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2016年10月

2016年10月31日 (月)

小さな神社の300年祭と原爆ドームの奉納額 

小さな神社の300年祭と原爆ドームの奉納額 

 

生まれ育った広島市安芸区船越の字名竹浦地区にある小さな神社の造営300年のまつりが行われた。


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この竹浦地区は左右の山の形が鼓を連想することからから鼓が浦と呼ばれた地域。江戸時代以前は看板の立つコンビニの手前は海の入り江だった。この谷あいを登ったところに大年神社がある。

 

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1023日にその大年神社の300年祭(享保元年から300年)が町内会や青年団、地元の皆さんの協力のもとに行われた。

 

 

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9時、その大年神社までコンビニの前からスタートして坂道を地元の青年団の獅子舞を先頭に行列がつづく。

 

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神社の境内の入口の階段を獅子が舞いながら上がっていく。

 

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その後ろを神輿が駆け上る。

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獅子は休む間もなく本殿で獅子舞を奉納する。

 

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お囃子は篠笛と太鼓のみ。なかなか見る機会がないので皆さん静かに見入っている。

 

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祝詞のあと餅まきがあって11時に終了。300年という年月の区切りがつけらた。

 

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この祭り参加して本殿に上がると原爆ドームの刺繍絵の奉納額が目に入った。平成114月吉日とある。地元のご夫婦の名前が記載されてあった。

 

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お名前を頼りに家にある船越原爆被害者の会発行の被爆体験記をめくってみた。

 

奥さんが体験を書かれていた。妹や親戚を探しに母と市内に3日目に入り広島駅から相生橋、横川などを歩いた時の悲惨な状況も書かれている。終わりの所で「船越に嫁いで来て、この辺りも建物にかなりの被害があったそうです。障子の骨が折れたり、天井が押し上げられたり、今でも私方の家では、東側のむね木を支えている木が、外側に飛び出しています」とある。平和を願う強い気持ちで奉納されたのだろう。

 

 

 

私の家も窓ガラスが割れ、3女で姉の栄子が学徒動員で被爆し行方不明のままだ。その妹を探して入市被爆した長女の和子はこの大年神社に毎日詣でて境内の掃除などを欠かさなかったことが思い出された。

 

船越原爆被害者の会発行の被爆体験記は昭和591984)年110日に第一集が発行されその後第三集まで発行された。約350人からの応募があったことが記載されている。

 

 

10月29日 

 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

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2016年10月30日 (日)

核兵器禁止条約締結への大きな一歩!


核兵器禁止条約締結への大きな一歩!

昨日は「いのちとうとし」さんも熱く語ってくれたトピックですが、今後の政治の分水嶺になるかも知れません。何度か取り上げ、考えて見たいと思います。

 

広島では2016原水禁学校が始まり、被爆者を初め多くの市民や組織が60年以上も続けてきた核廃絶のための運動を未来につなぐ新たな可能性が生まれています。その間、ニューヨークの国連総会第一委員会では、歴史的な決議案が取り上げられ、現地時間1027 (日本時間1028日朝) に、圧倒的多数で採択されました。

         

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 この決議は「L.41」と呼ばれていますが、その内容は、「やがては核兵器の全面廃止に至るであろう、核兵器禁止のための、法律的に拘束力のある条約その他の手段」についての交渉を、2017年に始めることです。第一委員会は、国連の中でも軍縮と国際安全保障について取り組む使命を持った委員会で、決定は多数決で行われます。今後、総会そのものでも決議が行われることになります。簡単にまとめると、核兵器禁止条約締結に向けての交渉が来年始まるのです。人類にとっての素晴らしい、大きな第一歩です。

 

投票結果は、賛成123、反対38、棄権16でした。

 

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 当然のことながら日本は「反対」です。「当然」と書いたのは、これまでの日本政府の核兵器についての言動からは、情けないことなのですが、このような結論しかあり得ないからです。しかし、その日本の外務大臣は広島選出の岸田文雄氏です。普段は外務省の言うなりでも、ここ一番では被爆者のために踏ん張って貰えるのではないかと一縷の望みを託していたのは私だけでしょうか。

 

穿った見方をすれば、まず総理大臣になる、そして総理大臣になった暁には、国際社会での言動は、被爆者の意向を全面的に反映させたものにする、という作戦でもあるのでしょうか。仮にそうだとしても、自民党総裁の任期が延長されるわけですから実現までには時間が掛かります。その間にも、日本の政治の劣化は止まらない様相を呈しています。

 

現在の日本の政治の「軍国主義化」そして国際舞台での「アメリカ追随」と「力の支配」の信奉を続けると、1930年第40年代の日本と同じく、「周回遅れ」の悲しい筋書きから、大いなる悲劇に続くシナリオになってしまいそうです。それを変えさせる上で、私たちの力が足りなかったのかもしれませんが、未来世代のためにも新たな戦略を練りましょう。

 

大切な投票結果ですが、訳すのには時間が掛かりますので、ICANというNGOのホームページへのリンクを張っておきます。英語ですが、賛成国、反対国、棄権国が良く分ります。

掻い摘んで大体の傾向を要約しておくと、賛成したのは、オーストリア、ニュージーランド、インドネシア、フィリピン、メキシコ、コロンビア、コスタリカ、ブラジル、南アフリカ、スエーデン、ベトナム等の国々ですが、核保有国の中では、唯一、北朝鮮が賛成しています。

 

反対したのは、アメリカ、イギリス、フランス、ロシア、イスラエルの核保有5カ国、そして日本やオーストラリア等の「核依存国」、ほとんどのNATO加盟国、それと北欧の国だけを取り出すと、ノルウェーとデンマークです。この結果とつなげるべきなのかどうか疑問は残りますが、被爆者へのノーベル平和賞が実現しなかった背景には、このような要素もあるのかもしれません。(因みに、コロンビアの紛争解決のためには、ノルウェー政府は積極的に動いていました。)

 

棄権した国々ですが、まず核保有国の中国とインド、パキスタンが目立ちます。スイスやオランダも棄権しているのはNATOへの配慮と、核兵器禁止条約の大切さとの間での微妙な決定だったのかもしれません。

 

この決議案が提出されたのは、8月にジュネーブで開かれた国連の「公開作業部会」が採択した報告書の勧告に従ってのことでした。そして、今回の決議では、核兵器禁止条約締結のための多国間交渉が2017327日から31日までと、615日から77日まで、20日間開かれることになっています。

 

日本政府は、この交渉には応じるようらしいのですが、決議案に反対した理由としては「核保有国と非核保有国との対立をさらに深刻にしてしまう。核兵器の廃絶は核保有国と非核保有国の協力によって実現されなくてはならないからだ」というようなことを言っています。さらに、多くのメディアは「核の傘に依存しているという事実もある」と断定しています。

 

因果関係を無視した発言、妄想を事実と報道するメディア、それを簡単に信じてしまう市民と、3拍子が揃ってしまうと、何度も書きますが、「周回遅れ」が「二周遅れ」「三周遅れ」になってしまいます。もう一度、核兵器だけに限っても仕方がありませんが、何が事実であり、人類が生存し続けるためにその事実に基づいた選択ができるよう、一から考え直さなくてはならないと思います。

 

この項、続きます。

 

[写真はIPPNWXanthe Hall氏による]

 

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2016年10月29日 (土)

核兵器廃絶なくして被爆者の救済なし――許せない日本政府の姿勢――

核兵器廃絶なくして被爆者の救済なし――許せない日本政府の姿勢――

 

昨日の朝、「国連総会第1委員会で『核兵器禁止条約など核兵器の法的禁止措置について交渉する国連会議をニューヨークで来年開くとした決議』を123カ国の賛成を得て採択した。」というニュースが流れてきました。「核兵器を法的に禁止する枠組み」へのスタートとして、歓迎した人も多いと思いますが、同時に報道された、「この決議に日本政府が反対した」という内容に、「怒り」を感ずるよりも「やっぱり」という思いや失望感を感じた人も多かったのではと思います。私もその一人です。

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昨日のブログで触れていただきましたが、原水禁学校の第1回の講義のテーマは、「原水禁運動の歴史に学ぶ」でしたが、私がこの講座で最初に取り上げたのが、19558月8日に採択された「第1回原水爆禁止世界大会宣言」です。「原水爆禁止を要望する最初の世界大会が、1955年8月6日―世界最初の原爆投下の日―から3日間、この原爆の地「ヒロシマ」にひらかれ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国の代表をふくむ日本各地からの5千人をこえる代表たちが集まりました。」で始まるこの「宣言」の真ん中あたりにこういう言葉がありますので引用します。

 

「原水爆被害者の不幸な実相は、広く世界に知られなければなりません。その救済は世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。それがほんとうの原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます。」

 

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この「宣言」に「被害者の救済が原水禁運動の基礎」であり「核兵器禁止が真の被害者の救済」を盛り込むために起草委員であった森瀧市郎先生などの大きな努力があったといわれています。「被害者の救済」と「核兵器廃絶」は、原水禁運動の両輪です。私もそれが、原水禁運動の基本だと思っています。

 

私は、今回の日本政府の対応を見るにつけ、改めてこのことを考えます。もし日本政府が、「唯一の戦争被爆国」というのであれば、常にこの原点に立ち帰って、世界の「核兵器廃絶を願う人々」とともに歩むべきだと。「原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます」というこの宣言の重みを、もっと考えるべきです。

 

外務省のホームページを見ると毎年のように「国連総会において日本政府の主導で『核兵器廃絶決議』を提案し、採択された」と掲載されています。果たして今年も日本政府は、臆面もなく同様の提案をするのでしょうか。

 

 

原水禁学校第1回講座では、この他にも「なぜ『国家補償』を求め続けるのか」などについて話をしました。その中でも重要だと思っている「『核と人類は共存できない』の深い意味」というテーマについては、また機会を作って報告したいと思います。

 

今日は、昨朝、「国連での『核兵器禁止条約』に関わる決議の採択」のニュースが入りましたので、原水禁運動の原点について、触れることにしました。

 

 

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2016年10月28日 (金)

2016原水禁学校


2016原水禁学校

 

 いよいよ、2016原水禁学校が始まりました。1026日が第一回の講義で、テーマは「原水禁運動の歴史に学ぶ」。講師は、原水禁の代表委員・元衆議院議員で、このブログでもお馴染みの金子哲夫さんです。

 

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原水禁学校の開催予定ですが、今回も含めて全部で五回、講義とワークショップがあります。どの回でも、関心のある方は是非御参加下さい。似島のフィールドワーク以外は、費用は掛かりません。

 

[2] 1119 ()   時間 :  9:2015:10 

テーマ :  「被爆体験をどう継承するか」**似島フィールドワーク

講師 :   宮崎 佳都夫さん (似島在住)

場所 :        9:20分に宇品港集合

参加費 :  フェリー代、弁当代も含めて 1,000

 

[3] 122日 ()  時間 :  18:3020:00

テーマ : 「世界の核被害者」

講師 森瀧 春子さん (広島県原水禁会員)

場所 自治労会館 大会議室

参加費無料

 

[4] 2017127 ()  時間 :  18:3020:00

テーマ : 「核兵器廃絶と日本の役割」

講師 秋葉 忠利さん (広島県原水禁代表委員)

場所 自治労会館 大会議室

参加費無料

 

[5] 2017217 ()  時間 :  18:3020:00

テーマ : 「福島原発事故と脱原発運動」

講師 角田 政志さん (広島県平和フォーラム代表)

場所 自治労会館 大会議室

参加費無料

 

さて、第一回の講義ですが、森瀧市郎先生の一番弟子とも言って良い金子哲夫さんが、森瀧先生の足跡を辿りつつ、広島の原水禁運動の出発点から基本理念、そしてこれまでの活動内容を分り易くしかも感動的に話してくれました。

 

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そのさわりの部分は、これまでも、何回かこのブログでも触れられています。森瀧先生の活動の象徴とも言って良い「座り込み」については、「森瀧市郎先生と座り込み」 をお読み頂けると幸いです。

 

広島県原水禁の基本理念を簡単にまとめると、二つの等号で示すことができそうです。一つは、「被爆者の救済」 = 「核廃絶」です。森瀧先生の言葉にすると「被爆者の救済なくして核廃絶なし」そして「核廃絶なくして被爆者の救済なし」です。それはより大きな等号、「核なき世界」 = 「人類の生存」、森瀧先生の言葉では「核と人類は共存できない」です。その一部として、「軍事利用も平和利用も否定」という考え方になります。

 

森瀧先生の思想や人生を詳しく知りたい方には、森瀧先生の遺された『核と人類は共存できない』をお勧めします。

 

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 被爆者救済のため、1994年にはそれまで「原爆二法」と呼ばれた法律が一つにまとめられ「被爆者援護法」になりましたが、この法律には重大な欠陥があります。「戦争の結果、国民が犠牲を払うことになっても、それは全ての国民が等しく受忍しなくてはならない」と要約できる「受忍論」と呼ばれる考え方を元に、日本政府は国家が戦争の責任を取ることを否定してきているからです。この点については、「線香の一本でも」に込められた思いをお読み下さい。

 

しかしながら、かろうじて被爆者たちの声が国立の施設で認められているのが、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館です。地下一階から地下二階に降りるスロープの壁にはめ込まれている銘板の一つには次のような言葉が記されています。

 

ここに、原爆で亡くなった人々を心から追悼するとともに、誤った国策により犠牲となった多くの人々に思いを致しながら、その惨禍を二度と繰り返すことがないよう、後代に語り継ぎ、広く内外に伝え、一日も早く核兵器のない平和な世界を築くことを誓います。

 

しかし、この「誤った国策」という表現は、国立広島原爆死没者追悼平和祈念館のホームページその他の場所から完全に削除されていて、この場所でしか見ることのできない言葉なのです。この点についても金子さんが現地でしか見られない説明文」で熱く語っています。

 

金子講師の話にはまだまだ大切なポイントがあるのですが、それについては御本人も書かれるはずですので、ほんの一部を紹介させて頂きました。森瀧先生の思想や行動を継承している金子さんを通して、森瀧先生と広島県原水禁のこれまでについて、生きた歴史を学ぶことができました。原点に戻ることの大切さも改めて確認できました。次回からの講義には皆さんにもお出で頂ければ幸いです。

 

  

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2016年10月27日 (木)

テレビ番組をブルーレイ・ディスク(BD)に残す


テレビ番組をブルーレイ・ディスク(BD)に残す

 

数年前に東芝のRegzaというテレビを買いました。画面がキレイなことも良かったのですが、特に惹かれたのは、外付けのハードデイスク(HDD)に録画ができて、HDD4台までつなげるという点でした。見たい番組は取り敢えず録画しておいて、後から見るかどうかを決めるという合理的な選択ができるような気がしたからです。

 

でも現実はそれ以上で、録画する番組はどんどん増える一方でした。勇気を出して削除する番組を決めて何とか削除できましたが、その中で、どうしても後、何度か見ておきたい番組や、記録として残しておきたいものが出てきました。何しろHDDの寿命は長くて10年、HDDがダメになると記録もなくなってしまいます。BDの方が寿命は長いので、そちらにダビングするのが自然です。

 

そのためにはいろいろな仕掛けが必要で、LANネットワークにテレビとパソコンをつなぎ、Diximというソフトを使うのが一番簡単でした。Diximは元々パソコン用の外付けBDレコーダーに付属していたのですが、このソフトを使うとRegzaHDDからLANネットワーク経由で、パソコンにつないだBDプレーヤーに挿入したBDに内容がダビングできました。

 

ところが、二つ問題が生じました。一つはDiximWindows10では使えなくなってしまったことです。これは、古いパソコンを持ち出してきてWindows7のまま使うことで解決しました。もう一つは、2時間を超える番組だと、この方法ではダビングができないことです。Regzaの機能を使って、HDDに録画した番組を分割できれば良いのですが、その機能は付いていません。

 

いろいろ考えた末、同じ東芝のRegzaに対応したBDレコーダーを買うことにしました。他社のレコーダーでは、Regzaで録音した番組をダビングできないからです。つまり、東芝の機器同士でしか便利な機能は使えないということです。それは他のメーカーでも同じようです。


 

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Regza TV  HDDの録画リスト画面

 

 

これで一件落着と行けば素晴らしいのですが、一つ目の問題は、Regza TVにつないだHDDからBDレコーダーに挿入したBDには直接ダビングができず、一度HDDからHDDへのダビングをして、次にレコーダー内のHDDからBDにダビングしなくてはならないこと。しかもその間にダビングの回数は一回減ってしまいます。

 

もう一つは、2時間を超えた番組の分割をレコーダーで、その度にしなくてはならないことですが、もう少し使いこなせるようになれば、ショートカットが見付かるかも知れません。あるいは、この件について良く御存知の方がいらっしゃれば教えて下さい。

 

それにしても、技術的にはごく簡単なことのはずなのですが、家電メーカーは、消費者が便利に使うことなどは念頭になく、自社製品の囲い込みが一番大切だという「サービス精神」に凝り固まっているとしか見えません。そんな姿勢では遅かれ早かれ破滅することは目に見えているはずなのに、です。

 

 

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コメント

 韓国などIT先進国では数年前からテレビ番組を録画するようなものは売っていないと聞きますが、音楽がレコードからカセット、CD,MD、HD、フラッシュストレージと変化した挙句にネットを利用した聴き放題サービスと変遷しているように、映像コンテンツも個人で持たなくても、いつでもどこでも見たいものを見たい時に見られるオンデマンドに全てのものが入るようになるでしょう。
 我が家にも8mm、ビデオ(ベータ)、DVDminiと今では再生機器のない映像コンテンツが沢山あり、DVDやBlu-rayもいつまで見られるものか疑問ですし、写真なども本棚の奥に仕舞い込まれて誰も見ないアルバムから、いつでもどこでも簡単に見ることのできるクラウドでの保存が主流になっています。

「映像マニア」様

コメント有難う御座いました。我が家にも音声そして映像の録音・録画、そして再生機器が所狭しと並んでいます。

技術の進歩を消費者のために使うのではなく、企業の短期的な利益や官僚の利権や変なプライドを優先してきた我が国のエスタブリッシュメントの責任が問われているような気がします。

大きな分岐点は、VHSとベータの闘いだったような気もするのですが、どうなのでしょうか。

2016年10月26日 (水)

総理大臣に任期を――そして罷免も   憲法上は許されています


総理大臣に任期を――そして罷免も

憲法上は許されています

 

自民党総裁の任期を現在より長くするかあるいは無期限にする、この二者のどちらかにするという自民党の決定について、その影響と私たちに何ができるのかを考えてきました。自民党の総裁の任期は、それが法的拘束力は持たないものの、総理大臣の任期を実質的に決める上でそれなりの役割を果してきました。そのこととの関連で、現在は存在しない総理大臣の任期が必要だという主張をしました。それはアメリカの大統領には任期があることをお手本にしていました。

 

アメリカ大統領についての規定とその意味は分り易いのでまずそちらを使いましたが、私たちに取って一番基本的な憲法の規定から、論理的に引き出せる根拠もあります。それは憲法の第15条です。

 

15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

 

ここで「公務員」という言葉が使われていますが、その中には当然総理大臣も入ります。憲法でそれを説明しているのは第99条です。

 

99条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

99条で総理大臣を筆頭に挙げて、国会議員、裁判官と例示を続けて、「公務員」と言っているのですから、総理大臣は「公務員」の一番典型的な例と言っても過言ではありません。その公務員を罷免するのは「国民固有の権利」なのですから、私たちが総理大臣を辞めさせることができるのです。

                

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第一次池田内閣


この点があまり注目されないのは、第15条にはこの後に公務員の本質について、さらに選挙についての項目が並んでいるために、つい「罷免」を見落としてしまうからなのではないかと思っています。第15条全体を掲げておきましょう

 

15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。

2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。

3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。

4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 

現行法の立場では、国民固有の権利である総理大臣を選ぶこと、そして必要があれば罷免することは、国民が直接行使するのではなく、国会に託しています。内閣不信任については第69条に規定があります。

 

69条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない。

 

不信任の決議は過半数で成立するので、憲法改正よりはハードルが低いのですが、それでも、現在のように与党勢力が2/3を占めている状況では、内閣が暴走してもそれを止める手立てはありません。

 

特に小選挙区制になり、当選するため、いやそもそも選挙に出るためにさえ政党に属し、かつ執行部の覚えが目出度くないと公認も貰えないというほど、政党、その中でも執行部の力が巨大化しています。そんな状況で内閣の不信任案が通る可能性などまずは考えられません。それとは逆に、図に乗った内閣が憲法の解釈改憲をし、戦争させるために自衛隊を海外に派遣するといった「暴政」を続けているにもかかわらず、国会の力ではそれを止めることができないのが現行の制度です。

 

制度的なレベルでの対応に限って考えると、今の小選挙制度を改めて、比例代表制度あるいはそれに使い制度にすることで、国会の構成によって内閣の暴政を止められるようにするか、国会も独裁政治の共犯になるような状況であったとしても国民が主権者としての意思を現実にできる制度を作るかといったことを考えなくてはなりません。

 

一つの答えになり得るのが、「国民投票」によって内閣の辞職を求めるという、現在私たちが持っていない手段を創設することです。罷免を頻繁に行うなどという無茶なことはすべきではありませんが、論理的には、罷免を定期的に行うのが任期ですから、総理大臣の任期を決めるというより現実的かつ効果的なことから始めたら良いのではないかと思います。

 

今の状態の国会がそんなことを検討さえしないであろうことは十分に理解しています。何とか私たちに共感してくれる世論を作れないか、懸命に努力することも必要です。それは、多くの皆さんが寝食を忘れて取り組んでくれていることです。同時に、現実として存在しなくても、また近い内に実現する可能性は低くても、論理的に考えると、私たちはこんな力も持っているのだ、それが主権在民の意味なのだという基本を再確認することからも、新たなエネルギーが生まれてくるのではないでしょうか。

 

 

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2016年10月25日 (火)

総理大臣も宣誓を――続きです

総理大臣も宣誓を――続きです

 

宣誓することの意味は、この下に貼り付けた『数学教室』、20124月号の「宣誓」の最後にありますのでお読み頂くとして、総理大臣の任期の方は、再度取り上げたいと思います。

 

 

 
 

 

 

『数学教室』、20124月号の「宣誓」から後半部分

 

 

集合論的な立場がもっとはっきり表れているのが、法廷における宣誓です。昔懐かしいアメリカのテレビドラマ『Perry Mason』でも、最近の人気番組『Boston Legal』でも、法廷でのやり取りがドラマの山になっています。法廷には、裁判官がいて、被告、弁護士、検事、そして証人が欠かせません。その他にも速記者や廷吏等も必要ですし、ドラマの中では傍聴人やマスコミ等も大切なプレーヤーです。

 

証人が法廷で証言をするに当って、これまた、必ず宣誓をすることになっています。その宣誓の言葉ですが、アメリカの法廷の標準的な言葉は次のようなものです。先ず、廷吏が証人に聞くのですが、

 

Do you solemnly swear to tell the truth, the whole truth, and nothing but the truth?

 

直訳すると、「あなたは、真実、すべての真実を述べ、そして真実以外は何も述べない、と厳粛に誓いますか」ですが、「solemnly」のところは、「良心に従って」くらいに意訳したいところです。証人は「I do.」と答えます。

            

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 つまり、証言の内容を真実か否かという篩にかけた時、その結果が、真実という集合でなくてはならないと言っているのですが、大切なのはその次です。真実と言っても、真部分集合も「真実」の一部ですから、その一部だけを述べれば一応「真実を述べた」ことにはなるのですが、真部分集合だけでは駄目ですよ、余すところのない全ての真実を述べることが必要なのですよ、と念を押しているのです。

 

とは言え、思い余って真実以外のことまで喋ってはいけないのですよ、という意味で、今度は真実とそれ以外の属性を持った「宇宙」に目を向けて、真実の補集合について言及してはいけない、と釘を刺しています。集合論的には水を漏らさぬ規定です。

 

さて、日本の法廷ではどうなるのでしょうか。標準的な宣誓と、国会での証人喚問の際の宣誓を見てみましょう。

 

「良心に従って真実を述べ,何事も隠さず,偽りを述べない旨を誓います。」(裁判所)

 

「宣誓書 良心に従って真実を述べ何事も隠さず、また、何事も付け加えないことを誓います (日付・氏名)」と宣誓書を朗読(宣誓)し、宣誓書に署名・捺印しなければならない。(国会)

 

日本語としてはこの方が分り易いので、これでも良いと思いますが、英語版と比べて客観性が薄くなっているように思えます。英語では、集合全体でなくてはならない、真部分集合だけでは駄目、それから真実という集合の外も駄目という形で、集合についての記述になっています。ところが、日本語版は証人の言動についての規定になっています。「隠す」「付け加える」「偽りを述べる」は証人の意図的な行動です。

 

極端なことを言えば、「隠す」気持がなければ全ての真実を述べなくても良いことになり兼ねません。そして、「真実」かどうかの判定、あるいは定義と言った方が良いのかもしれませんが、それに、一人一人の人間の行動や意図が関わってくるとなると、真実の客観性が薄れてしまうのではないでしょうか。集合論的な表現の方がよりふさわしいと思うのは、私が数学を勉強したからなのかもしれませんが――。

 

それ以上に彼我の差で気になるのは、我が国の総理大臣が就任に際して宣誓をしないことです。総理として、固い決意をしているのか、あるいは覚悟を決めているのかが私たちには伝わってきません。アメリカが大統領制で日本は国会で総理大臣が選ばれる、という違いはあります。しかし、その仕事の重さは同じだと考えても良いのであれば、総理大臣が就任する際に、天皇から親任式において任命されるという形も大切ですが、加えて、国民に対してもはっきり伝わる言葉で宣誓を行うべきなのではないでしょうか。

 

宣誓をするだけでは、憲法に忠実に職務を行うべき総理大臣が本当にしっかりとした仕事をするための即効薬にはならないかもしれませんが、一年毎に新しい総理大臣が生まれる異常さを防止する一助くらいにはなるかもしれません。総理大臣としての仕事の重みを実感して貰うための仕組として、短くしかし総理大臣の決意と責任を示す宣誓を行うよう検討しても良いと思うのですが、如何でしょうか。

 

 

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法廷の写真版権: <a href='http://jp.123rf.com/profile_wavebreakmediamicro'>wavebreakmediamicro / 123RF 写真素材</a>

コメント

記事に書かれている通り、日本人にとっては「すべての真実を述べる」ということが何より重要に感じます。

アメリカで仕事をしていた時、どうして日本人と中国人と韓国人は、こんなにアンフェアで嘘吐きなのだろう、と思ったことがあります。それは一時期の特定の地域の特定の業界でのことですから一般化するには無理がありますが、かなり明確な印象でした。

その三カ国とも仕事の内容以外のことが余りに仕事に影響するということがありましたし、特に日本人の場合「嘘をつくわけではないが肝心なことを話さない」ことが嘘をつくことと同じとは思わず、不誠実ともアンフェアとも思っていないように感じることが多かったものです。

情報を改ざんしたり隠蔽しなくとも、積極的に必要な情報を開示しないというだけでも十分に罪であるという認識を、特に政治家や行政には持って欲しいと思います。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。御経験を元にした興味ある御指摘ですが、アジア特有の風土といったものがあるのでしょうか。

「真実」が、円の中として代表されていると考えて、自分では嘘を吐いているという明確な認識がないとすると、何かをでっち上げて嘘を吐くような場合は、嘘と真実の境界線が、元の円の外側まで広がってしまっていることになるでしょうし、真実を隠してしまう場合は、真実の境界線が内側に凹んでしまっている状態ですね。図を描ければ簡単なのですが、こんな説明で理解して頂けますでしょうか。

そのどちらの場合も、本人の認識は「全ての真実を話している」になるのでしょうから、改めて、「真実」の定義をきちんと定式化しておくことの大切さが浮き彫りにされているように思います。

工場長さんの言われること良く分かります。
私も長くヨーロッパで生活しましたが、アジア人というより日中韓の三カ国に対して嘘をつく、事実を隠す、真実を言わない、と思っていました。それは詐欺的に相手を騙すというより、身内を庇う、組織を守ることに大義があり、真実を明らかにすることは仲間を裏切ることであり、その方が罪深いという道徳観にもとづいているように感じました。
社会正義より身内を守ることの方が正義だという社会であるということです。欧米のように個人主義ではない裏返しとも言えますが、政治家や公務員は国民こそが主人であり守るべき対象だということを肝に銘じて欲しいものです。

「前期高齢者」様

コメント有難う御座いました。海外での経験では「工場長」さんや「前期高齢者」さんのような認識はありませんでした。論理的に物事を捉え考える人たちに囲まれていたからなのでしょうか。とは言っても、最近は記憶力に自信がなくなっているので、丁寧に昔のことを思い出してみようと思っています。

「身内」が可愛い、真実より「仲間」、という価値観に圧倒されたのは、政治の世界に迷い込んでからでした。口で言うことと本音が違い、その本音の汚い部分での考え方に染まらないと「仲間」にはして貰えない世界があるという発見はショッキングでした。

これって、核保有国や原子力ムラの価値観に通じていますよね。

30年余り商社で半分以上海外勤務でしたが私のイメージでは中国人は騙される方が悪い=騙すのも能力(実力)のうち、韓国人は身内の利益に勝るものはない=裏切りは何よりも悪、日本人はバレなければ良い=聞かない方が悪い、という人や企業が多かったように思います。
それと賄賂が横行しているのはアジア全体で日本はマシな方ですが西欧人からみると五十歩百歩、どんぐりの背比べとも思いました。

「定年間近」様

コメント有難う御座いました。「工場長」「前期高齢者」「定年間近」のお三方とも、現実社会での厳しくも貴重な経験からのコメント有難う御座います。そして皆さんそれぞれに、そんな環境に揉まれながら、御自分の依って立つ価値観や世界観をしっかり守って来られたように、文面から受け止めました。敬服します。

2016年10月24日 (月)

総理大臣も宣誓を 自民党総裁任期延長の続きです


総理大臣も宣誓を

自民党総裁任期延長」の続きです

 

 

『数学教室』という面白くてためになる雑誌があります。主な読者そして書き手は算数や数学の先生です。算数や数学の楽しさをどう子どもたちに伝えているのか、またどんな風に子どもたちと一緒に楽しんでいるのか、現場からの報告や自分たちの工夫がまとめられています。教える内容は学年ごとに違いますので、内容も多岐にわたっています。効果的な教材の紹介も楽しく読めますし、教育論やエッセーも連載されていて、ちょっとした息抜きにもなります。

 

算数や数学の授業で教室が「ドッとわく」とか、「笑い転げる」という表現は想像がつかないかもしれません。でもこの雑誌を中心に活動を続けてきた先生方にはそれができるのです。

 

そんな素晴らしい実践をして来られた先生方に読んで頂いている『数学教室』、20124月号の「宣誓」を再録します。今回と次回二度に分けて、総理大臣も宣誓をすべきだという背景がテーマです。

 

         

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 唐突ですが、私はリンカーンのファンです。市長として目指す市政を「市民の市民による市民のための広島市政」と表現したくらいです。リンカーンの演説の中ではゲティスバーグの演説が一番好きですが、彼の第二次の就任演説が最も素晴らしいと評価する人も多くいます。

 

就任演説の前には、当然、宣誓式があります。これも、時代によって変化があり、宣誓式の前に就任演説をしていた時代もありました。この宣誓の言葉はアメリカの憲法で定められています。

 

I, <name>, do solemnly swear (or affirm) that I will faithfully execute the Office of President of the United States, and will to the best of my ability, preserve, protect and defend the Constitution of the United States.

 

()アメリカ合衆国の大統領という職務を忠実に執行し、私の能力が許す限りの最大の努力をして、合衆国憲法を維持し、擁護し、防衛することを厳粛に誓います。

 

個人的には奴隷制度に反対していたリンカーン大統領ですが、就任時には大統領として奴隷制度は維持する、しかし、アメリカ合衆国の分裂は避けるという方針を表明しました。それは、大統領の職務が憲法を維持し擁護し防衛することであり、奴隷制度が憲法で認められていたからです。

 

日本国憲法では第99条に憲法を遵守する規定があります。

 

天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ

 

この違いに注目して頂きたいのですが、アメリカでは、大統領が就任するに当り、宣誓をしてまで、義務として課しているのが、憲法を「維持」し、それを保護あるいは擁護する――イメージとしては、母親が身体を覆って雨から子供を守るような感じ――そしてdefend とは、攻撃を加える敵に対して、こちらも力を使ったり闘ってでも守るイメージです。法律的には、それぞれ、意味のある言葉のはずですが、イメージとしてはかなり強烈な義務なのです。defendの訳として「防衛」という言葉を使ったのも、これほど強い意味があるのだという点を伝えたかったからです。

 

「憲法を守る」という一言で済ませても一見、問題はないように思える事柄なのですが、もう一つ大切なのは、「守る」の内容を、三つの言葉で言い直すことにより、その範囲をきちんと規定している点です。つまり、「守る」が包含する意味の範囲を一つの集合として、その全て、そしてその外にははみ出さないという視点からの言葉になっていることです。

 

アメリカ建国の父たちに集合論的直観があったのかどうかは分りませんが、少なくとも論理的な思考力はかなり高かったと言って良いのではないかと思います。

 

対して、日本国憲法の規定は優しい言葉です。尊重と擁護です。擁護が、英語のprotect に相当する言葉なのだと思いますが、この違いが政治全般に大きな影響を与えているような気がしています。

 

次回に続きます。

 


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2016年10月23日 (日)

カープは凄い、そして久米さんも凄い


カープは凄い、そして久米さんも凄い

 

テレビで試合を見ていました。51。完勝でした。それをRadikoTBSラジオの中継、久米さんのコメントを聞きながら観戦していました。広島ブログの常連の皆さんが、カープの試合の再現を繰り広げられる理由が今日は良く分りました。あの興奮を、どこかで再現してもっと多くの人と共有したいという気持、それは自然の発露なんだということを体感しました。でも私にはとても真似できそうにありません。

 

もう一つ今日肌で感じたことは、久米さんが如何にカープを愛しているのかです。しかもそれは自己中心的な思いではなく、カープファン全員と喜びや楽しさを共有したいという謙虚さに裏打ちされていることが分って、心から感服しました。TBSラジオの中継番組のゲストであるにもかかわらず、ほとんど喋らなかったからです。、番組の最後に、初めてラジオの中継のゲストになった、でもあまり喋らなかったですねと振られて、ラジオ中継を聞いているファンの邪魔になってはいけないと思ったからと言っていました。立て板に水で話のできる久米さんがそんな形でカープファンと一緒にゲームを観戦していたこと、これにも感激しました。

 

そして14時からの「久米宏 ラジオなんですけど」での対談。喋るときのスピードは若者以上に速いのですが、それ以上に聞き上手だったことに驚きました。それに甘えて、いつも以上に饒舌になってしまいました。

 

久米さんは私とほぼ同じ世代、二つ若いのですが、おしゃれのセンスも若々しくて清々しい雰囲気でした。

 

今日はカープから、そしてカープを愛する久米さんから凄いエネルギーを貰いました。明日が楽しみです。

        

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若々しい久米さん

           

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コメント

確かに久米さんお若いですね。でも、
先生もお若いですよ!お二人のよう
な年の取り方をしたいものです。

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。久米さんは気配りの人でしたが、⑦パパさんも同じく気配りの人ですね。周りの人を温かくしてくれています、

2016年10月22日 (土)

自民党総裁任期延長   独裁政権への布石?


自民党総裁任期延長

独裁政権への布石?

 

『あめりか物語』の続きは少しお待ち頂いて、自民党総裁の任期延長を決めたというニュースについて考えて見たいと思います。

 

これまでの「連続26年」を止めて、「連続39年」にするか「無期限」にするかのどちらかになるようです。

 

日本の法律では、憲法も含めて、総理大臣の任期に制限を付けていません。アメリカの大統領の場合は、28年が上限です。それも、フランクリン・ルーズベルト大統領が4選されたことが大きな原因です。彼は1945年、任期の途中で亡くなったのですが、その後1951年の憲法改正により大統領の任期は28年までと決められました。1940年そして1944年の選挙でルーズベルトは、世界的に戦争が続いていたことを理由に立候補していますが、長期政権による弊害そのものはその頃でも国民的に理解されていたようです。

                

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 イギリスでは同様の制限はないということですし、それと同じ議院内閣制をとっている我が国もイギリスと同じように、「無期限」で総理大臣を続けられるようにしたいというのが安倍総理の願望のようです。衆参両院ともほぼ2/3の多数を恃む与党と改憲派の勢力が力ずくで憲法改正、立憲主義と民主主義の放棄、そして軍国主義と、かつて苦い経験をした「周回遅れ」の世界観実現のためのようにも見えるのですが、杞憂でしょうか。

 

制度上、衆参両院の2/3があれば、法律は作り放題、憲法改正の発議もできますし、その結果、独裁政治が出現してもおかしくはありません。そうさせないために、国民投票があり、また選挙によって衆議院・参議院の構成を変えるというのが、現在の日本システムです。

 

これまでの自民党は、それに加えて、総裁の任期を連続26年に制限することで、政党としての規制を掛けていました。政党としての良識があったと言っても良いと思います。大変残念なことなのですが、今この良識を捨てようとしている自民党にストップを掛けられるのは、全国の自民党員の皆さんです。解釈改憲に続いての制度的な劣化をこれ以上進めないよう、頑張って貰いたいと切に願っています。

 

同時に、主権者である私たち市民が、これまでに果してきた役割についても反省しています。提案すれば直ぐ実現する訳ではありませんが、より良い政治を創るためにもっと積極的かつ具体的な未来像を描いてその実現のための世論を作る努力が足りなかったのではないか、という反省です。

 

例えば、総理大臣の任期ですが、これはやはり憲法で決めておくべき事柄だと思います。しかし「憲法改正」と言うと、「じゃあ9条も一緒に改正しよう」という声の出てくることを恐れたこともあったのでしょうか、このような提案に結び付かなかったように思えます。

 

私の勉強が足りなくて、このような提案がこれまでなされていたことを把握していないだけなら良いのですが、そうでない場合、改めて、憲法を生かすために何ができるのかを具体的に考え、それを未来の政治創りの一環としてより多くの人に共有してもらう努力をすべきなのではないでしょうか。憲法を破壊しようとしている人たちに対抗するために、「現状維持」と言うだけではなく、憲法の精神を生かすためにもっとダイナミックな展望を示したらどうかという提案です。

 

総理大臣の任期に上限を付けるということとともに考えたいのは、総理大臣就任時に国民に対しての「宣誓」を行うことを義務付ける必要性です。両方とも、アメリカの制度を取り入れるだけではないか、という批判が出てくるかもしれません。でもアメリカの制度が、独裁政治を排除する上でまた立憲政治を常に意識しなくてはならないリマインダーとして、大きな役割を果していることが分れば、批判ではなく、賛同そして支持に考え方が変わるのではないかと期待しています。

 

詳細は次回に。

 

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コメント

自民党の総裁の任期延長と総理大臣の任期には法的な関係は無いですよね。
昔に、総裁と総理が別の人物のときもありましたし。
でも、今のような小選挙区制と政党助成金になり、総裁が独裁者になりやすくなったと思います。選挙での公認とお金をいってに握っているのですから、総裁に反発したら選挙に出れないようになってますね。逆らって出馬すれば除名と脅しますし。
小選挙区制で二大政党になって政治が良くなるとか、政党助成金で政治とお金が綺麗になるとか、参議院と衆議院がねじれていれば政治が前に進まないとか、まるで原子力発電の必要性を訴える大嘘と同じことですね。
今、世界はナショナリズムが強くなっていますね。
そうなれば、世界戦争が近づいているように思います。
そして、自民党の総裁の任期延長は、ナショナリズムの強化のためではないのかとも思います。自民党の憲法変更もそのためでしょうね。
私も、憲法改正は反対ではないです。必要なものもあると思います。
ただし他国に対して宣戦布告してはいけないというのは変えてはいけませんが。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。おっしゃる通り、自民党総裁の任期と、総理大臣の任期には法的関係はありません。でも、自民党総裁に任期があることで、総理大臣を無制限には続けられないという、実質的な歯止めの一部ではありました。

原発も選挙制度もその他の大きな問題についても、国民が騙されるときには必ずマスコミが関与しています。それをどう変えるのかの一つのヒントが新潟県知事選挙でした。

安倍政権の目指す「ナショナリズム」も実は、世界の底流を見ると変りつつあります。かつての日本も、同じように表面だけしか見えずに、社会そして世界の基盤が変わりつつある事には気付かずに、「周回遅れ」の政治観、世界観を採用して破滅しました。

おっしゃるように、その轍を踏まないためにも、私たち市民が地道に発信してゆく必要があるのだと思います。

2016年10月21日 (金)

明日22日は午後2時からTBSラジオ   久米宏 ラジオなんですけど


明日22日は午後2時からTBSラジオ

久米宏 ラジオなんですけど

 

今年は広島にとって特別な年になりました。カープの日本一 (もうこれは信じていますので、敢えてこう書いちゃいます)、そしてオバマ大統領の広島訪問です。どちらか一つだけでも「凄い年」だったと言えるのですが、二つも揃ったのですから、表現の仕方さえ思い付きません。

 

日本シリーズの第一戦は1022日の土曜日ですが、関東ではTBSラジオ中継のゲストとして久米宏さんが登場します。久米さんが熱烈なカープファンであることは皆さん御存じだと思いますが、テレビの中継を見ながら久米さんの解説も聞けると楽しいのではないかと思います。

            

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と言うことで、TBSラジオの放送を広島で聞けるのか、何人かの方に聞いてみました。まず、広島では当然RCCの放送がありますので、久米さんの解説は生では聞けないようです。でも、TBS Cloudのサービスを使うと、数日遅れて聞くことはできるようです。もっとも、それではテレビを見ながら久米さんの解説を聞くということにはなりません。

  

もう一つの可能性があります。月額378円払ってプレミアム会員になると、Radiko (ラジコ)で、全国ほとんどの局の放送が聞けますので、これも選択肢の一つです。

 

その日、22日、土曜日の昼ですが、久米さんはRCCのスタジオから彼のラジオ番組「久米宏 ラジオなんですけど」を生放送します。13:00から14:55です。その中で、14:00から30分間、久米さんとの対談の時間があるのですが、そこに出演します。オバマ大統領の広島訪問や、今後の核廃絶に行方等が話題になる予定です。それ以外の時間には久米さんのカープへの思いなども熱く語ってくれるはずです。

 

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 この時間帯もカープ戦中継と同じで、広島で地上波を聞くことはできません。残念なのですが、関東地方にもこのブログの読者の方もいらっしゃいますので、関東地方の皆さんぜひお聞き頂ければと思います。

  

 

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コメント

追加情報です。

今、雨ですが、日本シリーズはどうなるのでしょうか。

広島市内に住む方から、「市内では、TBSラジオはRadikoで普通に聞けますよ。プレミアム会員にならなくても大丈夫。」という情報を頂きました。試して見て下さい。

2016年10月20日 (木)

私の本棚    『あめりか物語』


私の本棚

『あめりか物語』

 

好きな辞書」その②「high school sweet-heartの続きです

  

「私の本棚」はNHKのラジオ番組で、文学その他の名作を樫村治子さんが朗読してくれました。他の人も朗読をしていたようなのですが、私の頭の中には「樫村治子」が焼き付いています。1949年から60年近く続いた、まさに「昭和遺産」と呼べる番組でした。

 

さて、現実に戻って「私の」本棚ですが、小学校の高学年になって近くの八百屋さんで貰ったリンゴ箱を使って「自分の本棚」を作りました。その上にはこれも自分で作った5級スーパーを置いていたのですが、ある日、家族ぐるみで付き合いのあった同級生のお姉さんに「本棚を見せて」と言われました。年の離れたお姉さんで、当時もう大学生でした。お姉さんは本棚や5級スーパーには目もくれずに、手帳を出して「私の本棚」に置いていた本の名前を書き始めました。妹の勉強を助けるためにお姉さんが乗り出したという感じでしたが、呆気に取られながらも、何か大切な秘密を盗まれたような気がしたものです。

 

最近は、私たちの世代が幼い頃、また少年時代やその後、熱中して読んだ本が忘れられて行くことに寂しさを感じています。「私の本棚」を積極的にPRして、少しでも多くの人に、私たちの時代の感激を味わって貰いたいと思うようになりました。「好きな辞書」の紹介も続けますが、その他の本も紹介させて頂きます。今回は永井荷風の『あめりか物語』です。

                

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 明治時代の文豪と言えば、誰でも夏目漱石を最初に挙げると思います。お札に肖像画が使われ、朝日新聞が彼の連載を再掲したりNHKのドラマになったりと、イギリスで言えばシェークスピアに匹敵するような存在です。その他にも忘れてはならない作家がいるのですが、その中で特筆に値するのが永井荷風と森鴎外です。

 

これも嗜好の問題で、ビートルズよりはボブ・ディランが好きだというレベルで論じれば良いのかもしれません。一つ違うのは、ビートルズもボブ・ディランも、良く知られているミュージシャンの中に入りますが、永井荷風を知っている人はあまり多くないと思われることです。その理由はいろいろありますが、現代社会の価値観を元に彼の生涯を判断すると、倫理観の欠如、常識を超えた振る舞い等が目に付き、それが作品にも反映されていることから、健全な読み物として若い人たちには勧められない、という判断もあることが一つだと思います。もう一つは、明治時代に活動を始めた作家ですが、明治を代表するというよりは江戸の文化や価値観を反映した作品に特徴があることです。

 

漱石が西欧文化とも両立する作品、つまり現代でも通用する作品を生み出したのと対照的ですし、多くの友人や弟子たちに慕われたこととも対照的に孤高の立場を貫き、晩年もゴミ屋敷のような家に住み、浅草の歓楽街に通うといった生活をしていました。そんな中でも1952年には文化勲章を受章、また晩年住んでいた市川市から2004年に名誉市民号を贈られるなど、彼の芸術性は理解されていたと言って良いのではないかと思います。

 

まずは永井荷風の作品の内、私が本格的に永井荷風を読み始めるきっかけになった『あめりか物語』を紹介したいと思います。荷風は1903年、アメリカに渡り、最初はミシガン州のカラマズー・カレッジで勉強し、翌年ニューヨークで銀行員として働くことになりました。1907年には転勤して憧れのフランスに渡っています。

 

アメリカでの生活を元にした『あめりか物語』は、フランスから帰国した1908年に上梓されています。その後、フランスでの経験を元にした『ふらんす物語』を1909年に出版していますが、発刊後直ちに発売禁止になっています。

 

今夜はこれで力が尽きました。続きは次回に。

  

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コメント

子供の頃父の本棚に永井荷風と久保田万太郎の本があったのを覚えていますが、
「永井荷風はまだ早い」といって読ませてくれませんでした。
結局両方とも読まずに、いまになってしまいました。
久保田万太郎さんとはかなり親しくしていたと母から聞いたことがあります。
改めて読んで見ようかな!

コメント有難う御座いました。

是非読んで見て下さい。そして感想を聞かせて下さい。

ただし、『あめりか物語』にしても他の作品にしても万人に愛される種類の内容ではないかもしれません。そのことは次回説明する積りですが、明治や江戸の日本を肌で感じられる作品は素晴らしいと思います。

2016年10月19日 (水)

歌詞か曲か

歌詞か曲か

 

テレビの音楽番組で、次の曲を紹介する決まり文句は大体、「次は『長崎の鐘』です。歌は藤山一郎さん、作詞サトウ・ハチロー、作曲古関裕而。伴奏は○○アンサンブル。ではお願いします」辺りでしょう。

 

ここで、作曲者が作詞者より先に紹介されることはあまりありません。それは、多くの歌の作り方と関係しているのかもしれません。まず歌詞があり、それに曲が付けられるという順序です。外国曲に日本語の歌詞を付ける場合は当然曲が先ですが、そのような例外があり、他にも確かに例外はあるにしても、普通の順序は歌詞、次に曲だと言ってしまって良いでしょう。

 

駄目押しとして『野ばら』を挙げておきましょう。作詞はゲーテ。作曲したのはシューベルトとウェルナーが有名です。その他にベートーヴェンやシューマン、ブラームスも曲を付けています。詩が先にあり、それに曲を付けることで歌になるという好例です。

                             

Goethe_stieler_1828

 

 

Franz_schubert_by_wilhelm_august_ri

 

これは私が、親しい友人何人かとの論争で主張し続けてきたことなのですが、「歌で大切なのは、まず曲。曲の良さこそ歌の命だ」と主張して譲らないのが「主曲派」のAさんです。歌詞と曲と両方なくては成り立たない訳ですから、バランスの問題ではありますが、そのバランスをどこで取るのかが争点です。

 

例えば、カラオケに行って歌う曲に限って論じると、私の好きな曲は、どれも歌詞が好きでなくてはならない、という範疇に入ります。Aさんの言い分を極端に簡略化すると、「歌詞なんてどうでも良くて、とにかく曲が良ければ歌う」ことになります。

 

どの歌が好きでその理由はこれこれしかじか、と言ったところで所詮は好みの問題ですので結論は出ないのですが、最近、強力な味方を発見しました。五木ひろしさんです。個人的に知っている訳ではありませんので、「五木ひろし」と敬称を略しますが、彼の持論はまず歌詞があり、それに曲が付いて、最後に歌手がいる、という順序です。

 

『昭和歌謡黄金時代』という、昭和遺産である歌謡曲についての彼の経験や蘊蓄を収めた楽しい本の中で、何度も「歌詞が先」だと強調しています。歌の好きな方にはお勧めの一冊です。

 

その中のエピソードの一つですが、彼は、南こうせつとは「全日本歌謡選手権」で一緒になったことがあり、その後も交流が続いたそうなのです。そして五木ひろしを世に出すきっかけになった「よこはま・たそがれ」(作詞山口洋子、作曲平尾昌晃、1971)を初めて演奏したのが、楽屋で南こうせつを前にしてのことだったのだという話です。何だか意外な組み合わせそしてやり取りに思えますが、音楽の才能のある人にとっては、ボブ・ディランも吉田拓郎も、そして五木ひろしや南こうせつも、ジャンルを超えることにはそれほど違和感がないのかもしれません。

 

さて「歌詞か曲か」論争ですが、Aさんは五木ひろしの大ファンという訳ではないので、彼の本を持ち出しても、私に有利な展開にはなっていなかったのですが、今度はノーベル文学賞委員会も味方に付いてくれたようですので、これからは私の方が優勢になるかもしれません。

 

 

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コメント

すみません。「主曲派」です(^_^;)

確かに、クラシックの場合、ゲーテの「野ばら」のように、曲とは独立して詩人による詩が先に存在し、それに曲が付けられるケースが一般的ですが、ポップスや歌謡曲の場合は、歌詞と曲は一体のものが多く、インストゥルメンタルとして、歌詞抜きで曲のみが演奏されることも珍しくありません。逆に歌詞のみが朗読されるようなことは稀ではないでしょうか。

また、海外の歌の場合、ボブ・ディランのようにメッセージ性の強いものは別として、歌詞の内容までは把握せずに聴いていることも多いと思いますし、グローバルには言葉より音楽の方が普遍的なものだと思います。

ちなみに、井上陽水は意味不明の言葉の羅列(響きだけ)で曲を作り、あとから歌詞としての辻褄を合わせる、と聞きましたし、村下孝蔵の曲も後で歌詞だけ大幅に書き換えるということがありました。(これらは歌詞はどうでも良いわけではない、という証左にもなりますが…)

とは言え、私が主曲派なのは、言葉、言語、文学に疎く、苦手なためで、作る側も聴く側も、そうした個人的な能力、適正、嗜好にも大きく左右されることのような気がします。

面白いですね。
私は、曲か歌詞かといより、昔はLPレコードのジャケットで選んでました。(笑)
日本語の歌は、歌詞ですが、言葉の分からない国の歌は、曲とか意味のわからに言葉のフィーリングです。
そいえば、クリスマスソングでよくかかる定番の歌で、曲はノリノリなのに、歌っている英語の意味は惨めなのがありますよね。題名は忘れましたが。
カラオケでは歌が下手なので行きませんが、自分で一人で歌うときに気持ちや感情を込めるときには歌詞が優先ですが、鼻歌では曲が優先になります。

「主曲派」って呼び名が気に入っております。コメント失礼します。私も主曲派なのですが、曲先行が当然とも思っていましたので、改めて色々考える機会になりました。右脳と左脳の発達の違い?とも考えましたが、工場長さんのコメントの通りと納得しました。また、発達段階で楽器演奏の教育を受けたかそうでないかも影響するのではと思いました。私は五十音よりも楽譜を先に覚えましたし、色々な楽器も経験したので、今でも様々な場所でのBGMは苦手です。メロディや副旋律、ベース音まで頭で楽譜になりますので、人と話していてもBGMが気になり話がめちゃくちゃになります…このブログに度々登場する、日米の言語シリーズから、イライザさんが主詩派なのは大納得です。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。歌の作り方も多様だということが良く分りました。歌詞が常に先行ではないこともきちんとインプットできました。

私の場合、内容の全く分からない中国の歌で良いものを聞いても、音としての歌詞の良し悪しが気になりますし、意味が知りたくなるのは「主詩派」の証明になるのかもしれません。

もう一つ気付いたのは、「工場長」さんも、「「主曲派」です(^^)」さんも音楽的才能の持ち主だという共通点のあることです。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。やんじさんは「主ジャケット派」と呼べば良いのか、それとも状況によっていろいろな顔が現れるようですので、「状況派」でしょうか。何を優先するのかの選択が固定されたものではないという点も重要ですね。

クリスマスソング、どの曲でしょうか。興味津々です。ヒントでもあれば教えて下さい。

「「主曲派」です(^^)」様

コメント有難う御座いました。脳の構造や内容によって何が優先されるのかが影響を受けることは納得です。

楽器が弾けるかどうかも大きいですね。そう言えば、ボブ・ディランの歌でハーモニカが気になったのも、そのせいだと思います。

それとBGMですが、それでは街中は歩けないのではありませんか。大変ですね。私の場合、好きなベートーベンを聞きながら仕事をするのは不可能なのですが、バロックだとかなり大丈夫になります。ことによると音楽まで左脳で処理しているのかもしれません。

2016年10月18日 (火)

詩を訳すことは可能なのか


詩を訳すことは可能なのか

 

ノーベル文学賞選考委員会の選考基準の一つは、世界的に評価されている、つまり世界中の人が読んでいることだと聞いたことがあります。そのためには、まず複数の外国語に翻訳されている必要があります。

 

詩を翻訳すること自体には、一般論として問題はありません。それどころか、元の詩より翻訳の方が素晴らしい場合もあります。私の独断と偏見による一例をあげると、ロバート・ブラウニングの「ピッパの歌」の日本語訳です。

 

The year’s at the spring

And day’s at the morn;

Morning’s at the seven;

The hill-side’s dew-pearled;

The lark’s on the wing;

The snail’s on the thorn;

God’s in his heaven---

All’s right with the world!”

    (Pippa passes, 1841) 

 

それを上田敏が訳して「春の朝」と題して発表したものです。

時は春、

日は朝(あした)、

朝(あした)は七時、

片岡に露満ちて、

揚雲雀(あげひばり)なのりいで、

蝸牛(かたつむり)枝に這い、

神、そらにしろしめす。

すべて世は事もなし。

 

(「万年艸」明治3512月発表)

          (『海潮音』明治3810月刊所収)

 

この詩は、「ピッパが通る」という劇詩の中でピッパという少女の歌う歌に、罪を犯した男女が打たれるというシーンで使われています。その他にも、上田敏訳の素晴らしい詩はたくさんありますので、『海潮音』その他の詩集を御覧下さい。

            

Photo

                 

 

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これは英語その他の外国語から日本語への翻訳です。では逆はどうなのでしょう。日本語の詩を外国語に訳すことには、かなりの苦労が伴います。そしてその結果はと言うと、これも独断と偏見による仮の結論ですが、それほど素晴らしいとは思えないようなものがかなりあります。特に短い詩、俳句や短歌の場合には、極端に言うと絶望的な気持にさえなります。

 

例えば誰でも知っている芭蕉の「古池や蛙飛び込む水の音」の英語訳の一つとして、小泉八雲訳を御紹介しましょう。

 

An old pond

Frogs jumped in

Sound of water

 

その他の訳もありますし、著名な詩人や文学者の訳もあるのですが、俳句のリズムや響き、余韻まで上手く伝えられているかどうか、池やその周りの情景まで一幅の絵として切り取ることに成功しているのかどうか、いや元の俳句より詩として優れているのかと問われる、そこまで言い切る自信はありません。

 

とは言え、俳句の英訳は世界に紹介され、その結果として英語で俳句を詠むこと、さらには英語で詠まれた俳句に与えられる国際的な賞までありますので、私の考え方が狭いというだけなのかもしれません。また、これらの訳を高く評価しているiKnow! Blog」というとても勉強になるブログがありますので、こちらも是非御覧下さい

 

そのブログでも取り上げているのが、同じく芭蕉の「静けさや岩に滲み入る蝉の声」です。Reginald Horace Blyth の訳です。彼は詩人で日本文化の研究家、日本語にも堪能で、海外への俳句の紹介者としても知られています。

 

What stillness!

The voices of the cicadas

Penetrate the rocks.

 

実は、この句を高校生の時に訳して、アメリカのホスト・ファミリーや友人たちに読んで貰ったことがあります。訳は、プライズ氏とほぼ同じでした。でも元の俳句の良さを分かってくれた人はいませんでした。「セミ」そのものについての認識が全く違っていたからです。

 

その理由は、その後ボストンに住むようになってから分りました。アメリカ北東部のセミは、17年周期で地上に現れ、それがテレビのニュースになるくらい稀な出来事だからなのです。しかも、多くの人の感想は「うるさい」でした。

 

その後も、下手な英語の詩を書く傍ら、俳句や短歌を英語に訳す試みもしましたが、その中で何となくまとまってきた結論めいたものは、次のように表現できるかもしれません。

 

 例えば、俳句や短歌の良さを理解して貰うために「近似値」としての訳はできそうだ。

 ただし、良い訳を付けることができ、外国の読者に日本語と同じような情緒を伝えられるのは、日本に特有の気候や動植物、伝統や慣習等にそれほど関わりのない普遍的な内容のものになるのではないか。

 とは言え、俳句や短歌からインスピレーションを得て作られる英語その他の言語による「ハイク」や「ワカ」の創造性や美しさの評価はそれとは別の次元で行った方が良いのではないか。

 

ボブ・ディランのノーベル賞受賞から出発した俳句と和歌ですが、その素晴らしさを世界的に共有して貰うためには、まず「近似値」で知って貰うということが現実的な道だと思います。そのためには、これまで訳された俳句や和歌をより多くの人に鑑賞してもらう機会を作ることが大切です。

 

その結果、俳句や和歌がシェークスピアと同列までとは行かなくても、日常レベルで高い評価を受けるようになると良いのですが――。

 

 

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2016年10月17日 (月)

井上わこ盲導犬28頭目贈呈式



井上わこ盲導犬28頭目贈呈式

 

 

今年の2月に⑦パパさんが熱い思いをアピールしたエントリーに感激しましたが、1016日は、井上わこ盲導犬28頭目贈呈式でした。わこさんが亡くなってから5年、このプロジェクトを引き継ぎ発展させてきたのは、わこさんの妹、帯子さんが代表を務める「井上わこ盲導犬プロジェクト」です。事務局長として活躍してきたのは夫の赤崎大さん。

 

28頭目を贈られたのは、兵庫県在住の村岡真知子さんです。盲導犬の育成、訓練、貸与を行っているライトハウス協会からの「貸与」という形を取っているようです。盲導犬が「高齢化」して現役を退いた後も、そのケアを続ける必要もあり、私たちが通常ぼんやりと描いている以上の仕事です。一頭当りの費用もかなり高額になるため、その費用を「井上わこ盲導犬プロジェクト」がそれ負担することで、視覚障碍者が盲導犬の貸与を受けることが可能になっています。

 

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赤崎大事務局長の手術については⑦パパさんも書かれていますが、贈呈式の開会挨拶で赤崎さんが語ってくれたのは、それに加えて63年前、興安丸で満州から日本に引き揚げたことでした。またその後、叔父叔母夫妻が親代りとして育ててくれたことでした。「この子が満州から生きて帰れたのは、世のため人のためになる使命を持っているからだ」と、村の教育長も力を入れてくれた通りの人生をその後送って来た重みを噛み締める一時でした。

 

井上わこさんは、2002年に第一回広島市民賞を受けていますが、その際の授賞理由の概要は次の通りです。

 

昭和57年に交通事故により失明するが、逆境を乗り越え、62年に歌手デビューを果たす。昭和63年に盲導犬普及活動に取り組み、平成14年までに盲導犬15頭及び盲導犬育成犬舎1棟を寄贈し続けるとともに、老人ホームや障害者施設の慰問などの訪問活動は300回を超え、持参した手編みのマフラーも15,000本に及んでいる。盲導犬寄贈目標20頭に向けて熱心に活動している。

 

わこさんが演歌歌手だったこと、そして帯子さんとお母さんがカラオケ・スナックを経営していたことも相俟って、「井上わこ盲導犬プロジェクト」を応援している人たちは歌好きです。懇親会では、プロ並みの喉を聞かせてくれるパフォーマンスも多くあり、大変盛り上がりました。

Photo

 


「山河」を歌う赤崎さん

 

28頭目を贈られた村岡さんも点字の歌詞を手に十八番を歌ってくれました。実は、点字の歌詞が音楽とともに流れる「点字カラオケ」も発明されています。今回はその機械の準備が間に合わなかったのですが、この発明についても機会を改めて御紹介したいと思います。

 

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村岡さん

 

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コメント

掲載していただき、ありかとうごいます。
あれだけお飲みになられたのに、これだけ書かれるとは、びっくりです。

「赤崎」様

コメント有難う御座いました。実は、飲んでいたのはウーロン茶です。

ちょっと照れくさいw 

ありがとうございました。

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。でも、井上わこさんについての文章、本当に良かったと思います。これからも、宜しくお願いします。

 

2016年10月16日 (日)

国民投票としてのアメリカ大統領選挙の意味



国民投票としてのアメリカ大統領選挙の意味

 

 

現在進行中のアメリカ大統領選挙戦の酷さについては前回簡単に触れましたが、国民投票はしばしば「民意」を測る代わりに「民度」を測るという箴言に照らすと、アメリカの民度はかなり低いと断定することも可能かもしれません。それも「投票」以前にこれほどハッキリ分ってしまうのですから、「民度測定器」としての国民投票の意味は大きいとも言えそうです。

 

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雑誌『The Atlantic 電子版』の表紙からクリントン、トランプ両候補

 

しかし、「民度」と一口に言っても、ウイキペディアによれば「知的水準、教育水準、文化水準、行動様式などの成熟度」ですから、単純に数値化できるような性質のものではなさそうですし、測定する時期によっても、大きな違いを生じているようです。

 

例えば8年前のアメリカ大統領選挙では黒人のバラック・オバマ氏が選ばれました。未だに人種差別が公然と行われているアメリカ社会で、しかも、かつてはカトリック教徒、しかもアイルランド系のアメリカ人であるジョン・ケネディー氏の大統領選挙出馬さえ問題にされた国で、黒人の大統領が出現するということ自体革命的な出来事でした。

 

つまり、2008年の大統領選挙でアメリカの民度を測るなら、その尺度として敢えて数値を使えば、100点満点に近い数字になってもおかしくはありません。しかしながら、2009年度のノーベル平和賞がオバマ大統領に与えられたことへの批判は今でも残っていますし、ボブ・ディランの文学賞受賞で、オバマ、ディラン両氏ともノーベル賞に値しないという形で再燃しています。

 

オバマ大統領が受賞した最大の理由はプラハ演説だと言われていますが、私はそれ以上に、オバマ大統領を選ぶことで、アメリカ社会の人種差別や力の支配の崇拝といった宿痾を克服しようとしたアメリカ国民への授賞だったのではないかと思っています。この場合、国民投票は「民意」と「民度」を測るという機能をきちんと果しました。

 

では今回の混乱の原因は何なのでしょうか。一つには小選挙区制度ですし、もう一つは二大政党制度です。第三の政党があり、バーニー・サンダース氏がその政党の候補者になっていれば、今の状況を考えると、アメリカの有権者がサンダース氏を選ぶ可能性は現実味を帯びてきています。また、民主、共和以外の有力政党がアメリカにあったとしたら、そして小選挙区制ではなく比例代表に近い選挙制度で議員が選ばれていれば、大統領府とアメリカの議会との乖離によって、オバマ政権の掲げた施策がことごとく潰されることもなかったでしょうから、彼の志を継ぐ人が大統領選挙候補になったかもしれません。

 

今回の大統領選挙とは「悪」を選ぶか「より大きい悪」を選ぶのかが問われているという人が多くいますが、予備戦で敗れたサンダース氏が、選挙後新党を立ち上げるなり、アメリカ国民の中から小選挙区制度への疑問が生まれるという可能性、あるいはその他のアイデアによって、アメリカ社会は変って行くはずです。

 

小選挙区制導入によって二大政党政治を人工的に作ろうとした日本の政治は、大統領を「国民投票」で選ぶというある意味での浄化装置を持たずに、ネガティブな面だけは強く力を持つ社会を創り出しつつあります。そしてアメリカからの教訓を汲むなら、「国民投票」による重要事項の決定もさることながら、まずは小選挙区制度を改めることが最優先事項のように思えるのですが。

 

「負けるが勝ち」ではなく「負け惜しみ」の弁に聞こえるかもしれませんが、その違いは、理想を掲げ続けられるかであり、その実現のためにさらなる努力を尽くすという覚悟があるかないかの違いなのではないかと考えています。

 

 

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コメント

今回の米国大統領選挙では、リバタリアン党のジョンソン候補や緑の党のスタイン候補も(絶対数としては僅かながら)その支持率を伸ばしているようですが、2000年の大統領選挙ではゴア候補の敗因として、第三勢力にゴア票が流れたことがあげられていました。

そうしたことがあるので、日本の小選挙区でも「選挙協力」という問題が生じます。

小選挙区を改めることが何より必要であることに異論はありませんが、首長を選ぶ場合や、どうしても小選挙区になる場合などは、決選投票を行ったり、一人複数票を持つなどの工夫も必要に思います。

こうしたことも電子投票の導入で容易になり現実的になると思いますが、その電子投票も、日本での導入はいつになるのでしょうか。

民度とか民意は、どうしてもマスコミにえいきょうされますよね。
マスコミの良し悪しが、国と国民の質に影響されますね。
ネットに期待したくっても、ネットでは馬鹿騒ぎする人達だけが目立ってしまいますから、良い意見も敬遠しがちになりそうです。
でも、マスコミをダメにしているのも国民なんですよね。
小選挙区の結果は、どうしても偏った考え方だけが主になってしまいます。
票の格差は永遠に解決されません。
小選挙区は独裁政治のためだけでしかなく、二大政党制が良いなんて根拠もありません。
大選挙区で複数当選にすべきですね。
そうなら、自民党もまともになるでしょうね。
今の日本で国民投票をすれぱ、自民党のためのマスコミにより、結果は目に見えてます。
民度も民意も規制や洗脳されたものでしかないのですから。個人の利益だけを優先し、10年後50年後なんて考える人はほとんどいないでしょうし。

小選挙区制は、
金権政治を排除するということではかなり効果がありましたが、
それ以上に重要な多様性ということを失くしてしまったようですね。
速やかに合区などにより、
中選挙区制等に変えていく必要がありますね。
制度を変えるということは、
既得権者を排除するということでもありますから、
なかなか難しいことですね。

 英国のメイ首相はEUからの早期離脱をめざして動いており3月には離脱の正式申請することも発表しているが、マスコミは常に残留が正しいと世論操作しており国民投票前にはBBCも「英国で離脱派が勝ったら米国はトランプが勝つ」と報じていた。
 米国でもマスコミは完全にヒラリー側に立ち、トランプに対して針小棒大的な中傷報道に終始しているが、それでもなお一定の支持率は保っている。
 日本でも中傷合戦ばかりが報道される。どちらのスピーチにも聞くべき内容はあるので、それを伝えてこそ報道と言えるが、今やNHKのニュースすらワイドショーと化している。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。選挙制度については、様々な選択肢がありますし、選挙を義務化すること、それ以前に「自書式」つまり投票者が自筆で名前を書く選挙を止めるといったことも考えるべきだと思います。

電子投票制度に反対する人たちの中には、「自分の名前を書いて貰うのが選挙だ」と次元の違うレベルで頑固な意見を述べる人も結構いました。

日本の選挙制度についての前向きの提言をする目的で、「選挙市民審議会」というボランティアと専門家の研究・提言会が定期的に開催されています。市民の力によって選挙を変えようという新たな動きに注目したいと思います。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。マスコミの役割についての大切な指摘感謝します。特に小選挙区制度の導入では、「中立」という立場をかなぐり捨てて、しかし「中立」を標榜して、あまり知識のない世論を煽った責任は大きいと思います。

今のマスコミも大きく偏っていますし、政治家も権力欲や目立ちたがりといった資質が以前より大きくものを言うようになった感があります。世襲議員の割合がこれほど多くなったことに対する違和感さえ薄くなったことももう一つの問題なのではないでしょうか。

「元安川」様

コメント有難う御座いました。金権政治が以前ほど目立たなくなったのは確かですね。それまでは金の力で子分を操っていたのに対して、小選挙区制になって、「公認」という権力でコントロールが効くようになったことは大きいのだと思います。加えて、欠陥の多い政治資金規正法ではありますが、その効果、そして時代の流れも無視できないと思います。

特に、政党交付金によって、政治家や政党の「公金」依存度が高くなったことももう一つの現象だと思います。

それでも、政治と金の問題はある意味永遠の課題なのかもしれません。

「佐々木」様

コメント有難う御座いました。おっしゃる通り、社会の多様な側面を取り上げないマスコミの体質は、良い政治を作る上で大問題だと思います。そこで、ネットを活用した様々な情報の伝達や分析、議論が大切な役割を果せるのではないかと思います。

鳥越俊太郎氏は「ネットはしょせん裏社会」と断定していますが、ネットにも、「表」のマスコミと同じく問題のあることは確かです。しかし、社会や人間存在そのものの多様さを正確に反映し、議論を起こし、未来社会に向けたより良いデザインを描くためにも、ネットは大切な手段だと思います。

 

2016年10月15日 (土)

ボブ・ディランにノーベル文学賞

ボブ・ディランにノーベル文学賞

 

意外な選択ですが、ボブ・ディランの歌とは切っても切れない世代の一人として、とても嬉しく思っています。彼のアルバムも買いましたし、出演する場面もテレビ等で何度も見てきました。歌もギターも好きですが、私にとって一番記憶に残っているのはハーモニカです。その中で敢えて曲名を書くのも躊躇しますが、「風に吹かれて」については、ピーター・ポール&メアリーの演奏がその当時のいろいろな出来事とともに蘇ってきます。

            

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かなり矛盾してはいるのですが、同時に、ボブ・ディランだったらノーベル賞を無視するか、受賞を拒否するかもしれない、それも大切なことなのだという気持も否定できません。でも、この賞が今持つ政治的な意味を考えると、受賞した上で、パンチのあるメッセージを出して貰えないのだろうかとも思います。

 

この賞の政治的な意味と言っても、ノーベル賞の選考委員たちは純粋に「詩人」としてのボブ・ディランを評価したと述べていますので、その結果としての政治的な意味を考えたいのです。

 

ボブ・ディランはアメリカ人ですので、当然、私たちの目はボブ・ディランを通してアメリカに向けられます。そして「風に吹かれて」に代表されるように、アメリカの社会や政治の問題を真剣に考え、詩として音楽として表現し、アメリカの市民たち、さらには世界中の私たちの声になってくれました。それは、私たちが漠然とは感じているけれども「言語化」するまでには至っていない内なる声を呼び起こしてくれた、とも表現できますし、真実を心に響く形で伝えてくれた、と言っても良いのかもしれません。リンカーンの使った表現を、いつものように持ち出せば、それは「the better angels of our nature」、私たちの内にある最善のもの、を引き出してくれたことになるのです。

 

政治家も含めて、「リーダー」としての役割を果す人たちにも、様々な手段によって同じことをして欲しいのですが、その手段として一番普通に使われるのが言葉です。特に政治家の場合は言葉が全てだと言っても良いくらい重要です。もちろん、言葉に責任を持たなくてはなりませんから、知行合一や有言実行といった面の重要性を軽んじる訳ではないのですが、ここではまず言葉に焦点を合わせます。

 

そして舞台はアメリカです。そのアメリカを一人の人物で代表させると誰なのかと問われて、大統領と答える人が圧倒的多数でも不思議ではありません。そして多くのアメリカ人にとって大統領は「アメリカ」という価値を象徴する、「絶対的」とも言える存在ですらあります。そのアメリカの市民たちに本来の意味でリーダーとして語り掛けた大統領としては、例えば、フランクリン・ルーズベルト、ジョン・F・ケネディー、ロナルド・レーガン、そして現在のバラック・オバマ大統領などがすぐ頭に浮かびます。

 

対して現在進行中のアメリカ大統領選挙の有様を見ると、アメリカ市民ではない私たちから見てもあまりにも汚く情けない罵り合いが続いています。当然、アメリカ国内でも心ある人々は、こんな状態を心から憂えていますし、これを変えるための何か良い方法はないものかと考えあぐねています。

 

あまり期待はできないにしろ、もし、ボブ・ディランのノーベル賞受賞が、トランプ、クリントン両候補に自らを省みる余裕を与えることができたとしたら―――。極限的におぞましい言葉で相手の非を論い(あげつらい)、誹謗中傷も嘘も何でもありの選挙戦が少しは変わるのではないか、そんな超希望的観測さえしたくなりました。

 

国民投票の意味を考えるために、アメリカの大統領選挙を取り上げる予定でしたが、今回は、その背景を考える結果になりました。「国民投票としてのアメリカ大統領選挙の意味」に続きます。

 

 

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コメント

私は、ボブディランに憧れ、真似を始めた吉田拓郎世代ですので、
大師匠って感じですが、速報は嬉しかったです。

歌詞も立派な文学だとなった事に、ビックリしましたが嬉しくもありました。
加藤登紀子さんのコメントに、その訳があるように思いました。
今、俳句がブームになってます。愛媛県では俳句甲子園も開催されています。
いつの日か、歴史に残るような俳人が現れ、ノーベル文学賞を受賞できたらなと思いました。

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。

吉田拓郎も森進一に「襟裳岬」を提供するなど音楽の分野を超えての活躍をしたようですが、それはボブ・ディランが境界を超えて新たな詩や音楽を創造したことと相通じるのではないかと思っています。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。

歌詞も立派な文学だということはその通りだと思ってきました。そしてまず歌詞があっての歌、という優先順位もあるように思います。この点はまた改めて取り上げたいと思っています。

俳句や和歌の文学性も世界に認められる日の来ることを祈っていますが、そのためには他の言語に翻訳されることも必要になります。短い詩、特に俳句を正確にかつ美しく訳すのは至難の業であるという事実との闘いになるのかもしれません。

 

テレビ番組のプレバトで俳句のコーナーがあります。
そらを見ていて、俳句は575が主だと思っていましたが、そうでなく、季語があり、景色や音や匂いや感情などをいかに短くまとめるかが重要なんだと思いました。14文字をどう使うか。
歌詞が文書を短くまとめたものするなら、俳句は歌詞を短くしたものかもしれません。
こう考えたなら、文字数にあまりこだわらない世界に通じる俳句もあるのではと思います。
若い人には英語を普通に話せる人も増えてます。そこに俳句の知識が加われば、そう遠い事ではないように感じます。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。俳句でも奔放な作風が評価されている山頭火がいますし、短歌では俵万智も現れました。「詩」としての意味も変ることは自然だと思いますが、短い詩の翻訳にはかなりの問題があります。コメントでは説明し尽せませんので、稿を改めて説明したいと思います。

2016年10月14日 (金)

負けるが勝ち (2)    国民投票の意味――イギリス、スコットランド、日本


負けるが勝ち (2)

国民投票の意味――イギリス、スコットランド、日本

 

前回は、コロンビアの国民投票を取り上げましたが、つい筆が走って――と言うのは不正確で、キーボードが走ってと言うべきなのでしょうか――大切なことを書き忘れていました。

 

それは、そもそも最終決定が国民投票によって行われること自体に大きな意味があるという点です。南米は独裁政権や軍事クーデターが頻発し政治が不安定だった歴史があります。加えて、半世紀以上にわたる内戦の影響は、想像することも難しいくらい深刻なはずです。そんな中、結果は否決になったと言え、そもそも和平案についての合意ができそれを国民投票で承認するという、「法の支配」の立場からは高く評価できるステップを踏んでいること自体に意味があるのではないでしょうか。

 

「法の支配」そして「立憲主義」という視点から我が国を見ると、コロンビアの方が「民度」が高いとさえ言わなくてはなりません。何故なら、本来であれば国会が発議し、国民投票で決めなくてはならないと憲法が定めている第9条の解釈について、その全ての手続きを無視して、閣議決定による「解釈改憲」をしてしまったからです。国民投票は「民意」を測るのではなく「民度」を測るという側面のあることは当然なのですが、その国民投票にさえ付さないで国政の大方針を決めても良いと考えている政権は、もう独裁政治の領域に入っているとしか言えないのではないでしょうか。

            

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 次にイギリスですが、イギリスがEUに残るのかあるいは離脱するのかという選択は、集団的自衛権を認めるかどうかとほぼ同列の重みを持ちます。イギリスという一国の枠組みを大切にするのか、主権の制限を受けてでもEUという集団の中での協調と存在を選ぶのかという問題だからです。そして集団的自衛権は、ある意味ではその対偶に位置しています。自国の防衛に限って国権を発動して自衛隊が動くのか、その国権を拡張解釈して他国の戦争にまで関与するのかという選択だからです。

 

重要なのは、このレベルの決定にあたってイギリスは国民投票を実行したという事実です。日本との比較で、法律に書いてあるから当然だという言い訳は使えません。日本の場合は、憲法に規定されていても実行しなかったのですから。

 

イギリスのEU離脱決定という結果に終わった国民投票については、「そもそも国民投票をしたことを後悔している」「もう一度やり直せないのか」「これからこの決定に縛られる投票権のない若者より、老い先短い高齢者の意向が尊重されるのはおかしい」「国民投票そのものの限界を示した」等々、様々な論評が加えられました。

  

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しかしこの国民投票は、英語の表現の方がぴったりするのですが、「blessing in disguise」です。日本の諺で近いのは「災い転じて福となる」ですが、英語の意味は、表面的には「災い」に見えるけれど、本当は「福」が隠されているケースだよ、という意味です。

 

この点については、730日のエントリー、「独立」 = 「平和」、で取り上げましたので、簡単に要約しておきましょう。スコットランドの独立を問う住民投票の目的は、スコットランドにあるイギリス唯一の核基地を閉鎖してスコットランドもイギリスも非核保有国になること、そしてNATOから離脱して非軍事国家になることでした。当然、EUからは離脱しません。

 

その住民投票で、独立派は僅差で負けました。でもイギリスがEUから離脱することになり、事情は一変しました。スコットランドはイギリスの傲慢な姿勢に付き合って、EUから離れるという事態に甘んじてはいないでしょうから、再度住民投票を行って、今度は独立派が勝つという作戦を立てています。そうなれば、世界の核廃絶や非軍事化も進み、力の支配という枷から解放される国も多くなるはずです。そうなれば、正面切って「災い転じと福となった」と言っても良いのではないでしょうか。そして、「負けるが勝ち」という結論になります。

 

アメリカの大統領選挙については次回をお楽しみに。

 

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2016年10月13日 (木)

負けるが勝ち    国民投票の意味――コロンビア


負けるが勝ち

国民投票の意味――コロンビア

 

コロンビアのサントス大統領の受賞が決った今年のノーベル平和賞ですが、マスコミその他に批判的意見が散見されます。その理由の一つとして、コロンビア政府と左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」との間の和平合意はできたけれど、和平案そのものは国民投票で否決されたことが挙げられています。さらに国民投票そのものに対する疑問も投げ掛けられています。結果が分り易いので、短絡的議論には持って来いのトピックなのでが、少し丁寧に考えて見たいと思います。

 

あまりたくさんの国の国民投票について同時に取り上げるのは難しいので、ここではコロンビアの和平案についての国民投票の他に、スコットランド独立についての国民投票、イギリスのEU離脱についての国民投票、そして日本の憲法改正についての国民投票、それに国民投票と言っても良いと思われるアメリカの大統領選挙を中心に考えたいと思います。

              

Colombiamap

               

最初に強調したいのは、国民投票の結果と、国民投票の持つ意味や価値については切り離して考えるべきだという点です。日本の憲法改正とアメリカの大統領選挙についてはまだ結果は出ていませんが、その他のケースでは、国民投票の結果が私たちの期待していたこととは違うという共通点があります。そのことを出発点にして議論すると、国民投票そのものについての良し悪しという形になることも分ります。でも、それは切り離した方が良いというのが私の主張です。

 

抽象的かつ理想論に過ぎる考え方だと言われるかもしれませんが、世界各地で独裁制あるいはそれに近い政治が未だに横行している現状、法の支配よりは力の支配の方が「現実的」だと捉えられ容認されていることとの比較があまりされていないようですので、敢えて、「では国民投票より良い方法は?」という問で、問題提起をしておきたいと思います。

 

さて、コロンビアの国民投票は賛成49.76%に対して反対50.23%という僅差で否決されました。これで和平協議とその結果生まれた和平案が全てゼロになってしまうのでしょうか。政府とFARCとの協議は続いているということですので、これからの交渉次第でしょうし、他の反政府組織との協議も難しくはなるのだろうと思います。

 

反対派の考え方は、「誘拐や殺人といった罪を犯したゲリラが十分に処罰されない」と要約できるようです。それは、これまでの内戦の悲惨さ、そして自分たちがどれほど苦しんできたのかが十分に理解されていないという気持だと言っても良いでしょう。だからこそ和平が大切なのですが、そのプロセスで、被爆体験やそこから生まれた被爆者の「和解」の哲学が何らかの役割を果せないものでしょうか。日本政府に期待すること自体が無理なのかもしれませんが、キューバやノルウェーのように、別の立場からの「仲介」の可能性はないのでしょうか。

 

このケースでの「負けるが勝ち」は、ノーベル賞だけではなく、和平案の否決によって世界がコロンビアの状況を理解し始めたこと、その結果、長い間苦しみを味わい続けたコロンビア市民にとってより本質的な意味での支援が世界から届くであろうこと、とまとめられるのかもしれません。

 

そこで私たちがどう関われるのかなのですが、被爆の実相そして被爆体験、さらに被爆者が果してきた役割を世界の人々に理解して貰うことは大切です。それに加えて今私が反省しているのは、日本政府に期待ができないのなら、私たち市民やNGOが被爆者の哲学を元に、例えばUCLGが果しているような都市間連携の形で、あるいはほかの形でも良いのですが、他都市や他国の深刻な問題にももっと積極的に関わって来られなかったのか、という点です。

 

他の国民投票については、続編でお届けします。


 

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2016年10月12日 (水)

碑めぐりの案内

碑めぐりの案内

 

修学旅行で広島市の平和公園を訪れる学生のための碑めぐりの案内を今年5月の中学生に続き1010日に2回目の案内をさせて頂いた。

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午後1時に案内役のボランティアの皆さんが集まり打合せ。

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群馬県立前橋南高校2年生240人の生徒の皆さんと引率の先生13人が24のグループに分かれて碑巡りのガイドの皆さんの案内でそれぞれの場所に移動していく。1時間で公園内を巡り午後2時には資料館見学に行かないといけないので結構忙しい。

 

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担当したのは男子高校生のグループ。原爆ドームの前で最初の説明。この上で原子爆弾が、爆撃機エノラゲイから投下される、核分裂がおき、放射線が飛び散り、熱線が浴びせられ、爆風が吹きすさんだこと。その下の人間やドームをこの場所で時系列に想像して頂くよう説明したあとしばし思い思いの写真撮影を行う。

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ドームの周囲で同じ高校の別グループも説明を受けている。その前を通って島病院の爆心地、学徒動員の碑を経て、

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広島の高校生が取り組んだ元安川原爆瓦のモニュメント「原爆犠牲ヒロシマの碑」に移動。他の高校の生徒も歩いていて人が絶えない。

 

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資料館では見ることしかできないので、この碑に埋め込まれている原爆瓦に触る体験もして頂いた。

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慰霊碑で黙とうのあと、この場所から慰霊碑、平和の灯、原爆ドームと直線的につづく平和公園を俯瞰し、記憶にとどめるように促して、資料館に送り届けて終了。

 

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秋の青い空と

 

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公園内に咲く白いキョウチクトウ。深まる秋のせいか色が濃く見えた。

 

今回の案内は広島県被団協に要請がきたが人数が多いので資料館、生協、で分け合って碑巡りの案内を行ったもの。そのお手伝いをさせて頂いた。

1010日 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

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2016年10月11日 (火)

ヒューマン・ライツ・ウォッチ    報告の日本語訳を読んで見ませんか


ヒューマン・ライツ・ウォッチ

報告の日本語訳を読んで見ませんか

 

ヒューマン・ライツ・ウォッチ (Human Rights Watch、略してHRW) は、Human Rights、つまり、人権をWatchする、すなわち監視すると訳しておきますが、そのために世界規模の活動をしているNGOです。1997年には、地雷禁止国際キャンペーンの創立メンバーとしてノーベル平和賞を受賞しています。幅広い活動の概要は、HRWのホームページに掲げられています。

 

ヒューマン・ライツ・ウォッチとは?

 

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、世界をリードする人権NGO(非政府組織)です。1978年の設立以来30年以上にわたって、世界の人びとの権利と尊厳を守ってきました。私たちは、声をあげられない被害者に代って、人権が踏みにじられている現実を世界に知らせます。そして、加害者の責任を追及する世界的な世論を作り出していきます。

 

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、客観的かつ徹底した調査を行い、それを基にした戦略的なターゲット アドボカシー(ロビイング / 政策提言)を行います。質の高い調査とアドボカシーを組み合わせて、人権侵害の解決に向けた行動を求める世論と圧力を作り出します。そして、人権侵害の加害者が負うコストを高めていきます。

 

 ヒューマン・ライツ・ウォッチは、人権侵害の原因を見極めてこれを解決し、表面的ではない真の変化を実現するための法的基盤そして道徳的土台を築いてきました。そして、世界中の人びとが、安全で正義が貴ばれる社会で生活できるよう、今後も活動し続けます。

 

このサイト内には、最新のニュースも載っていますのでお読み頂きたいのですが、定期的に情報を貰う手もあります。例えば日本語のページから登録すると、週一回、英語のニューレターを送って貰えます。さらに、ニューヨークにある世界本部のホームページからは、毎日、ニュースの要約を、これも英語で送って貰えます。

                

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HRW 本部のホームページに掲載される世界の状況

 

どちらも英語ですので、英語の勉強も兼ねて、しかもマスコミではなかなか取り上げてくれない、しかし重大な出来事を知るためにはとても役立ちます。とは言え時間も大切ですので、日本語なら読んで見たいと考える方も多いかも知れません。そしてそれは可能です。

 

実は、HRWのニュースは日本語で毎日配信して貰えます。しかも無料です。このサービスをボランティアとして8年間続けているのは、元新潟市議会議員の山田達也さんです。1991年から312年、市会議員として市民の声を新潟市の政治に反映させるだけでなく、環境派・市民派の議員たちの全国ネットワーク「虹と緑」のリーダーの一人として活躍、その発展形である緑の党の誕生にも大きな力を発揮してくれました。

 

山田さんは、2008年からHRWのニュースの日本語訳を始め、今までに3000本近くのニュースを訳してきたそうです。現在では毎日配信してくれていますが、それも日英の対訳になっていますので、日本語だけ読みたい人はその部分を拾い読みして頂けますし、英語の勉強もしようという興味の沸いた日には、一段落で二段落でも日英両方読んで見て下さい。

 

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山田さんの配信から

 

HRWが監視・調査して報告してくれるのは、世界中の人権侵害の深刻なケースですので、読むことさえ辛い場合がしばしばです。でも山田さんが選んで翻訳し配信してくれるケースは、「できるだけ、名もなく亡くなった人々の姿です。翻訳して配信することで、少しでも被害にあい亡くなった方々の魂を慰められればという気持を込めています」が、山田さんの読経・写経にも通じる真情です。

 

配信希望の方は、山田達也さん宛にメールをお願いします。アドレスは、tacchan0726@gmail.com

です。

 

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2016年10月10日 (月)

UCLG (世界都市・自治体連合) ボゴタ市平和賞   世界の焦点の一つはコロンビアです


UCLG (世界都市・自治体連合) ボゴタ市平和賞

世界の焦点の一つはコロンビアです

 

今年のノーベル平和賞はコロンビアのサントス大統領に決まりました。オバマ大統領の歴史的広島訪問があった年ですから、被団協や被爆者に関係のある活動をしてきた団体の受賞への期待も膨らみました。それは、被爆後71年経ち被爆者が高齢化している今、被爆者の功績を世界的に認めて欲しいという強い気持の表れです。私も被爆者がこれまで勇気とビジョンを持って刻んできた足跡とその意味が、近い内にノーベル平和賞委員会に届くことを心から願っています。

 

同時に今回の受賞が示しているのは、世界の至る所で悲劇が続き、その解決のために働いている多くの人たちがいるという事実です。コロンビアは、その一つです。コロンビアでは、政府と左翼ゲリラ「コロンビア革命軍(FARC)」それに右派の民兵組織も交えての内戦が半世紀以上続いてきました。その間の死者は22万人、避難民は500万人とも言われています。

 

サントス大統領は2012年から積極的に和平交渉を行い、キューバやノルウェーの仲介もあり、両サイドは先月26日和平合意に署名しました。その後の国民投票ではこの和平案は否決されましたが、コロンビア政府とFARCはその後も和平協定の見直しのための協議は続けています。

 

ノルウェーは、核兵器の非人道性を訴えるための国際会議を開き、核兵器禁止条約締結のための世界的運動も国家として応援してきましたが、同時にコロンビアの内戦停止のためコロンビア政府とFARCとの仲介もしてきたのです。

 

これは国家レベルでの平和構築のための努力ですが、都市のレベルでもコロンビアの内戦は注目されてきています。

 

例えば、世界最大の都市と自治体の連合組織であるUCLG (United Cities and Local Governments、世界都市・自治体連合と訳しておきます)の今年度の総会はコロンビアの首都ボゴタで開かれます。その総会で、「UCLG・ボゴタ市平和賞」が、都市レベルで紛争防止や紛争解決そして平和構築のための意義ある活動をした都市に送られます。今年が第一回目ですが、今後3年毎にこの賞が贈られる予定です。

 

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 この賞は、2008年にハーグで開かれた、第一回都市外交会議で提案されました。そしてこの賞の選考とそれに関する運営や事務的なサポートをしているのは、5つの組織です。UCLGに加えて、バルセロナ地域会議、オランダのNGOであるPAX、オランダの都市協会、そしてボゴタ市です。

 

最終決定は1012日から15日に開かれる総会中に、ファイナリスト都市によるプレゼンテーションの結果を踏まえて行われますが、ファイナリスト都市は5つあります。

 

 Canoas  (ブラジル)――地域の暴力的行動の原因への対応策として、技術、社会的包摂、自警活動を組み合わせた施策を推進

 Cali  (コロンビア)――地域の平和推進のために子どもと親とを巻き込んだワークショップの開催、ならびに地域単位の仲介者の養成

 Palmira (コロンビア)――平和裏に共住することの大切さを子どもたちに伝えるために、「あなたの声は平和です」という音楽コンクールを主催

 Kauswagan (フィリピン)――反乱組織で活動していた人たちを活動から切り離し社会に受け入れるための施策推進

 Shabunda  (コンゴ) ――恒久的な平和委員会を作り、平和の構築、文民政府の権威の復活、地域民兵の地域への再統合、そして地域を孤立化から救済

 

コロンビアで開かれる会議ですので、コロンビアの都市が二つ選ばれている可能性はあるのかもしれませんが、それ以上に2008年から、UCLGもコロンビアに注目し、都市レベルでの和平支援を考えていたことは、世界がコロンビアに注目していた一つの証になるのではないかと思います。

 

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2016年10月 9日 (日)

In Good Faith (誠実に) RMI提訴の却下と白紙領収書


In Good Faith (誠実に)

RMI提訴の却下と「白紙領収書」

 

マーシャル諸島共和国(RMI)の国際司法裁判所(ICJ)への提訴が却下されたことは一昨日報告しましたが、提訴の基礎にある考え方こそ、未来の政治や世界をデザインする上で大切だと思いますので、今回はそこに焦点を合わせたいと思います。

               

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キーワードは「in good faith (誠実に)」です。RMIの提訴は、核保有9カ国が核不拡散条約(NPT)の第6条に違反していることを問題にしています。その第6条は、核軍備競争の早期の停止と核軍縮について、すべての国が「誠意を持って」交渉することを義務付けています。 

     
   

 核保有9カ国中、アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の5カ国については、NPT締約国でありながら、この遵守義務を一貫して放棄し無視してきたことが「違反」の内容です。新たな核保有4か国(イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮)は、NPT締約国ではありませんが、慣習国際法のもとではこれらの核軍縮条項に拘束される立場にあります。

 

その根拠としては、1996年、ICJが全員一致で、「効果的な国際管理の下、あらゆる局面において核軍縮に向けた交渉を誠実に遂行し、完結させる義務が存在する」との結論に達したことが挙げられています。そして全核保有国は、それ以来一貫してこの結論も無視してきたのです。

 

ICJの勧告的意見の中、そしてNPTの第6条に「in good faith」という言葉が使われていることを知った時、正直、感動しました。そして核廃絶は可能であることを再確認できました。それは、この表現が、法律の世界と道徳の世界を結び付けているからですし、特に条約の場合は、「約束だから本当は嫌だけれど守る」という立場が仮にあったにせよ、それを乗り越えて「誠実に」履行する「意志」を述べていると考えたからです。

 

しかしながら、核保有9カ国は、「誠実」どころか「嫌々ながらの交渉」にも応じて来なかったのですから、「誠実」に国際法を遵守してきたRMIやその他の国が怒るのは当然です。

 

ときを同じくして、「気まぐれ辛口」さんも取り上げている、稲田防衛大臣や菅官房長官、高市総務大臣の「白紙領収書」問題が浮上しました。事実は認めたものの、三人とも「法律的には問題がない」という開き直りをしています。こんな言い訳が世間では通用しないことは百も承知のはずの、大臣ともあろう人の発言です。情けなさには呆れてものが言えません。

 

政治家や、その中でも国の大臣ともなれば、最低限ぎりぎりの線で法律を守れば良いだけではなく、法律の精神を「誠実に」実行する立場なのではないでしょうか。しかも「白紙の領収書」を使うことが慣習化している理由として、政治資金パーティーの受付時の混乱を防ぐためだというのですから開いた口が塞がりません。

 

でもこれは、大臣たちの背後にいる官僚たちが知恵を付けたのかもしれないとも思いました。それは、1996年に核兵器の使用や脅威についての勧告的意見を採決したときのICJ判事の中にも、同じような理屈を使っている人がいたからです。

 

それは、日本政府が送り込んだ小田判事です。彼は、このような一般的性質の法律問題にICJが回答を与えることは「司法的判断適合性と訴訟経済の観点からICJの司法機関としての機能を阻害する」ということを根拠に、核兵器が国際法違反であることは認めなかったからです。つまり、政治資金パーティーが混雑するから白紙領収書はOK、そして国際司法裁判所が混雑するから、核兵器の違法性判断はすべきではない、という全く同じ根拠なのです。

 

こんな暴論を放置しておく訳には行きませんが、そのためには、小さな国であるマーシャル諸島共和国が核保有9カ国を提訴したのと同じように、私たち一人一人が、たとえ小さい声でも声を上げ、法的手段も含めて政治的な行動を積み重ねて行くことが出発点になるのではないでしょうか。結果が仮に88になっても、一人の意見が変われば正義が貫かれるのですから。

 

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コメント

少し前に、核兵器は化学兵器でないとになったと思います。
でも、残留放射能が低線でも健康被害にあうのなら、放射能物質による化学兵器になるのではと思います。
低線量被曝は、健康被害にならないとするのは、核兵器が化学兵器にならないようにしているのではと感じています。
世界中の心ある科学者が、低線量被曝でも人体に影響をおよぼすという意見が多くなれば、核兵器は化学兵器となって、生物化学兵器の使用を禁止している条約に加盟している国は、核兵器を排除しなければいけなくなるのではと思ってます。
この領収書問題は、手書き以外に重要な問題がありますが、そこは誰も言わないですね。
白紙の領収書に自分で記入できるのなら、1万円しか出していないのに、5万円と記入すれば、4万円を流用できますね。政治資金を私用で使うことができる方法になります。
政治資金規正法に書かれていないから問題ないとするのはおかしな考え方で、水増し領収を禁止しているのですから、公正な考え方は、書かれていなくても直筆は認めないのは常識だから書かれていないだけですね。
それと、お店などには白紙の領収書の発行を禁止している税務署には、それなりの根拠があるのでしょうから、例え政治資金規正法に書かれていなくても、領収書の使い方を他の法律で禁止してる事柄があれば、適用されるのではと素人ながらに思います。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。核兵器が国際法違反であること、廃止されること以外には使い道がないこと等、ふつうに物事を考える人たちには当り前のことですし、領収書の意味もそれをどう扱うべきなのかも、改めて確認するまでもないくらいの常識です。

こうした普通の考え方を「誠意をもって」代弁するのが政治家であり、ICJのあるべき姿なのではないかと言いたかったのですが、より具体的に議論を進めて下さり、有難う御座います。

2016年10月 8日 (土)

名古屋市立緑高校    高校生も先生方も頑張っています


名古屋市立緑高校

高校生も先生方も頑張っています

 

久しぶりに宮島に行きました。修学旅行で広島と宮島に来てくれた、名古屋市立緑高等学校の2年生の皆さんに話をするためです。高校生そして先生方が頑張っている姿は、「「忘れられた」金輪島」で御紹介しましたが、今回出会った名古屋市立緑高校の皆さんの取り組みも素晴らしいものでした。

 

宿泊先は宮島のホテルまことでした。私にとっては久しぶりの宮島だったのですが、台風一過の秋晴れ、そして清々しい景色は、高校生たちへの歓迎メッセージでもありました。

              

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まず吃驚したのは、校長先生が出迎えてくれたことです。時代が違うのかもしれませんが、私の中高校時代に、校長先生が修学旅行に同行してくれたことなど一度もありませんでした。これだけ取っても全校一丸の取り組みであることが良く分りました。

 

二泊三日の行程ですから、強行軍なのですが、大変充実した内容でした。学年主任の高木先生からのメールを要約すると、緑高校の修学旅行は、「平和教育」と「生徒の主体的な活動」をねらいとしています。日程は、

 

105日(水)に名古屋出発、平和資料館を見学し、被爆者の講演を聞く。

106日(木)は班別研修で宮島から広島市、呉市、岩国市等を生徒の希望で班ごとにまわる。ホテルに戻って、16:3017:30の間、平和について考える学年全体企画を食堂で行う。   

107日(金)は厳島神社見学の後、お昼はお好み焼き、そして午後はアステールプラザで神楽鑑賞会。生徒たちも舞いに参加する。帰名。

 

どんな修学旅行だったのかは、緑高校のホームページに掲載されていますので、御覧になって下さい。

私は、6日の16:30から17:30の「平和を考える会」で講師を務めました。この会は2年生全員360人が参加、「平和な未来を創り上げよう」を目標に、リーダーズと呼ばれる代表生徒15人が中心となって企画したものです。初めての企画だと聞きましたが、半年掛けての準備段階から生徒さんたちが意欲的に動いて、その結果を簡潔にまとめた小冊子が、生徒全員に配布されていました。

 

「平和を考える会」の前半は、リーダーズの皆さんによるこれまでの活動の報告でした。「オバマ大統領のヒロシマ演説と核軍縮」ならびに「広島の平和について」の二項目にまとめられた内容は、皆さんがこれまで資料を集め分析したうえで自分たちの頭で考えたことが良く分る内容でした。それ加えて、緑高校2年生を対象にしたアンケートの結果も興味深いものでした。

 

アンケートの内容は①原爆投下の謝罪は必要か②核兵器のない世界は実現できるか③日本の核武装は必要か④広島、長崎に原爆を落とす必要はありましたか、の四つですが、平和を重んじる回答が三分の二から80パーセントくらいあり、高校生らしい健全な考え方が示されていたように感じました。

 

後半は、私の番でした。内容は、高校生の時にアメリカに留学して日米間で原爆についての考え方があまりにも違うことに大きなショックを受けたことから始めました。そして、オバマ大統領の広島訪問によって、そのアメリカ社会の基本的な価値観が変わりつつあることに言及しました。それは「原爆投下は正しかった」と考える人が、世論調査によると、プラハ演説と広島訪問後はドライチックに下ったことから読み取れること、その根本には被爆者の哲学「こんな思いを他の誰にもさせてはならない」があること、その被爆者の考え方を共有している世界の世論が世界を変えている様子、最新の情報である国際司法裁判所がマーシャル諸島共和国の提訴を却下したこと等、このブログで何回かにわたって書いてきたことです。

帰りの宮島の美しさも格別でした。

 

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2016年10月 7日 (金)

マーシャル諸島共和国の提訴は「却下」 でも、判事の評価は 8 : 8


マーシャル諸島共和国の提訴は「却下」

でも、判事の評価は 8 : 8

 

マーシャル諸島共和国(RMI)が核保有9カ国を国際司法裁判所(ICJ)に提訴したことは、102103に取り上げましたが、予備的争点についての判断が、105日に示されました。

 

9か国に対しての提訴でしたが、前にも説明したように、ここまで残っていたのは、イギリス、インド、パキスタンの3国のケースだけでした。結果は、RMIの提訴が「却下」されました。

                    

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理由は、三件とも同じで、「dispute (紛争あるいは係争) が存在するという明確な根拠がない」ので、ICJは管轄権を持たないということだそうです。

 

ただし、RMI対イギリスでは、「証拠がない」に賛成したのは、8人、反対したのも8人という「接戦」でした。最後に裁判長の決定で、「証拠がない」の方がICJの判断になりました。インドとパキスタンのケースでは、両方とも「証拠がない」が9に対して、それに反対したのは7と、少し差が開きました。

  

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ICJの判事の中には日本人もいます。外務省出身の小和田恒氏です。日本政府を代表していますから、当然、RMIの立場は支持していません。

 

そこで再度、「日本政府の情けなさ」で、指摘したように、日本政府が被爆体験を踏まえて、RMIと共同で提訴をしていたら、当然、この一票は逆になる訳ですから、歴史的な歩みが始まったのかもしれないのです。

 

こんなことを夢想することさえ無駄だという考え方もありますが、歴史的な決定がたったの一票差で実現しなかったことは、その一票を覆すというより具体的な目標につながるとも考えられます。目標が設定できれば、次は具体的な行動です。回り道をしながらも、世界はこんな努力の積み重ねで変ってきているのです。

 

改めて、マーシャル諸島共和国の勇気を称え、またRMIや多くの関係者の皆さんに感謝したいと思います。

  

 

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2016年10月 6日 (木)

「L」に挑戦 シニアのための即席英語講座 ③


L」に挑戦

シニアのための即席英語講座 ③

 

Slowly, please.」の発音が少し不正確でも、道案内をする際には通じると思いますが、せっかくの機会ですから、発音のコツまで踏み込みましょう。翻訳と同じように、ネットではとても親切に発音を教えてくるサイトがありますので、役立つかもしれません。以下、無料のサイト三つの紹介です。

 

「英語発音がよくなる10のコツ」少し専門的になりますが、本格的に勉強したい方には、「日本人のための英語発音の練習方法」があります。L」に特化した説明は、「ヨッ!センス」が良いかも知れません。

 

それだけではなく、恐らく役に立つであろう一言を付け加えさせて下さい。

 

L」の発音を取り上げるとき、どうしても忘れられない友人がいます。セッポ・ツオミというフィンランドの言語学者です。留学前のオリエンテーションのため、インディアナ大学のキャンパスで夏の間、一緒に勉強をした仲間の一人です。とても気の合う好い奴でしたが、そのうちにまた会えればと思っています。

                

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インディアナ大学

 さて、英語の時間に習った「L」の発音は、舌を前歯の後ろ、歯茎の辺りにつけて、舌の側面から母音を出す、といったことだったと思います。それはそれで良いのですが、セッポ流の説明を頭に入れて練習することで、「コツ」をつかんで下さい。

 

彼によると、「R」と「L」との違いは、長さなのです。どちらも、舌を口蓋に当てるのですが、口蓋に当っている時間が、「R」の場合はとても短く、「L」の場合は長いという違いがあるというのです。この点を頭において発音すると、とにかく、長く舌を口蓋に当ててさえいれば良いという、物理的しかも実行するのにそれほど難しくない技ですので、練習が容易になります。試して見て下さい。

 

その他に、日本語では使わない、あるいは存在しない子音がいくつかありますが、「th」は、「This is a pen.」で、何とかマスターできた人が多いのではないでしょうか。「s」は、「有難うございます」の最後の「す」を良く聞くと、「s」になっているので、日本語でも使っています。(ただし、人によってはあるいは地域によっては、「su」と「u」をはっきり発音している場合もありますので、一括りにはできないかもしれません。)

 

意外な落とし穴なのですが、日本語でも使っていて、でも英語として発音すると意外に通じない音があります。それは「i」です。日本語では、短い「イ」と、長い「イー」との区別にそれほど煩いことを言いませんので、区別が曖昧になっているのだと思いますが、その曖昧さで、英語としては聞きづらい音が「i」なのです。

 

「住む」という意味の「live」ですが、日本人が不注意に発音すると「leave」に聞こえます。また「it」が「eat」に聞こえることもあります。間違いやすい音でも、意味が明らかに違えば、聴き誤ることはないのですが、「live」と「leave」だと、例えば「Where do you live?」と聞かれて「I leave here.」と答えたように取られると、ちょっと混乱します。


「コツ」ですが、「it」のカタカナ表記は「イット」だということを覚えておくことだと思います。「i」を短く発音するのには、「イッ」くらいの気持、跳ねる気持で発音すると短くなります。

 

 

いろいろ御託を並べましたが、昨日「やんじ」さんがおっしゃっているように、お互い何とか通じ合うように努力することがやはり一番大切なのかもしれません。


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2016年10月 5日 (水)

シニアのための即席英語講座 ②   道案内 続


シニアのための即席英語講座 ②

道案内 続

街中で困っている様子の外国人訪問者を見かけて何とかしてあげたいと思ったとき、言葉なしでもかなりのことはできます。言葉が必要な時も、音声で入力した言葉を翻訳してくれるソフトもありますので、それを利用するのも良いアイデアだと思います。

 

「音声通訳 Free「音声通訳 Proの二つを紹介しておきます。

でもせっかくの機会です、一言でも言葉を交わして広島の好印象をもっと良くして貰えるのなら、チャレンジする価値があるのではと愚考しています。

 

でもせっかくの機会です、一言でも言葉を交わして広島の好印象をもっと良くして貰えるのなら、チャレンジする価値があるのではと愚考しています。

 

 

前回のシナリオ通りに話が進むと、「Hi!」、「Hi!」、「Need help?」、「Yes.」という順序になりますが、次に何を探しているのか、どこに行きたいと思っているのかを理解しなくてはなりません。もっともふつうは、何も言わなくても困っている人の方から「Where is ○○ Hotel?」とか「How do I get to Hiroshima Station?」など、知りたいことを言ってくれるはずです。広島駅は聞き分けられると思いますが、最近ホテルの数が増えていますので知らないホテル名だと分らない場合もあるかも知れません。そんなときには、「スローリー、プリーズ」「Slowly, please.」です。本当は「モア・スローリー・プリーズ」「More slowly, please.」ですが、「モア」を抜かしても伝わります。「もう少しゆっくり話して下さい」は、いろいろなところで聞いていると思いますので、ゆっくり喋ってくれるでしょう。


もっとも、そうは問屋が卸さないかもしれません。「L」の入っている単語が続けて出てくるからです。簡単な解決策二つと本質的なもの、合わせて三つの解決策が頭に浮かびました。一つは、音声翻訳アプリを立ち上げて、声で希望を言って貰うこと。英語から日本語にという設定をしておくことは言うまでもありません。もう一つは、「スローリー、プリーズ」の代りに、「ワンス・モア・プリーズ」「Once more, please.」と聞くことです。「ワンス・モア」だけでも通じますし、その際、語尾を上げて発音すると、命令調ではなくなるのでその方をお勧めします。それ以上にお勧めなのが「プリーズ」です。

 

「プリーズ」の辞書的訳は「お願いします」とか「どうぞ」ですが、それ以上の意味があります。この単語を付けるだけで、相手に対しての謙虚さや丁寧さが伝わります。「おもてなし」の単語と言っても良いかも知れません。

 

かつて故田村元・元衆議院議長とイギリスとアイルランドに御一緒したことがあります。流暢な英語ではありませんが、きちんとした英語を話す方でした。その田村・元議長が公式の会食等でウエイターやウエイトレスにものを言うとき、またその他の場面でも、必ず最後に「プリーズ」を付けていらした姿は「紳士」そのものでした。威厳と同時に品格のある人だということがその単語一つで伝わっていました。

 

(横道に逸れますが、奥様と御一緒の時には「田村元夫人」という名札が置かれることがあり、「元夫人」と誤解されることもあったという逸話があります。)

 

             

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故田村元氏

 

実は、かなり英語のできる日本人でも、この「プリーズ」を上手く使いこなせる人は少ないというのが私の印象です。薄っぺらな内容をペラペラ喋るより、人間としての品格を伝える努力の方が大切なのではないかと思います。

 

さて「本質的」な解決策は、この際「L」の発音をマスターすることです。それは次回に。

 

 

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コメント

単語の語尾を上げるだけで、質問していうと相手に通じるみたいですね。
下手に少ない知識の英語を使うと、相手は英語ができると勘違して、畳み掛けるように話されるのでまったく理解不能になります。当然なんですがね。
相手も、あまり英語を話せないと感じると、わかりやすく単語のみで話してくれるので、なんとなく意思が通じる感じがします。
確かにLが入る単語とと、GとZの入る単語を話されると、和製英語とは別物になりますから、理解するの時間がかかります。そんなときには相手がもう一つ単語を加えてくれて、なんとか理解できるようになります。
お互いに理解しようとする気持ちがあれば、中学英語でもなんとかなる場合もありますね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。実体験に基づいてのコメントは説得力がありりますね。

おっしゃるように、一番大切なのはお互いに理解し合おうとする気持ちなのだと思います。

2016年10月 4日 (火)

シニアのための即席英語講座


シニアのための即席英語講座

 

広島を訪れる外国人が鰻上りに増えています。街角で地図を手に、右左を見、誰か助けてくれる人はいないかなという様子の外国人家族やカップル、一人旅の人を見かけた方も多いのではないでしょうか。

 

「助けて上げたい」と思っても、「英語は苦手」「外国語を喋ったことがない」という経験が邪魔をして、そそくさとその場を立ち去ったことはありませんか。

 

でもせっかく広島まで来てくれたのですから、できるだけ意義深い時間を過ごして頂きたいですよね。そのためには、一つか二つ、自信の持てる英語の言葉を身に着けていれば十分です。それを手始めに、ちょっと努力をすれば、「あなたいつからそんなに英語が喋れるようになったの」と言われるようになるのも時間の問題です。

              

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 前口上はこのくらいにして、「工場長」さんに倣って、「シニア向き」で誰にでも役立つ、即席英語をお届けします。ことによると「ジュニア」にも役立つかもしれません。

 

[道案内]

 

地図を手に、困った様子の外国人を見かけたとしましょう。助けて上げたいと思ったとき、どう声を掛ければ良いのでしょうか。

 

最初の言葉は、「ハーイ」で十分。「ハイ」ではなく、「ハアーイ」という感じで明るく笑顔で話し掛けましょう。ローマ字では「Hi!」です。相手からは「Hi!」が返ってくるでしょう。これで会話が成立です。そこで自己紹介をしても良いのですが、道が分らない人にとって助けてくれる人の名前はあまり関係がありませんので、それは省略。

 

ここで余裕があれば、「ウエルカム・ツー・ヒロシマ」と言いましょう。これは言えそうですね。でも省略も可。

 

次に、「道が分らないのですか」「どうされましたか」といったことを聞かなくてはいけませんね。これもできるだけ簡単な言葉の方が良いですね。それには「ニード・ヘルプ?」が良いでしょう。「ニード」は知っていますね。「必要」という意味です。「ヘルプ」はビートルズの歌にも出てきますし、「助け」であることも覚えていますよね。ローマ字では「Need help?」です。

 

発音ですが、最後の「ヘルプ」は、「へ」に力を入れて、語尾を思いっきり上げて下さい。ここで「L」の音が出てきますが、今回はそれを無視しましょう。日本語流に「ヘルプ」と言っても通じます。

 

それは、「ニード」があるからです。「必要」というキーワードは、発音も難しくはありませんので、伝わります。これで助けを必要としている人には十分通じます。

 

どこに行きたいのかは、地図で確かめたり、何度か聞いて分ったとしましょう。本当は、ここでもいくつかの言葉が必要になるときもあります。聞き返すときのコツもありますが、それは機会を改めてのレッスンにしましょう。とにかくどこに行きたいのかが分って、それはすぐ近くだったとしましょう。

 

もし時間的に余裕があれば、その場所まで連れて行ってあげるのが一番親切ですし簡単です。それを伝えるのに、一番簡単なのは「レッツゴー」です。「Let’s go!」です。そして歩き始めるのです。もう少し丁寧に言いたいのなら、「アイル・テイク・ユー・ゼア」「I’ll take you there.」です。「テイク・ユー・ゼア」またはもっと簡単に「テイク・ユー」でも通じます。

 

「テイク」「take」は便利な単語です。「テイク・アウト」は「お持ち帰り」ですね。最近は食べ物だけではなく人の「お持ち帰り」という意味でも使われていますが、「テイク・ユー」と言うと、それと同じで、「あなたと一緒に行く」という意味になります。

 

何も言わないで、歩き出して、「後を付いて来い」というジェスチャーでも大丈夫です。あるいは、もう少し頑張って、「後を付いて来い」という意味の「フォロー・ミー」でも良いでしょう。ここでも「L」が出てきますが、意味は十分通じます。

 

そして目的地に着いたら、「ウィー・アー・ヒア」か「ユー・アー・ヒア」つまり、「We are here.」「You are here.」、あるいはもう少し感情を込めたいのなら、「ヒア」を先に持ってきて、「ヒア・ウィー・アー」または「ヒア・ユー・アー」でその気持は伝わります。

 

Thank you.」とお礼を言われたら、「どう致しまして」は最初と同じで「ウエルカム」で、道案内は完結します。正式には「ユー・アー・ウエルカム」「You are welcome.」ですが、略して「ウエルカム」だけ使うのは、ごく普通の表現です。

 

もう少し複雑な道案内も当然あるはずですが、少しずつ前に進みましょう。そして、皆さんへのお願いですが、こんな表現は英語でどう言うのかという質問をお寄せ下さい。できるだけ簡潔な表現、それもしっかりと内容が伝わるものを探してみます。

 

実は、私には最強の助っ人がいます。「好きな辞書」です。たくさんの質問をお待ちしています。

 

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コメント

シニアのための即席英語講座
とても興味深く楽しく拝読させていただきました
ありがとうございます

広島を訪れる外国人が多い近年
すこしでも、英語が話せたらなぁ~と悔しい思いをしています
どうしても一歩前に出ないのです

折角、広島に居ながら外国文化に触れるいい機会が
あちこちにころがっているというのに…

これからもよろしくお願いいたします

「のりたま」様

コメント有り難う御座いました。広島を訪れる外国人と交流したいと考えるのは、人間としての自然な気持だと思います。それを実現するために少しでもお力になれればというところから始めました。

英語に加えて、積極的に働き掛けたいという気持を、ちょっとでも後押しできれば、とても嬉しいです。

2016年10月 3日 (月)

マーシャル諸島共和国の勇気と日本政府の情けなさ

マーシャル諸島共和国の勇気と日本政府の情けなさ

 

前回は、マーシャル諸島共和国 (RMIと略します) が、2014424日、核保有9か国を国際司法裁判所(ICJ)に提訴したことを受けて今月5日に、同裁判所が予備的争点についての判断を下す予定であること、その結論は歴史的なものになる可能性のあることを取り上げました。今回は、RMIがこのような勇気ある行動を取るに至った背景を説明しておきたいと思います。

 

提訴した理由は、核不拡散条約第六条の誠実な交渉義務違反理由です。その6条では、批准国全ては二つの事柄について「誠実に交渉」する義務があると規定しています。その二つとは、

 

 軍縮--核軍備競争の早期の停止及び核軍備の縮小に関する効果的な措置について

 条約--厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な核廃絶に至る条約について

 

です。

 

まず軍縮についてですが、核保有国は 21世紀中続けて、現在と変わらぬ核兵器配備計画を積極的に推し進めようとしていますし、アメリカの30年間で1兆ドルを初めとして、核装備の近代化・最新化に予算を付けています。核保有国は、軍縮についての義務を全く無視しています。

 

次に、核兵器を禁止したり廃止したりするための多国間交渉を全て無視しています。核不拡散条約の効力が発生した1970年から46 年経った今でも、軍縮・条約どちらの分野においても、交渉の目処は全く立っていないのです。つまり、核不拡散条約の第6条違反が公然と行われているのです。

 

条約とは約束のことですから、この条約を批准し、自分たちに課せられた義務・責任はきちんと果たしている国が、違反を犯している国に対して「約束を守れ」と言う権利のあることは当然です。RMIはその権利を行使してICJへの提訴を行っているのです。

 

しかし、それだけではなく、他国とは違う条件もあります。それは、RMIが独立する前、アメリカ領だった時代に、アメリカの核実験で大きな被害を受けていることです。

 

1946年から1958年までの12年間、マーシャル諸島はアメリカの核実験場として使われ、この間に全部で67 回も核爆発が引き起こされたのです。平均すると、毎日、広島規模の原爆が、「1.6 個爆発したことを意味します。その中でも最大だったのは、Castle Bravo と呼ばれる実験で、195431日に行われました。第五福竜丸が被災したのもこの実験ですが、その規模は、広島原爆の1,000 倍でした。このような被害を二度と起こしてはいけない、起こさせない、という決意のもと、RMIは核保有国を提訴したのです。

              

Castle_bravo

Castle Bravo

 

さらに、MRIはアメリカに対して、かなり弱い立場に置かれている国です。それは、独立国として認められ国連にも加盟はしていますが、RMIはアメリカとの自由連合盟約によって、国防と外交の面では制限を受けているからです。つまり国防のついてはアメリカが全面的に管轄し、外交についても内容によっては一部制限を受けるという立場です。

 

核実験の被害を受けたことで、アメリカとの関係も通常の独立国とは違った弱い立場のRMIがこれだけ頑張っているのですから、独立国であり、「唯一の被爆国」あるいは「唯一の戦争被爆国」と言い続けている日本政府が、共同で提訴をすれば、ICJもそれなりの理解をしてくれるはずだと思うのは私だけでしょうか。日本政府の方針については何度も (1,2,3) 指摘してきましたので繰り返しませんが、主権者である私たちの力で何とかしなくてはならない深刻な状況ではないでしょうか。

 

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コメント

RMIと日本は、国防と外交は、アメリカとの立場がどう違うのですか?
むしろ日本のほうが低い立場にいると思います。在日米軍に莫大なお金と国土を提供し国民が虐げられているのですから。それに、提訴さえもできない地位ですからね。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。まさにこの点についての問題提起のつもりで書いて見ました。

RMIの「国防」はアメリカの責任ですし、RMI市民はアメリカ軍に入ることが奨励されています。お金の面では「自由連合盟約」で、アメリカがRMIを支援することになっていますので、その点でも日本より得をしているようです。

そんな関係でもアメリカを提訴した勇気を見習うべきではという問題提起でもあります。

また、日本の場合の日米地位協定を、他国とアメリカの間の地位協定と比較するなど、国際比較によって、日本政府の情けなさや愚かさが次々と明らかになる、もう一つのケースだとも思います。

2016年10月 2日 (日)

核兵器廃絶訴訟の予備的争点について、国際司法裁判所が判断を示します 日本時間、10月5日午後5時です


核兵器廃絶訴訟の予備的争点について、国際司法裁判所が判断を示します

日本時間、105日午後5時です

 

二年前になりますが、2014424日、マーシャル諸島共和国が、核保有9か国を国際司法裁判所(ICJ)に提訴しました。核不拡散条約第六条の誠実な交渉義務違反という理由です。この点については、8月8日に簡単に触れていますが、再度詳しく説明します。まずは「管轄権」そして「この件についてのadmissibility」が問題になります。「admissibility」の適切な訳語を教えて頂けると有難いのですが、当面、訴訟要件を満たすのか、という解釈をしておきます。

 

今回ICJは、上記の二側面についての判断を下すのですが、ここで取り上げられるのは、インド、パキスタンそしてイギリスに対しての提訴だけです。それは、これらの3か国は、ICJの規則中の36条の2項、つまり、他の国が、当該国をICJに提訴した場合、訴訟に応じる義務を持つという宣言をしているからです。つまりその国に対してのICJの強制的管轄権を認めているのです。その他の6か国、アメリカ、ロシア、フランス、中国、イスラエル、そして北朝鮮は、強制的管轄権を認める手続きをしていませんので、マーシャルル諸島共和国の提訴には応じない、という選択が可能になりました。

                  

Icj1_316

ICJ 3月のヒアリング


 強制的管轄権を認めない方が、その国に取って無条件で有利になるようにも見えますが、実は強制的管轄権を認めると、他国をICJに訴えた場合、その国が強制的管轄権を認めた国であれば、「強制的」に提訴に応じなくてはならないという決りがあるのです。マーシャル諸島共和国は、それを認めていますので、インド、パキスタン、イギリスはこの提訴が逃れられなくなったのです。また、基本的には全ての国がICJの管轄権下に入ることが、国際法に力を与えるという結果をもたらすことも理解して頂けると思います。

 

今回のICJの判断は、3月に行われたヒアリングに続くものですが、ICJは法的な立場からの判断をする場です。マーシャル諸島共和国の当事者性の基礎的事実として、アメリカの核実験による被害が大きかったことが述べられています。それに関連して、その当事者のアメリカが関与していない裁判に、イギリスが「被告」として引っ張り出される法的な意味は存在しない、といったような議論、その他、多様な議論が展開されています。

 

それについては、二つのサイトで知ることができますので、紹介しておきます。一つは国連のサイトです。

もう一つは、ICJのサイトです。

 

105日の午後5時からは、これらのサイトで、ICJの判断を同時中継で見ることができます。歴史的な出来事になるかも知れないICJの判断に注目して下さい。

  

 

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2016年10月 1日 (土)

引っ越し再考

引っ越し再考

 

相も変らず、マスコミの話題は豊洲市場とオリンピックに集中しているようです。このような問題が発生した理由はいろいろありますので、その内のいくつかについては稿を改めて考えて見たいと思いますが、一つ決定的なのは「数値化」を疎かにしていることだと思います。「数値」という括り方をしたのは、最近、肝機能の検査を受けていくつかの「数値」に神経質になっていたせいかもしれません。

              

3

日経電子版の紙面から

 

オリンピックは大事業ですから、通常の自治体予算や国内の競技会の予算以上にきちんとした数値によって財政を考えないと、結局「どんぶり勘定」になってしまう可能性の高いことは誰にでも分ることです。そして土壌の毒性についての判断をするには、成分量の分析を数値によって行わなくてはならないことも常識です。さらにこのどちらも、福島の原発事故後の処理に当って、中心的な課題だったはずです。政治がこれほど貧困化しこれほどの健忘症に罹っている原因についても、本質的な理解が必要です。この点についても別稿で取り上げられればと思います。

 

「数値化」の大切さを考えながら、たまたま聞いていたのは、iPodに取り込んでおいたJulian Breamのギターです。iPodについては以前「糟糠の妻」で取り上げたのですが、特に「引っ越し」との関連が私にとっては大切なことでした。また「引っ越し」については、「無事、引っ越しが終りました」でも話題にしています。

 

連想がこんな具合に進んで行って、同時に「数値」が頭の中にあったせいだと思うのですが、「引っ越しの数値化」をしようと思い立ちました。

 

アメリカで生活していたときには、2年に一度引っ越しをしていたような「感覚」が残っていたのですが、はっきり数えた訳ではありません。そして、日本国内での引っ越しは、「平均」以下なのではないかと思いこんでいました。

 

その結果、詳しい引っ越しの時期やその規模の大小はあるものの、全部で最低22回は引っ越しをしている勘定になりました。これが多いのか少ないのかは比較の対象に依りますが、一つ確認できたのは、「引っ越し」についての感覚があまり正確ではなかったことです。数値化の意味はありました。また、引っ越し業者に頼まず、自分で引っ越しをしたのは6回です。

 

こんなことを振り返っていることの意味は良く分りませんが、ことに依ると無意識の裡に「終活」を始めているのかもしれません。

 

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