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2017年1月13日 (金)

オットー・ハーン博士の孫 ――科学と人類と平和のための人生―― その1

オットー・ハーン博士の孫

――科学と人類と平和のための人生――

その1

 

歴史的な人物三人の三世について考えることで、先人たちの遺産を私たちがどう継承して行けば良いのかについてのヒントを得るために、歴史的人物ならびに三世がどのような人生を送ったのかを簡単に復習していますが、今回はオットー・ハーン博士とその孫、ディートリッヒ氏です。

              

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実はディートリッヒ氏は2013年の9月末から10月に掛けて広島を訪れています。広島大学で二つの講演をしてくれたのですが、その内容を『数学教室』という雑誌の20142月号で簡単に紹介しています。ちょっと長めですので、二回に分けてお読み頂けたらと思います。

 

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 2013930日と102日の二回、オットー・ハーン氏の孫である、ディートリッヒ・ハーン氏による講演会が広島大学で開催されました。102日の講演は私が英語で教えている大学院レベルの授業Peace Creation by Cities and Citizens」の第一回目の講義の時間を充て同時に大学主催の平和講演という位置付けにもして貰いました

英語で行われる授業の一環ですので、当然、言葉は英語なのですが、学生や職員以外の方にも参加を呼び掛けていましたので、念のため、最初に講演内容の大雑把な要約をした上で、アウトラインとキーワードを日本語で記した資料を配りました。

 930日は、市民向けの講演でしたが、結果的には、それほど違った内容ではありませんでした。ただ、市民向けですので、日本語の通訳が必要でした。そのため時間的にはきつかったのですが、オットー・ハーン氏の両親の写真から始まって100枚以上の貴重な写真に沿いつつハーン氏の人生を辿る興味深い話になりました。結局、予定していた時間を30分以上超えても、熱心に聴き続ける人がほとんどで、主催した私たちがかえって感激してしまうほどでした。

参加者数は、市民向けの講演で約95人、学生・職員向けの方は46人でした。

 

Otto Hahn Peace Medal in Gold》 (オットー・ハーン平和賞」と略)  


ディートリッヒ・ハーン氏(以下、ディートリッヒ氏と略。オットー・ハーン氏はOHと略)がそもそも広島訪問するに至ったきっかけは、今年の4月にベルリンで開かれたオットー・ハーン平和賞の授賞式で、この賞の創設者であるディートリッヒ氏にお会いしたことでした。


ディートリッヒ氏は、お祖父さん子です。それは、OHの一人息子であるハンノと彼の妻イルゼ、つまりディートリッヒ氏の両親は、まだディートリッヒ氏が子どもの頃に交通事故で亡くなり、ディートリッヒ氏は御祖父さんに育てられたからです。そのせいもあり、ディートリッヒ氏はOHに関しては世界で最高の理解者であり、資料をふんだんに使った500ページもの伝記も著しています。


ディートリッヒ氏と話すうちに、彼の「ヒロシマ」に対する特別な気持は、お祖父さんから受け継いだものであることが良く分りました。また、できるだけ早く広島を訪れたい、という気持も良く理解できました。そして広島で、OHについての講演ができれば、という希望にも沿いたいと思いました。日程を調整して、広島訪問は9月末から10月にかけて実現することになりました。 

 

《広島で》

 広島到着は夜でしたので、次の日には先ず、平和公園の慰霊碑に献花することから日程が始まりました。慰霊碑の前で、長い時間、頭を垂れて黙祷。そして最後には、両手を胸の前で合わせるタイ式のお辞儀で終わる、お祖父さんの代理という意味も込めての敬虔な時間でした。ディートリッヒ氏の奥様はタイ人ですので、タイ式のお辞儀は自然なのですが、彼自身の気持そして何よりお祖父さんの気持を表すのに一番相応しい形だったように思います。


続いて、ピースボランティアの橘光生氏と原田健一氏が平和記念資料館を案内してくれました。特に原田氏の英語による詳細かつ正確な案内で、被爆の実相についての理解が深まったそうですし、被爆者寺本貴司氏の被爆体験証言には心からの感動を覚えたと語ってくれました。


軽い食事、と言ってもディートリッヒ氏はベジタリアンで、量もそれほど多くは食べない人なので、それで十分だったようですが、日本の食事は気に入ってくれました。そして7時から、広大の東千田キャンパスで講演が始まりました。


ディートリッヒ氏は、1946年 フランクフルト・アム・マインで生まれました。芸術史家のハンノ・ハーン(1922-1960)の一人息子、核化学者オットー・ハーン(1879-1968)のただ一人の孫です。ベルリン芸術大学卒後、ジャーナリスト・(劇場・芸術等の)広報・マスコミ・コンサルタント、俳優としても活躍し、オットー・ハーンならびに核分裂の歴史についての数冊の書籍の執筆、編集に携わりました。また、ドイツ・ベルリン国連協会が授与する「オットー・ハーン・ピース・メダル・イン・ゴールド」の創設者で、ミュンヘンの「科学振興のためのマックス・プランク研究所」会員、ニューヨーク科学アカデミーの外国人会員でもあります。


「オットー・ハーン・ピース・メダル・イン・ゴールド」は1988年に創設され、2年に一度「平和と国際理解への卓越した貢献」に対して贈られます。ベルリン市長とドイツ国連協会の会長からメダルと賞状が手渡されます。これまでの受賞者の中には、哲学者のカール・ポパー、音楽家のユーディ・メニューイン、ミリアム・マケバやダニエル・バレンボイム、作家のハンス・キュング、政治家では、ミハエル・ゴルバチョフやメリー・ロビンソン等が入っています。そしてモハメッド・アリも受賞者です。

 

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