット」をしますが、その際に、記憶装置の中に作るフォルダーやファイルをどのように扱うのかを決めているのが「ファイルシステム」です。

 

Windowsでは基本的に、一つのパーティションAから別のパーティションBにフォルダーを移すときに、「コピー」をする場合は、Bにできたフォルダーの作成日時は、コピーされた時点での日時になります。そうではなく、「移動」だと、元のAの日時そのままになります。

 

移民として新たな国に受け入れられた場合の比喩を使えば、通常に移民した場合には、元の国での誕生日がそのまま新たな国でも誕生日として認められるということですし、今は実現していないにしろ、私という人間が元の国には居続けて、私のクローンが、新たな国に移民として認められたとすると、そのクローンの新しい国での誕生日は移民として認められた日時になるということです。これなら、それなりに納得が行きます。

 

納得は行っても、先ずはコピーを作って、それもフォルダーの日時が元通りで、問題がないのかを確かめた上で、元のフォルダーを削除したい場合もあります。DropboxからiCloudへの移行はそんなケースだったのですが、それも簡単にできました。

 

「工場長」さんに教えて頂いたのは、「robocopy」というコマンドを使うことですが、実はフリーウエアがいくつかあって、その内の使い勝手の良いものを使えば簡単にしかも高速に、コピーすることができました。私の使ったのは、名前も簡単な「Backup」というフリーソフトですが、問題なく、Dropboxの内容を元のまま、「変更日時」もそのままでiCloudに移せました。御参考までに、このフリーソフトやバックアップについての分り易いサイトを御紹介しておきます。

 

実は、もう一つ問題がありました。これも私の無知を晒すことになるのですが、同じ問題を抱えている方には参考になるかもしれません。

 

それは、このブログを書く上での写真の保存場所です。Dropboxの中にはブログ用の写真を保存するファイルを作っていました。iPhoneで撮った写真は、iPhoneのアップロードにタッチすると、「Dropbox」のロゴが現れますので、そこにファイル名を付けて送れば良かったのですが、iCloudの場合、ロゴは現れても上手くアップロードができません。

 

どう解決策を探したのかは省略しますが、iCloudフォト用のソフトをダウンロードして、自動的にiPhoneで撮った写真が同期できる機能を使えば良いことが分りました。その結果できたアルバムの一ページです。

 

 

Icloud

 

今回はソフトの面での「解決編」、つまり「アフター」が「目出度し目出度し」で終った報告ですが、ハードの面での問題が解決した報告もありますので、お楽しみに。

 

 

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2017年2月13日 (月)

筋トレ本格開始 ――決意表明――  


筋トレ本格開始

――決意表明――  

 

多くの高齢者と同じように、テレビショッピングで、「高い」買い物をさせられています。それなりに活用はしていますが、まだまだ不十分だったことが、一昨日のあるチャンネルを視ていて気が付きました。

 

皆さんは次のことができますか。まず、椅子に浅く座って下さい。片足を少し上げて下さい。そのままで、地に着いた方の脚だけで立つことができますか。

 

「簡単にできる」というのが、試してみる前の私の頭の中での言葉でした。でも、全くできませんでした。お尻さえ持ち上がらなかったのです。どちらの脚も不合格。その上、どの筋肉が弱っているのかも、しっかり体感することができました。

 

これは大問題ですので、今夜から新しい筋トレプログラムを実行します。

 

まずは、ワンダー・コアを使って、腹筋の鍛錬。これはショップ・ジャバ゜ンで買いました。今までと同じように、腹筋の軽・中程度の運動を30回×2セット。

      

Photo

   

             

 それから、背筋の運動は床に寝そべって、同じくらいの回数。腕立て伏せも、30回×2

 

新たに加えるのが、トランポリン。これも、トランポリンそのものは購入済み。

 

 

20170212_21_01_30

 

安全をモットーにまずは5分から。そしてスクワット。これは、50回×2くらいから。

 

そして、片足でのスクワット。力が弱っているのでできる回数から、というプログラムです。今までの上半身に加えて、下半身の運動も始めるということです。それに、毎朝、一時間ほどのウォーキングを続けてきていますので、これも継続です。ダンベルも買った方が良いのかもしれません。

 

筋トレの経験のある方にアドバイスをして頂ければ有難いですし、筋トレの入門書なども御紹介下さい。

 

今回は短い記事になりましたが、決意が鈍らないようここで表明しました。「思い立ったが吉日」です。これから筋トレ開始ですので、応援して下さる方は、バナーの「ポチ」で、そしてコメントで、メッセージを送ってください。

 

 

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コメント

そもそも、左足片足では立てません。
両足で立っていて、右足を浮かすと
ストンと腰が落ちてしまいます。情け
ないことです。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。今から始めれば、私の年齢になるまでには、「余裕」で、いろいろできるようになるはずです。ちりも積もれば山になる、百里の道も一歩から、です。

2017年2月12日 (日)

クラウド帝国主義?  


クラウド帝国主義? 

 

「帝国主義」と呼ぶのはオーバーなのですが、このくらいのタイトルを付けないと私の言いたいことが伝わらないかもしれないと思って、敢えて過激な言葉を選びました。最初に背景から説明させて下さい。

 

まず、クラウドの便利さは言うまでもありません。クラウド・サービスの一つであるDropboxが日本に上陸した2011年から、Evernoteとともに使ってきました。繰り返しますが、とにかく便利です。USBを持ち歩かなくても、どこでも自分の必要なファイルにアクセスでき、新たに作ったものはすぐ保存できるからです。


ところが昨年、新しい料金体系が設定され、「無料」で使える容量を超えて使う場合には、1TBまで月1200円という選択肢しかなくなってしまいました。他のサービスに乗り換えるのも面倒でしたので、1TBまで使えるサービスを購入しました。

                  

Dropbox

           

Dropboxのロゴと保存してある写真の一部、天木直人さんの写真も

 

最近、Change.orgの会員になったことは、お知らせした通りですが、できれば月額の1000円はどこか他の出費を抑えてそれを回せればと思って、Dropboxの代りのクラウド・サービスを調べてみました。iPhoneも使っていますので、iCloudが自然に頭に浮び、こちらのサービスでは、200GBまで月400円という料金で使えることが分りました。現在、Dropboxには80GBくらい保存していますので、これなら丁度良い大きさです。

 

試しにDropboxにあるいくつかのフォルダーをiCloudに移してみたのですが、それで吃驚した結果が本稿になりました。そもそも、こんなことを今になって発見した方が時代遅れなのかもしれないのですが、元々のDropboxのフォルダーをiCoudにコピーすると、そのフォルダーの作成日時や更新日時が、貼り付けた日時に変ってしまうのです。

 

() がもともとのDropboxのフォルダーです。日付は2016年の117日です。

 

117

 

そして、こちら()が今日iCloudにコピーした結果です。日付は今日、211日に変っています。

 

 

211

 

これは、逆にiCloudからDropboxにフォルダーを移しても同じです。

 

幸いなことに、フォルダーの中にあるファイルの日付は元のままですので、例えばこの原稿を一番最近書き直したのは何時か、という情報は保たれます。しかし、「新規作成」の日付は、コピーした日になってしまいます。Dropboxに保存した情報としては、ある文書を新規に作ったのは2011年で、それに一番最近手を加えたのが、2013年だとしても、それをiCloudにコピーした結果は、新規に作成したのが2017年、それに手を加えたのが2013年と、タイム・マシーンに乗ったようなことになってしまうのです。

 

フォルダーを何時作ったのかという情報も私にとっては意味のある場合が多いので、何とかならないものかと、アップルに問い合わせたのですが、これはシステム的にこう作ってあって、変えることはできないとのことでした。ユーザーからのリクエストとして、私のような使い方もあるので、更新日時は、コピー元のものがそのままになるよう、希望する旨を伝えました。結局月800円の節約に負けて、iCloudを使いますが、本当に言いたかったのは、フォルダーにも誕生日があるということです。

 

Icloud

iCloud

Drive の説明

 

クラウド・サービス側からすれば、それなりに理屈は付けられます。iCloudにすれば、そもそも[A数学教室]というフォルダーは、初めて登場したのですから、その作成日時も更新日時も20172111149分で間違いはないのです。

 

でも、それはクラウド・サービスの都合で、ユーザーである私の都合はあまり考えてくれていないということになるのではないでしょうか。比喩で説明させて下さい。トランプ大統領の誕生で、移民や難民が注目されていますが、例えば、私がアメリカに移民として認められたとしましょう。その際に、アメリカ側から見れば、私はそれまで存在しなかったも同じですから、私の誕生日は、私が移民として認められた日にする、というのと同じではありませんか。

 

この違和感を「帝国主義」という言葉で表したかったのですが、もっと良い言葉があれば、あるいはクラウド・サービスについて、私の誤解や無理解があるとしたらそれも教えて頂ければ幸いです。

 

 

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コメント

クラウドサービスは使っていません。というか使うような仕事も用もないからです。
Appleの無料サービスも接続していません。
写真をどの端末でも見れても、そのように使うような写真はないですし。写真や動画をクラウドで使えば容量は簡単になくなるから、そのために追加料金もなんだかな〜って思うからです。
使いまわしたい写真があれば、facebookで非公開であげていれば良いと思ってます。
クラウドは、仕事で書類などをどこでも自由に編集できるみたいですから便利でしょうね。
でも、クラウドサービスをやっている会社をどれだけ信じられるかですね。
もし、日本近郊の某共和国や連邦が後ろにいたら、大変だなと感じることもあります。
ネットサービスも、上手に使わないと、それぞれはわずかな金額でも、つもればバカにならないお金になってしまいますね。
不特定多数の人が扱うのですから、それぞれの言い分を聞くのは面倒だから、自分たちが設定した大ざっなことに従えとなるのなり、寛容性も自由度もなければ、たしかに帝国主義ですね。

もしかすると、それはクラウドの問題というより、Windowsのファイルシステムの「仕様」ではないでしょうか。

私も Evernoteはもちろん、DropboxやiCloud 、SkyDriveなどいくつかのクラウドサービスを無料の範囲で使っていますが、そうした経験はなく、今もiCloudとDropboxでフォルダーを移動してみましたが、フォルダの更新日付が変わるようなことはありません。

ただ、これをWindows10で試してみたところ、ブログに書かれているようにフォルダの日付が変わってしまいます。

更に、ローカルでも試してみましたが、USBメモリとフォルダのやり取りをしても、macOSでは本体からUSBにフォルダを移動(コピー)しても変更日は変わりませんが、Windowsではフォルダをコピーするとフォルダの変更日が変わってしまいました。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。講演に使うパワーポイント等、USBで運ぶよりクラウドの方が便利なのですが、おっしゃるように、セキュウリティーについての心配はあります。

より正確には、クラウドだけではなく、インターネットを使うこと自体、その全てのやり取りが誰かに見られている可能性はあるのですから、それを前提にして防御策を取る必要がありそうですね。「工場長」さんから勧められたVPNもその一つだと思います。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。アップルのヘルプ・センターでは、Windows10か、Macかは関係なく、クラウドの方の問題だという話でしたので、それを鵜呑みにしていました。

今、Windows10のローカルのフォルダー移動を試してみましたが、クラウド、HDDあるいはUSB⇒USBでは、変更日はそのままでした。ただし、USBまたはHDD、クラウド⇒HDDでは、変更日時が、コピーした瞬間に変ってしまいました。

ということで、Windows10の仕様だと思いますが、何か良い対応策があれば、御教示下さい。

以下が参考になりますでしょうか。

https://support.microsoft.com/ja-jp/help/299648/description-of-ntfs-date-and-time-stamps-for-files-and-folders

robocopy というコマンドで、dcopy:t というパラメータという使えばフォルダのタイムスタンプも一緒にコピーし、それは共有されたサーバー間でも有効だということです。

コマンドラインで robocopy /? で細かい書式が表示されるはずです。

あと、同様の機能を持つフリーウェアもいくつかあるようです。

クラウド上でどうなるか分かりませんが、今、試せる環境にないので、取り敢えずお知らせしておきます。

「工場長」様

ファイルシステムの違いで対応が変ってくるということは良く分りました。USBはFATだということで、コピーだと、元のままにはならなくても、移動なら元のままが保持できるという理解で良いのでしょうか。

NTFSが、複雑さの原因だということも分りました。

robocopyを試してみようと思いますが、その前に、フリーソフトのBunBackupで試しにどうなるか、テストしてみようと思います。また報告しますが、御教示有難う御座いました。

2017年2月11日 (土)

テレビのアンテナ端子を増設  


テレビのアンテナ端子を増設  

 

そろそろ、入学や転勤などで引っ越しの季節が始まりますが、わが家でもその準備を始めました。その一つが、テレビのアンテナ端子の増設です。これまではテレビを置いていなかった部屋でテレビを視ることになりましたので、その部屋までアンテナからの引っ込み線を延ばし、壁に端子を付ける作業です。

 

場所は、今まで電気のコンセントのあったところです。

 

             

Photo

               

 

数年前には同じような工事を自分でしましたので、本当は今回もDIYでと思う気持はあったのですが、専門家に頼みました。屋内配線の延長となると、天井裏に潜り込むか、床下を這いずり回るのかどちらかが必要になるはずですが、どちらも今一、自信が持てなかったからです。その判断は正解でした。床下に潜っての作業、それも床の高さがかなり低い構造だったようで、見ているだけですっかり疲れたからです。

 

20170210_22_31_47

 

左がアンテナ端子です。パネルの色が変りましたが、こちらの方が明るくて良い感じです。

 

この工事の中身は、アンテナ端子が既にあるA地点と、端子がないコンセントのあるB地点とを、同軸ケーブルでつなぐことです。素人考えでは、まず、A地点に、同軸ケーブルを二本つなげられる接続器を入れて、そこに同軸ケーブルをつなぎ、それを天井裏か床下を通してB地点まで延ばして、もう一方の先をB地点に新たに設置する端子につなげる、という手順なのですが、プロの工程は違いました。

 

まず、B地点に新しく端子を付け、それにつないだ同軸ケーブル、それもかなりの長さのものを床下に落すのです。次に、A地点でも同じことをします。すると、床下には、端がフリーの二本の線が漂っていることになります。次に床下に潜ってその二本の線をつかんで地上に戻り、その二本をつなぎます。

 

次の写真が、無事、つながれて一本になった同軸ケーブルです。二本をつないでいる金具の取り付けの写真を取り損ねましたので、その後、テープの巻かれた状態です。

 

 

Photo_2

 

念のため、A地点、B地点両方でテレビをつなげてみましたが、全く問題ありませんでした。自分で工事をしたのではありませんが、数時間で期待していた通りの結果を見ることができてとても幸せでした。

 

核兵器の廃絶とか、社会的格差や差別をなくすことなど、難しい問題に関わっていると、なかなか思う通りの結果が目の前に見えて来ないことも多くあります。その結果、フラストレーションを感じたりすることにもなりますが、でも、もう少し時間の尺度を長く取ってみると、実は、アンテナ端子の増設と同じようなプロセスを経ているのかもしれません。

 

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コメント

テレビのアンテナケーブルって昔から邪魔だと思ってます。
スマホやPCではWi-FiやBluetoothでの無線接続あるのですから、テレビでも早くできてほしいと思います。
ついでに、USB端子付きにもされたらよかったと思います。
そういえば、最近の若い人はあまりテレビを見ないそうですね。
映像は、スマホやタブレットやPCでネット配信が多いそうですね。
地上波のテレビドラマも、ネットテレビで再配信されているのが増えて来ましたね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。アンテナまでは無線で届いているのですから、受信機まで無線にすることは技術的には問題がないはずですね。

「工場長」さんが、どうすればそのような形でテレビを見られるのか、一万円ほどかければ可能だという記事を書いてくれました。
http://hiroshima.moe-nifty.com/blog/#_ga=1.181776356.214472932.1481890510

でも、私個人としては同軸ケーブルへの「愛着」があるのも事実なのです。

2017年2月10日 (金)

追悼  藤田裕幸君  


追悼  藤田裕幸君  

 

2011311日、東日本大震災で東京電力福島第一原子力発電所が被災、どのくらいの規模の被害を受けていたのかは、被災地のみならず全国民が固唾をのんで見守っていたはずです。なかなか、はっきりした情報が届かない中、その夜、テレビではっきりと「冷却装置が止まって6時間も経過しており、すでに炉心のメルトダウンが始まっているんじゃないでしょうか」とコメントした物理学者がいました。それが、高木仁三郎、小出裕章、広瀬隆、槌田敦といった人たちと一緒に、原発やエネルギーについての啓蒙活動をリードし、反原発の流れを作ってきたリーダーたちの一人、藤田裕幸(ふじたゆうこう)君です。

 

詳しくは、彼の活動を軸に原発の本質についても分り易く語ってくれている『「修羅」から「地人」へ――物理学者・藤田裕幸の選択――』(福岡賢正著・南方新社)をお勧めします。反原発運動が大切なことは言うまでもありませんが、それはより大きな自然の中で私たち人間がどう生きて行くべきなのかという問への答の一部であることを藤田君は、自らの生活を通して示してくれました。

             

Photo

               

 過去形で語っているのは、昨年2016年の7月に藤田君は多くの人に惜しまれつつ幽明境を異にすることになってしまったからなのですが、彼の仲間の何人かの呼び掛けで、ネット上で彼の追悼文集を編纂しようということになりました。

 

私も一文を寄稿しましたが、それは、藤田君と私は中学の同級生、しかも3年間、同じ組だったからなのです。だから今でも、藤田「君」なのです。以下、拙文を通して彼の知られていない一面に触れて頂ければと思います。

 

******************************

藤田祐幸君を偲ぶ

2017131

 

 

藤田君とは千葉大学教育学部付属中学校の同級生として、3年間同じクラスで学びました。教室内では物静かで温厚な人柄でしたが、こと理科になると彼の存在が輝いていました。私たちの知らないことも良く知っていましたし、休み時間や放課後、彼と彼の仲間はいつも理科室で楽しそうに実験や研究をしていたのが印象的でした。

 

1957年の10月にスプートニク号が打ち上げられたときにも、ちょうど日本上空を夜通過する時間に何人かが集まって観察をした記憶があります。理科の先生と藤田君たちが中心になってその会をオーガナイズしてくれたのです。

 

私たちの学年は結束力があって、今でも頻繁に同窓会を開いていますが、そんな中で、恐らく同窓生一同にとって一番記憶に残っているのが30年ほど前、私たちが40代の頃のある年の同窓会です。

 

夏の暑い日でしたが、担任の先生や英語の先生等、数人の先生方も参加して下さり昼食会という形で、二三時間いつものように盛り上がりました。その後まだ陽は高かったのですが、幹事が計画していたのは近くの料理屋の二階を借り切っての二次会でした。先生方は二次会にまではお付き合い頂けないことが多かったのですが、その日は私たちに英語を叩き込んで下さったC先生が二次会にも参加して下さいました。

 

幹事たちはとても緊張して、お店の方には何度か電話で「今日は私たちの恩師も参加して下さるので、くれぐれも失礼のないように」と念を押していました。私たち一同がその店に到着するや否や、店の従業員何人かが「先生こちらへ」という感じで甲斐甲斐しく藤田君を「御案内」。

 

当時の藤田君は、長く白い髭を蓄え、知らない人が見れば誰でも彼が「恩師」だと思って不思議ではない風格がありました。一方、C先生は昔から若く見られる風貌の持ち主で、「同級生」だと紹介してもそれで通るくらいの雰囲気でした。幹事が何とか店の人に誰が先生なのかを伝え一同大爆笑の裡に二次会が始まりましたが、記憶に残る楽しい日になりました。

 

2007年には、それまで住んでいた神奈川県三浦市から長崎県西海市に移り住むとの知らせを貰いました。「日本中のどの原発より西にある」ということと、雪浦という地域の魅力が決定的だったという説明がありましたが、原発事故の可能性がリアルであることをこのような形で私たちに啓蒙してくれていることに気付いて、新たな感動に包まれました。

 

そして、福島の原発事故後の活動については私が述べるまでもありません。最後に彼と話をしたのは2014年、広島市での講演会後の短い時間でした。日本の原子力政策が変わらないことを憂慮しながら、彼が運動からは引退する気持であることを聞きました。その理由は、「もう自分にできることは全てやり尽くした。これ以上なすべきことはない」という潔いものでした。「できることは全てやり尽した」と自信を持って言い切れるほどの凄まじくそして素晴らしい活動を続けてきた藤田君の面目躍如たる発言でした。

 

私はあと数年の間は活動を続ける積りですが、「できることは全てやり尽した」と言える境地にはなれそうもありません。しかし、現実にそこまで到達した藤田君を目標に、少しでも彼に近付けるよう努力したいと思っています。

藤田君の御冥福を心からお祈り致します。

 

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コメント

40代の同窓会の記念撮影で、禿で白髪のK君は
「先生は真ん中に」とカメラマンさんに言われました。

そういえば、
彼は、いつも悲しそうな顔をしてましたね。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。40代でそんな経験をした人は多いのではないかと思います。その結果、ある意味「本当」の「大人」の仲間入りをしたんだ、もう少しハッキリ言うと、「歳を取った」という気持も実感として持つようになった時期なのかもしれません。

「元安川」様

コメント有り難う御座いました。彼は、中学時代にもう『原子力読本』を読んでいたくらいですので、人類の行方を憂えていたのかもしれません。

2017年2月 9日 (木)

Change.orgの会員になりませんか  

Change.orgの会員になりませんか  

 

『ニューヨーク・タイムズ』の前東京支局長マーティン・ファクラーさんが彼の著書『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』 (双葉社・20162月刊) で、日米のマスコミの大きな違いとして指摘しているのが、「調査報道」です。英語では「investigative reporting」ですが、彼がその対極にあると位置付けているのが「記者クラブ」制度です。

 

アメリカでは、1972年のウォーターゲート事件で『ワシントン・ポスト』紙のボブ・ウッドワード記者とカール・バーンスタイン記者とによる独自の調査報道が典型的な例ですが、日本では、最終的に田中角栄総理大臣を追い詰め辞任させるまでに至った立花隆さんの「田中角栄研究」(『文芸春秋』197411月号)が、その典型だと思います。しかし、最近の日本のマスコミにはその面影もないというのがファクラーさんの認識です。その代りに日本社会で頑張っているのが弁護士の皆さん、特に「人権派弁護士」と呼ばれる人たちだと彼は言っています。弁護士の皆さんの活躍は、日本社会でも評価されています。日本弁護士連合会の元会長、宇都宮健児さんが東京都知事選挙に担ぎ出されたのは、それほど高い評価があったからです。

 

その市民版ともいうべき活動の一つが、Change.orgと呼ばれるネットを通じて、市民の声を集め、市民の代弁者として「啓蒙」「広報」「拡散」「陳情」「署名集め」「交渉」「圧力」といった機能を担ってくれている団体です。学術会議の「学術会議の軍事研究拒否声明」見直し反対! 軍事研究解禁反対!の署名を集める活動を御紹介しましたが、その他にも素晴らしい成果があります。

 

 

その一つが、三重県志摩市の公認キャラクター「碧志摩(あおしま)メグ」の公認が撤回されるに至った運動です。ハフポストの記事の一部です。

 

三重県志摩市が2014年に公認したキャラクター「碧志摩(あおしま)メグ」に「性的な部分を過剰に強調していて不快だ」とする批判が出ていた問題で、同市は115日、公認撤回を決めたと発表した。キャラクターの作者が市に公認撤回を申し出ていたという。

 

この運動で、Change.orgを通して「明日少女隊」というグループが署名運動を呼びかけ、その署名を行政に提出したことも大きな力になりました。このように、大手のマスコミを通してはあまり知られていない運動でも、Change.orgを通して多くの人たちに情報を届け、協力や支援を要請することが可能です。Change.orgのサイトに行き、「キャンペーン開始」というボタンを押すだけで、新たなキャンペーンを立ち上げることが可能です。

Changeorg Changeorg_2

そのChange.orgが、活動を維持するために会員を募っています。こちらのサイトを御覧の上、是非ご検討ください。私も、月額1000円の会員になりました。

 

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2017年2月 8日 (水)

日米比較   --億万長者がお金を出さなくても、自ら動くマスコミ--


日米比較  

--億万長者がお金を出さなくても、自ら動くマスコミ--

 

2010年にアメリカの最高裁判所が、「表現の自由」を守るため、選挙運動のために企業や組合の使える金額に上限はないと結論しました。その結果として巨万の富が選挙資金として流れ込み、誰もが、2012年の大統領選挙は大きな影響を受けるだろうと予測しました。

 

結果は、オバマ大統領の再選、上院は民主党、下院は共和党という勢力分布は全く変わりませんでした。しかし、人口の0.001パーセントの声が政治の方向性を決めるという大きな変化が起こりました。それは例えばウィスコンシン州やノース・カロライナ州で、それ以後どのように政治が変ったのかを視ることで理解できるのですが、その流れの辿り着いた先が、2016年のトランプ氏です。彼が共和党候補になり、大統領選挙そのものも制した背景にある、お金の存在を忘れてはなりません。

 

しかし、それは、「賄賂」とか「票の売買」という直接的な手段ではなく、テレビのコマーシャル、あるいはYouTubeへの投稿を宣伝する、または自分たちの信ずることを「正当性のある」政策としてまとめて広める、といった形で使われています。

 

「日本は常に、10年遅れでアメリカの後を追っている」と言われることがあります。もしそうなら、新しい形での金権政治の姿は日本の10年後を示しているのですから、それに対する対策を考えておく必要があることになります。

 

しかし、『ニューヨーク・タイムズ』の前東京支局長であるマーティン・ファクラーさんの『安倍政権にひれ伏す日本のメディア』 (双葉社・20162月刊) で具体例として掲げられているいくつかの出来事を元に、日米の比較をする限り、アメリカなら億万長者が巨万の富を注ぎ込まないと動かせないほどのことが、日本ではマスコミ自身の「自己規制」や「空気を読む」結果として簡単にできてしまっているために、実は、事マスコミの言動そしてマスコミの作り出す世論という点では、日本の方が先行しているのではないかという気さえするほどです。

 

             

Photo

               

 

マスコミのあり方、そして私たちが勇気をもって発言する大切さを再確認するためにも、具体的エピソード満載のファクラーさんの好著をお勧めします。その中で触れられている大切な一つの事例があります。ファクラーさんが自らも調べ、『ニューヨーク・タイムズ』誌にも掲載されたのだそうですが、私も全く知らなかった「事件」です。以下、その部分の要約です。

 

北海島宗谷郡猿払村 (そうやぐんさるふつむら) は、日本最北の村として知られているが、戦争中、ここに浅茅野 (あさじの) 飛行場を造ることになり、その作業には服役中の日本人受刑者や朝鮮半島から連行してきた500人から1000人の労働者が従事した。

 

戦後、猿払村には奇跡的に一つの記録が残されており、90人近い朝鮮人労働者と20人ほどの日本人受刑者が死亡していたことが記録されていた。彼らはいわゆるタコ部屋に入れられており、脱走しようとして捕まれば棍棒で殴り殺されるといった悲惨な目に遭ったことを目撃した村民もいた。

 

この話を聞いたことのある水口孝一氏は、有志を募り、日韓合同のチームを組織して考古学者やボランティア、学生等、数百人の力で20006年から2010年までに、亡くなった人々の遺骨を発掘し、合計59体の遺骨を収集した。

 

強制労働による犠牲者を悼み歴史を後世に残すため、水口チームや支援者等が発起人になって現場近くに石碑を建立することにした。韓国メディアは、「日本はこんなに良いことをしている」と大きく報道した。それを目にした一部のネット右翼が「北海道の村がこんなけしからんことをやっている」「強制連行というウソ、捏造を自治体自ら広めている」と騒ぎ始め、村役場に電話による電凸やメール攻撃を行った。その結果、20131126日に行われる予定だった除幕式は中止された。

 

ファクラーさんは、自治体の対応の仕方にも問題があると指摘していますが、それ以上にこのようなニュースを取り上げ・支援しなかったマスコミの責任を問題にしています。猿払村は「孤立無援」の状態に置かれて、なす術を失ったからです。

 

国家権力がマスコミに圧力を掛ける凄さという点では、アメリカの方が日本より上だとファクラーさんは考えていますが、アメリカのマスコミはそれに立派に対抗している、と言っています。それに対して今の日本のマスコミは、報道や表現の自由についての認識が本当にあるのか、記者一人一人の人権と表現の自由を守るため、イデオロギーを超えて「全マスコミ」として戦う積りがあるのかを問うています。アメリカのマスコミがメジャー・リーグだとすると日本のマスコミは高校野球なみ、だというのがファクラーさんの診断です。

 

原発についての報道一つを取っても、日本のマスコミの情けなさをそう表現したくなる気持は分ります。そして、本当のところは、私たちの目に見えないところで巨万の富が動いているからこのような結果になっているのかもしれません。

 

そうではなく、巨万の富の力など使わなくても、「権力」というより大きな力の前に、日本のマスコミはひれ伏してしまっているのだとすると、アメリカで「明日」起こるかもしれないことが日本では既に起きてしまっていると言うべきなのかもしれません。

 

 

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2017年2月 7日 (火)

もう一冊の『Dark Money』   --Citizens United と最高裁判決--

もう一冊の『Dark Money』  

--Citizens United と最高裁判決--

 

前回はジェーン・メイヤーさんの著書『Dark Money』の内容をリストにして簡単に御紹介しましたが、その一つ一つの項目をもう少し詳しく説明したいと思います。政治とお金、選挙とお金の問題はどこでもいつでも視野に入れておかなくてはなりません。特に選挙の際の「ネガティブ・キャンペーン」という形で、対立候補についてのあることないことをテレビのコマーシャルとして流すことが、アメリカの選挙では当たり前になり、それが選挙結果を左右していることは御存知だと思います。

 

そのような目的のために、企業や組合が使える金額には制限がなくなったというのが、前回の⑥でした。


 2010年にはCitizens United という団体による訴訟で、企業や組合が、選挙の際に候補者に直接の寄付をしなければ、選挙運動のために使える金額は無制限であるとの最高裁の判決を勝ち取る。このことで、選挙が金で買える状態になった。

メイヤーさんの力作Dark Money』を要約する積りだったのですが、実はもう一冊『Dark Money』という本がありました。著者はジョン・クックさん。Kindle Unlimitedに登録すると無料で読めますので、試しに読んでみたのですが、私がお伝えしたいことがそのまま書いてありましたので、クックさんのまとめた、Citizens United  (CUと略します) という団体の紹介と、CUが提訴した裁判についての最高裁の判断を私なりに要約して御紹介します。

 

               

Dark_money_by_jhon_cook

             

 

2002年に、「Bipartisan Campaign Reform Act (超党派キャンペーン改革法)が作られましたその内容は企業や労働組合が選挙前の一か月間はネガティブかポジティブかに関わらず候補者についてのコマーシャルなどを流すためにメディアに対してお金を払うことを禁止するという内容でしたそれ以前から非営利団体についての制限はありましたので営利団体を含めることで選挙運動についての規制が整備されたと考えられていました

 

非営利団体についての規制は、お金のない候補でも選挙で極端には不利にならないような環境を整備するという目的でした。

 

ところが、2008年にCitizens United という、コーク兄弟から膨大な資金を受け取っている団体が、ヒラリー・クリントン候補についてのネガティブ・キャンペーンの一環としてオン・デマンドのビデオを作り、そのビデオを宣伝するメディア・キャンペーンを精力的に行いました。連邦選挙委員会(FEC)は、これが超党派キャンペーン改革法違反だと判断して、中止命令を出したのですが、CU側は、表現の自由を保障している憲法の修正第一条違反であることを理由に、裁判を起こしました。

 

最終的には最高裁判所が判決を下したのですが、その判断には重要な4つのポイントがあります。

 

 FECそして、超党派キャンペーン改革法は、憲法の修正第一条違反を犯している。

 企業にも、個人と同様に「表現の自由」が与えられている。それは「表現」することが可能などのような主体についても、この自由が保障されているからである。

 巨額の資金が使われているという事実だけから、政府がそれを「腐敗」であると断定することはできない。つまり、いくら以上なら腐敗であり、それ未満ならそうではないという客観的な基準を設けることができないからである。

 支出額の制限を加えることは、市民の知る権利を侵害する可能性がある。情報を広げるのにはお金がかかるという理由で作られた規制によって、ある情報が隠されてしまうのは市民の知る権利の侵害になり得る。

 

この結果、CUそしてコーク兄弟、ならびに多くの億万長者たちは、選挙戦を勝つためには無制限に自分たちの資産を使えるようになり、アメリカ社会は大きく変りました。日本からはなかなか見えない状況のですが、トランプ大統領を生んだ社会、そしてトランプ大統領の言動を理解するために、何回かにわたって御紹介したいと思います。

 

 

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2017年2月 6日 (月)

節分・豆まき・もう桜の開花

          節分・豆まき・もう桜の開花

 

知的と精神の障害者の皆さんを日中支援することを行っている安芸の郷は、安芸区矢野東2丁目に森の工房AMAと第2森の工房AMA2つの建物がある。利用者の皆さんはそこで働いているが、ここでは折々の季節の行事も取り入れることも大切にしている。2月に入るとまずは節分があり、立春がやってくる。

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節分の前日の2日には節分を意識して生活介護サービスを利用する皆さんは、週2回午後からの自由活動の時間を利用して鬼のお面作りをしたりして楽しむ(森の工房やの・生活介護のみなさん)

 

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23日の節分当日の朝の会終了後利用者と職員の中から豆をまく年男、年女に豆をもってもらって、みんな外に出てから職員の合図で鬼に向かって豆をまく。利用者が作った鬼面をかぶるのは前の年の年男と年女が演じる。(森の工房AMAの庭)

 

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終わるとラジオ体操が始まるが、まだ余韻があって他の利用者が段ボール箱の鬼をかぶって鬼のポーズをとっている光景も見られた。

 

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鬼が並んでいた後ろの正面の3枚の大きなガラス戸。左右の戸の衝突防止はプリズムに加工したクリスタルガラスで、入った光は、

 

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地下の階段のコンクリートの壁に虹が投影される。2月の光の輝きは12月や1月より明るい。

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お昼の給食には、10粒位の大豆が添えられた。

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安芸の郷の利用者の通所の送迎バスは毎日JR海田市駅にも停車している。3日に会議で市内に出かけるためJRを利用したのだが、海田市駅の名物の桜が咲き始めているのを見たので、翌日の4日に見に行った。

 

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早咲きの桜は2分咲き位。姿は見えないがメジロのさえずりが聞えてくる。これからゆっくりと咲かせ3月初めが満開になる。

 

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この桜は子どものころから見てきた。幹の大きさからして8月6日の原爆投下の時の爆風と原子雲を見たのかもしれないが詳しくは分からない。

 

 

201726日 

 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2017年2月 5日 (日)

トランプ大統領の詭弁 --カギはDark Money--


トランプ大統領の詭弁

--カギはDark Money--

 

戦後70年総理大臣談話 (以下「談話」と略す) が、詭弁の典型であることはそれなりに御理解頂けたと思っていますが、私たちがその意識を共有し安倍政治に自分の言葉で反論して行くことがこれからの課題の一つだと思います。

 

トランプ大統領の詭弁を説明するには、その前提としてアメリカ社会の現状そして歴史をより詳しく理解する必要のあることは既に指摘しましたが、数回にわたって、その中でもあまり知られていない「Dark Money」、つまり「黒い金」あるいは「汚い金」を概観したいと思います。トランプ大統領誕生の裏には、巨万の富を操り、しかもその実態は公表されることなく、アメリカの政治風土を30年以上にわたって右傾化させることに情熱を燃やし、ついに成功させた億万長者のグループがいたのです。

 

そのリーダーは、チャールズ・コークとデービッド・コークの二人、まとめてコーク兄弟と呼ばれますが、二人の資産を合わせると世界第一位の富を手中にしています。Forbes誌によると、世界一はMicrosoftのビル・ゲーツで750億ドルですが、チャールズとデイビッドはそれぞれ395億ドルですので、二人合わせると800億近くになり、合わせて一位になります。(日本円にすると、1ドル110円として、88000億円)

 

その二人を中心に、アメリカの「Dark Money」の真相を明らかにしているのが、雑誌『ニューヨーカー』の記者だったジェーン・メイヤーさんの『Dark Money』という力作です。日本語訳も出ていますので、それをお読み頂けば十分ではあるのですが、私なりの感想文を書く積りで「さわり」を御紹介したいと思います。

            

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Dark Money』は詳細な調査によって明らかになった事実を元に, 1970年代からこれまでアメリカのスーパー・リッチなごく少数の人々がアメリカの政治を事実上動かすほどの力を持つようになった歴史を描いていますその内特に重要な何点かを最初にまとめておきましょう

 

 デービッド・コークは1980年の大統領選挙にリバタリアン党の副大統領候補として出馬したが、総得票の1パーセントしか取れず、政治の表舞台で活躍することを諦める。その代りに自分たちの保守主義あるいは自由至上主義 (リバタリアンをこう訳していますが、政治のあらゆる場面で政府の関与を否定、特に課税権を縮小すること、環境問題についての関与をなくすこと等を主張している) を広め、選挙を応援することで政治的な影響力を増すことを中心に活動を始める。


 まず、保守的なシンク・タンクや研究所の後押しをしたり新たに設立したり、大学等の研究者にも経済的支援を行うことで、理論武装をし、さらに具体的な政策が説得力を持つような啓蒙方法等についても補助を行った。


 保守的なマスコミを抱き込み、自分たちの主張を広範に広め、リベラルなメディアに対する影響力も「飴と鞭」で拡大する。


 自分たちが寄付をしている慈善団体をトンネルさせるなどして、多額の選挙資金を自分たちの意のままになる候補者のために支出する。その際に、自分たちの名前は公にされないシステムを構築する。


 2003年に、コーク兄弟がそのためのネットワーク作りを始めた。最初集まった億万長者は十数人だったが、その後、このネットワークに招待されることがステータスになるくらい、組織は大きくなった。


 2010年にはCitizens United という団体による訴訟で、企業や組合が、選挙の際に候補者に直接の寄付をしなければ、選挙運動のために使える金額は無制限であるとの最高裁の判決を勝ち取る。このことで、選挙が金で買える状態になった。


 その結果、2016年の選挙では、コーク兄弟とそのネットワークで88900万ドルの資金を提供するようになった。1972年の選挙では、200万ドル(現在の価値では約1100万ドル)の選挙資金がその高額さ故にスキャンダルになったことを考えると、今昔の感がある。


 このような活動で億万長者の側が手に入れた「利益」は大きい。例えば、様々な税制改革では、高額所得者に対する課税や課税率が下がり、例えばレーガン時代には高額所得者の税率が70パーセントから28パーセントになった。


 2012年の選挙戦では、共和党は、最も貧しい人々から厳しく税を取る、という政策を掲げた。


 [追加の項目] 政府がビジネスに関わること、特に環境面などからの規制を行うことや法人税や所得税相続税等については強く反対しているのが、コーク・ネットワークの特徴だが、政府の防衛その他の事業の契約者として、莫大な利益を上げている事実にも注目すべし。

 



何度かにわたり、もう少し詳しく『Dark Money』の中身を紹介して行きます。

 

 

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2017年2月 4日 (土)

詭弁の技法・その4 ――戦争を始めた国が「挑戦者」?――

詭弁の技法・その4

――戦争を始めた国が「挑戦者」?――

 

戦後70年総理大臣談話」を読みながらでないと、その批判をしっかりとは御理解頂けないかもしれませんので、全文を次のページにアップしました。

 

戦後70年総理大臣談話 (以下「談話」と略す) が、詭弁の典型であることを検証する第4弾です。今回は「挑戦者」という表現を取り上げます。この言葉が使われている部分を引用しておきましょう。

 

満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 

「私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を 揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいり ます。」

 

まず、戦前に日本という国家が、帝国主義・植民地主義を奉じていた欧米諸国に対して「挑戦」したという事実はあったと認めて良いでしょう。しかし、第一次世界大戦以後の日本の立場や政策、人類史的な役割を一単語で表現する場合に、「挑戦者」ではほんの一面しか捉えていない点が問題です。「全ての真実」ではないのです。

 

「挑戦者」とは辞書的定義では「戦いを挑む人」という意味ですが、拳闘の世界チャンピオンに対して「挑戦者」の誰の誰平という形で用いられる場合、きちんとしたルールに則っての競技における名誉ある立場というニュアンスが付いています。日本が戦前に果した世界史的な役割をこのような「フェア」なものであると認定してしまうのは、控えめに述べて行き過ぎです。

 

その点を理解して貰うために敢て極端な議論をしますが、ヒトラーやナチスドイツを「挑戦者」という言葉一語で規定してしまうことにほとんどの人が違和感を持つはずです。「フェア」で名誉ある立場とは相容れない要素が大き過ぎるからです。そして、この「談話」でもこの点には触れていませんが、日本はそのナチスと同盟関係にあり、ナチスの世界観を少なくとも容認してアジアで行動したのです。ナチスを「挑戦者」という一言で規定すべきでないのなら、日本を「挑戦者」と規定することも同じレベルで破廉恥な選択です。

 

               

Matsuoka_visits_hitler

             

アドルフ・ヒトラー総統との会談に臨む松岡洋右外相 ()

(Wikimedia)

その点とも関係しますが、「談話」の中では、日本が1930年以降に「挑戦者」になったという時間軸で物語が進行します。しかし、これも限定し過ぎで、日清・日露戦争や第一次世界大戦の時代から、日本の「挑戦」は始まっていました。「三国干渉」や「21条要求」の事実がそのことを雄弁に物語っています。この点では「真実だけ」からも逸脱しています。

 

では、「挑戦者」の代りにどのような表現を使えば良いのでしょうか。それに答えることはかなり難しいと思います。それは、歴史観が違うからです。「新しい国際秩序に対する挑戦者」という流れとして当時の世界を理解するのは、これも「不都合な真実」を隠していることになるからです。これについてはさらに詳しく論じないといけませんので別稿に譲ります。

 

まだまだ問題にしなくてはならない点は多くあるのですが、一つ一つ取り上げ考えるたびに腹が立ちますし、このように言葉としての意味を正確に理解しつつ、「談話」の吟味や批判をすべきマスコミがその責任を果していないことにもフラストレーションを禁じ得ません。しかし、歴史を振り返ることが大切ではあっても、世界は毎日動いています。トランプ大統領に振り回されている昨今も心配です。

 

 

 

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2017年2月 3日 (金)

詭弁の技法・その3 ――戦争そのものに言及しない・言及すれば美化する――


詭弁の技法・その3

――戦争そのものに言及しない・言及すれば美化する――

 

戦後70年総理大臣談話 (以下「談話」と略す) が、詭弁の典型であることを検証する第三弾です。「戦後70年」という触れ込みですので、この「談話」は当然、大東亜戦争、あるいは太平洋戦争、15年戦争、日中戦争等、様々な言い方がありますが、1945815日に終わった戦争をテーマにしています。でも、「談話」の中では、その戦争についての直接の言及を避けているのです。

 

戦後70年総理大臣談話」を読みながら出ないと、その批判をしっかりとは御理解頂けないかもしれませんので、遅ればせながら、全文を次のページにアップしました。

 

さて、この「談話」を注意深く読んで下さい。その中に現れる戦争についての固有名詞は二つしかありません。日露戦争と第一次世界大戦です。戦後70年の「戦」はそのどちらでもありません。「先の大戦」になってしまっています。これは固有名詞ではありません。何故固有名詞を使わないのでしょうか。もちろん固有名詞はあります。「満州事変」にも言及していますが、そもそも「事変」という表現で戦争と一線を画しているとも考えられますので、これは疑問符付きです。

 

例えば、「先の大戦」の代りの固有名詞としては、第二次世界大戦、太平洋戦争、大東亜戦争、15年戦争、日中戦争等の呼び方があります。そのどれを取るのかは別として、一つのお手本としては、2015年の年頭の天皇挨拶の言葉があります。「満州事変に始まるこの戦争」です。

 

固有名詞を使うことで一つはっきりするのは、誰が始めた戦争なのかという点です。満州事変と特定することで、1931年の柳条湖事件に端を発した戦争であることが分ります。それが、関東軍の軍事行動だったという事実も当然、頭に浮かびます。対アメリカ戦である太平洋戦争では真珠湾攻撃が重要です。「宣戦布告なし」の攻撃である「真珠湾攻撃」を日本が仕掛けたことを、未だに多くのアメリカ人は重大視しているからです。

 

しかし、「先の大戦」ではこうした事実は霞に包まれてしまって頭に浮かびません。それが「談話」の目的なのかもしれません。

 

固有名詞として扱われていない「先の大戦」が、現れる「枠組み」、「文脈」も問題です。「談話」の最初は20世紀の初めころからの歴史のお浚いになっているのですが、その内容にもあまり客観性がありませんし、日本との関係で苦しんだ人たちがいたことも無視しています。

 

おおよそ1900年代の初めから2050年くらいまでの150年間ですが、その時間枠の中で取り上げられている戦争は、日露戦争、第一次世界大戦、(満州事変)、そして先の大戦です。

 

最初の疑問は、なぜ日清戦争が取り上げられていないのかという点です。これは、何故日露戦争を取り上げたのかとも関連しています。「談話中」の日露戦争の総括は、「日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と大甘の評価ですが、対称的に日清戦争後は、日本の勝利を褒めてくれるどころか、三国干渉のように、日本のやり方に対する批判が強かったからでしょうか。

 

しかし、日露戦争についての評価も、大きな問題を含んでいます。「植民地支配のもとにあった」「アジアやアフリカの人々」の中には、当然、すぐお隣の朝鮮半島に住む人々も入っていなくてはなりません。日露戦争後5年で日本に「併合」されてしまったことと全く関係がないような書き振りですが、「全ての真実」を示していないだけではなく、その点に全く触れないことで、日本の立場について詳しく知らない若い世代の人たちを正反対の方向に誘導しようとしている、と言われても仕方がないくらいの大きな省略です。

 

日露戦争の美化に大きな力のあったものの一つに司馬遼太郎作の『坂の上の雲』があります。この「談話」がその影響下にあると捉えると、日露戦争についての総括が大甘である理由も分ります。『坂の上の雲』ならびに日清・日露戦争についての歴史的検証は高井弘之著の『誤謬だらけの『坂の上の雲』』(合同出版)が分り易く説明してくれていますので、一読をお勧めしますが、その結論を簡単に述べておくと、1894年から1910年までの間、日清・日露戦争も含めて「日本の朝鮮植民地化戦争」・「朝鮮による反植民地化戦争」の時代として捉えるべきだということです。

                

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 最大の問題点は、その後です。第一次世界大戦後の世界を概観する記述が続くのですが、天皇の新年挨拶を尺度にすると、「先の大戦」は「満州事変」から始まっていると考えられます。その部分を「談話」では次のように扱っています。

 

「満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

そして七十年前。日本は、敗戦しました。」

 

この部分は注意深く読んで下さい。まず、「戦争への道」は戦争そのものを指してはいないのです。戦争への道を進んで、次は戦争をしました、というべきところだと思いますが、それはなし。そして一行開けて、次の70年前の敗戦、という続き方です。戦争そのものについて最低限一言あって良い個所であるにもかかわらず、全く言及がありません。「行間を読め」では済まされない省略の仕方です。つまり「全ての真実」とは程遠い書き方なのです。

 

ではいつから戦争が始まったのでしょうか。いやいつから日本は戦争を始めたのでしょうか。満州事変は視野に入っているのですから、1931年からと考えても良いでしょう。そして戦争そのものではないのですが、それに関連していた満州国の「建国」も大きな出来事でした。さらに、かつてよく使われた名称を借りれば、1937年からの「大東亜戦争」そして1941年からの「太平洋戦争」を避ける訳には行きませんから、1937年あるいは1941年と考えることもできます。名称はともかく、1945年までの15年間に何があったのかという事実から出発しないと、戦争を総括することは不可能です。

 

この「空白の一行」こそ、「語るに落ちた」形で、「談話」の基本姿勢を明らかにしています。すなわち、自分たちに都合の悪いことは口を濁して語らないという姿勢です。

 

さらに、{「新しい国際秩序」への「挑戦者」}という表現も問題です。次回はこの点を取り上げたいと思っているのですが、躊躇もしています。それは、このように問題点の多い「談話」を詳しく読んでいくことは勿論大切なのですが、やはり疲れますし、怒りのやり場もなかなか見付からないかもしれません。しばらくは他に目を転じるのも良いかも知れないとも思えるからです。

 

 

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「戦後70年総理大臣談話」

終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼 熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみな らず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれ の人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本 人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床とも なる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を 揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいり ます。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日 内閣総理大臣  安倍 晋三

 

 

2017年2月 2日 (木)

詭弁の技法・その2 ――戦争責任をどう誤魔化すか――


詭弁の技法・その2

――戦争責任をどう誤魔化すか――

 

戦後70年総理大臣談話 (以下「談話」と略す) が、詭弁の典型であることを検証しています。第二回目は、「戦争責任」について、「全ての真実」を述べないことでどう誤魔化しているのかの具体例です。

 

「談話」の中の次の一節を取り上げます。

 

あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 

後段の「私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。」は、国籍に関係なくすべての人間が持つ責任だと言って良いでしょう。このように普遍的に正しい命題を改めて持ち出す目的として、前段との関連が重要になってきますので、前段では何を言っているのかを丁寧に読み解いてみましょう。

 

ここで使われている「あの戦争には何ら関わりのない」は、時間的経過として、戦後70年経ち、今の若い世代やこれから続く世代の人たちは、時間的にあの戦争には全く関わりのない存在だ、という意味だと取るのが自然です。だとすれば、それは正しい記述です。

 

しかし、この「談話」で問題にしているのは戦争についての直接体験があるかどうかではなく、「戦争責任」です。となると、「あの戦争には何ら関わり」があるかないかを問うのではなく、ここで問題にすべきなのは「あの戦争の責任」が誰にあるのかです。そうであれば、責任の主体として「子や孫」に言及する以前に、戦争を起こした当時の日本政府や軍隊を視野に入れなくてはなりません。それは、「責任」を問う上では因果関係がなくてはならないからです。原因を作る立場になかった「子や孫」の責任を持ち出してくるのは、お門違いですし、何らかの意図があると考えなくてはなりません。さらに、仮に未来の時点での戦争責任の取り方について言及したいなら、未来の日本政府が謝り続けるのかどうかが問題になるはずです。

 

そして未来の日本政府を考える上で、現在の日本政府は「関係ない」どころか、大いに関係があるのです。二つの理由を挙げておきましょう。

 

一つは、「行政の継続性」です。新しいことをしたくない、あるいは改革に抵抗する際に官僚が好んで使う言葉です。例えば、20151013日に、沖縄県の翁長雄志知事が、米軍普天間飛行場(同県宜野湾市)の名護市辺野古移設で、公有水面埋立法に基づく辺野古の埋め立て承認に瑕疵(欠陥)があったとして承認を取り消す手続きを行ったことに対して、菅官房長官は記者会見で「行政の継続性からこのようなことは認められない」という趣旨の発言をしています。

 

しかし、「行政の継続性」は両刃の剣でもあります。つまり、1945815日に存在した日本国政府と、それから70年経った2015年の日本国政府とは、同じ主体であると考えるべきだということです。その意味では「謝罪し続ける宿命」を背負わされているのは日本国政府です。しかし、「談話」中、日本国政府の謝罪責任についての言葉はありません。責任の主体を「子や孫」に摩り替えてしまっているからです。そして「子や孫」が出てくると私たちの目は曇りがちになります。

 

もう一つの理由は、それとほぼ同じ内容なのですが、国連における日本国という国家の位置付けです。日本国は依然として、国連憲章第53条と第107条に規定されている「敵国条項」による「敵国」なのです。対照的にイタリアとドイツは最早「敵国」とは見做されていません。イタリアは、降伏後ドイツと日本に宣戦布告したからですし、ドイツは近隣諸国への真摯な謝罪と外交努力によって「敵国」とは見做されなくなりました。しかし日本は依然として「敵国」のままなのです。

 

               

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この状態を解消するための一番論理的かつ分り易い、しかもドイツが試験済みの解決手段は、「戦争責任を持つ」国家としての日本が、真摯な謝罪を行い、それが近隣諸国をはじめ全世界に受け入れられることです。その結果として「敵国条項」が外されることになるというシナリオが自然の流れです。

 

近隣諸国から日本政府の真摯な謝罪が受け入れられれば、その結果、この「談話」に述べられている願望は、近隣諸国からの「もう謝罪は必要ないよ」という言葉によって実現されるのです。つまり、日本政府に対して「まだ十分な謝罪をしていない」というクレームはなくなります。国家を構成する国民という位置付けの「私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたち」が「謝罪を続ける」必要もありません。それを実現するのに最低限必要な要件は「政府の責任」を認めることなのですが、それがすっぽり抜け落ちているところが重要です。

 

過去そして現在の政府の言動とは全く関係のない文脈を作り上げて、国際社会から戦争責任そのものを背負わされているのが、未来の「子どもたち」であるかのように表現すること自体、無責任極まりないのですが、国家と国民という図式で考えると、国家、あるいは政府自体が、臆面もなく無責任振りを曝け出してきた記録もきちんと残っています。それは再度、取り上げます。

 

 

 

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2017年2月 1日 (水)

詭弁の技法 --トランプ大統領就任演説も戦後70年総理大臣談話も駆使しています――


詭弁の技法

--トランプ大統領就任演説も戦後70年総理大臣談話も駆使しています――

 

トランプ大統領の就任演説が不愉快だったのは、スケープゴートをでっち上げてそのスケープゴートを執拗に攻撃する破壊的かつネガティブな姿勢が、私たちの中にある「The Better Angels of Our Natureつまり私たちの中にある最善の資質と相容れないからなのだと思います

 

自然に思い出したのが、安倍晋三総理大臣が2015814日に読んだ「戦後70年総理大臣談話 (以下「談話」と略す) です。トランプ大統領の攻撃的なトーンとの比較で表現すれば「猫撫で声」のような調子でしたが、どちらにも共通していたのは、詭弁術を駆使していたことです。

 

               

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アメリカ議会で演説する安倍総理

 

 

「詭弁」については、以前御紹介した『数学で未来を予測する』 (PHPサイエンス・ワールド新書) の著者、野崎昭弘先生による『詭弁論理学』と『逆説論理学』(両方とも中公新書)が夙に有名です。楽しい本ですのでお勧めしますが、両書で取り上げられている詭弁はかなり高級です。対して、トランプ・安倍両氏の詭弁は初歩的と言っても良いレベルなのですが、社会的影響の大きさからは看過できません。

 

 

両者に共通しているのは、「不都合な真実」は隠して「自分に都合の良い」ことだけを強調していることです。つまり「全ての真実」を述べていないことです。このような考え方が大切なのは、「宣誓」という形で真実を述べる際の言葉が示しています。その点については「総理大臣も宣誓を」で触れていますので、お読み下さい。

 

何を隠しているのかの説明をする上で、アメリカの場合には背景の説明をより詳しくしなくてはなりませんので、先ずは「談話」から、いくつかの具体例を取り上げたいと思います。

 

「具体的」を強調するために、その典型である「数字」に注目したいと思います。客観性という点からも大切です。

 

「談話」中には4つの数字が使われています。第一次世界大戦における戦死者数1,000万人。先の大戦中に亡くなった日本人300万余。600万人を超える引揚者数。中国残留孤児約3,000人です。

 

さて、この「談話」が、戦後70年という節目に出されたことは、先の大戦、つまり第二次世界大戦が基本テーマです。でも、第一次世界大戦の戦死者数については1000万人という数字が挙げられているにもかかわらず、第二次世界大戦における総犠牲者数や戦死者数には全く言及がありません。

 

改めておさらいしておくと、全世界では、5,000万から8,000万の人が亡くなっていますし、国別ではソ連が一番多くて2,600万以上と言われています。中国も1,000万から2,000万と言われています。ナチスドイツが600万から900万、ホロコーストの犠牲になったユダヤ人は約600万と言われています。ある程度の不正確さはあるとしても、第二次世界大戦中の犠牲者数は、ほぼ常識になっています。

 

仮に第一次世界大戦まで遡る必要があったとしても、第二次世界大戦における戦死者数に言及しない理由はありません。これらの数字を示さずに、第一次世界大戦の戦死者数だけを掲げる意図は奈辺にあるのでしょうか。

 

一つには、世界では1,000万、日本は300万という対比から、時間枠を無視すれば、日本の被害が大きかったという印象を与えることは可能です。20世紀最後の時期に生まれた若者たちにとって、第一次世界大戦と第二次世界大戦の時間的な差はそれほど大きくはないでしょうから、「類推」によって、この数字が「先の大戦」の数字に近いと思い込んでしまう可能性まで考えてのことだとすると、その罪はさらに大きくなります。

 

また、1000万の代りに中国の犠牲者数として1,000万とか2,000万という数字が出てくれば、そのかなりの部分は対日戦での犠牲ですから、日本側の加害責任の大きさに誰でも気付いてしまうから、という理由だと考えることも可能です。さらに、日本の戦死者300万人を対比させれば、中国側の犠牲の大きさが浮き彫りになります。

 

「談話」の起草者の意図を推測したのは、第二次世界大戦における戦死者数や犠牲者数を明示的に使うことで、日本の戦争責任が「自然に」浮き彫りになることを示したかったのですが、その意図がどうであれ、第二次世界大戦をテーマにした「談話」で、第一次世界大戦の戦死者数には言及しながら、第二次世界大戦のそれを省略することは許されないはずです。

 

「談話」で使われた「詭弁」の具体例は続きます。

  

 

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コメント

第2次大戦中の中国の死者数が2000~3000万人ということは知りませんでした。

「元安川」様

コメント有り難う御座いました。第二次世界大戦中の中国の死者数は、手元の資料をそのまま写したのですが、コメントを頂いてwiki等を調べてみると、1000万から2000万という数字が標準的なようです。本文はそれに直しました。

江沢民が1998年に発表した数字は3500万ですが、これを疑問視する声もありますので、多くの資料で使われている1000万から2000万に訂正しました。

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