反核平和の火リレーがスタート
雨の中、反核平和の火リレーがスタート
平和公園の「平和の灯(ともしび)」から採火した「反核平和の火」をリレーでつなぐ、「第35回反核平和の火リレー」が、雨の中、原爆慰霊碑前から元気にスタートしました。
午前7時55分から始まった出発式では、多くの来賓の皆さんを代表して広島県平和運動センター議長・広島県原水禁代表委員の佐古正明さんが「安倍政権が戦争への道を進めるとき、県内の津々浦々まで平和の火を届け、ヒロシマの心を世界に発信してください」と激励の言葉が述べられました。
「反核平和の火」ともるトーチを手にした第1走者の新田康博さん(主催団体である広島県平和友好祭実行委員長)が「『核と人類は共存出来ない』この理念を引き継ぎ、被爆71年、戦後71年、被爆者や戦争体験者が少なくなっていく今、その体験を学び、継承し、核廃絶、戦争のない社会を訴えていきます」と誓いの言葉を述べ、原爆投下時刻と同じ午前8時15分、他の第一走者7人ととも、50名の参加者の激励の拍手の中を出発。
「反核平和の火リレー」は、今日(6月29日)から7月22日までの17日間(土・日を除く)、青年・女性が中心となって「核廃絶と平和行政推進」「脱原発社会の実現」「憲法改悪反対」などを訴え、自治体への要請行動をしながら、830区間、932.7キロ県内23全ての自治体を走り継ぎます。そして最終日となる7月22日午後6時、再び原爆慰霊碑前に帰ってきます。今年も無事に完走することを祈らずにはいられません。
沿道で見かけられたらぜひ激励の声をかけてあげてください。
1982年に始まったこの「反核平和の火リレー」は、同年3月21日に広島市で開催された「3.21平和のためのヒロシマ行動」(参加者約19万4千人)の「若者の広場」での訴えと運動を継承することを目的に始まりました。当時は、自治体への要望の中心は、「全自治体で非核宣言を」でした。開始時から数年間、私も主催者の一員として、深くかかわってきました。特に「平和の灯」からの採火の許可をもらうのが私の担当でした。広島市としても、初めてのことでしたので、何度も市役所に足を運び、何とか許可が出たことを思い出します。当時の担当者佐伯さん(被爆者)の協力を今でも忘れることができません。
「平和の灯」で思い出したことがあります。5月27日、オバマ大統領の演説の後に行われた安倍首相の演説です。演説も終わりに近づいたところで安倍首相は、こう述べています。「あの忘れ得ぬ日に生まれた子どもたちが恒久平和を願ってともした、あのともしびに誓って世界の平和と繁栄に尽くす」と。「あのともしび」とは、今日リレーの火として採火された慰霊碑の後方で燃え続ける「平和の灯」のことだと思います。あの「ともしび」は、もちろん恒久平和も願っていますが、それよりも、広島の人なら良くご存じのように「核兵器の廃絶」を願って作られたものです。「地上から核兵器が姿を消した」時に、あの灯は消えることを安倍総理はご存じなかったようです。誓うべきは「核兵器廃絶への強い決意」だったはずです。
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知人から聞いて初めて閲覧しました。写真が盛りだくさんで楽しく読ませていただきました。1982年、1才4か月の子どもを義母に預けR185のコースを雨の中、走りました。坂道でスピードダウンすると、伴走車の原付バイクから?励まし?の笛が鳴りました。「子どもを核戦争にまきこみたくない」思いでがんばった❣街中では沿道から声援や拍手をいただき、「みんな、反核の思いをもっている」と自信が持てました。現在は、自宅の前を若者が走るリレーを近所の人を誘って声援を送っています。 やすみ
投稿: やすみ | 2016年7月 1日 (金) 15時35分
やすみさんコメントありがとうございます。
私も反核平和の火リレーを始めたころのことを思い出します。
いろんな苦労がありました。ランナーを集めるのにも一苦労したことも。
多くの人たちの支援と協力で35回目を迎えたのですから、いつもでも、引き継がれることを願わずにはいられません。
今年もぜひ大きな声援をお願いします。
投稿: いのちとうとし | 2016年7月 1日 (金) 16時45分