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2016年6月 4日 (土)

「原水爆禁止なくして被害者救済なし」


先ず、[蛇足]です。

 オバマ大統領の歴史的広島訪問から、もう一週間経ってしまいました。信じられない思いですが、それでももう、その一週間前があたかも過ぎ去った「歴史」のような回想が行われ始めています。仲間褒めは見苦しいかもしれませんが、以下の金子代表委員の力の入ったエントリーに、私は感動しました。初心に戻って、被爆者の命のある間に被爆者の悲願を実現すべく、「私たち」があと一歩踏み出す勇気を持つことが如何に大切か、決意を新たにしました。

 

     

 

「原水爆禁止なくして被害者救済なし」

 

先日「広島県被団協結成60周年記念の集い」が開催されました。広島県被団協が結成されたのは、1956年5月27日。原爆を投下した国アメリカの現職大統領としては初めてオバマさんが広島を訪問した日は、くしくも60年目のその日でした。

 

オバマ大統領訪問からわずか二日後の開催となったこの「集い」で、記念講演を依頼された私は「核と人類は共存できない―反核の父・森瀧市郎先生に学ぶ―」と題して40分間のお話をさせていただきました。

 

今日は、その講演でも取り上げた「第1回原水禁世界大会の宣言文」(1955年8月8日)について考えてみたいと思います。オバマ演説の「核なき世界」を実現させるうえで、考えるべき大切なテーマを含んでいると思っているからです。

 

「原水禁世界大会の宣言文」には次のような一節があります。

 

「原水爆被害者の不幸な実相は広く世界に知られなければなりません。その救済は、世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。それが本当の原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被爆者を救うことができます。」


森瀧市郎先生は、著書「反核30年」(1976年刊)で、この一節が書かれた経緯について次のように述べられています。少し長くなりますが引用します。

 

「こうしたこともあって(金子注:大会で人の被爆者代表の訴えだけでなく六つの分散会場で十数人の被爆者が訴えた)、『広島宣言』には『原水爆被害者の不幸な実相は世界に広く知られなければなりません。この救済は世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。』と書かれた。私は起草委員会で、そのすぐつぎに『それが本当の原水禁運動の基礎であります』と加えた。すると平野義太郎氏が更にそのつぎに『原水爆が禁止されてこそ真に被害者(原文のまま)を救うことができます』とつけたした。この二句で後年の原水爆禁止運動と被爆者救援運動との密接不可分の関係が明示されたのであった。」

 

森瀧先生は当時、現地事務局長として大会成功のため奔走されていました。

Photo

 

私がここで特に強調したいことは、平野義太郎氏が加えたと言われる「原水爆が禁止されてこそ真に被害者を救うことができます」という一節です。私はこの言葉を「原水爆禁止なくして被害者の救済なし」と表現しています。それは脱原発運動(脱原発なくして福島の被害者の救済なし)にも通じることですが。ですから私は、被爆者の命がある間にこそ「核なき世界」を実現しなければならないといつも決意しながら、運動を続けてきました。

 

被爆71年目を迎えた今、最も若い被爆者(胎内被曝)でも年齢は七〇歳です。


「被爆者の命がある間」といえば、残された時間はあまり長くありません。


そう考えると、55回目の誕生日(八月四日)を迎える若きオバマ大統領には「私が生きているうちには---できないかもしれない」などとは言わずに、もうひと踏ん張りしてほしいとついつい考えてしまうのはあまりにも欲張り過ぎでしょうか。

 

それよりももっと考えなければならないことは、オバマ演説の陰で、被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つべき責務を負いながら、常に「究極的な核廃絶」を枕詞にして「核抑止力」を肯定し、世界の人々が求める「核兵器禁止条約」締結の動きに背を向けるどころか阻害し続ける日本政府の姿勢である。この日本政府の政策を変えることこそ、日本の反核運動に強く求められています。私たち自身の課題です。

 

 繰り返すようですが「核なき世界」は、なんとしても「被爆者の命がある間」に実現しなければなりません。

 

61年前の第1回原水禁世界大会の宣言文に込められた「原水爆禁止運動と被爆者救援運動との密接不可分の関係」をいま改めて再確認することは、そのためにも大切だと思います。もう一度原水禁運動の原点に立ち返る意味でも多くの人たちにこの宣言文を読み返してほしいと願っています。

 

広島県原水禁代表委員・元衆議院議員  金子哲夫

 

以下、第一回原水爆禁止世界大会宣言の全文です。

 


第一回原水爆禁止世界大会宣言

1955.8.8

  原水爆禁止を要望する最初の世界大会が、1955年8月6日-世界最初の原爆投下の日-から3日間、この原爆の地「ヒロシマ」にひらかれ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国の代表をふくむ日本各地からの5千人をこえる代表たちが集まりました。

 ここに集まった人々のうしろには、原子戦争反対を署名した全世界数億人の世論の支持があります。その支持の上にたって本大会は、原水爆禁止がかならず実現し、原子戦争を企てている力をうちくだき、その原子力を人類幸福と繁栄のためにもちいなければならないことの決意をあらたにしました。

 この広島に集まったすべての人々は、原水爆被害者の苦しみをまのあたりに見ました。10年の悲劇のあとはいまなおぬぐいさられておりません。また、この会議に参加した各専門科学者の意見をきいていよいよ非人道的な恐ろしさが私たちの心をつよくうちました。将来もし原子戦争が起こるならば、世界中が、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニになり、私たちの子孫は絶滅するでしょう。

 原水爆被害者の不幸な実相は、ひろく世界に知られなければなりません。その救済は世界的な救済運動を通じて急がれなければなりません。それがほんとうの原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます。

 私たちは、世界のあらゆる国の人々が、その政党、宗派、社会体制の相違をこえて、原水爆禁止の運動をさらにつよくすすめることを世界の人々に訴えます。

 この原水爆禁止大会が、世界平和の世論によって開かれたジュネーブ四巨頭会談の直後にもたれたことは、きわめて意義深いことであります。私たちはこの力の発展が、国際緊張を緩和し、国際連合軍縮委員会、四カ国外相会談において、この問題についての協定を成功させる大きな力となるよう全世界に訴えます。

 けれども私たちの力は、また原水爆を現実に禁止するところまではきていません。原子ロケット砲の持ち込み、原子兵器の貯蔵、基地拡張は、すべて原子戦争に関連しております。日本の沖縄ばかりでなく、世界のあらゆる地点に原子戦争準備が停止されておりません。その故に、基地反対の闘争は、原水爆禁止の運動とともに相たずさえてたたかわねばなりません。

 私たちの運動は、むしろ今日が出発点であります。私たちは、まず原水爆が禁止され、その貯蔵が破壊され、さらに軍備が縮小されて、人類の上に真の平和が来る日まで、ひろく全世界の憂いを同じくする人々と手をつないでこの運動を展開してゆかねばなりません。

世界平和への望みは未来に輝いております。

 

 広島

1955年8月8日

原水爆禁止世界大会

 

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