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2016年12月

2016年12月31日 (土)

12月のブルーベリー農園

 

12月のブルーベリー農園

 

遊川さんから今年最後のブルーベリー農園だよりが届きました。

 

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ブルーベリーの葉がほとんど落ちた農園の様子。(1229日

 

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ブルーベリーの列間のトンネルも枝だけになった。

 

 

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1125日からブルーベリーの剪定を開始。場所は早生の品種で北部ハイブシュ系を植えてある山側から。来年の5月まで続く。(1225日)

 

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林の近くにはヤブコウジの群落があるので、林の側のブルーベリーの株もとにも生えて赤い実をつける。(1229日)

 

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電気柵のバッテリーが切れたので取り換える。暗くなると通電する仕掛けだが今回は1か月もたなかった。畑は電気柵、山はワイヤーメッシュの柵をやむなく設置している。特にシカの被害が多いためだ。

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ブルーベリーの畑の道路を挟んだ田んぼの畦をイノシシが掘っていた。イノシシはみみず、木の根などを取るのにとにかく掘り返すがシカは、ブルーベリーの木を口にくわえて振り回すからだろう、木を折ってしまうのでブルーベリーが全滅しかねない。

 

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山裾に農園所有の池がある(写真左)。隣の農家では山からイノシシが出てくるので最近山側にかなり長い防獣ネットを張った。これは林人が通る林道にゲートを設置しているもの。

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庭の白い実のナンテン。今年は少し実が少ない。

 

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植物を植えると楽しみが先に延ばせる。来年の楽しみを土とお天気にたよるもの2つ。

 

11月に植えたソラマメ。冬になっても成長を続けて初夏に収穫する。

 

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ブルーベリー農園を家族と始めて16年目で初めてバラを植えた。「ピース」など3本とも四季咲きで、ホームセンターでたまたま予約注文リストがあり、品種を決めて注文したもの。バラの名前は由来が色々あるが丈夫なので来春の開花してくれる。

 

20161231日 

 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2016年12月30日 (金)

「明けましておめでとうございます」      助っ人たちよ、有難う


「明けましておめでとうございます」

助っ人たちよ、有難う

 

戦争と平和について勉強したり考えたりすることは大切ですが、ついつい、それにのめり込んでしまいがちです。私の場合、「原爆投下は正しかった」と信じ込んで来たアメリカ世論を変え、世界から核兵器をなくすことにかなりの時間を費やして来ました。オバマ大統領の登場で前者は一応、目的達成に至りましたが、トランプ政権になったらどうなるのかも心配です。つまりこれからも、まだ油断はできないということになりました。

 

核兵器の廃絶ほど大きなテーマではありませんが、何年も掛けて、時には「一人で」と思えるほど孤独なキャンペーンをしてきたもう一つの課題があります。それは正しい日本語・美しい日本語を守ることです。こちらでも2016年中に大きな出来事がありました。

 

まず、「広島ブログ」に参加されている「⑦パパ」さん初め言葉を大切にされる方たちが、「問題のある日本語」といったトピックで問題提起をして下さっていることで、とても元気になれました。


でも、とても大切な表現でありながら誤ったバージョンが広まり、正しい表現を広める努力を半ば諦め掛かっていた言葉があります。それは、新年の挨拶「明けましておめでとうございます」です。それだけで、必要十分なのですが、小学生になって年賀状を出し始めたとき両親から教わりました。しかしながら最近は、マスコミも政治家も芸能人も、「新年明けましておめでとうございます」と平気で言う人が毎年のように増えて、特に新年会等の場に「義務」として顔を出さなくてはならない立場だったために、心ならずも新年会の多くは、不愉快というと語弊があるのですが、違和感を持たざるを得ない場になっていました。そして数年前、岩波書店が発行する広報誌『図書』の編集後記ともいえる「こぼればなし」に、「新年明けましておめでとうございます」が登場したときには、「真田丸も落ちた」という気持になりました。

 

でも、来年2017年はこの状況がかなり改善されるのではないかと思っています。強力な援軍・助っ人が現れたのです。

          

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 知的な発言と該博な知識で知られる池上彰そして林修の両氏が前後して、「新年あけましておめでとうございます」は間違いであること、正しくは、「新年」のない「明けましておめでとうございます」であることを、きちんと述べてくれたのです。もし「新年」を使うのなら「新年おめでとうございます」が正しい言葉遣いです。

 

林先生の解説を再録すると、「明け」の意味は「夜明け」とか「休み明け」のように、その前に付くものが終って次の状態になることを意味するのです。「新年明けまして」と言うと、「新年」が終って次の状態に移ったことになってしまうのです。ですから新年を迎える言葉としては「誤り」です。改めて両先生にお礼を申し上げます。こうして、こちらの問題も解決の緒に就きました。

 

その他、「賀正」は目上の人には使わない等々、日本語を正確に使うためには、語源や慣用例を知ること、そこまでできなくても正確な日本語、良い日本語に触れて、言葉の感覚を磨くことが大切なようです。酉年の来年、新年の目標の一つに良いかも知れません。

 

皆さま、どうか良いお年をお迎え下さい。

 

 

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コメント

いろいろとためになる情報をありがとうございました。
言葉といえば、最近はテレビ番組の「プレバト」での俳句のコーナーに興味を持って見てます。
言葉の使い方や意味がよくわかります。
講師の夏井先生は、もともと国語の教師だったと思います。
間違った使い方を痛快に批判して説明されるのが面白いです。

良いお年をお迎え下さい。

こんな記事に名前を出していただき、ありがとうございます。気を付けなければ(😞💦)(笑)
来年もよろしくお願いいたします。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。私もプレバト・ファンです。夏井先生の公開レッスンから多くのことを学んでいますが、梅沢冨美男を先頭に「ババぁ」といった汚い、しかも差別的な言葉が飛び交っている番組が、本当に日本語を大切にしているのかどうか、疑問にも思っています。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。こちらこそ、来年、と言っても10分ほどですが、宜しくお願いします。

2016年12月29日 (木)

豊臣家滅亡から得る教訓

豊臣家滅亡から得る教訓

 

NHKの大河ドラマ『真田丸』が終りましたが、池波正太郎ファンとして、この機会に『真田太平記』を読み直しました。(実は1986年にこの本を元にしたNHKの連続ドラマ『真田太平記』がありました。)

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再読して強く感じたことが、この稿のタイトルなのですが、長い間、秀吉ファンを自任していたにもかかわらず、こんなに大切な点を軽んじていたのかと考えると忸怩たる思いです。跡継ぎの問題、家臣たちの間にある不満を十分に理解できなかったこと等を秀吉の老化現象の結果だと見ることも可能ですが、あえて厳しく、自分の行動の結果が自分にどう跳ね返ってきたのか、という視点から朝鮮出兵と豊臣家の滅亡を考えてみたいと思います。

 

豊臣家が滅亡したのは、家康の奸智によるとか、三成の器量が小さかったとかいうレベルの「月旦」的な説明が多くありますが、1592年と1597年の朝鮮出兵 (文禄の役・慶長の役)からどんな教訓を汲めるのか、という問と一緒に考えると答は明らかだからです。

 

国内統一は一応できた、と秀吉が考えたからこそ、それまで温めていた唐・天竺までも征服するという目標達成のための第一歩として朝鮮侵略を始めたのでしょうが、国内はまだ不安定でした。特に、類書が揃って指摘しているように、家康や彼に同調する一大勢力の権力奪取への思いを秀吉が過小評価していた点がカギになるのかもしれません。朝鮮に戦争を仕掛けることには反対する人々もかなりいたのは事実ですが、そのような冷静な判断を強引に押し切って戦争を開始したことを、秀吉は自分の力の大きさを確認したと考えていたような節さえあります。

 

この戦争でも加藤清正の虎退治のようなストーリーが流布され、侵略戦争であった側面はあまり強調されてこなかったような気がしますが、この稿で問題にしたいのは、動機は何であれ、秀吉が始めた戦争が秀吉自身にそして豊臣家にとって何をもたらしたのかという点です。

 

戦争史として詳しく何が起こったのかを知ることも大切なのですが、大きくまとめて次に進みましょう。戦争は長引き、朝鮮の被害と犠牲が大きかったことはもちろんですが、朝鮮の支援をした明も大きな被害を受けました。この点の重要性を改めて強調するまでもないと思いますが、戦争を前提として考える為政者たちにとっては、この視点から「だから海外派兵は止めましょう」と説得しても、「あのときは駄目だったけれど、次は勝つから」という言い訳を自分自身でしてしまう結果、全く耳に入らない可能性が大きくなります。

 

その代りにここで強調したいのは戦争を仕掛けた豊臣家が、この戦争の結果、滅亡したという事実です。結局は勝てなかった戦争に膨大な資金と人員を注ぎ込み、協力した大名たちには何の恩賞もなく、それぞれ疲弊し、中には離反する場合もあるという結果になりました。半面、勢力を温存し、打倒豊臣の結束力を強めていた徳川方にとっては大きな梃入れになり、関ヶ原、大坂冬の陣・夏の陣で豊臣家は滅亡する破目になったのです。

 

こんな結果になった理由の一つは、元寇からの教訓を生かせなかったからです。秀吉も、鎌倉時代の日本が強かったから元・高麗の連合軍に勝てた、という総括だけは教訓として覚えていても、当時の元の軍事力をもってしても日本軍との戦いに生かせなかったのは、それが海外侵略・海外派兵だったから、というもう一つの教訓には思い至らなかったのでしょう。兵站を考えるだけでも困難さは想像できるはずなのですが。

 

そして秀吉の残した教訓「海外派兵は滅亡に至る」が理解できないために、日中戦争そして日米戦争を始め、その結果、1945年の敗戦に至ったのがその後の歴史ですが、これも、「海外派兵は滅亡に至る」という大原則を証明している歴史的事実です。

 

このような歴史があるにもかかわらず、安倍政権はその教訓を理解できないまま、解釈改憲から、戦争法、武器禁輸原則の破棄等、戦争と海外派兵への道を歩んでいます。その方針を貫くために、「盟友」アメリカの提出した安保理決議案にさえ棄権するほど前が見えなくなっています。その結果が「滅亡に至る」ことは明らかなのですが、今ならまだ、私たちの力で軌道修正のできる可能性は残っています。

 

歴史の教訓をきちんと汲み取って未来に生かすために、まずは『真田太平記』を読んで豊臣家滅亡の経緯を知ることから始めるのも一つの選択肢だと思います。

 

 

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2016年12月28日 (水)

海外派兵は滅亡への道


海外派兵は滅亡への道

 

日本の歴史を振り返って、500年前の「国と国」が戦争をするのが当り前であった時代から、「県と県」の戦争など考えられない今という時代になったことは、日本が平和になってきたことを示す大切な事実です。

 

歴史を振り返るのは、そこから得られる「教訓」を未来のために有効活用する目的があるからですが、日本が平和になってきている歴史的事実からはどんな教訓が得られるのでしょうか。あるいはどんな教訓が元になってこのような傾向が生まれたのでしょうか。

 

この問に答えるために、現在の日本で、これまでの歴史的事実を否定して、戦国時代のように「国と国」、今なら「県と県」(都、府、道も特別の場合として含めます)が戦争できるように憲法や政治制度を変えようとしている人がいるかどうか、を考えて見て下さい。皆さんの周囲にそんな人はいないはずです。歴史を逆戻りさせようとしている、あるいは周回遅れのコースを走っていることに気付かない安倍政権でも、そんな提案はしていません。(とまで書いて、「今のところは」と断った方が良いかも知れないと考えざるを得ない理由がいくつも挙がるのは、情けない限りです)

 

日本人、そして日本という国家は、国内での平和は戦争に勝る、という教訓を得てそれを実現してきたのです。平和であることの一例は、犯罪率が国際的にも低いことです。殺人のためにしか役立たない拳銃の携帯も許されていません。刀剣の所持も厳しく規制されています。それ以上に、私たちが平穏に日常生活を送れることですし、夜でも街を安心して歩けるほど治安の良いことです。国連本部にある「ねじれた銃」を自ら作った国とも言えるのではないでしょうか。

 

             

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憲法の三大原理として「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」が挙げられますが、「平和主義」の基礎は、このような国内での平和に依拠していることが重要です。

 

その国内での平和を国際関係でも実現して行こうという方針を「平和主義」と呼んでも良いと思いますが、それは、日本社会が世界の範たるシステムを国内的には実現しているからこそ可能なのです。「歴史を振り返る」というところまで戻ってまとめると、日本の歴史から得た教訓を「戦争の拒否と平和の実現」として掲げそれを積極的に世界に広げる方針を「平和主義」と呼んで良いでしょう。安倍政権がこの歴史の教訓を理解できないことが何よりも残念です。一例を挙げれば、「武器輸出三原則」を放棄して死の商人になり下がり、その上、アメリカ提案の「政府側にも反政府側にも武器を売らない」という安保理決議案に日本は棄権し「周回遅れ」の姿を世界に晒しています。

 

その最大の理由は、日本政府、特に安倍政権になってから顕著なのですが、「海外派兵は滅亡への道」という歴史の教訓を無視し続けているからだと言えそうです。

 

これまで日本が関わった外国との戦争を振り返ると、「海外派兵は滅亡への道」が日本にとって 、そして他の国にとっても、大切な教訓であることが分ります。

 

まずは元寇を見てみましょう。白村江まで遡りませんが、ポイントは十分伝わるはずです。

 

1274(文永の役)1281(弘安の役)、元と高麗の連合軍が日本侵攻を企てて当時最大級の艦船を率いて北九州を襲いましたが、二度とも日本側の勝ちとなり、元・高麗連合軍は大きな損害を受けて逃げ帰った、というのが超短い歴史です。文永・弘安のどちらでも「神風」が吹いたため、兵力では圧倒的に有利だった元・高麗連合軍が敗北したという伝説まで作られましたが、台風が戦況を決めたのは弘安の役だけだったようです。

 

さて、元寇からどのような教訓が得られたのかを考えると、大敗を喫した元そして高麗がその後衰退することになった主たる原因の一つがこのような戦争を仕掛けたことでした。元はその後も日本侵攻を試みようとしますが、敗戦という手痛い経験と国全体が戦争の結果疲弊したことを理由に、それ以後の侵攻はなく、地理的にはその後王朝が変わっても中国、そして朝鮮半島から日本に対して戦争を仕掛けてこなかったことは、元寇からの教訓を汲んだからだとも考えられます。それ以後も日本に対する侵略はありませんでした。両国は「海外派兵は滅亡への道」という教訓を得たと言っても良いのではないでしょうか。

 

次の歴史からの事例は、豊臣秀吉による朝鮮出兵 (文禄の役・慶長の役) です。

 

 

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コメント

日本の平和は、難民や移民を認めない事で成り立っている部分もえるのではと思います。
トランプ氏の違法移民を認めないことは、国内平和を望む事でもあると思います。
それと日本は、日本で生まれ育っても強制退去する国なのに、トランプ氏を責める前に考えることは大きいと思います。
ハワイでの安倍首相の話で、日本の爆撃で亡くなっ米兵について語ってましたが、この過去の悲しい話は明日の自衛隊員だとは思わないのでしょうか。
全ての戦争は、他国への侵略侵攻が始まりですね。駆けつけ警護もその国には侵攻ですね。
あの透明な盾で、何が守れるのか?国民を馬鹿にしてますね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。侵略戦争を侵略だと公言して戦争をすることは、最近ではあり得なくなっています。他国からの侵略に対して自国を守るという原則を口だけにしろ前に出すのが、「建前」になっています。

しかし、他国への派兵が出来なければ、この建前と本音の違いはなくなります。それを為政者に知らしめるために、海外派兵をすれば、あなたが自滅しますよ、というメッセージは効果があるのではと思っています。

2016年12月27日 (火)

日本は平和になっている

日本は平和になっている

 

「タウンNEWS広島平和 大通り」の「算数のできない国」に触発されて年の瀬に、「soul searching」をしています。直訳すると「魂を探す」あるいは「自分の魂を覗く」ですが、内省、省察、深い自己分析といった訳が付けられています。でも、ニュアンスはちょっと違います。「人間として生きる本質を問う」というようなニュアンスも付け加えたいと思います。

 

そんな気持になったのは、工場長さんの「日本に再び桜は咲くのでしょうか」と三浦サリーの『桜咲く』がグッと心に刺さったからだということ、そしてそれが『さくらの花よ 泣きなさい』を連想したからだったことは、前回お伝えした通りです。その結果、『さくらの花よ 泣きなさい』の作詞と作曲の名コンビ、荒木とよひさと三木たかしの友情に引きずられて、日本政治を憂うる気持を「泣きたいほど情けない」と表現してしまいした。

 

             

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情緒に負けた形なのですが、そこから抜け出して新たなエネルギーを生み出すことも可能です。これも、頼りになる友人たちから教えられたことなのですが、「count your blessings」です。意訳すると「あなたに与えられている幸せがどのくらいあるか、数えて御覧なさい」くらいになります。大切なのは「数える」ことです。ただ単に「思い浮かべる」のではなく、一つ、二つと数えることで流れができるからです。落ち込むようなことが続いた場合に、気持を切り替える上ではとても役に立つ考え方です。「与えられている幸せ」ですから既に与えられていることが前提です。それをちょっと延長して考え手見ると、歴史を良く見なさい、歴史の流れを見直しなさい、にもつながります。

 

早いもので、もう5か月近く前になってしまいましたが、「世界は平和になっている」そして「日本はずっと平和だった」さらにNHK高校講座----不平等条約の改定」で、日本の場合は、関ヶ原の戦いのあった1600年以降を考えましたが、今回はそれより少し前から今までの歴史を振り返ってみましょう。

 

かつての日本は、多くの「国」から成り立っていました。例えば安芸の国とか甲斐の国です。時代を遡ると、名前は違いますが、封建領主が支配する「領土」に分かれていましたので、便宜上「国」と呼びましょう。それらの国々の間で戦争をすることは当り前でした。例えば、川中島の戦いに象徴される上杉と武田の間の抗争は皆さん御存じの通りです。

 

 

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時代によって最強あるいは象徴的な権力者は変りました。平・源・北条・上杉・武田・織田・豊臣・徳川等ですが、彼らと同盟を結んだり対立していた国々との間の関係はと言うと、基本的には戦争を前提にした、支配と被支配の世界があり、その構成員としての国があるというものでした。ですから、国と国との関係は軍事同盟が望ましい形でした。軍事同盟を結べない国の間には戦争が起り、勝者が敗者を服従させることが当り前だったからです。

 

大雑把に、500年ほど前の日本では、このように国と国との戦争が日常茶飯事で、逆に、国と国とは基本的には戦争はしない時代が来ると考えた人は、仮にいたとしても、自分が天下を取る、つまり力での支配を前提としてその中で自分が勝つ、という種類の考え方をした人が多かったでしょうし、物事の決着が力ではなく法による時代が来ると予測した人は少数だったと考えて良いのではないでしょうか。

 

しかし、500年後の今、日本の中で、かつての「国」と同じような立場にある県や大きな都市が、何らかの理由で戦争をすることなど考えられない時代になっています。

 

それは、日本という地理的範囲の中で考えると、「500年前より日本は平和になった」とまとめられます。普通の歴史ではこのようなまとめ方はしません。小説やドラマが注目するのも、「戦争を前提とした時代」は与件として、その与件がどう変化したのかではなく、与件はそのままで、その時代に生きた権力者がどう行動したのか、権力がどう動いたのか、その時代の裏面にはどんな真実が隠されていたのか、といったレベルでの、時間枠を「局所化」したものが中心です。

 

しかし、私たちに「与えられている幸せ」の一つは、どんなに独裁的な知事が当選したとしても、○○県とその隣の××県が、知事の一存で戦争を始めることなどありえない時代に生きている、ということなのです。

 

このように歴史を大局的に見ることから得られるエネルギーが大きいことは理解して頂けると思いますが、私たちが何もしなくてもこの流れが続くほど現実は甘くありません。そこがエネルギーの使いどころなのですが、歴史を見直すことから得られる教訓も多様です。次回は、教訓の一つとしての日本の平和主義を考えたいと思います。

 

 

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2016年12月26日 (月)

『さくらの花よ 泣きなさい』

『さくらの花よ 泣きなさい』

 

このブログは「タウンNEWS広島平和 大通り」をお師匠さんとして立ち上げましたので、いろいろ影響を受けています。ということで書き出しも似てしまうのですが、「数学の苦手な国?そして「算数のできない国」に触発されて浮んだ思いを文字にしたいと思います。

 

特に心に響いたのは、「日本に再び桜は咲くのでしょうか」と、三浦サリーの『桜咲く』でした。

それは、荒木とよひさ作詞・三木たかし作曲の2008年の歌『さくらの花よ 泣きなさい』 (歌は保科有里、三木たかし、黛ジュン版があります)を思い出したからです。

              

               

 

この歌は、喉頭がんで手術を受ける前、つまりやがては声を失うことになる前に三木たかしが自ら歌ってレコーディングした「最後の曲」として知られています。恐らくその時点で死を覚悟していた三木に寄り添う気持を盟友の荒木とよひさが言葉にしたのだとしか読めない美しい切ない歌詞です。

 

でも、桜は日本という国の象徴でもあります。桜の花は市民一人一人ということになるはずです。国だから国民と言っても良いのですが、この言葉はあまり使いたくありませんのであえて市民と言い換えます。その視点から、三木・荒木という素晴らしい作詞家と作曲家の友情とは全く別の文脈で、しかも歌詞の一部を変えると、理想の国を探し求めながら、自分の国の情けなさに涙する歌に聞こえてしまったのですが、これは深読みが過ぎているでしょうか。もう一つ付け加えるとすれば、『さくらの花よ 泣きなさい』を最初に耳で聞いた時の印象としてはそう感じたという、まったく主観的な思いがあります。

 

実は、そう思ったのは、次の一節が原因です。

 

「心から嘘をつき また人を傷つけて

生きることの 恥ずかしさ」

 

本来の歌詩の中では、死を目の前にした自分が人生を振り返って懺悔の気持を表す言葉です。でも、ずっと昨今の政治を考えながら、その原因を探し上手く伝えるにはどうしたら良いのかを考え続けているために、現在の為政者に欠けているのが、このように自らを振り返り謙虚に自分たちの言動を省察しそれがどのような結果を招いているのかを市民の立場から客観視することなのではないか、と閃いてしまったのだと思います。

 

これほど素晴らしい楽曲を政治批判の言葉として自己流に解釈してしまうことが、詩と音楽に対する冒涜にならないことを祈っていますが、敢えて弁明すれば、『さくらの花よ 泣きなさい』を最初に耳で聞いた時に私の心に響いたのは、一人一人の人間の生と死の大切さだったのです。大きな権力を持つ人々にもこの歌の持つ真実を常に感じながらその権力を行使して欲しいと思ってしまったのです。

 

歌詞の中には繰り返し「泣きなさい」という言葉が出てきます。政治に絶望して泣きたいほどだという表現は使われますが、それを代弁してくれているようにも読めました。勿論、泣いてばかりいても政治は変わりません。どうすれば良いのでしょうか。

 

 

そろそろ大晦日も近付き紅白歌合戦も頭の隅にあったからなのかもしれませんが、武田鉄矢の『贈る言葉』も思い出しました。「悲しみこらえて ほほえむよりも 涙枯れるまで 泣くほうがいい」のかもしれません。絶望して泣き、怒りながら、しかし同時に、したたかにエネルギーを蓄えることも必要です。本当はそれを書きたかったのですが、いつもの癖で前説が長くなってしまいました。次回に続きます。

 

 

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2016年12月25日 (日)

良質な労働力を永続的に確保するために―短時間勤務制社員制度を導入―

良質な労働力を永続的に確保するために―短時間勤務制社員制度を導入―

広島電鉄においては、2016年末の労働協約改定交渉において、「短時間勤務正社員制度」について労使合意しました。一部のマスコミでも先進的な事例として報道され注目を集めようとしています。

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今日は、その当事者の一方である労働組合の私鉄中国広電支部委員長佐古正明さんに「導入の背景や内容」について報告していただきました。佐古さんは、広島県原水禁の代表委員でもあります。

1.乗務員不足の中で

 

交通運輸産業は当然ながら年中無休の労働集約型産業です。勤務は早朝から深夜に及ぶ不規則勤務で労働時間も拘束時間が長く、12時間以上拘束される勤務も多くあります。その割に賃金水準は全産業の中でも低位に位置していることから、採用募集しても応募者が募集数にも達しないなど、若い人からは特に敬遠される職業となっています。全国的にも各社とも要員の確保には苦労しており、乗務員不足のため正常な運行を確保するのが困難な会社も出てくるなど深刻な実態があります。

 

労働力確保のためには労働条件全般の見直しも必要ですが、規制緩和以降企業間競争が熾烈を極め、また少子高齢化や景気の低迷などによって利用者が減少し、収益が落ち込む状態では条件の向上は遅々として進まないのも実態です。

 

そのような状況ですから労働力確保のためには男性が主力の現状から門戸を広げ、女性も働きやすい環境の整備をする必要に迫られていることになります。

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広島電鉄の労使は2010年から「多様な働き方」の議論を始めて今回の労使合意に至りました。労使の思惑はそれぞれ違う部分があります。会社は女性の採用を促進することで乗務員の確保をしたいという思いがありますし、組合側は既存の正社員の働き方の選択肢を広げたいという思いで、今回は双方の思惑が合致した結果といえます。

 

 

2.短時間でも正社員で働ける制度

 

「短時間勤務正社員制度」とは、育児や介護などを並行しながら短時間の勤務を選択できる新たな制度として発足します。新たに雇用される社員も、またすでに雇用されている社員もそうした家庭の事情や体力によって選択が可能となりますし、事情が消滅すれば正規の勤務体系に復帰することも可能です。賃金は勤務した時間分しか支給されませんが、育児や介護のために退職を余儀なくされることはなくなります。

 

2009年に在籍していた非正規社員を全員正社員化し、その後も採用は正規社員としています。しかし、せっかく採用して教育訓練を行って養成しても、育児や介護、また病休明けに体力の低下を理由に退職をするといった事例が相次いだため、働き方の柔軟化を求めて会社と交渉を重ねてきました。

 

 

3.制度の運用には組合員の相互理解が必要

 

しかし、現実に導入するとなると様々な問題が想定されます。電車やバスの乗務員は一か月単位の勤務で、循環表というシフトで勤務します。短時間しか乗務できないとなれば、専用のシフトを作成しますが、運行を確保するためには、短縮した分を誰かが補わなければならないのです。それは他の組合員の時間外労働への協力や公休出勤で補うしか方法はありませんから、それだけ他の組合員の負担になる部分が当然発生します。また、早朝や深夜の勤務を補う頻度が高くなることも想定されますから、割に合わないと感じる組合員も出てくると思います。しかし、これからの超高齢化社会を考えるときには、けっして他人事で片づけられる問題でもないと思います。困っている組合員をみんなで助け合うという職場の風土を作りながら制度の定着を図らなければならないと思います。

 

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また、今回の制度の合意とあわせて、シニア運転士制度を改定しました。現状65歳定年ですが、健康に問題がない働く意思のある者は70才まで働き続けられるという制度です。この制度も短時間勤務制度の運用を補完する制度としてスタートします。そこまで働いても大丈夫かと周囲からは心配されるかもしれませんが、広電は年に二回の健康診断と二年に一度のサイクルで人間ドックの受診を義務付けています。経費はすべて会社負担で、脳ドックと心疾患などのチェックを行い、運行の安全を担保させています。

 

 

以上、広島電鉄で労使合意した「短時間勤務正社員制度」の導入の背景と内容について報告します。

 

 

 

私鉄中国広電支部委員長 佐古正明

 

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2016年12月24日 (土)

『数学で未来を予測する』     野崎昭弘先生の力作を楽しむ


『数学で未来を予測する』

野崎昭弘先生の力作を楽しむ

 

ジョージ・オーウェルの『1984年』の中心的なテーマの一つは言葉です。「ニュースピーク」では、語彙を減らし言葉の意味を変え、市民が頭を使わないよう、その結果、「ビッグ・ブラザー」の言う通りに、そしてその意図を忠実に報道するマスコミの思う通りに従順に、羊のように行動するシナリオが描かれていました。

 

日本の、そして世界の現状と重なることが大変心配なのですが、それに対抗する手段を私たちは持っています。一つは言葉を大切にすることです。「広島ブログ」に参加しているブロガーの皆さんが、言葉にこだわり丁寧に発信を続けていらっしゃることが、民主主義を維持し守る上での基本なのだと、皆さんのサイトを覗かせて頂く度に痛感しています。

 

言葉を大切にする第一歩は、言葉の意味をきちんと知り、正確に使うことだと思います。それは、言葉の違いに注目することです。例えば、「手前」と「貴様」「君」「あなた」をごっちゃに使ってしまっては人間関係のぶち壊しになってしまいます。

 

「分別」のある人が評価されるのは、こうした差異を大切にするからなのではないでしょうか。そして、物事を「分ける」そして「違い」を大切にすることから生まれた成果の一つが「数学」という学問です。「一円」と「100円」を同じだと扱っては商売は成り立ちません。その違いを抽象化して、論理的に堅固な構造に創り上げたものの一つが数学なのです。

              

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 原爆製造というとんでもないことをもたらした物理学、人の生命を救える手段を提供してきた医学や生物学も、そもそもその基礎に数学があって初めてこのような力を発揮できます。このように間接的な関わりによって数学は大きな力を持っていますが、その力はもっと直接に私たちと関わっています。

 

ここからちょっと誇大宣伝になりますが、その一つが未来を予測する力です。例えば、算数の時間に次のような問題を解いたことはありませんか。

 

太郎君の家から直線で5キロのところに学校があります。太郎君が朝8時に家を出て、一分間50メートルの速さで学校に向かうと、830分の始業時間に遅刻しないで学校に着いているでしょうか。その時刻に太郎君は、家からどのくらいの距離のところにいるのかも答えなさい。

 

問題としてはあまり良い出来ではありませんが、この問題では、太郎君の行動の未来を予測することが求められています。そして、その問には答えが出るのです。それが数学の持つ未来予測能力です。その数学の力を使って、複雑化する金融市場で大金を得た成功者の話は皆さん御存じだと思います。10億円の宝くじが宣伝されている昨今、数学の力で当り籤を買えないものかと考えてしまうのも人間の性かもしれません。

 

それは無理な話なのですが、数学で予測できることできないことを分り易く整理して説明してくれているのが野崎昭弘先生の『数学で未来を予測する』(PHPサイエンス・ワールド新書)です。

  

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この本で扱っている「予測」には次のようなものがあります。

 

 日本は今後も、高い技術力を維持できるだろうか?

 わが社は経済危機を乗り切れるだろうか?

 わが家は家庭崩壊せずに、子どもたちを育てられるだろうか?

 私の年金は、将来どうなるだろうか?

 明日の天気は晴れ? ?

 台風は何時頃接近するのだろうか、今日は電車で帰れるだろうか?

 地球が平穏に回り続け、明日また太陽が、東から昇ってくれるだろうか?

 

この全てを整理・分類して、その中で数学が威力を発揮するものについて詳しく分り易い説明があるのですが、野崎先生の著書の特徴の一つはユーモア精神に溢れていることですので、難しい説明も楽しめるのが魅力です。そして本質的な指摘も貴重です。

 

例えば⑦ですが、これはほぼ確実に明日も起ることですので、誰の予測も同じになるはずです。そして仮にその予測が外れたとしても、私たちにはなす術がありません。せめてアルキメデスのように、太陽まで届く棒があれば、梃の原理で少しは違う結果にすることは可能かもしれませんが、でも、そんな棒でも太陽の近くでは燃えてしまうでしょうから意味はなくなってしまいます。

 

しかし、世の中には、私たちの生活にかなりの影響がありながら、「嘘」と言っても良いような「予測」が罷り通っており、それを信じている人もたくさんいます。本書を読むことでそんな被害から身を守れれば、という老婆心から本書をお勧めしています。

 

ただし、今すぐアマゾンから注文するのは待って下さい。本屋さんで中身を見て、読めそうかどうかを確認して下さい。内容には結構数学的な部分もありますので、買ったのは良いけれど「ツンドク」になってしまっては勿体ないですから。

 

一つの可能性として、何人かの方と一緒にこの本を「読む会」を作って、定期的に集いお互いの勉強の成果を共有するというのはどうでしょうか。私も数学を勉強しましたので、それなりのお手伝いはできそうです。

 

またまた「宿題」になってしまいましたが、年末年始に未来に思いを馳せるのは日本文化の伝統です。未来のための勉強も良いかも知れません。

 

 

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2016年12月23日 (金)

『1984年』を読もう


1984年』を読もう

 

[問題]  最初に問題です。「数」という言葉も「数学」という単語も使わずに、「数学は難しい」あるいは「数学は難しいか」というタイトルで、400字以内で説明して下さい。時間の制限はありませんが、仮に10分としておきましょう。

 

さて、この問題、難しかったでしょう。でも、何とか解答できた方がいらっしゃれば、「コメント」として結果をお送り下さい。先着5名の方に「お歳暮」代りの粗品を差し上げます。難しかった理由の一つ、いや恐らく最大のものは、対象としている物の名称が使えないからです。もう少し一般化すると、名前の無い物や事柄について批判したり褒めたり、そもそも話題にすることさえ不可能に近いということです。

            

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 最近とみに悪くなっている政治には怒りを感じていますが、それに対する批判があまりパッとしない理由の一つはこの辺にあるのではないでしょうか。韓国ほどではなくても、もっとメリハリのある批判が増えて、しっかりとした世論が政治に影響力を持って欲しいと願うのは私だけではないと思います。そのためには、政治の「現状」を的確に示す言葉が必要ですし、それを改善するためには何が必要なのか、目標とする姿はどのようなものなのかを記述する言葉も必要です。

 

最近の「ヒット」は「息を吐くように嘘をつく」でしょうか。129日には「タウンNEWS ヒロシマ平和大通り」でも大きく取り上げられていましたし、「気まぐれ辛口」さんも取り上げていたトピックです。にもかかわらず、そして、その嘘の中身も、酷いものなのですが、ことによると余りにも「堂々と」し過ぎている「嘘」であるために、私たちが「嘘だ」と断定してもその重みが伝わらないような社会になってしまっているようにさえ思います。

 

工場長さんの指摘している「自民党はTPPに反対」と辛口さんが取り上げている「ええっ~  これが不時着?や「私の記憶には定かではない」もあります。他にもまだまだ沢山あります。例えば、心太でも作るように右から左へと「強行採決」をし続けている自民党の阿部総裁が「1955年の結党以来、強行採決をしようとしたことはない」と国権の最高機関である国会で発言したり、カジノを総合型リゾート、海外派兵は国際平和支援だったりと限りがありません。これほど酷い嘘や誤魔化しに対して、世間一般で何故もっと厳しい批判が生まれないのでしょうか。

 

一つの可能性は、かつての「大本営発表」を唯々諾々と受け入れていた私たちの親や祖父母世代のDNAの一部がどこかに残っていて、それが芽を出しているということかもしれません。「撤退」を「転進」と呼び、「全滅」は「玉砕」と美化する報道、戦績の水増し等、官僚体制の体質なのか、軍隊の宿命なのか、政治の本質と関わりがあるのか、その全てなのかも考えなくてはなりませんが、かつての過ちを正視した上で「過ちを繰り返さない」決意とそのための具体策が大事なのだと思います。

 

「正視」する上で役立つのが、こうした状況を一つのストーリーとして理解することです。歴史も壮大なストーリーだなのですが、その全てが有機的に関連していますので、全貌を一掴みに理解することは難しい場合もあります。それに対して小説の場合は、読む楽しさとともに、コンパクトにまとめられた内容は、より大きな社会の全体像の特別な一面を切り取って、真実のポイントを分り易く描き出してくれます。

 

そこで、現在の政治状況を理解するために、年末から年始にかけて皆さんにお勧めするのがジョージ・オーウェルの『1984年』です。

 

1984

 

1948年に書かれたこの小説では、1950年に起きた核戦争により、世界は3分割され、物語はその内の一つ、オセアニアの都市ロンドンを中心に繰り広げられます。「ビッグ・ブラザー」と呼ばれる独裁者の下、「党」による一党支配が行われている国です。

 

その党のモットーは三つのスローガンが表しています。

 

 戦争は平和である (WAR IS PEACE)

 自由は屈従である (FREEDOM IS SLAVERY)

 無知は力である (IGNORANCE IS STRENGTH)

 

(つまり、平和というのは戦争をしていることだ。自由とは奴隷になることだ。そして無知であることが力を持つことなのだ、という意味です。知らず考えず疑問も持たず、言われた通りに権力に隷属し戦争も拒否しないでいれば、それが幸せなのですよ、ということでしょう。)

 

オセアニアは4つの官庁が国全体を統治しています。戦争継続を担当する平和省、欠乏状態にある食料の配給等を担当する豊富省、歴史の改竄や情報の管理を行い、新聞等のメディアも管理して常に党の方針が正しいと思わせるような環境を作る真理省、そして個人の思想統制、監視や逮捕、拷問による思想の矯正を行い、反党行為をした人間を党の方針を信じるまで洗脳した後、処刑する任務も持つ愛情省です。

 

また言語は「ニュースピーク」と呼ばれる新しい言語に作り直され、語彙を減らすことと言語構造を簡略化することが主目的になっています。

 

物語は、39歳の真理省の役人、ウィンストン・スミスが「憎悪週間」中に出会った26歳の同僚のジュリアと恋におちる。違法とされる逢瀬を続け、その後、禁書とされる文書を手にして、二人ともかねてから疑問に思っていたオセアニアの裏側も知ることになる。しかし、密告によって二人は捕えられ、拷問により「心から」党の方針を信じるようになり、処刑される日を待つ。

 

これだけではあまりにも悲惨なのですが、小説の後に「追記」があります。その後オセアニアの辿った歴史を未来から見ての記述ですが、こうした独裁制度が終焉を告げたことが分ります。それはどのように達成されたのかは、私たちに与えられた宿題です。

 

さて、この小説を読むことで好いことが少なくとも四つあります。

 

 小説として、20世紀のベスト100に入るくらいの評価を受けている作品ですので、楽しめます。

 二つ目に、今の日本の状況をどう表現したら良いのかの具体例がたくさん盛り込まれていますので、それを使って自分の思いを言語化できます。そんじょそこらのコメンテーターや評論家には到底真似のできない発言ができるようになること請け合いです。

 小説ですので、状況が単純化されています。その枠組みの中で、このような政治を変えるためのヒントを得ることが可能です。

 そして、この小説を他の人に勧め、また政治・社会状況についての自らの感想も添えることで、効果的に世論を広げることができます。

 

2017年、政治をそして社会を変えるために、『1984年』から始めましょう。まず自分の意識改革ができれば、目標は目の前だ、と言っても過言ではありません。

 

[お読みになった感想を、「コメント」としてお寄せ下さい。締め切りは115日ですが、こちらも先着5名の方にささやかな「お年玉」を差し上げます。]

 

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[数学は難しいか]

教科ということで言うと、覚えることが最も少ない科目です。つまり、これは考えることが最も多い科目であるということです。それが、苦手な人にとっては難しいと思える理由であり、得意な人にとっては面白いと思える理由ではないでしょうか。

記憶力より思考力が必要とされるため、圧倒的に記憶力が重視される受験勉強が人生を左右されるような社会では苦手な人が多いのかも知れません。

受験を最大の目的とする学習では教えられた通りに覚えることが一番であり、考える力は二の次になるように思います。かつて秋葉市長のもとで創設された広島型教育の新しい教科のようなものが全国的にも必要なのだと思います。

また、理解を確実に積み上げていかないと先に進めないことも難しいと感じる原因かも知れません。前の段階で理解が不十分なまま次の段階に行くと「さっぱり分からない」ということになり、各段階での理解不足、習熟不足が後で致命的になります。

「工場長」様

「数学は難しいか」について、早速の御投稿有り難う御座います。「数」や「数学」という言葉を使わずに、という条件を付けましたが、にもかかわらず分り易い論考で「難しかったでしょう」と上から目線で決め付けてしまったこと、反省しています。しかも長さは396字、大学入試の小論文だとしたら間違いなく、ダントツの「合格」です。

お歳暮代りの粗品は近い内にお届けします。

改めて、有難う御座いました。

「数学は難しいか」

それは形や順序や継続性を推理するからだと思います。
推理小説には最後に解答がありますが、自分の推理は自分で証明しなければいけないのです。
ピタゴラスの定理はトイレのタイルを見て発見されたと聞いたことがありますが、自分でもトイレのタイルでやってみると、ピタゴラスの定理を見つけることができます。でも見つけたとしてもそれが真実であると証明するのは簡単ではないのです。正しいということはできても、否定できない証明は難しいのです。

権力者やマスコミは、かっては賄賂を「裏献金」と言い、今は、差別・脅迫・窃盗・強奪を「いじめ」としています。
批判されにくい言葉を使うことで、意味でなく表現で嘘がつきやすくなっているように思います。

「やんじ」様

「数学は難しいか」について、早速の御投稿有り難う御座います。ピタゴラスの定理の発見秘話からの論考と政治を関係付ける視点は深みがありますね。考えさせられました。

お歳暮代りの粗品は近い内にお届けしたいと思いますので、送り先を「コメント」としてお知らせ頂けますか。公表はしませんので。

改めて、有難う御座いました。

2016年12月22日 (木)

無い物ねだり     コンピュータの出番なのですが


無い物ねだり

コンピュータの出番なのですが

 

「ではの神」という言葉があります。海外で生活したことのある人が、何かというと「あちらでは、あちらでは」と「では」を強調してしまうことを揶揄する言葉ですが、今回も「ではの神」のお出ましです。

 

健康維持のため、その中には歯も入るのですが、定期的に医師の検診を受けることは常識だと言って良いと思います。特に歯の場合には、歯垢がたまってしまうため定期的にクリーニングが必要だと聞かされて、半年おきに歯科医に行くことはいわば生活習慣になっていました。でもそれは、半年経つと自動的に体が動くといったメカニズムができたからではありません。

 

さてここで、「ではの神」の登場です。昔のアメリカでは、定期的な検診が必要になる一二週間前に、歯医者さんからハガキが送られてきました。メールやインターネットの前の時代ですので、ハガキなのですが、電話の場合もありました。受け取ってすぐにアポを取り検診に出かけるという段取りで、定期検診についてはあまり神経を使わなくてもきちんと受けることができていたのです。

           

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さて、問題は日本に戻ってからです。最初は自分で歯科医を探して歯のクリーリングに出かました。ふと気が付いてカレンダーを見ると、すでに前のクリーニングから一年が経っていたことなどが良くありました。それでも「次の歯医者さんは知らせてくれるだろう」と思い続けていました。結局、「日本の歯医者さんは、定期検診の通知はしてくれない」という結論に達したのは、帰国後数年経ってからでした。同時に、「掛かり付け医」と行ったら良いであろう歯医者さんに巡り合うのには何年も掛かりました。

 

歯科の場合は定期的なクリーニングという形で考えることができますので、歯科医を取り上げましたが、身体全体の場合は人間ドック等を受けることが職場で決められていたりしますので、医師の側から「お知らせ」を出さなくても良いのかもしれません。でも国民健康保険の場合にはやはり自分で管理すべきことなのでしょうから、医師や病院などから定期的に通知を貰うことには意味があるような気がしています。

 

しかも、今はコンピュータ・インターネットの時代です。一度来院した患者さん宛に、定期的な健康診断やクリーニングのサイクルが回ってきましたよ、と通知することはできないものなのでしょうか。

 

全員は無理だとしても、登録制度にして希望者だけに、それも医師会等の仕事という形にして、6か月毎、アポを取るべき日の2週間前にメールを出すシステムなど簡単にできそうに思うのですが、法的規制などがあるのでしょうか。

 

自分で問題提起をしておいて、その反論も一緒に載せるのは気が引けるのですが、患者が診察を受けたときに、次の受診の時期をどう患者に知らせれば忘れないで、次回も来院するのかという調査が行われています。いくつかの選択肢の中で、効果的だったのは、その場で次の診察日を書いたカードを渡すことだったそうです。しかも患者本人がそのカードに日にちを記入するのが最も効果的なやり方だったとのことです。これは、定期検診とは違った状況なのですが、この方式を採用している病院は広大病院をはじめいくつもあります。

 

とは言え、患者の次の診察日も病院のコンピュータには入っているのですから、自動的に「リマインダー」をメールで送ってくれても良いようにも思います。「甘えるな」という声が聞こえますが、だから「無い物ねだり」なのです。

 

当分、ボケ防止のためにも、グーグル・カレンダーに入力し忘れないよう、自分宛の「リマインダー」を作っておきたいと思っています。

 

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私の掛かり付け歯科医は、希望に応じて次の検診予約を決めて診察券に記入してもらうことも可能ですし、定期検診のハガキを出すか、最近ではメールでもお願いできます。

あと幸か不幸か(いや不幸に決まっていますが)内科、呼吸器科、眼科などは日常的に入り浸っていますので、当該疾患とは関係のないことでも「年齢や状況から考えると、この検査をしておいた方が良い時期です」というアドバイスは口頭でもらっています。

ちなみに来年からは、健康診断や予防接種、スイッチOTCなども医療費控除の対象となりますので、今まで医療費控除に縁のなかった人も、気に留めておく=領収書をとっておく方が良さそうです。

「工場長」様

いつものことながら貴重な情報とアドバイス、有り難う御座います。信頼できる医師、歯科医師、薬剤師などの専門家が近くにいてくれることほど心強いことはありませんね。

来年からの医療費控除の変更についても有り難う御座います。領収書は取っておきます。

2016年12月21日 (水)

『ある家族』 12年前の『文芸ひろしま』掲載作品です


『ある家族』

12年前の『文芸ひろしま』掲載作品です

 

DVD『風よ吹け!未来はここに!!』の上映会と講演会で、中島環君の御家族のお話を伺いながら、12年前、たまたま目にしたエッセイが縁で胸に刻まれることになったもう一つの家族の記憶が蘇りました。広島平和文化センターが公募し、その中から選ばれた作品が掲載される文芸誌『文芸ひろしま』のノンフィクション部門で2位になった作品です。実はその当時、「春風夏雨」と名付けたメルマガで紹介したのですが、再度皆さんに御披露させて頂きます。佐々木家の皆さんがお元気でいらっしゃることを祈りつつ――。

 

           

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メルマガ「春風夏雨」原稿――第23

 

200442

秋葉忠利

 

 

『ある家族』

 

「春風夏雨」も23回目になりました。書き始めてからほぼ一年経った訳ですが、ひろしま市政のあり方や今後の方針等について理解する上で少しはお役に立ったでしょうか。今後とも、役に立つだけではなく、分り易く楽しいコラムを目指したいと思います。

 

さて全くの偶然なのですが、『文芸ひろしま』も今年3月に、堂々第23号を発行しました。財団法人広島市文化財団が、詩・短歌・俳句・川柳・小説・随筆・ノンフィクション・シナリオ・児童文学の9部門の作品を市民から公募し、入選作を一年に一度発表する場として発行し続けてきた文芸誌です。(次回からは二年に一度の発行)

 

毎年、感動的な作品に出会えることを楽しみにしてきましたが、今年も皆さんに是非読んで頂きたい作品がいくつもありました。全部紹介できると良いのですが、スペースがありませんし、それよりは『文芸ひろしま』そのものを手に取って頂きたいと思いますので、ノンフィクション部門で二席になった『ある家族』一つに絞って紹介したいと思います。

 

作者は佐々木志穂美さん。その内容は、選者の言葉を借りると「障害児三人を抱えた、肝っ玉ママと呼べばいいのか、もっぱら明るい」お母さんの「ほんのささやかな独り言」(この部分は佐々木さんの言葉)です。

 

私がこの作品を皆さんに勧める第一の理由は、文章内容共に新たな発見があり、読み始めたら最後まで止められないほどの引力があるからです。言文一致という言葉がありますが、話し言葉がそのまま文章になっているだけではなく、言葉にはならないけれども作者の頭の中に浮かんでくるイメージや思いがそのまま文章になっている面白さが、私には魅力的でした。その文章が右に行ったり左に行ったりしながらの臨場感溢れる記録なのですが、長男の洋平君が生まれてから14年間の佐々木家、特にお母さんの思いや成長振り、佐々木家の周囲の人々とのやり取りが、鮮やかに描かれています。

 

第二番目の理由は、その14年間を描くに当って、事実をもって語らしめている点です。例えば、「水分やどろどろにつぶした食事をひとさじずつ口に運ぶ作業に、長い日で一日八時間だっこしていた。知識もなく、どう育てたらいいのかわからなかったのだ。」という箇所があります。愚痴でも恨みやつらみではありません。淡々と事実があるのみなのですが、その一秒一秒の意味を考えずにはいられない一節です。

 

また、自分自身の心の動きを表現する際にも、語り手である作者はその対象になる自分自身を客観的に捉え、いわば第三者として突き放した上で、事実としての心の動きを追っています。演歌に象徴される自己憐憫の世界にはならないのです。とは言え、作者の視点は一行毎と言って良いほど変わります。いや、一つの言葉が二つの視点からの意味を伝えている箇所さえあるのです。しかし、どちらの場合でも、作者つまり観察者としての立場と観察される対象としての立場が上手く溶け合い、私には佐々木家のエネルギー源の一つになっているように思えました。少し大袈裟に表現すれば、人間の持つ可能性を信じられる箇所でもあるのですが、別の読み方も当然あるはずです。

 

第三の理由は、素直さです。外国の実話を元にしたテレビドラマの中で、ダウン症児の母が語ったという言葉を佐々木さんは引用しています。

 

「卒業旅行で、自分の乗った飛行機だけオランダに着いてしまった。みんなは、今、イタリアで何をしているだろう、そればかり考えて、今、自分の目の前にひろがっているチューリップ畑や風車のすばらしい風景を私は見てなかった。」

 

「そのとおりだと思った。――中略-―だけど、今思えば、当時はとてもそうはできてなかった。」と佐々木さんは書いています。しかし、現実を受け入れ、喜怒哀楽の全てを素直に受け止めひたむきに生きる素質が、元々、佐々木さんにはあったのか、あるいは14年という時間を経て身に付いたのか、恐らくその両方だと私は思いますが、『ある家族』を書いている佐々木さんはとても素直です。『ある家族』の清々しさは、ここに由来しています。

 

欲張っているかも知れませんが、次も期待しています。例えば、夫のヒロシさんならこの家族をどう描くのか、違った視点からの『ある家族』を読めたら素晴らしいと思っています。

 

以上、個人としての感想ですが、保育所や学校等の役割や、そこで働く職員、そして保護者等との関係、連携等についても改めて考えさせられました。『ある家族』だけでなく『文芸ひろしま』からも幾つかのヒントを得ることができました。この点については次回までにまとめて見たいと思います。

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 『文芸ひろしま』では、今も作品の公募を続けています。詳細は、こちらのサイトを御覧下さい。

 

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2016年12月18日 (日)

DVD『風よ吹け!未来はここに!!』上映会・講演会報告


DVD『風よ吹け!未来はここに!!』上映会・講演会報告

 

1217()午後1時から4時まで広島県情報プラザで開かれた、DVD『風よ吹け!未来はここに!!』の上映会と講演会の報告です。できるだけ多くの方に参加して頂きたいという思いから昨日、「お知らせ」をアップしたのですが、150人入れる会場は一杯で、主催者の皆さんが急遽、追加の椅子を並べなくてはならないほどでした。

                

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 3時間という長丁場でしたが、会場は熱気に溢れて、あっと言う間に終りの時間を迎えていました。一時間ずつの3部構成でしたが、最初は、今年完成したDVDの上映です。人工呼吸器とともに生きている6人の子ども・若者の日常生活の紹介、そして彼ら/彼女らの家族や保育園・学校の先生や同級生等、彼ら/彼女らとともに生き活動している方々の姿が「感動的」に「楽しく」描かれていることに感動しました。

 

出演者は6人ですが、会場でいただいたパンフレットを元に出演順に紹介したいと思います。

 

l 中島環君(4)――中枢性低換気症候群により、生後1か月から人工呼吸器を使用し3歳から広島市の吉島保育園に通っている。

l 巽康祐君(11)――ダンディウォーカー症候群により1歳から人工呼吸器を使用、現在は箕面市立豊川北小学校に通っている。

l 諾浦綾乃さん(11)――出産時の低酸素脳症により、出生直後から人工呼吸器を使用、滋賀県内の支援学校に通う小学生。スクーリングの回数を増やし自分の世界を拡大中。(なお、「諾浦」は「なぎうら」と読みます。)

l 平本歩さん(30)――ミトコンドリア筋症により生後6か月から人工呼吸器を使用。現在一人暮らしをしながら、ピアカウンセラーになるべく勉強中。バクバクの会・編集長。

l 岸本彩さん(28)――福山型筋ジストロフィーにより15歳から人工呼吸器を使用。現在、一人暮しを満喫しながら医療的ケア連絡協議会・代表。

l 折田涼さん(27)――脊髄性筋萎縮症I型により生後6か月から人工呼吸器を使用。現在一人暮しをしながら、医療的ケアの普及活動に取り組んでいる。NPO法人ポムハウス・代表理事。

 

60分のDVDの内容を文字でお伝えするのは無理ですので、YouTubeのダイジェスト版をまず御覧下さい。

 

第二部は二つの講演でした。最初は「地域で生きる教育とくらしをめざす会」代表の高松豊さんでした。1975年生まれの高松さんは先天性緑内障で生まれつき全盲。中学2年まで支援学級に通うが、中3で普通学校に通学。中四国地方初の点字受験で広島県立可部高校に合格。卒業後は支援学校の専門部であんま・マッサージ師の技術を習得し国家資格を取得。現在は病院に勤務しています。今年4月に結婚。

 

ユーモアあふれる前向きの講演で、機会があれば是非一度高松さんの話を聞いてみることをお勧めします。特に印象的だった言葉を三つ、そしてエピソードを一つ挙げておきたいのですが、一つは「障害は個性」だということ。ほかの個性について考えても同じ結論になるのですが、個性は制約であるのと同時に大きな機会でもあることを認識して、それをどう生かすのかが大切だという考え方です。

 

二つ目は「自立」の意味。すべてのことを自分でする、あるいはできるようになることを普通は自立と考え、高松さんもそう考えていたそうなのですが、ある時その考え方を変えた経緯をエピソードとともに話してくれました。結論だけ書くと、誰でも完全には自立できない。どこかで誰かに頼らなくてはならないことがある。そんなときに、躊躇せず自由に友だちなり周りの人に「これを頼む」と言える人間関係を作っておくことが、本当の意味での「自立」なのではないか。

 

三つめは、「ともに学ぶ」ことの大切さです。多様性を「知る」だけではなく、ともに生活し学ぶことでその意味を「体得」できる、そしてそれが誰にとっても生きる上で大きなエネルギーになるのですが、特に子どもにとって、「学ぶ」ことと「生きる」こととの重複が大きいことから、「学ぶ」を強調することが大切だという点を改めて学びました。

 

最後に、結婚して奥さんからの指摘で分かったこと。結婚前は、視覚障害のあるお母さんとの二人暮しだったので不便は感じなかったことなのだそうですが、家の中の電球があちこち切れたままになっていたこと。

 

講演の二つ目は、「たま君ファミリーのお話」でした。DVDの最初に出てくる中島環君のお父さん、お母さんそしてお兄さんの4人家族の生活について、心配だったこと、困難なことや苦労したことなどを中心に、訪問看護師の富永説子さんと一緒に語ってくれました。

 

生後すぐに、大腸が機能していない病気のあることが分り大腸摘出の大手術をしなくてはならないと医師から聞かされて失神してしまったこと。その後、今度は中枢性低換気症候群のために気管の切開手術の必要のあることも分り、その手術をすると声を失う可能性の高いことも知らされ、絶望的な思いをしたことも話してくれました。

 

保育園に通っているお兄ちゃんやその友だちと公園で楽しそうに遊んでいる環君を見て、御両親は環君も保育園に通わせたいと決意、人工呼吸器を携えての入園は例がないため、様々な困難さがあり、保育園の皆さんの努力とも相俟って、通園できるようになったこと、そして今では社会性も身に付き、一度は諦めていた声も出せるだけではなく、活発にお喋りできるようになったことなど、御両親の言葉も声音も抑制の利いていたこととも合わせて、感動的なお話でした。拙い筆では伝わらないと思いますので、中島夫妻のお話も、聞く機会があれば、是非一度お聞きになることをお勧めします。

 

3部は会場から6人の方の発言がありました。とてもユニークかつ勉強にりましたが、スペースの関係で割愛します。

 

学ぶことの大切さを再確認した会でしたが、まず「知ること」から始めるという姿勢が必要です。それを可能にしてくれた皆さん、今回の上映会・講演会のような「知らせる」努力を続けてこられた皆さんに、深く感謝しています。

  

 

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2016年12月17日 (土)

風よ吹け!未来はここに!!     DVD上映会と講演会のお知らせ


風よ吹け!未来はここに!!

DVD上映会と講演会のお知らせ

 

今日、1217日の土曜日、午後1時から4時まで、広島県情報プラザ2階にある第12研修室で、DVD『風よ吹け!未来はここに!!』の上映会と高松豊さんの講演会が開かれます。講演の第二部は『たま君ファミリーのお話』です。

 

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 主催は「バクバクの会~人工呼吸器とともに生きる~」です。DVDは人工呼吸器を携えて毎日を楽しんでいる子どもたち何人かの姿を感動的に伝えてくれています。もちろん、そのためには多くの人たちの理解や協力が必要ですが、このDVDを通して「バクバクっ子の日常生活」に触れることで私たちの世界も広がります。キーワードは「家族」「友だち」「学校」「自立」ですが、人工呼吸器は全ての人間の生き方に意味のあることを改めて考える縁になります。その結果、「インクルーシブな社会」が目の前に見えてきます。そして、それが明日へのエネルギーになります。

 

参加費は無料ですが、会場は150人は入れるものの、事前の申し込みをした人が優先されます。今日の会を今日お知らせしていますので、申し込みはe-mail で、bakuhiro1217@yahoo.co.jp までお願いします。

 

Facebook にもアップされていますが、もう一度、上映会の概要を整理しておきます。

 

 

DVD『風よ吹け!未来はここに!!』の上映会と講演会

日時  20161217() 13:00~~16:00

場所  広島県情報プラザ2階 第12研修室

 730-0052  広島市中区千田町3-7-47

                Tel:  082-240-7700

参加費 無料

 

会場でお会いしましょう。

 

 

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2016年12月16日 (金)

学徒動員


学徒動員

 

高校のレスリング仲間がベトナム戦争中に戦死していたことにショックを受けた理由の一つは、小さい頃の記憶にも関係がありそうです。

 

小学校何年の時だったのか良くは覚えていないのですが、6年の時だったような気もします。「天皇陛下」が全国各地を9年近くかけて巡幸されたという記録があるのですが、それが終ってからのことのはずだからです。「陛下」が千葉に「行幸」されるので、「お召列車」の通る線路脇で歓迎の旗を振ることになったと先生から説明があり、駅の近くで旗を振ったのです。学校の行事でしたから何も考えずに言われた通りのことをしたのですが、「偉い人」を遠くからでも眺めた経験は、子どもにとっては話題にしたいことですので、家に帰ってそのことを報告しました。

 

ちょうどその日は叔母が家に来ていました。そしてこっぴどく怒られました。それは、それまでに何度も聞かされていた叔母の悲しみと怒りの爆発でもありました。叔母は昭和16年に当時としては珍しい学生結婚をしていました。相手は早稲田大学の学生でした。しかし、学徒動員で彼は出征しそのまま帰らぬ人になりました。当時の叔母は愛する人を奪った戦争と学徒動員まで行って彼を戦場に送った天皇を憎み恨んでいました。「あんたは何で、お父ちゃんを戦争に駆り出した天皇の歓迎になんて行ったの」という叔母の言葉は癒すことのできない悲しみの表現としてずっと私の中にこだまし続けてきました。

 

叔母の嘆きを何度も聞かされた結果、そしてその頃、近所に住んでいた早稲田の学生Iさんが、ラジオや電気の手解きをしてくれたこともあって、「早稲田」は私にとって特別な存在になりました。大学生になって、母校の校歌は覚えられませんでしたが、「都の西北」は空で歌えました。

                

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 叔父が学徒動員で召集されたのは太平洋戦争中、戦況が不利になり、とにかく多くの兵士を補充する必要に迫られて、例外的な徴兵の仕組みを作ったからなのですが、明治憲法には、納税・教育・兵役が三大義務として掲げられていました。以下、記憶を辿って日本の徴兵制度のお浚いをしておきましょう。

 

「日本男児」は20歳になると「徴兵検査」を受けて、甲乙丙丁戊の五段階に振り分けられました。「甲種合格」の場合は、直ちに現役兵として入隊し兵士としての訓練を受け、乙種や丙種の合格者は特別の動員令によって召集されるまでは兵役に服することはありませんでした。しかし、戦争が始まると乙種や丙種でも「召集令状」によって徴用されることになりました。この「召集令状」は、動員令が発せられた場合、本籍地の役場吏員が直接本人か家族に手渡すことになっていたのですが、赤い紙に印刷されていたことから「赤紙」と呼ばれました。

 

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しかし、こうした身体的な適性によって兵役の義務を課する優先度を決める基準の他に、例外規定があり、ほとんどの学生は26歳まで兵役の義務が延期される制度だったのです。それがだんだん狭められて昭和18(1943)には、文科系の学生も召集されることになったのです。

 

その他にも、家族を扶養しなくてはならない「家長」等より独身者が先に徴用されるといった原則も戦争の激化により次第に狭められて行きました。その結果、戦争の末期、昭和20年には徴用率が90パーセントを超えていたようです。「遺族」の範囲が広がり、戦争の爪痕は今でも残り心の傷は癒されていないのですが、為政者にその痛みは届いているのでしょうか。

 

戦争の犠牲になった若者たちの死を無駄にしないため、ポールの姉マーリーンも私の叔母も、悲しみが癒されることはなくても憎しみや怒りといった気持を乗り越えて、亡くなった弟や夫の分も生きることを大切にしてきました。そして、私たちにもできることとして、戦争を否定すること、それを大前提にして政治を作り直すことを改めて強調しておきたいと思います。私個人の決意としては、そのための長期ビジョンを若い世代の人たちとともに策定することにもう少し力を注げればと思っています。

  

 

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2016年12月15日 (木)

徴兵されたらどうしますか?

徴兵されたらどうしますか?

 

Elmwood Park High School のレスリング・チームの仲間だったポールは、1967年にベトナムで戦死していました。彼の姉マーリーンは私の同級生でしたが、同窓会の幹事を務めてくれたりしていたことから親しくなり、今年、広島を訪問してくれたのですが、その際に初めてポールの早過ぎた死について語ってくれました。

 

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レスリング・チーム――写真の身体の上にサインしてくれたのがポール

 

ベトナム戦争当時アメリカでは選抜的徴兵制度を採用していました。抽選によって徴兵されたりされなかったりが決まるのですが、ベトナム戦争反対運動のシンボルになったのは、徴兵票が送られてきたときにそれを燃やすことでした。その他にも徴兵を避けるためにいろいろな方法がありましたが、ポールのように従軍した青年が多かったことも事実です。ベトナム戦争時に、兵役に服すべき年齢層だった人たちにはどのような選択肢があったのか、整理しておきたいと思います。

 

 志願する―――徴兵の対象になってもならなくても、自分から志願してベトナムに行くことは可能でした。

 徴兵票が送られてきた場合―――

(ア) 指示に従って従軍する。

(イ) 従軍しない。

 モハメッド・アリのように、法律に従わないことを公表する。その結果として罰を受ける。

 ホームレスになったり、カナダやほかの国に逃げることで司直の追及を逃れる。

 徴兵の対象にならないように、事前の工作をする。

(ア) カナダ等外国に移住する。

(イ) 医師の診断を受けて従軍することのできない医学的理由があることを証明してもらう。

(ウ) 行方をくらまして、徴兵票が届かないようにする。

 

1966年、まだベトナム戦争批判がそれほど強くはない時にモハメッド・アリは「私はベトコンに何の恨みもない。罪のない人たちに銃を向ける必要なない」と発言して徴兵を拒否しています。その結果、裁判で有罪に処せられ、チャンピオンの位も剥奪され拳闘もできなくなりました。その後彼の権利は回復され、リングでの活躍もさらに目覚ましいものになりましたが、戦争反対、人種差別反対の勇気ある行動がアメリカ社会を動かす上で大きな力になりました。その功績を称えて、オットー・ハーン平和メダルその他の賞が贈られています。

 

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戦前の日本でも徴兵逃れをするために、徴兵検査の前の日に大量の醤油を飲んで体調を悪化させ、身体的に不適格という判定を貰うこと等が行われていたようですから、徴兵・従軍・戦死という道を辿りたくない人たちが様々な工夫をしていたことは理解できます。

 

しかし、ポールのように (彼は②の()に該当するのだと思います) 従軍した若者たち、その結果、戦死した若者の家族や友人たちの気持として、違法手段によって徴兵逃れをした上、罰も受けない人たちのやり方がフェアではないと思ったとしても、それも理解できるのではないでしょうか。

 

アメリカの国民感情として、このような対立軸がはっきり表れるのが大統領選挙です。今回は候補の一人が女性でしたので、その点は争点とはなりませんでしたし、オバマ大統領もベトナム戦争時は子どもでしたので、争点になりませんでした。しかし、2004年の選挙では、民主党のケリー候補側は、彼が海軍の一員としてベトナム戦争に従軍したことを強調するキャンペーンを展開しました。ブッシュ候補が州兵にはなりましたが、ベトナムには行っていないこととの対比で、「リベラル」「軟弱外交」といった批判をかわすためです。

 

しかし、徴兵票が届いた後の若者の行動にだけ焦点が合わされる世界観は修正すべきなのではないでしょうか。それ以前の段階で隠されていることが大切だからです。

 

マスコミもそれにつられて動いてしまう国民も問題だとは思いますが、その背後にいる為政者たちの意図は、若者の間にこのような対立軸を作り出してしまう「戦争」についての責任を誤魔化すこと、そしてそのことで利益を得てきたエスタブリッシュメントの既得権を守ることにあるという事実にこそ、焦点を合わせるべきなのではないでしょうか。

 

この項では、ベトナム側から見るとベトナム戦争はどう見えどういう意味を持ったのかには触れていませんが、遠いアメリカから多くの物量そして兵士を投入してなぜベトナムまでやって来なくてはならなかったのか、理不尽な戦争としか見えなくて当然だったのではないでしょうか。

 

4月に「予科練平和祈念館(2)でも触れましたが、何万もの若者たちや子どもたちの命を犠牲にしなくて済むような国策を考え実行することこそ、私たち年配の大人の責任です。そのための長期計画を着実に策定できる政治家を選ぶ責任も私たち有権者にあります。出発点としてこの点を今一度確認しておきたいと思います。

  

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コメント

何回か考えたことはあるのですが、答えは出ません。
色々考える中で「自殺するかも」と云う選択肢も浮かびました。

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。答を出すのは難しい問題だと思います。その可能性も、「自殺」も含めて若者にとっては深刻な選択です。

もっとも私の場合、子どもの頃は軍人だった父の影響で、陸軍に入るべきか海軍が良いのか考えたこともありますので、その頃なら①が答でした。

2016年12月14日 (水)

友あり遠方より来る


友あり遠方より来る

 

high school sweetheartで御紹介したのは、英和・和英辞典と、それを駆使して慣れないアメリカでの学校生活を助けてくれた同級生のフランクでしたが、彼だけではなく当時一緒に勉強したり部活をしたりした同級生や後輩たちとは今でもやり取りが続いています。続けられたのにはいろいろな理由がありますが、10年毎に、同じ年に卒業した同級生全員に呼び掛けて開かれる同窓会(reunion)のあったことが大きいのではないかと思います。私たちの場合は1960年に卒業しましたので、まとめて「The Class of 1960 (1960年卒業生)」と呼びますが、一番最近の同窓会は2010年、卒業後50年を記念して開かれました。

 

同窓会を開くためには、日にちと場所を決め会場を借りホテルの手配も済ませてクラス全員に通知をした後、当日の受け付けや会場設営等、しなくてはならない仕事が多いことは説明するまでもないと思いますが、そのために当然複数の運営委員が必要になります。委員長は、一学年全員がメンバーの「学年生徒会」の会長を務めていたサンディーだと、これは御本人もそれ以外の人たちもクラス全員が認めていることですので、毎回彼女が務めてくれました。そのほかのボランティアとしては、昔からサンディーと仲の良かった数人、仕事があまり忙しくなくて、私たちが住んでいた町、Elmwood Parkかその近く、少なくともシカゴの近くに住んでいる人で、「愛校心」の強い人たちが受け持ってくれました。因みにエルムウッド・パークはシカゴの西、車で30分くらいのところにある小さな町です。

 

50周年の同窓会運営委員の一人に、マーリーンがいました。コンピュータのプログラマーそしてシステム・エンジニアの仕事をリタイアした後、時間があるからと手伝ってくれることになったようでした。たまたま日程が上手く合って一番遠くから参加することになった私との連絡役を買って出くれたのも彼女でした。

 

そして今年。ひと月くらい前に、そのマーリーンから12月から1月にかけて日本に行くことになったので広島まで足を延ばしたいとメールがありました。「大歓迎」と返信を出して日程調整を行い、今月11日から13日まで広島に来てくれることになりました。

 

旅行やアウトドアでのホワイト・ウォーター・カヤックも含めたさまざまな活動が趣味のマーリーンの今回の「海外旅行」は約2か月かけて、まずはエジプト、それから息子さんが住む沖縄、そして広島、次に息子さんの家族と一緒にバンコク、その後帰国という世界を股に掛けての日程です。世界中を旅している彼女は、日本では日本食そして日本旅館に泊まるというポリシーを貫き、自分で沖縄から広島までの飛行機や旅館の予約をした上で11日に広島に着きました。

 

11日は、私の家族と一緒のお好み焼きでした。料理をするのが趣味のもう一人の息子さんに持って帰りたいと言っていたのは、お好み焼き屋の名物マスターのねじり鉢巻きでした。二日目は、資料館と平和公園で、約3時間過ごした後、息子さん夫婦がお勧めの錦帯橋まで行きました。そのあとはもちろん宮島です。

            

Marlene

     

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 夜は、シダックスの本通りクラブで忘年会コースに舌鼓を打ちながらのカラオケパーティーでした。特別に丸鶏のローストがプレゼントとして付いてきたのですが、鳥のローストを切り分ける経験者もいてくれて、大変盛り上がりました。写真を撮る余裕さえないくらいでしたので、シダックスのホームページから写真を借りました。

  

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二泊三日の日程の間、同級生や家族の話にもなりましたが、実はマーリーンの一歳下の弟ポールは私とレスリング部で苦労を共にした間柄でした。ということは私とも一歳差なのですが、シーズン中、毎金曜日にある他校との試合までは減量に苦しんで、金曜の夜はピッツァやハンバーグ等、思いっきり食べてはまた減量という生活を一冬一緒に続けた仲間でした。私は120ポンドのクラス、ポールは127ポンドと体重が近かったので、練習試合も何度かしましたし、彼の親友だったトムとは歴史のクラスが同じで、原爆投下についての時間には、クラスの中で唯一私の見方をしてくれたほど意気も合いましたので、因縁めいたものを感じました。

 

大きなショックを受けたのは、ポールが196782日に亡くなっていたということでした。「ベトナム戦争で?」と聞くと、「そう、その通り」という答が返ってきました。

 

私はその次の年、1968年に再渡米して大学院での勉強をしながらベトナム戦争反対の運動をしていましたので、ベトナムに行かないで済むように努力をした若者が周りには多くいたのですが、その戦争でこんなに近い存在だった若者が死んでいたことは全く知りませんでした。予期しなかった「ニュース」から、改めて戦争について考えることになりましたが、稿を改めてその報告をしたいと思います。

 

 

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2016年12月13日 (火)

ひろしまでのドイツクリスマスマーケットとシュトーレン

ひろしまでのドイツクリスマスマーケットとシュトーレン

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ドイツクリスマスマーケットは大阪、東京などあちこちで開かれているが、広島では行われていなかった。そこで広島に在住のドイツの人たちと彼らとつながりのある団体や個人の方々の熱意で昨年からこのイベントがスタートした。今年は1216日(金)から18日(日)まで開催される。場所は中区上八丁堀の「アーバンビューグランドタワー」の東側公開空地。 

このイベントに安芸の郷が出店している。きっかけは4年前から日独平和フォーラム(ドイツの派遣団体は2007年よりボランティア活動の専門性を備えたドイツの国際青少年社会奉仕会(IJGD))が協力をしてドイツの若者のボランティア奉仕を安芸の郷が受け入れているので、ドイツクリスマス実行委員会にかかわる方たちからの出店のお誘いをうけたことから始まった。出店団体では唯一の障害者のお店になる。 

開催目的は「食や文化をはじめとするドイツクリスマス文化を提供するドイツスタイルのクリスマスマーケットの開催を通して両国のさらなる文化交流の発展と地域の賑わいを創出し、平和都市HIROSHIMAにふさわしい新しい冬の風物詩の創造をめざす」とある。ドイツ文化紹介パネル展示、クリッペ展示、ツリー、コンサート、広島市姉妹都市ハノーバーの紹介パネル、シュトーレンやクリスマス雑貨、ホットワインなどの飲食コーナーなどがある。

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安芸の郷の屋外での出店はいつもテントを張るのだが、このイベントでは木製の小屋(ヒュッテという)を実行委員会が設置して売り子はその中に入って販売を行う。実行委員会の図面によると、ヒュッテは高さが3mもある。間口が2.7m、奥行きが1.8mある、窓の開閉ができ、外に棚もある。終わると窓を閉めて横のドアから出入りする構造になっている。そして現地で組み立て、解体ができる。市内在住のドイツの人たちの手作りだそうだ。本場のドイツでは1か月以上開催されるので開け閉めが簡単で施錠の出来るヒュッテに進化したのだろうか。木工が好きなのでなかなか興味深い。

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2015年の安芸の郷のヒュッテ。看板は法人の建物の名前の森の工房AMAとしている。職員と一緒に販売で中に入っているのは安芸の郷でボランティアをしているマークスさんと同じくほかの事業所でボランティアをしている女性。2人とも今はドイツに帰国している。 

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ヒュッテの外にも少しなら商品を並べられるので絵ぞうきんや髪留めなどを飾る。昨年は髪留めが開店早々大人気であっという間になくなりあわてて安芸の郷から商品を追加することもあった。

今年は安芸の郷も17日の一日だけ出店する。昼の12時から夜の8時半まで営業している。今年のドイツのボランティアのアドリアンさんもお手伝いをする。広島にきているほかのボランティアの人たちとも合流してこのイベントにいろいろかかわるようだ。

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写真は森の工房あやめ製のシュトーレンのアップ。粉糖がたっぷりとかけられている。

このイベントに参加する後押しをしたものに安芸の郷の事業所「森の工房あやめ」が製造している天然酵母で発酵させたシュトーレンがある。毎年年末に利用者家族や地域の諸団体を対象に利用者とともに作っている各種製品予約注文販売を行っている。その中の一つとして開発したのがドイツで伝統的にクリスマスの時期に食べられる菓子「シュトーレン」だった。日持ちがするので注文販売に十分応じられることから製品化にこぎつけ、毎年冬の安芸の郷の代表的お菓子になっている。だから違和感なくマーケットに森の工房あやめ製のシュトーレンを出せた。値段も市販よりちょっと安いし。

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写真は129日(金)の午後シュトーレンの生地づくり。いろいろな工程を経たのちこの段階で容器に入れてホイロという発酵器に入れる。

この菓子の生地づくりは発酵に3日間、約80時間をかけたのちに、12日の月曜日に取り出して、成型して焼きに入る。温度調整が機器の性能向上で容易になったが、計算し実行して適度な状態を探るのは人間の勘に頼るしかない。事業所の休所日の前日から発酵させ、月曜日に取り出して成型、焼き、包装、販売となる。いいものを提供したい一心。

クリスマスマーケットではシュトーレンの他に天然酵母のパンをはじめブルーベリージャムやソース、クッキー、冷凍ブルーベリーの1キロパック(東広島市豊栄町産)、昨年好評を頂いた髪留めなどを展示してマーケット盛り上げに協力する。

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129日夜、安芸の郷の建物の森の工房AMAでクリスマスコンサートが行われた。その折建物の塔屋の窓に飾った利用者手作りの紙製ステンドグラス。

 

2016年12月13日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2016年12月12日 (月)

2016年「12・8平和を考える女たちのつどい」

016年「12・8平和を考える女たちのつどい」

テーマ「女性差別を考える~身近なこれも、あれももしかして女性差別?❣」

 

1987年12月8日第1回「12・8平和を考える女たちのつどい」を開催し、今年は29回目の「つどい」をもちました。今回は、準備会を3回もち、運営の相談をしました。

 


オープニングはノーベル賞受賞のボブディランの「風に吹かれて」を聴き、担当者の伴奏で参加者全員が歌いました。なつかしいと感じる世代が多かったですが、若い世代もご存知でした。

 

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オープニング担当者が邦訳に感動しましたので紹介します。

 

  「風に吹かれて」

 

 

人はどれ位の道を歩めば   人として認められるのか

 

白い鳩はどれ位海を乗り越えれば   砂浜で休むことができるのか

 

どれ位の砲弾が飛び交えば   永久に禁止されるのか

 

友よ答えは風に吹かれて   風に吹かれている 

 

 

 

山は海に流されるまで   何年存在できるのか

 

人々は何年経てば   自由の身になれるのか

 

見ないふりをしながら   人はどれくらい顔を背けるのか

 

友よ答えは風に吹かれて   風に吹かれている

 

 

 

人はどれ位見上げれば   空が見えるのか

 

人にはどれ位の耳があれば   人々の悲しみが聞こえるのか

 

どれ位の人が死んだら   あまりにも多くの人がなくなったと気づくのか

 

友よ答えは風に吹かれて   風に吹かれている

 

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歌詞は、1962年に雑誌「シング・アウト」にディランのコメントと共に掲載された。「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。・・・略・・・世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。俺はまだ21歳だが、そういうおとなが大勢いすぎることがわかっちまった。あんたら21歳以上のおとなは、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」(ウィデキベディアより)

 

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司会者から、竹原における「12・8平和を考える女たちのつどい」の歴史と、八の日平和行動の説明後、「女性差別を考える~身近なこれも、あれももしかして女性差別?❣」をテーマに実行委員のRIEさんから、家庭や職場など身近な女性差別の経験をだしてもらいました。

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母親との雑談の中で「女は男のドレイなんよ」と母が言った衝撃の言葉。職場の飲み会のオトコ職員のセクハラ行動や発言の対応((^^;)…品がないよなあ…男性来訪者の対応の時は「(女なのに)正規職員?」「(女だから)強く言えない」。または人一倍強く当たる。小学生から「結婚は?子どもは?結婚できんのかあ…何才なん? 」…年いったオンナは結婚してるのがあたりまえ???…学校では生徒会長に立候補すると男子とバッキング❣男性教師「副会長にいってくれんか」。漫画のヒトコマ「保育士は賃金が低いから結婚のために転職を考える男性」

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2016年版「広島県の男女共同参画に関する年次報告」では、賃金は男性1時間当たり平均給与額を100円とした場合、女性 75円、パート女性 54,1円です。一日の家事時間(家事・介護・看護・買い物・育児)は女性 3時間54分、男性 45分(20数年前は17分)の現状です。

 

そして、今年の世界経済フォ―ラム報告書の男女格差(ジェンダーギャップ)では日本は144か国中111位(前年度101位)主要7か国で最下位。経済と政治の分野に厳しい評価がされています。

 

RIEさんが生まれたころ日本は「男女雇用機会均等法」を公布し、「女性差別撤廃条約」を批准しています。

女性差別撤廃条約第5条は「女だから~」はダメ❣「性別役割分担は差別❣」と規定しています。

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ここでいえることは、RIEさんの「個人的なことは政治的である」ことです。司会者の運営で、「あなたのまわりではどうですか?」「その時どう言い(反論)しましたか」と性を理由にした差別を、4~5人のグループでワークショップをしました。

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ワークショップ後、グループからひとつ選択をしてロールプレイ(役割演技)タイムです。

 

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10数年前、残業をせずに帰ろうとすると専業主婦の妻を持つ同僚男性が「なぜ時間外(労働)をせんのか」と言ったので、「幼い子どものためにご飯をつくらんといけんから帰る」と答えると、「自分は時間外も申告せんと仕事のために勉強をしている」と怒鳴られたうえ、上司にチクられ、上司からは「もっと真剣に仕事をしろ」と注意をされた。同僚男性には今だったら言える「あなたこそ、妻に甘えているんじゃないですか?」

 

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学校現場では「センセ!結婚相手の名前は?何才?どんなヒト?」と子どもが聞いてくる。「個人情報じゃけえ」と答えずに「そんなことはむやみやたらに聞いたり、言ってはダメよ」と知らせる。

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短い時間でしたが、2人の男性参加者を交えての集会は、「くやしいことがいっぱいあったと思う学習や交流をしてはね返そう」とひとり一人が力をつけるためには何が必要かを考える場となりました。

 

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最後に、参加者から元気をいただいたアンケートの一部を紹介します。

 

●みなさん、同じようなことを経験してるなあと実感。「男はこうあるべき」というのを捨てたら、自分が楽になった(男性参加者)という意見はとても参考になりました。

 

●自分ではセクハラだと思うことはないと思っていたけど、話しを聞いて「それもセクハラだったんだ❣」と気づくことができました。ひと言返していく勇気を持ちたいと思います。

 

●身近によくある事がらを見すごしている。見て見ぬふりをしている。いや学んでいないから問題があると気づいていない…しっかり見抜く力をつけなければいけないことがわかりやすく話していただけました。声をあげること、力を合わせること、組織をつくること、やっぱり(労働)組合がたいせつですね。

 

●男性なので加害者側になるのでしょうが、勉強になりました。女性の気持ちが少しわかりました。気づかないことが多いので反省しています。歴史のあるつどいのようですが、つどいがなければ課題の解決へは向かいません。継続するのもたいへんですがやり続けてほしいです。

 

●自分の思いをことばにして発するようになれるには、やっぱり学習すること。そして、ひとりじゃ言えない。組織って必要だな。

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提案者のRIEさんは集会後、「仕事が残っとる」と職場へ消えました。連日の時間外など厳しい労働の中、年々集まることが困難な状況ですが、戦争の惨禍を反省した世界人権宣言週間の時期でもあります。平和でないと平等はありません。たくさんの人たちに支えられて、29回目の「12・8平和を考える女たちのつどい」を終えました。

 

 

 

広島県原水禁常任理事  なかお やすみ

 

 

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2016年12月11日 (日)

追悼ジョン・グレン氏


追悼ジョン・グレン氏

 

宇宙飛行士のジョン・グレン氏が亡くなりました。1962年、アメリカの栄光を背負って、ソ連の宇宙開発の後を追い、アメリカ人として初めて地球周回軌道を三周したことで知られています。また、宇宙飛行士としては最高齢の77歳で飛行したことは御存じの方も多いと思います。詳しい追悼記事がハフポストに載っていますので、紹介させて頂きます。

                

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ジョン・グレン氏

 

 

実は、大学生の時にグレンさんとお会いしたことがありますし、上院議員時代にも再会していますので、その当時を思い出しながら御冥福を祈っています。

 

「フレンドシップ7」と名付けられた宇宙船で地球を周回した後、グレン氏は日本を訪れています。そのときに、NHKテレビがグレン氏と日本の若者の対話番組を作りました。日本側は3人くらいだったと思いますが、直接英語で喋るという条件があって、顔の広い友人と一緒にスタジオでグレン氏と話をしました。

 

「宇宙飛行士」の数も少なく、しかもソ連との競争で「自由世界」の象徴だった人ですから、かなり緊張しましたが、とても気さくな人で、頼りにできる兄貴分という感じでの対話になりました。宇宙での経験や未来への夢といった内容だったはずなのですが、その時の記憶がほとんど残っていないのが残念です。でも、「宇宙船から見た地球がとても美しかった。何をおいても地球を平和にしなくてはならないと強く感じた」という言葉は、しっかり印象に残っています。その後宇宙飛行士として活躍した他の皆さんの言葉にも、必ずこのメッセージが出てきます。宇宙から地球を見る経験は、「神」の視点から地球を見ることなのではないかという解釈さえあるほど、特別な意味があるような気がします。

 

その影響かもしれないのですが、その後の人生でスペース・プログラムに大きな影響を受け続けてきました。特に19697月のアポロ11号の月面着陸の際は、たまたまハーバード大学のキャンパスで知り合った毎日新聞の取材班の人たちとともに、通訳兼運転手としてケネディー宇宙センターとヒューストンの管制センターで、歴史的な月面着陸の一部始終を現地に一番近いところから日本に届けるお手伝いをしました。「宇宙飛行」あるいは「月面着陸」という大きな出来事を一緒の立場で経験したからなのかもしれませんが、毎日新聞取材班の皆さんとはその後、公私にわたって大変お世話になり、生涯を通じての友人としてお付き合い頂くことにもなりました。

 

宇宙飛行士のニール・アームストロング氏、バズ・オルドリン氏、マイケル・コリンズ氏や彼らの家族、その他の宇宙飛行士や地上のサポート・チームのメンバー等、多くの人たちのインタビューにも立ち会いましたし、取材に来ていた有名人たちにも感想を聞くなど、一端のジャーナリストになったような昂った気持ちでの2週間でした。

 

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月面のオルドリン飛行士

 

中でも、超有名人だったノーマン・メイラー氏に感想を聞いた時の答えに感心しました。「この件については本を書く予定だから、それを読んで欲しい」でした。一大学院生にも普通の感じで対応してくれたことにも、彼の大きさを感じました。

 

 

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ノーマン・メイラー氏

 

1960年代には、スペース・プログラムについての強い批判もありました。特に公民権問題やベトナム戦争と関係付けての議論はアメリカ中で起きていました。大変お金の掛かる国家的規模のプロジェクトですから当然なのですが、グレン氏を追悼しつつ、改めて、これまでの歴史の中でのスペース・プログラム、そして宇宙という全人類を視野に入れることが当たり前の枠組みで、未来の世界と人間について考えられればと思います。

 

 

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2016年12月10日 (土)

12.8不戦の誓いヒロシマ集会


12.8不戦の誓いヒロシマ集会

194112月8日(ハワイ時間12月7日)未明、日米開戦のきっかけとなった真珠湾攻撃が行われた。その日の朝、ラジオから繰り返された「大本営陸海軍部発表」「帝国陸海軍は南太平洋上において米英両国と戦闘状態に入れり」は人々の心に勝利の美酒を味合わせたが、国民の多くはその一方で大変な波が押し寄せてくる不安を感じていた。

 

その日から75年目を迎えた昨日、沖縄から高里鈴代さんを迎えて12.8不戦の誓いヒロシマ集会が開催された。高里さんは那覇市議会議員を長年勤めた後、「基地・軍隊を許さない行動する女たちの会」・「オール沖縄会議」の共同代表を務めている。米兵による女性強姦事件の救援活動、米軍基地撤廃運動、そして普天間基地の辺野古への移転阻止、高江に建設が強行されようとしているオスプレイパッド阻止闘争の先頭に立って闘っている女性である。

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集会は主催者を代表して広島県原水禁共同代表の秋葉さんの挨拶から始まった。秋葉さんは、「安倍首相が真珠湾を訪問する」という発表があったことを取り上げ、「安倍首相の訪問は決して両国民の和解につながるものではない。オバマ大統領来広で安倍首相が目論んだものは日米安保強化であった。しかしこの目論見は成功したとは言えなかった。真珠湾訪問は平和を求めて心からの謝罪や和解ではなく戦争への道に一歩進む安倍首相の狙いがある」と断じた。また、トランプの大統領当選で揺らぐヨーロッパ・アメリカでマイノリティへの差別・拝外の動きに抗して「ピン」をつける運動が拡がっていることを紹介してくれた。私たちが子どもの頃、安全ピンと呼んでいたものである。このピンを付けることによって私はマイノリティへの差別・拝外主義に反対するという意思表示を行い、「ああ、このバスには私の味方がいる」と弱者に安心してもらう効果があるという。日本でもヘイトスピーチが横行している。「ピン」運動を拡げていきたいなと思って今日の外出にはさりげなく付けていった。

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高里さんは辺野古(海)と高江(森)で現在、何が起こっているのかわかり易く話してくださった。高江の森では、巨樹が何の許可も取らず切り倒され無法に自然が破壊されていること、ジュゴンのふるさと辺野古の海が埋め立て工事で荒らされていること。オスプレイパッド建設への反対の動きが強まるにつれ全国から機動隊を動員し、住民への弾圧が強化され、リーダーを無法に逮捕し未だに拘留を続けているという。その中で発生したのが大阪の機動隊員による「土人」発言である。この発言について鶴保庸介沖縄担当大臣は「差別発言とは断定できない」「言い換えもしない」と開き直り、以前であれば大臣の更迭が行われる事態だがそのまま居座っているという状況に危機感を抱いたのは私一人ではないだろう。 こうした状況の中でオール沖縄の結束は一段と強化されていることを聞いて

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私を含む本土の無責任さを痛感した。「あなたたちは何をしているのですか」と怒りの矛先が私たちに向いて当然だと思うのに連帯を呼びかける高里さんに甘えてはならないと自らを戒めた。

 

   1995年、小学生への暴行事件を受けた県民大会に8万5千人が集まった。そのうねりを受けてSACOが発足したが、「基地軽減どころか日米軍事同盟の強化が現実である。辺野古への普天間基地の移設はどうやら日本側からの提案らしい。最近、当時のモンデール駐日大使は辺野古への基地の移設について言及していないと明らかにしたそうだ」高里さんから次々と飛び出す言葉は予想していたとはいえ政府がどこを向いて誰のための政治を行っているのかキリキリと胸が痛む。怒りがこもっての痛みである。

 

 「日本国土面積の0.6%に過ぎない沖縄には在日米軍施設の74%があり、日本全国の米軍基地関係者5万人のうち2万5千人が在沖している。私たちは平和憲法のもとに復帰を望んだ。平和な入り口に入ったはずだったが、振り向いてみれば日米安保下に組み入れられていた」

 

 この高里さんの言葉こそ沖縄県民の無念の思いであり怒りの原点であろう。

 

 講演の後半、米軍の沖縄本島上陸から米兵による女性への性暴力が始まった歴史をつぶさに記録した資料を見ると強姦・殺人が頻繁に繰り返され、小学生や赤ちゃんを抱える母親まで被害を受けている。その記録をよく見ると「詳細不明」や「不明」「訴えず」の文字がよく目に付く。それが1945年から現在に至るまで続いている。高里さんはこれが日米地位協定の実態だと語ってくれた。

 

ベトナム戦争後、女性の性暴力と絞殺事件が相次いだ。ベトナム戦争の住民虐殺を行った米兵は自分が殺されるという悪夢にうなされたという。悪夢の中で妻を絞殺しかけたという米兵はそれ以後寝室を別にしたという。戦争は加害者の精神をも蝕んでいくことも高里さんは紹介してくれた。

 

基地と民有地を区別するオレンジ色の境界線。日本側は許可された者しかこの境界線を越えて基地に入ることはできない。しかし米兵は自由に出入りし犯罪を起こしている。これが日米地位協定の実態を端的に表しているという。

 

女性への性暴力の歴史を読む高里さんの体には人権蹂躙を許さないという怒りと決意がこもっていた。住民の怒りは頂点に達している。軍隊の撤退こそが女性や子どもの安全と人権を護る唯一の道という言葉はずしりと重かった。

 

現在、基地は沖縄の経済の5%を支えているに過ぎないそうだ。昔、沖縄の教職員と交流した際に経済特区構想を厚く語ってくれた人がいた。私もそれに夢を感じた。日本の捨て石として使われた鉄の暴風の歴史を繰り返させないために米軍基地、自衛隊基地を撤廃するために沖縄と本土で共闘していきましょう。

(中谷悦子)


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2016年12月 9日 (金)

「現職として初」そして「オバマとともに」を「売り」にした安倍劇場    マスコミも加担して「平和」 = 「日米同盟」 = 「戦争」 を広めている?


「現職として初」そして「オバマとともに」を「売り」にした安倍劇場

マスコミも加担して「平和」 = 「日米同盟」 = 「戦争」 を広めている?

 

今日は128日、19414年の日本時間のこの日早く、アメリカ時間では127日に真珠湾攻撃が行われました。その真珠湾を安倍総理が訪問するという記事が、126日の朝刊各紙に乗りました。まずこの紙面を見て下さい。朝日新聞の2016126日の紙面です。

            

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 見出しのトップは、「安倍首相 真珠湾へ」そして、下の二つの柱がそれを修飾する形で並んでいます。一つは「オバマ氏と犠牲者慰霊」そしてもう一つが「2627日 現職として初めて」です。この見出しの意味を私は、「真珠湾訪問をする総理大臣は安倍氏が初めて」と読みました。「オバマ氏と犠牲者慰霊をするのは、現職として初めてだ」という風に取る人はまずいないと思いますが、皆さんは紙面を見てどう思われたでしょうか。

 

さらに、吉田茂首相は当時の大統領と一緒にではありませんが、戦没者が埋葬されているパンチ・ボウル(国立の戦没者墓地)を訪問していますし、安倍首相は、広島でオバマ氏とともに犠牲者の慰霊をしていますので、こちらの解釈も成り立ちません。その上、読売新聞は吉田茂総理大臣が1951年に真珠湾を訪問していることにも言及しているようですので、誤解を生みそうな点についてはそのくらいの配慮が必要でしょう。各紙の報道の内容と比較についてはWeb NewsBuzzFeed」が詳しく報道していますので、そちらを御覧下さい。

 

マスコミ各紙は、誤報ではないと強弁するでしょうが、それはそれで議論することにして、今回の報道ではっきりしてきたことは、オバマ大統領の広島訪問の際に安倍政権が目論んだ「安倍劇場」を今回こそ成功させようと、「二番煎じ」であるにもかかわらず再度仕掛けているとしか見えないことです。マスコミの認識も大甘で、それに加担しているようにも見えるのですがいかがでしょうか。それを確認するために、125日の安倍総理の発言全文を注意深く読んでみましょう。

 

「今月の26日、27日、ハワイを訪問し、オバマ大統領と首脳会談を行います。

 この4年間オバマ大統領とは、あらゆる面で日米関係を発展させ、そして、アジア太平洋地域、世界の平和と繁栄のために共に汗を流してきました。先のオバマ大統領の広島訪問に際して、核なき世界に向けた大統領のメッセージは、今も多くの日本人の胸に刻まれています。

 ハワイでの会談は、この4年間を総括をし、そして未来に向けて更なる同盟の強化の意義を世界に発信する機会にしたいと思います。これまでの集大成となる最後の首脳会談となります。

 そして、この際、オバマ大統領と共に真珠湾を訪問します。犠牲者の慰霊のための訪問です。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない、その未来に向けた決意を示したい、こう思います。

 同時に、正に日米の和解、この和解の価値を発信する機会にもしたいと考えています。今や日米同盟は世界の中の日米同盟として、日米共に力を合わせて、世界の様々な課題に取り組む『希望の同盟』となりました。その価値は、意義は、過去も現在も未来も変わらない、このことを確認する意義ある会談となると思います。」

「昨年、戦後70年を迎え、米国議会において演説を行い、私の70年を迎えての思い、考えについて発信したところであります。その中において、真珠湾を訪問することの意義、象徴性、和解の重要性について発信したいと、ずっと考えてきました。同時に、オバマ大統領との4年間を振り返る首脳会談を行うことができればと考えてきたところでありますが、先般のリマにおける短い会談において、12月に会談を行おう、そして、その際に、2人で真珠湾を訪問しようということを確認し、合意をしたところであります。」

 

オバマ大統領の人気あるいは権威を利用して自分の箔付けをする、「自分」あるいは「オバマ大統領」あるいは「二人一緒に」が初めだと強調したり印象付けたりして、それにさらなる重みを付け、その舞台装置の上で「平和」という呪文を操って「日米同盟」こそ平和の象徴、つまり一緒に戦争することが平和だというメッセージを、サブリミナルなメッセージとして植え付ける、という安倍劇場のシナリオが丸見えです。

 

オバマ大統領の広島訪問前に発した警告を、当時使っていたパワーポイントのスライドで御覧頂ければ幸いです。解説を付けた方が良いかも知れませんが、時間の都合で明日以降にしたいと思います。

 

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K

 

 K流」の「K」とは、4月の外相会合で、「和解」という言葉で「日米同盟」を称賛した岸田外相、ケリー国務長官の名前の頭文字を取りました。戦争を前提として戦争を賛美し戦争からは抜け出そうとはしないメンタリティーです。戦争が済むと「和解」だと言ってそれを口実に一緒に戦争をするようになり、また仲が悪くなればお互いが「敵国」になる循環しか考えることのできない枠組みです。戦争と切っても切り離せない文脈での一時休戦の時代を指す言葉です。

H

 

H流」で使っている「H」は、被爆者、そして広島の頭文字です。こちらは戦争を否定し、「憎しみ、暴力、報復」の連鎖を断って平和な世界を創る姿勢を示しています。

 

 

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2016年12月 8日 (木)

安倍総理とオバマ大統領の真珠湾訪問 国家のリーダーには、もっと大きな「歴史」を創る責任があるのでは

安倍総理とオバマ大統領の真珠湾訪問

国家のリーダーには、もっと大きな「歴史」を創る責任があるのでは

 

1941128日の真珠湾攻撃の日から75年経とうとしている5日、今月の2627両日に安倍総理とオバマ大統領がともに真珠湾を訪問することが発表されました。日米間の戦争が始まった真珠湾攻撃と原爆投下がアメリカ社会の依って立つ価値観の二本柱であることは何度も指摘してきた通りですが、オバマ大統領が広島を訪問し、安倍総理大臣が真珠湾を訪問することで、日米間に横たわる、多くの場合深層意識に沈み込んでいる大きな溝にも、徐々に光が差し真の和解への道が開けることを期待しています。

             

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 戦争の犠牲者の慰霊を行うことは大切ですし、今回の訪問にも賛成です。しかし、60年近く日米の間に立ち位置を決めて身をもって両国の関係を体験してきた立場から見ると、残念でならないことが何点かあります。安倍総理、そして安倍政権に期待することそれ自体が「無い物ねだり」だとは思いますが、日本という国家そして世界の未来をデザインする責任を持つ若い世代の人たちには何かの参考になるかもしれませんので、書き残しておきたいと思いす。

 

最初に問題にしておきたいのは、物事の順序です。仮に喧嘩をした後、仲直りをしたいと思った時、常識としては先に殴った方が先に謝ります。オバマ大統領も安倍総理も「謝罪」はしないので、「謝る」は当て嵌まりませんが、それがいつかは実現することになるだろうと考えるとその先鞭を付けているのですから、精神としては同じ原理が適用できます。日本の総理大臣がなぜ先に真珠湾に行かなかったのでしょうか。

 

それをもう少し敷衍すると、安倍総理以前の総理大臣が真珠湾に行っても問題はなかったはずですし、もし何人かの総理大臣がの自発的に真珠湾を訪れていたとすれば、アメリカの大統領の広島訪問はもっと早くなったのではないでしょうか。何年、何十年も前から「総理大臣は真珠湾を訪問すべきだ」と私たち市民レベルでもっと大きな声を上げるべきだったのかもしれません。しかし、市民の声を無視し憲法の解釈改憲までする為政者の最低限の責任として、国家レベルの責任を自発的に果すことくらいは期待しても良いように思います。

 

さらに、我が国の中には総理大臣の真珠湾訪問についての反対論は存在しないに等しいことを考えると、もっと早い時期の真珠湾訪問は実現可能なことでした。そして、然るべき方法で日米戦争についての責任を表明し謝罪することも可能だったはずです。米国の議会で真珠湾に言及するのと、真珠湾その場で責任を明確にし謝罪することとの間には大きな差があります。

 

オバマ大統領も謝罪しなかったから安倍総理も謝罪しなくて良い、というバランス論もあるようですが、状況が全く違います。アメリカ社会には、「広島に行くこと自体謝罪だ」とまで主張する大きな反対論がありました。その反対論に潰されずに広島訪問を実現するためには「謝罪はしない」ことを明言して、いわば「小を捨てて大を取る」という現実的妥協が必要だったと考えて良いでしょう。

 

しかし、安倍総理の真珠湾訪問については、「訪問反対」の声もありませんし、「謝罪するな」あるいは「真珠湾に行くこと自体謝罪だ」と主張する人もいません。妥協が必要ではなかったのです。誰かに、あるいは何かに遠慮する必要のない状況で、「自発的」「積極的」に謝罪はしないという決定をした意味を私たちは考えなくてはなりません。

 

もう一点、「謝罪」について重大な視点が抜けていることを指摘しなくてはなりません。真珠湾攻撃の結果、被害を受けたのは、攻撃で直接に亡くなった米兵だけではないという点です。

 

真珠湾攻撃の結果、アメリカでは「宣戦布告もしない卑劣な奇襲攻撃」として、日本ならびに日本人全体を「卑劣」というイメージで捉えることが定着しました。それは、アメリカ国籍を持つ日系アメリカ市民に対しても同様でした。強制収容所に隔離され差別され生命財産まで奪われた悲劇も思い起こさなくてはなりません。彼ら/彼女らの犠牲に対しては、そんな非道なことを行ったアメリカ政府にも責任はありますが、そのアメリカ政府は1988年にこれらの日系米人に対する補償法を制定し、謝罪しています。しかし、その原因となった真珠湾攻撃そして日米戦を始めた日本政府にも当然、責任があります。そして謝罪することも必要です。

 

こうした犠牲を無視して、日米間の関係が良好なのは日米同盟があり、かつ総理である自分とオバマ大統領の功績であると言わんばかりの記者発表でしたが、「卑劣な日本」というイメージと闘い、それを覆して日本のそして日本人のイメージを改善したのは、多くの日系アメリカ市民であり、それに加えて例えば、かつては「安かろう悪かろう」の代名詞だった日本製品を質的に改良し、アメリカ市民と直に接することで良い関係を作り、電気製品や車等の工業製品を広めた人たちです。さらには、日本映画をはじめとする芸術、留学生や研究者、戦争花嫁等々、例示をして行けばキリがありませんので、あとは皆さんにお任せしますが、こうした多様で無限にも見える市民レベルでの交流こそ、現在の関係を作り上げてきたのです。

 

日本政府、特に外務省は、こうした大きな負の遺産を日米両国の多くの市民に負わせました。そのことにこそまず謝罪すべきですし、その後の市民の努力によって日米間の平和な関係が作られてきたことについても安倍総理そして日本政府は深甚なる感謝の意を表すべきだと思います。

 

政治家や官僚等の貢献があったことも無視すべきではありません。しかし、1980年に出された「原爆被爆者対策基本問題懇談会」の意見に述べられている政府の見解は、「およそ戦争というその国の存亡をかけての非常事態の下においては、国民がその生命・身体・財産等について、その犠牲を余儀なくされたとしても、」「全て国民がひとしく受忍しなければならない」という為政者の基本的なスタンスを示しています。それが大前提となって動いてきた日本の政治を考得ると、犠牲になった国民の立場こそ、もっともっと強調されなくてはならないことは明白だと思います。

 

  

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コメント

ネットのニュースサービス「BuzzFeed」によると「安倍首相の真珠湾訪問「現職初」ではなかった 各紙間違えたけど、実はあの人が」という見出しで、1951年9月12日(現地時間)に吉田茂首相が真珠湾を訪ねていることが報じられています。

私は、12月6日の朝日新聞のトップ記事の見出し「現職として初」を信用して今回の原稿は書きました。お詫びして修正します。修正の詳細とこの点からさらに見えてきた意味は、明日取り上げたいと思います。

BuzzFeedのURLは次の通りです。
https://www.buzzfeed.com/kotahatachi/first-time-ever?utm_term=.suD8zz2jlW#.vujX994rm0

今年も真珠湾攻撃記念日を迎え米各紙がこぞって Remember Pearl Harbor を特集する中、トランプ大統領の誕生に大きく貢献した保守派のジャーナリスト Bill O'Reilly の著書 Killing the Rising Sun が大ヒットしています。
 このタイトルにある the Rising Sun とは Japan のことで内容は真珠湾攻撃で始まり原爆投下で終わった戦争のことであり原爆投下は「多くの米兵と同時に日本の一般市民の命を救うための苦渋の選択であった」という従来からの米国の姿勢を貫いています。
 その主張はともかく「長崎の次は東京であった」や歴代大統領のその後の考え方などなかなか良く調べて書かれた内容であり今なお半数近い米国民に支持されている考え方として頭に入れておく必要はあると思いました。

投稿: Japanese | 2016年12月 8日 (木) 12時54分 

「Japanese」様

コメント有り難う御座いました。我々の世代も、歴史学者やジャーナリストの追う「パール・ハーバー」そして「原爆投下」をフォローしてきました。時代的な背景もあり、それなりの理解ができたと思い込んでしまっていることに改めて気付かされました。

御指摘のように、「今」という時代からの歴史の検証の大切さを、今の時代を生きる若い世代の皆さんと共有しなくてはならないと思いました。有難う御座います。

2016年12月 7日 (水)

易しい高齢者    甘く見られているのに怒らないのは「優しい」からなのでしょうか


易しい高齢者

甘く見られているのに怒らないのは「優しい」からなのでしょうか

 

このところの高齢者バッシングについて、皮肉を込めて「優しい高齢者」というタイトルを付けようと思っていたのですが、変換ミスで「易しい高齢者」になってしまいました。でも考えて見ると、為政者たちは高齢者を「組し易い」あるいは「騙され易い」と考えているからこそ、あからさまに、続けて高齢者の狙い撃ちをしているのではないでしょうか。そう考えると、コンピュータの賢さが浮び上ります。(とは言っても、ワードに学習能力はあっても、AIが組み込まれている訳ではないので、単純な変換ミスなのかもしれませんが。)

 

さて、国の財政全般を見渡したり、世代間のバランスを考えたりといったレベルではなく、とにかく、感情として高齢者が蔑ろにされているとしか思えないというところから始めたいと思います。皆さんはどう感じていらっしゃるでしょうか。

 

まず年金の引き下げがあります。1125日には、衆議院の厚生労働委員会で、自民・公明・維新の共謀で強行採決が行われ、そこで決まったことにされたのは、国民年金で年約4万円減、厚生年金で同じく年約14.2万円減になる「年金制度改革法案」です。仮に高齢世代には厳しい内容であっても、若い世代にとっては必要だというのであれば、両世代にしっかりと理解して貰った上で、いわば「国民的合意」の下に通すべき案件ではなかったのでしょうか。「強行採決」はその対極にある「問答無用」という意味ですから、「高齢者よ黙れ」を強く言いたかったのだとしか考えられません。

 

当然、十分な説明があったとは思えませんし、「強行採決」を報じた翌日の朝日新聞も、「引き下げ」とは報道してあるもの、具体的にいくらくらいの引き下げになるのかについては、簡単に「2000円ほど」と細かい字で書いてあるだけで、既定の事実としてしか扱っていない感じでした。これだともう「共犯」に近いと言っても良いのではないでしょうか。ネット上の情報では、民進党の玉木雄一郎議員のホームページに分り易い説明と図表がありました。そこから、引き下げ額の図表をお借りします。

            

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年金引き下げ法案強行採決の悪夢が覚めやらぬ29日には、厚生労働省が70歳以上の医療費の自己負担分の上限を引き上げる、つまり自己負担を増やすことを決めて、恐らくはその法案をこれまた強行採決して実施するであろう方針らしいということが報じられていました。どのくらいの増額になるのか、こちらは朝日新聞も分り易く数字を示してくれていました。

 

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それだけではありません。社会保険料や税負担も増え、1999年から2015年の間に年金の「手取り」が32万円も減っているという計算を、Diamond Onlineで深田晶恵さんが公表しています。詳しくは、深田さんの論文をお読み頂きたいのですが、その中から、グラフを1枚お借りします。

 

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 つまり年金で生活している高齢者は、まず年金が減り、税金や社会保険料の支払いは増え、加えて医療費負担も増えるという悲惨かつ過酷な状況に置かれているのです。結果として、若い時から国民年金保険料は払わずに高齢になってから生活保護に頼る方が得するといった可能性まで生じています。それは国全体としての社会保障の崩壊につながります。

 

こうして高齢者は、自立して生活する能力を奪われていると言っても良い状態に置かれています。その一部として運転免許を返納しろというマスコミ主導の大運動まであります。確かに高齢者の運動能力や認知能力は劣化していますが、そのかなりの部分は工場長さんの指摘にあるように「自動ブレーキ」導入で改善されます。自動車の運転ができなくなることも含めて、自立できないとなると誰かを頼らなくてはなりませんが、子どもたちの世代も余裕はありません。あったとしても「親との同居」はもはや常識ではありません。拒否反応の方が強い時代になっています。となると施設ですが、これも入居費が高過ぎたり、希望者が多くて入ることも難しくなっています。そして仮に入れたとしても、ニュース等の極端な例に過ぎないのかもしれませんが、虐待されたり殺されたりといった悲劇も覚悟しなくてはなりません。ホームレスとして生活するか、何とか住む場所が確保できたとしても生活保護に頼るという道しかないという結末になってしまうのでしょうか。

 

こんな酷い状況を変えるためには、高齢者が立ち上がり自分たちの利益を守らなくてはならないのですが、それに対しては既に強力な「反高齢者キャンぺーン」が始まっています。投票率の高い高齢者力で政治を動かす「シルバー民主主義」というラベルです。若者世代の利益は無視して高齢者の利益のみを追求するのが「シルバー民主主義」で、この力に対抗しなくてはならないという批判です。その前にしっかり「事実」を見ましょう。「シルバー民主主義」という高齢者の力で政治が動いてきたのなら、これまで確認してきた年金の引き下げ、年金の手取り減少、医療費の負担増等のことは起らなかったはずではありませんか。

 

まずは立ち上がり、声を大にしましょう。生活面で私たちが困窮するだけではなく、利害関係の反するグループ間の事実に基づいた合理的な話し合いが行われなければ、それこそ民主主義が崩壊してしまいます。それこそ正に、ここに掲げたような施策を展開している人たちのより大きな目論見なのではないでしょうか。

  

 

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2016年12月 6日 (火)

「原水禁学校」第3回講義    RMI提訴棄却の理由


「原水禁学校」第3回講義

RMI提訴棄却の理由

 

「核兵器廃絶と日本の役割」をテーマにした原水禁学校の講演アウトラインの続きです。

 

 今回は国際司法裁判所 (ICJ) がマーシャル諸島共和国 (RMI) の提訴を棄却した理由を取り上げます。この訴訟でRMIが求めていたのは、核保有国が自らの義務を果たしていないことを確認し、その義務放棄行為の差し止め救済措置(declaratory and injunctive relief)をICJが取ることです。つまり、核保有国が誠実な交渉を行うよう適切な措置をICJが取ることを求めています。

           

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 マーシャル諸島共和国(法律的に正確かどうかはわかりませんが、通常の用語を使って原告国と呼んでおきます)が提訴をしても自動的に裁判が始まる訳ではありません。最初に問題になるのが「管轄権」があるかどうかです。その最初の段階で、提訴された側、(普通の言葉を使って「被告国」と呼んでおきましょう) が、この裁判を受けるかどうかが問題になります。

 

被告国は受けなくても良いのですが、「強制的管轄権」を認めている国は、受けて立つ以外の選択肢はありません。「強制的管轄権」とは、「原告国」が強制的管轄権を受諾している場合 (RMIは受諾していますので、この場合に該当します) には、自らも同じくICJの強制的管轄権を受諾することを一般的な原則として認めている場合を指します。9つの核保有国のうち、イギリス、インド、パキスタンは強制的管轄権を認めていますので、この3カ国には「受けて立つ」以外の選択肢はありません。その他の国は「受諾しない」という選択肢があるのですが、これら6カ国は見事に「受諾」を拒否しました。

 

次にICJが裁判する権限を持つかどうかが議論されます。つまり、ICJがこの件について裁判をする力を持つという法的確認が必要になります。そのための「予備審査」が行われてきたのですが、今年3月にはそのヒアリングが行われました。予備審査の結論は、105日に言い渡され、RMIの提訴が「棄却」または「却下」されました。またこの決定は最終的なもので、上訴することはできないことも示されています。

 

理由は、三つとも同じで、「dispute (係争あるいは紛争) が存在するという明確な根拠がない」ので、ICJは管轄権を持たないということだそうです。つまり、係争の「存在証明」ができないという理由です。係争のあるということはどのように検証するのかも示されています。それをまとめてみましょう。予備審査は、RMI対イギリス、RMI対インド、RMI対パキスタン、という三つのケースとして扱われました。内容はほぼ同じですので、RMI対イギリスを取り上げておきます。

 

 ICJが管轄権を持たなくてはならない。

 そのためには、当事者両国の間に、「係争」のあることが確認されなくてはならない。

 確認のためには、(a) 原告国が被告国の言動に異議を唱えていることだけではなく、(b) 原告国が異議を唱えていることを、被告国が知っている必要があり、(c)  被告国はそれに異議を持っている必要もある。

 これらの判断は、原告国が提訴を行う前の事実だけを対象にして行われる。

 

この内、③が判断基準なのですがその中の(a)は、RMIが、イギリスは第6条違反をしていると、公の場で発言しているのかどうかを問題にしています。(b)は、そのことをイギリスが知っているかどうか、そして(c)は、そのRMIの発言に対してイギリスが、それは違う、といった意思表示をしているかどうかが問題にされているということです。

 

これに対して、RMIはこれまで様々な場で、NPT6条違反について述べていることを挙げて、基準を満たしていることを主張しました。スペースの関係で、個々の発言は省略します。

 

それに対するICJの最終判断は次の通りです。

 

 ノルウェーの会議での発言は、イギリスが欠席した会議で述べられているから認められない。

 その発言、またその他の発言も、核軍縮のための交渉について言及しているのではなく、より一般的な、核兵器の人間に対する影響の問題として述べられている。

 さらにこれらの陳述は一般的に全ての核保有国の言動についての批判であって、イギリスが具体的に義務を果していないということの指弾にはなっていない。

 こうした非常に一般的な内容と文脈で行われた陳述に対して、イギリスは特別の反応を示すことはなかった。

 

この段階でも、このような判断が如何に理不尽なのかはお分かり頂けると思いますが、それに対する少数意見を見てみましょう。モロッコのモハメッド・ベヌーナ判事の意見です。

 

 係争の不存在という理由だけで管轄権がないと結論付ける判断は、ICJ史上初めてである。

 判断基準の③の(c)と、④は、これまでのICJの判例に反している。

 特に、③については、この提訴を取り下げて、再度、同じ内容の提訴を行えば、今回ICJの場で表明されている当事者両国の言い分から、全ての項目は満たされるので、このような技術的な条件で棄却すべきではない。

 

常識的に考えて、ベヌーナ判事の指摘している事実①と②が正しいとすれば、法律的な見地からだけ考えても、RMIの提訴を棄却したICJの判断はおかしいのではないでしょうか。それ以上に問題なのは③です。提訴する前の時点での言動のみに限って議論することの不毛さが明らかにされています。こんなに人工的な基準を作って、人類の存否が問われるような問題についての判断をすること自体、厳しく批判されるべきものであることはお分かり頂けたのではないでしょうか。

 

そして、棄却するかどうかの判断は賛成8、反対8の同数で、最後に裁判長が「棄却」に一票を入れて決定が行われたのですから、少数意見の重みと、判例違反までして核大国を守った判事たちの責任は重いと言わざるを得ません。日本の小和田判事は、当然「棄却」の立場です。

 

しかし、日本政府が本当に被爆体験を大切にし、市民の声を重んじていれば、結果は正反対になっていました。一票の違いでRMIの提訴の実質審議が始まり、核保有国のエゴが俎上に載せられることで、核廃絶への道が開ける端緒にはなり得たのです。

 

 

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2016年12月 5日 (月)

改訂版  「原水禁学校」第3回講義     日本政府の裏切り


改訂版  「原水禁学校」第3回講義

日本政府の裏切り

 

「核兵器廃絶と日本の役割」をテーマにした原水禁学校の講演アウトラインの続きです。

              

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 国連の第一委員会で採択された決議「L.41」が画期的なものであり、世界の未来を導く新たな光を照らすことになるのは、核兵器の廃絶に関心を持ってきた人なら誰でも分ることです。内容は極めて単純なことで、基本的には次のように要約できます。

 核兵器禁止条約締結に向けての多国間交渉を来年2017年から始める。

 日程は、2017327日から31日までと、615日から77日までの間の20日間。

これほど簡単なこと、しかも核不拡散条約(NPT)の第6条に「誠実な交渉義務」として、全ての締約国に義務付けられていたことが、これまでの46年間、核保有国の妨害によって実現されなかった点が問題だったのです。

 

その決議に、「被爆国」を標榜する日本政府は「反対」しました。それについては1030日に「核兵器禁止条約締結への大きな一歩!112日の「外務省の詭弁に市民はどう対抗できるのか」113日の「「亀裂を深めている」だけでなく「作り出している」日本政府・外務省」 で、取り上げましたので、再度お読み頂ければ幸いです。

 

核兵器廃絶という大切な目標を実現する上で、日本政府はこれまでも被爆者や市民を「裏切って」来ましたが、第一委員会決議に対する「反対」はそれらの全てを代表するものです。私たちがもっと厳しく批判の声を上げなくてはならないのではないでしょうか。

 

そのために、もう二例、「日本政府の裏切り」を報告しておきましょう。

 

一つ目は、元々オーストリアが提案し、20154月にはNPT再検討会議に提出した「人道の誓約」に署名していないことです。この誓約に署名したのは全世界で127カ国、さらに、この誓約を「決議」として採択した際には、それらの国に加えて23カ国が賛成しています。つまり、国連加盟国193カ国中、150カ国が賛成しているのです。その内容は、日本政府がどうしても賛成できないような難しい点を含んでいるのでしょうか。以下、内容の要約です。

 

核兵器の危険性や歴史、そして人類に与える破滅的な影響等についてまとめた後、次の三つの誓約をする文書。

 NPT6条を守り、核廃絶に至る道にある「法的ギャップ」を取り除く努力をする。

 それが実現するまで、核兵器による危険性を低減させるための中間措置を取る。

 法的にも道徳的にも核兵器が忌むべき存在して廃棄されるよう、あらゆる個人・団体・市民社会等との協力体制を作る。

 

説明を加えておくと、①は「法の支配」を強調しています。力の強い国の言いなりになるのではなく、NPTにも決められているように、多国間交渉により、例えば核兵器禁止条約を作りましょう、という内容です。②は、条約ができたとしても核兵器が廃絶されるまでには時間が掛かるので、その間にも中間的な措置として、核実験を止めたり、即応態勢にある核兵器を少しずつでもその態勢から解除し、すぐには使えない状態に転換する等のことをしましょうという現実的な内容です。そして③は、できるだけたくさんの人や組織等と協力しましょうということですから、全く問題のないことはお分かり頂けたと思います。

 

二つ目は、マーシャル諸島共和国の国際司法裁判所(ICJ)への提訴却下についてです。同国が、核保有9カ国を相手取ってNPTの第6条違反の廉でICJに提訴をしたことは何度か取り上げてきましたが、その提訴が却下されました。この点については、107日の「マーシャル諸島共和国の提訴は「却下」 でも、判事の評価は 8 : 8、そして109日の「In Good Faith (誠実に) RMI提訴の却下と「白紙領収書」」でも取り上げました。

 

残念ながら、あまり時間がなかったために、これまでICJがどんな理由で却下したのかについては詳しく報告して来ませんでしたが、122日の原水禁学校では、この点にも触れましたので、できるだけ分り易く説明しておきたいと思います。ただし、却下理由は極めて人工的・技術的ですので、読むのは大変かもしれません。稿を改めてしっかりまとめたいと思います。

 

  

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「原水禁学校」第3回講義    日本政府の裏切り


「原水禁学校」第3回講義

日本政府の裏切り

 

間違ってアップしてしまいましたので、「日本政府の裏切り」は削除します。明日御覧頂ければ幸いです。今日はこの下の「法の支配とアメリカ」をお読み下さい。


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2016年12月 4日 (日)

「原水禁学校」第3回 「法の支配」とアメリカ


「原水禁学校」第3

「法の支配」とアメリカ

 

高校生平和大使の感動的なプレゼンの後は、原水禁学校の講演。「核兵器廃絶と日本の役割」がテーマでした。内容はこのブログで何度も取り上げてきたものですが、まとめて読んで頂く意味もあると思いますので、アウトラインだけを簡単に拾っておきたいと思います。

                

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大テーマは、世界が「法の支配」という方向に動きつつあり、それは市民の声、またその集まりとしての世論を反映していることです。地球の未来に希望を持って良いということなのですが、具体的には二つの分野について考えることになりました。一つは、アメリカの動きです。トランプ氏が大統領選挙で勝ったことで、オバマ大統領の影が薄くなっていますが、長期的にはオバマ大統領によってアメリカが根本的かつ良い方向に変わりつつあることを再確認しました。

 

 国連の第一委員会で採択された画期的な決議、つまり、核兵器禁止条約締結に向けての多国間交渉を来年2017年に始めることについて、これが世界レベルでの「法の支配」という新たな時代に踏み込んだことを示しています。それ踏まえて、第二次世界大戦後、「法の支配」が国際的にも広がりつつある歴史を振り返りました。特に、今回の大統領選挙とアメリカ社会についても、同じ文脈で考えることが重要です。

 そのためにも、オバマ大統領のプラハ演説と広島訪問の果たした役割が如何に大きいのかを再確認しました。出発点はアメリカ社会の基本的な価値観を支える二本柱です。

 それは、パール・ハーバーが「絶対悪」であり、それを「善の権化」のアメリカが原爆よって懲らしめたというシナリオに基づいた「勧善懲悪」の価値観です。

 その価値観が、オバマ大統領のプラハ演説と広島訪問で劇的に変りました。「原爆投下は正しかったか」という問に対して、1945年には85パーセントのアメリカ人は「Yes」と答え、その後も2009年には67パーセントだったのが、2015年には56パーセント、2016年にはついに過半数を割って、45パーセントになったのです。改めてグラフを御覧下さい。

  

1945200920152016

 

 これを「オバマ効果」と呼ぶならば、今回の大統領選挙でのトランプ氏の処理の結果として全米で起きているヘイト・スピーチやヘイト・クライムは「トランプ効果」と考えられますが、長期的には「オバマ効果」が勝つであろうと予測できます。

 その理由として、アメリカ社会の「現実」とその現実を市民がどう捉えているのかという「認識」の間にあるギャップです。それを示している二つのグラフですが、一つは、1994年以降アメリカ社会では犯罪が減っていることを示しています。もう一つは、にもかかわらず、普通の人は、犯罪が増えていると思い込んでいるということを示しています。このギャップが、トランプ候補の支持者を増やすことになったと考えられます。

 

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前の年より犯罪が増えていると考える人の割合

 

 しかし、今回の大統領選挙でも総得票数ではクリントン候補が勝っていたこと、また、オバマ大統領のプラハ演説と広島訪問が、アメリカの価値観の基本を揺るがすほど大きかったこと、それが具体的に社会の表面に出てくるまでには時間か掛かるかもしれないこと、さらにオバマ大統領が実現した「オバマケア」その他の改革の効果やその結果社会全体が「良くなっている」ことを自覚するのにも時間が掛かるであろうことも踏まえると、長期的には「トランプ効果」より「オバマ効果」の影響の方が長く続きそうだと考えられます。

 

長くなりましたので、国連の第一委員会の決議とそれに反対した日本政府の言い訳を改めて検証した部分は次回に回したいと思います。

  

 

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コメント

原水禁学校を初めて受講しました。交通機関の関係で、途中、退席をしなければいけなかったのが残念です。歴史をどうみるかその都度、学びかえさなければなりません。自戒します。商業新聞はこんなたいせつなことをなぜ掲載しないのか?いえ❣自分が知ろうと努力が足りないことと、視点の基軸を常にどこへ置くのか…深く反省です。ありがとうございました。やすみ\(;゚∇゚)/

「やすみ」様

コメント有り難う御座いました。また遠くからお越し頂き、感謝しています。ブログでもしっかり伝えたいのですが、やはり直接、時と場を共有することで伝わることもあるような気がします。

これからも頑張って行きましょう。またスター・ライターのお一人としての活躍も期待しています。

2016年12月 3日 (土)

高校生平和大使と「原水禁学校」第3回     高校生も頑張っています


高校生平和大使と「原水禁学校」第3

高校生も頑張っています

 

122日の「原水禁学校」に先立って、被爆71年原水爆禁止世界大会の広島県実行委員会の第3回会合が開かれました。今回の目玉は、第19代高校生平和大使の報告です。広島から参加した広島県立広島高校1年の岡田実優さん、ノートルダム清心高校2年の吉田菜々子さん広島市立舟入高校2年の伊藤美波さんの三人が素晴らしいプレゼンテーションをしてくれました。

                

1

             

 内容は、「高校生平和大使」のホームページにアップされていますので、そちらを読んで頂きたいと思いますが、国連の欧州本部の訪問でも、外交の壁が高く聳えて普段は近付き難い軍縮会議で発言したり、日本政府の代表部を訪問したりという重い日程に加えて、高校生同士の交流や街頭署名にも積極的に取り組む等、充実した一週間だったことが良く分りました。

 

中でも特に感心したのは、高校生ながら、自分たちは違う意見の持ち主とも冷静にやり取りをし、相手のメッセージを客観的に受け止め、しかも自分たちの主張は曲げずに相手に伝えてきたことです。

 

例えば、軍縮会議での意見を述べた後、中国の代表は高校生に対して、自分たちの意見だけではなく、広く世界の状況を見る必要があること、特にあの戦争は誰が起こしたのかについてもきちんと勉強しろといった内容の発言のあったことを、報告してくれました。私には大人気ない言葉のように思えましたし、中国政府自体様々な舞台でかなり勝手なことを言い続けていますので、日本政府への言葉ならまだしも、これから中国の若者とも仲良くして行きたいと思っている子どもたちには別の言い方があったと思いました。でも高校生たちは、きちんと相手言い分を正確に受け止めていました。それをどう消化すべきなのかは、もう一つの体験、佐野軍縮大使とのやり取りで明確になりました。

 

佐野大使は公的な場で、被爆者の気持を無視し、被爆体験から何も学んでいないことを露呈する発言を続けていますが、その佐野大使の言葉も正確に冷静に受け止めていることの分る報告をしてくれました。そして、外務省と私たちとの間には核兵器の廃絶についての溝のあることがハッキリした、その溝を埋めることが私たちの仕事です、という認識と決意を表明してくれました。

 

このところの外務省の言動を見るに付け、「外務省さんよ。高校生に負けてるよ」と言いたくなりました。特に広島選出の岸田外務大臣に聞いて貰いたいプレゼンでした。情熱を持って「ヒロシマの心」を訴える高校生の言葉を真っ正面から受け取り、その言葉通りの発言をし始めなければ、「日本」という国の未来はかつてと同じように「周回遅れ」の果に世界から孤立し、大破局を迎える以外の選択肢はなくなりそうです。

 

その後の原水禁学校の「核兵器廃絶と日本の役割」をテーマにした講演内容は、このブログで何度も取り上げられてきたものですので、アウトラインだけを簡単に拾っておきたいのですが、一気に読んで頂きたいので、その部分は次回のお楽しみに。

 

 

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2016年12月 2日 (金)

今日6時30分から8時まで「原水禁学校」第3回     核廃絶と日本の役割について、講師は秋葉忠利


今日630分から8時まで「原水禁学校」第3

核廃絶と日本の役割について、講師は秋葉忠利

 

今日、これを読んで夕方には原水禁学校に駆け付けられる方は少ないかも知れませんが、予定が変って、今回の講師は私が務めることになりました。どなたでも無料で聞けますので、お誘い合わせの上、お出掛け下さい。

 

これまでこのブログで書いてきたことを1時間30分にまとめて分り易くプレゼンする予定です。

 

改めて講演会の案内です。

日時   2016年午後6:30—8:00

場所   〒733-0013 広島県広島市西区横川新町7-22 自治労会館 3階大会議室

電話   082-294-8711 

講師   秋葉忠利 (広島県原水禁代表理事・前広島市長)

演題   核兵器廃絶と日本の役割

              

Photo

               

場所は横川の自治労会館の3階にある大会議室です。自治労会館は西区民文化センターの裏ですが、地図を添えておきます。

 

Photo_2


 世界的に今焦点になっている核廃絶の動きについて、少し深く考えて見たいのですが、同時に日本の役割についても、皆さんと一緒に議論できたらと思っています。

 

直接関係はないのかもしれませんが、特にこのところ目立ってきた「高齢者叩き」に腹が立っています。高齢者からの反論や、高齢者が大挙してデモを始める可能性が少ないことを見越しての動きなのでしょうか。その筋書きも卑劣に見えるのですが、高齢者から運転免許証を取り上げて、集会やデモへの足を止める、さらに、年金は減額して公共交通での移動も難しくする、健康保険の上限も上げてさらにお金を吸い上げる、その上で、今度はどんな高齢者いじめをするのだろうかと、考えてしまいます。そろそろ私たち高齢者も立ち上がる時期なのではないかと思いますが、「核廃絶」とも結び付けて考えられないものでしょうか。

 

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2016年12月 1日 (木)

オバマ大統領への手紙 (2) 日系アメリカ人被爆者のことも忘れないで下さい


オバマ大統領への手紙 (2)

日系アメリカ人被爆者のことも忘れないで下さい

 

お読み頂ければ分りますが、かつては1000人くらいの方が属していた在米被爆者協会という組織のお手伝いをしていたことがあります。その後、長い間会長や理事として活躍されていた倉本寛治さんや中野健さんもお亡くなりになりましたが、御健在の方も多くいらっしゃいます。しかし、オバマ大統領のヒロシマ・スピーチでは言及がありませんでした。できれば在任中にお引き合わせができないものかと、ホワイト・ハウス(郵送と電子メール)、東京のアメリカ大使館内ケネディー大使、ニューヨーク・タイムズ等に手紙を送りました。どなたかの目に触れ、大統領の手に渡ることを祈りつつ。

 

             

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ホワイト・ハウスのホーム・ページから

 

 
 

オバマ大統領閣下

 

現職のアメリカ合衆国大統領として広島を訪問して下さったことに対して、前広島市長として改めて御礼申し上げます。被爆者そして広島市民だけでなく、全国民が貴職の広島訪問を歓迎しました。共同通信の調査では、全人口の98パーセントが素晴らしかったと評価しています。

 

個人的には、貴職の広島でのスピーチに感動し感謝しています。それは、2009年のプラハでのスピーチをさらに広げた内容になっています。そのプラハのスピーチに応える形で、2009年の平和宣言では謝罪抜きで広島に来て頂きたい旨の意思表示をしていますし、秋には広島に来られたルース大使にもきちんとお伝えしています。また、2010年には、ホワイト・ハウスで、広島にお出で頂けないかと直接お願いをさせて頂きました。

 

また、貴職のスピーチと広島訪問の結果、「原爆投下は正しかった」と考えるアメリカ人が、1945年の85パーセントに対して、今年2016年には45パーセントになったというYouGov社の世論調査結果も注目すべきだと思います。これほど劇的な変化がアメリカで起きていることは、今後、世界により大きな影響を与えるはずであり、これほど大きな貴職の功績に感謝の意を表します。

 

私は数学を勉強しましたので、それ故に貴職の広島スピーチ中の集合論的な瑕疵に気付きました。スピーチの中で、何故広島に来るのかについて、貴職は説得力ある説明をされています。「私たちが広島に来るのは、ここで亡くなった人たちの霊に祈りを捧げるためです。その中には、10万人以上の日本人の男性、女性そして子どもたち、何千人の韓国・朝鮮の方々また、捕虜として拘束されていた12人のアメリカ人も含まれます。」

 

ここで明示された方々への貴職の配慮は世界の多くの人たちから歓迎されました。そして私も心からそれに賛成しています。しかし、このリストから漏れているアメリカ人がいます。原爆投下時に広島にはかなりの数の日系アメリカ市民が住んでいました。彼ら/彼女らは、その結果被爆者になりました。

 

その後、アメリカに帰国した彼ら/彼女らはアメリカ政府からの医療補助を求めましたが、その願いは未だに実現していません。医療費は、日本政府の制定した「被爆者援護法」が賄っていますが、アメリカ政府に彼ら/彼女らの存在を認めて貰う必要はなくなってはいません。

 

この手紙を認めているのは、貴職を批判するためではありません。実は、このことは今考えると、マイナスの衣を纏った祝福なのかもしれないからです。それは、貴職が日系アメリカ人被爆者をホワイト・ハウスに招待して彼ら/彼女らの話を聞くことが、一石二鳥になるからです。貴職にとっては、広島では時間の都合で実現できなかった被爆者の体験を詳しく聞くことができるという結果になります。そして日系アメリカ人被爆者の存在を、貴職が「公式に」認めたという結果ももたらすからです。

 

 敬具

 前広島市長   秋葉忠利



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