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2016年12月14日 (水)

友あり遠方より来る


友あり遠方より来る

 

high school sweetheartで御紹介したのは、英和・和英辞典と、それを駆使して慣れないアメリカでの学校生活を助けてくれた同級生のフランクでしたが、彼だけではなく当時一緒に勉強したり部活をしたりした同級生や後輩たちとは今でもやり取りが続いています。続けられたのにはいろいろな理由がありますが、10年毎に、同じ年に卒業した同級生全員に呼び掛けて開かれる同窓会(reunion)のあったことが大きいのではないかと思います。私たちの場合は1960年に卒業しましたので、まとめて「The Class of 1960 (1960年卒業生)」と呼びますが、一番最近の同窓会は2010年、卒業後50年を記念して開かれました。

 

同窓会を開くためには、日にちと場所を決め会場を借りホテルの手配も済ませてクラス全員に通知をした後、当日の受け付けや会場設営等、しなくてはならない仕事が多いことは説明するまでもないと思いますが、そのために当然複数の運営委員が必要になります。委員長は、一学年全員がメンバーの「学年生徒会」の会長を務めていたサンディーだと、これは御本人もそれ以外の人たちもクラス全員が認めていることですので、毎回彼女が務めてくれました。そのほかのボランティアとしては、昔からサンディーと仲の良かった数人、仕事があまり忙しくなくて、私たちが住んでいた町、Elmwood Parkかその近く、少なくともシカゴの近くに住んでいる人で、「愛校心」の強い人たちが受け持ってくれました。因みにエルムウッド・パークはシカゴの西、車で30分くらいのところにある小さな町です。

 

50周年の同窓会運営委員の一人に、マーリーンがいました。コンピュータのプログラマーそしてシステム・エンジニアの仕事をリタイアした後、時間があるからと手伝ってくれることになったようでした。たまたま日程が上手く合って一番遠くから参加することになった私との連絡役を買って出くれたのも彼女でした。

 

そして今年。ひと月くらい前に、そのマーリーンから12月から1月にかけて日本に行くことになったので広島まで足を延ばしたいとメールがありました。「大歓迎」と返信を出して日程調整を行い、今月11日から13日まで広島に来てくれることになりました。

 

旅行やアウトドアでのホワイト・ウォーター・カヤックも含めたさまざまな活動が趣味のマーリーンの今回の「海外旅行」は約2か月かけて、まずはエジプト、それから息子さんが住む沖縄、そして広島、次に息子さんの家族と一緒にバンコク、その後帰国という世界を股に掛けての日程です。世界中を旅している彼女は、日本では日本食そして日本旅館に泊まるというポリシーを貫き、自分で沖縄から広島までの飛行機や旅館の予約をした上で11日に広島に着きました。

 

11日は、私の家族と一緒のお好み焼きでした。料理をするのが趣味のもう一人の息子さんに持って帰りたいと言っていたのは、お好み焼き屋の名物マスターのねじり鉢巻きでした。二日目は、資料館と平和公園で、約3時間過ごした後、息子さん夫婦がお勧めの錦帯橋まで行きました。そのあとはもちろん宮島です。

            

Marlene

     

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 夜は、シダックスの本通りクラブで忘年会コースに舌鼓を打ちながらのカラオケパーティーでした。特別に丸鶏のローストがプレゼントとして付いてきたのですが、鳥のローストを切り分ける経験者もいてくれて、大変盛り上がりました。写真を撮る余裕さえないくらいでしたので、シダックスのホームページから写真を借りました。

  

Photo

 

二泊三日の日程の間、同級生や家族の話にもなりましたが、実はマーリーンの一歳下の弟ポールは私とレスリング部で苦労を共にした間柄でした。ということは私とも一歳差なのですが、シーズン中、毎金曜日にある他校との試合までは減量に苦しんで、金曜の夜はピッツァやハンバーグ等、思いっきり食べてはまた減量という生活を一冬一緒に続けた仲間でした。私は120ポンドのクラス、ポールは127ポンドと体重が近かったので、練習試合も何度かしましたし、彼の親友だったトムとは歴史のクラスが同じで、原爆投下についての時間には、クラスの中で唯一私の見方をしてくれたほど意気も合いましたので、因縁めいたものを感じました。

 

大きなショックを受けたのは、ポールが196782日に亡くなっていたということでした。「ベトナム戦争で?」と聞くと、「そう、その通り」という答が返ってきました。

 

私はその次の年、1968年に再渡米して大学院での勉強をしながらベトナム戦争反対の運動をしていましたので、ベトナムに行かないで済むように努力をした若者が周りには多くいたのですが、その戦争でこんなに近い存在だった若者が死んでいたことは全く知りませんでした。予期しなかった「ニュース」から、改めて戦争について考えることになりましたが、稿を改めてその報告をしたいと思います。

 

 

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