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2016年6月

2016年6月30日 (木)

草が伸びる 草を刈る

草が伸びる 草を刈る

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ここは東広島市豊栄町のブルーベリー農園。田の転作で植えたブルーベリーの畑の中やまわりに伸びる草を梅雨の晴れ間にひたすら刈る。(6月26日)

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家の裏山に植えてあるブルーベリーの足元は笹竹や草が膝の上まで伸びている。ばさばさと刈る。刈ったらブルーベリーの木が全体像を見せてくれる。茂った枝には粒つぶした実がもう大豆くらいになっているし、新芽がどんどん伸びている。(6月26日)

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先に草を刈った裏山の隣接する場所の早生のブルーベリーは防鳥ネットを取り付けてもう収穫をしている。虫がかじった後もあるが押し合いへし合い状態で実っている。摘みとって社会福祉法人安芸の郷に納品。(6月27日)

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ミミズを求めてイノシシが畑のブルーベリーの周囲を掘りまくる(6月18日)。別の日にスコップで埋めて足で固めて現状復旧に数時間。大丈夫と思って電気柵を設置していなかった巾2m近い水路をまたいできたらしいので、また別の日に水路沿いにも電気柵を延長して防御に数時間。

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いつも一休みは藁ぶき屋根にトタンを覆った家の縁側ですごす。目の前の庭の池のハナショウブや(6月18日)

 

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イトトンボを眺める。(調べると名前はハグロトンボで、雄らしい)。真夏になるとシマヘビもくる。(6月20日)

 

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このハナショウブはプランターに植えて池に沈めたままで10年以上になるが毎年咲く強健種。右が稚児化粧といい、左は大盃という。(6月20日)

 

6月30日記

 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

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2016年6月29日 (水)

反核平和の火リレーがスタート


雨の中、反核平和の火リレーがスタート

平和公園の「平和の灯(ともしび)」から採火した「反核平和の火」をリレーでつなぐ、「第35回反核平和の火リレー」が、雨の中、原爆慰霊碑前から元気にスタートしました。

午前7時55分から始まった出発式では、多くの来賓の皆さんを代表して広島県平和運動センター議長・広島県原水禁代表委員の佐古正明さんが「安倍政権が戦争への道を進めるとき、県内の津々浦々まで平和の火を届け、ヒロシマの心を世界に発信してください」と激励の言葉が述べられました。

「反核平和の火」ともるトーチを手にした第1走者の新田康博さん(主催団体である広島県平和友好祭実行委員長)が「『核と人類は共存出来ない』この理念を引き継ぎ、被爆71年、戦後71年、被爆者や戦争体験者が少なくなっていく今、その体験を学び、継承し、核廃絶、戦争のない社会を訴えていきます」と誓いの言葉を述べ、原爆投下時刻と同じ午前8時15分、他の第一走者7人ととも、50名の参加者の激励の拍手の中を出発。

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「反核平和の火リレー」は、今日(6月29日)から7月22日までの17日間(土・日を除く)、青年・女性が中心となって「核廃絶と平和行政推進」「脱原発社会の実現」「憲法改悪反対」などを訴え、自治体への要請行動をしながら、830区間、932.7キロ県内23全ての自治体を走り継ぎます。そして最終日となる7月22日午後6時、再び原爆慰霊碑前に帰ってきます。今年も無事に完走することを祈らずにはいられません。

沿道で見かけられたらぜひ激励の声をかけてあげてください。

1982年に始まったこの「反核平和の火リレー」は、同年3月21日に広島市で開催された「3.21平和のためのヒロシマ行動」(参加者約19万4千人)の「若者の広場」での訴えと運動を継承することを目的に始まりました。当時は、自治体への要望の中心は、「全自治体で非核宣言を」でした。開始時から数年間、私も主催者の一員として、深くかかわってきました。特に「平和の灯」からの採火の許可をもらうのが私の担当でした。広島市としても、初めてのことでしたので、何度も市役所に足を運び、何とか許可が出たことを思い出します。当時の担当者佐伯さん(被爆者)の協力を今でも忘れることができません。

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「平和の灯」で思い出したことがあります。5月27日、オバマ大統領の演説の後に行われた安倍首相の演説です。演説も終わりに近づいたところで安倍首相は、こう述べています。「あの忘れ得ぬ日に生まれた子どもたちが恒久平和を願ってともした、あのともしびに誓って世界の平和と繁栄に尽くす」と。「あのともしび」とは、今日リレーの火として採火された慰霊碑の後方で燃え続ける「平和の灯」のことだと思います。あの「ともしび」は、もちろん恒久平和も願っていますが、それよりも、広島の人なら良くご存じのように「核兵器の廃絶」を願って作られたものです。「地上から核兵器が姿を消した」時に、あの灯は消えることを安倍総理はご存じなかったようです。誓うべきは「核兵器廃絶への強い決意」だったはずです。

 

 

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2016年6月28日 (火)

沖縄の新聞

マスコミのありようを問いかける沖縄の新聞

 

沖縄の友人が、6月20日付の沖縄の地元紙・琉球新報と沖縄タイムスの二紙を送ってくれました。言うまでもないことですが、19日に開催された「米軍属女性暴行殺人事件に抗議する県民大会」の模様を本土の人間にももっときちんと知ってほしいとの思いからです。両紙とも集会の写真が、1面と最終面をぶち抜きにして印刷されています。圧巻の紙面です。送ってくれた友人に感謝です。

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琉球新報は、30面(うち7面は全面広告)の紙面中13面を使って「県民大会」の模様を報道しています。沖縄タイムスも32面(うち7面は全面広告)の紙面中13面を使って、様々な角度から報道しています。

 

実は、沖縄二紙を別ルートでも入手していました。琉球大学名誉教授高嶋伸欣先生の「『県民大会・現地資料セット』50部を希望者に提供」のメール配信を見て、購入申し込みをしていたのが、丁度届いたところだからです。このセットには、20日付の新聞だけでなく、当日の大会次第、参加者に配られた「海兵隊は撤退を」、片面には「怒りは限界を超えた」と印刷されたメッセージボードなどが同封されていました。高嶋先生は「大会で参加者が一斉に掲げたメッセージカード(ボード)にある『怒りが限界を超えた!』の意味には『本土』の人々への『怒り』も含まれている、と私は感じています。」と指摘されています。この厳しい指摘は、「本土」にいる私たちに突き付けられた大きな課題です。

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同封されたセットには、19日の県民大会に先立ち、両紙の特集版も同封されています。

沖縄タイムスは、18日付で別刷り8面で「過重な基地負担、地域・罪種別別の犠牲者、地位協定不平等の源流」などをきめ細かく具体的な数字をあげて報道しています。琉球新報も大会開催当日19日付で別刷り12面で「魂の声 耳を澄ませて」のタイトルを付けた特集記事を掲載しています。内容は、沖縄タイムスと同じように、「基地負担、犯罪被害、地位協定」などわかりやすく記事が組み立てられています。

沖縄タイムスの紙面では、「奪われた命と尊厳 620人超」という大きな見出しが目を引きます。記事では、「表に出ている数は、氷山の一角」とも指摘しています。この事実を私たちは、どれだけ知っていたのでしょうか。私の沖縄との向き合い方をも問いかけられているような重たい気持ちです。

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またマスコミの報道姿勢、内容が、厳しく批判されている中で、この沖縄の地元紙の報道姿勢は、改めてマスコミのあるべき姿をも問いかけているように思えます。

沖縄の県民大会からは、少し時間が過ぎましたが、沖縄問題を、そして報道のありようをもう一度考えることができればと強く思います。

 

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2016年6月27日 (月)

投票に行きましょう

投票に行きましょう

 

参議院選挙が、公示されて初めての日曜日を迎えました。候補者のボルテージが一段と上がるときです。参議院選挙は、候補者が少ないこともあり、どうしても盛り上がりが欠ける傾向があります。

 

でも今回の選挙ほど大切な参議院選挙はありません。

昨年の国会で、国民の声を無視して強行された「戦争法」(安保関連法)の賛否を問う選挙でもあります。戦争法を廃止にするための第一歩が、今度の参議院選挙です。

戦争する国にしてはならないとの強い思いを、直接意思表示できるのが今回の選挙です。

残念なことですが、ある意味では「戦争法」を成立させたのも、これまでの国政選挙で投じられた有権者の一票の結果です。もちろん、選挙の公約でも示されなかったこと、そして憲法違反の法律を作ることが許されないこと当然ですが。

 

昨年の法律成立以来、今もなお粘り強く多くの市民が、「戦争法廃止」を声をあげ、署名活動に取り組んできました。私もその一人でしたが。

政治を市民の手に少しでも取り戻すためには、今度の選挙でできるだけ多くの人が、きちんとした意思表示をすることが大切です。

「安倍政治はだめだ」とだけ言っていても、政治を変えることはできません。

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選挙は、自らの意思を直接国政に反映させることのできる貴重なチャンスです。

にもかかわらず、最近の投票率はどんどん落ち込んでいます。政治を変えるためにもまず大切なことは、一人でも多くの人が、投票によって意思表示することです。

「どうせ政治など変わるはずがない」とあきらめるのではなく、7月10日の投票日には、ぜひ投票所に足を運んでください。もちろん今は、簡単にできる期日前投票の制度もあります。

 

投票に行きましょう!

 

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2016年6月26日 (日)

これから一週間、新たな気持ちで頑張ります(鈴木誠也や下水流 昂に負けられない)

これから一週間、新たな気持ちで頑張ります

(鈴木誠也や下水流昂に負けられない)

 

明日から、「イライザ」は、フランスの核実験開始からの50周年に際してタヒチで開かれる、核被害者が集い核のない世界を目指すための国際会議に出席します。ネットの状況が良く分かりませんので、現地からの報告が出来るかどうか不安ですが、広島では、二人のライターが満を持して、素晴らしい記事をアップしてれることになっています。

 

ハンドリネームは「いのちとうとし」さんと、「○×」さんです。二人の抱負は「鈴木誠也や下水流昂には負けていられない」だそうです。その気持を、今回のエントリーのタイトルにさせて頂きました。コメントも宜しくお願いします。

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帰国後には、必ず報告の記事をアップします。

 

 

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2016年6月25日 (土)

High School Sweetheart (「好きな辞書」 その2)

High School Sweetheart

(「好きな辞書」 その2)

 

high school sweetheart」とは、高校時代の恋人を意味します。英語で書いたのは、アメリカの高校での話だからです。

 

新学年が9月に始まるアメリカの高校に入ってから3か月から4か月の間、大体クリスマスの頃までなのですが、英語には苦労しました。でも、クリスマスを境に、ふと気が付くと英語で苦労した時があったという記憶さえ消えています。

 

それが物理的にも現れます。それまでの間、朝から晩までほとんど一日中、行動を共にしていた「恋人」を置き忘れてしまうのです。その「恋人」の写真です。

 

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名前は「三省堂のジェム英和・和英辞典」ですが、本格志向で、上着つまり表紙は革です。

 

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それだけではありません。履歴書を見て頂くとすぐに気付かれると思いますが、1959年、今から57年前の値段で500円です。物価の比較は難しいのですが、今の値段にすると3000円から5000円くらいはしたということなのです。大枚を叩いてまで買うことにしたのは、英語の語彙が少ないことは分っていたのと、同級生のお父さんが英語の先生で、そのお父さんからの勧めがあったからです。

 

ページ数は約560ページで、縦約10センチ、横約6センチの小さな辞書ですが、大活躍してくれました。分らない単語があると、友達にその単語を探して貰って日本語訳を見ることで、どんどん語彙は増えました。ふた月くらい経った時には学校の新聞に「小さな辞書に守られた留学生」という触れ込みで紹介されたほどでした。

 

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もう一人、この辞書と切っても切れない友人がいます。フランクです。社会科のクラスで一緒だったのですが、分らないことが多くあっても授業を中断して貰って一つずつ聞く訳にも行きません。社会科のシーパーソン先生が、「誰か隣に座って、分らないことを小さな声で教えるボランティアをしないか」と声を掛けてくれた時に真っ先に手を挙げてくれたのが、彼だったのです。単語が分らないときには、この辞書を繰って何度も教えて貰いました。

 

彼とは、レスリングと陸上のチームでも一緒でしたし、タイピングの時間には彼のガール・フレンドだったゲールが隣の席になってくれて、そこでもいろいろ助けて貰いました。

 

今なら、電子辞書もあり、スマホで簡単に用が足りるのですが、その代償として、こんなに貴重な「high school sweetheart」に出会う機会も奪われてしまうことを考えると、「進歩」が全てではないことを改めて考えさせられます。

 

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2016年6月24日 (金)

「糟糠の妻」

「糟糠の妻」

 

ビールを飲みながら好きな本を読む贅沢に欠かせないのが音楽です。最近は怠け癖が付いて何でもiPhoneで済ませていますので、音楽もiPhoneを使ってiTunesに貯めてある曲を聞いています。でも、こと音楽に関する限りまだ活躍しているのがiPodです。

 

元々は1980年代に一世を風靡したWalkman文化に染められ、家の外ではWalkmanCD Walkmanを常携していましたが、家の中ではやはり昔ながらのステレオ・システムでした。テレビも見ていましたが、居間の中心的存在はステレオでした。

 

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ですから、引っ越しをするときでも、引っ越し先に着くと、何はさておき、まずはステレオを置く場所を確保して、そこにステレオを据えた後、バックグラウンドの音楽を聴きながら他の物を移すことになっていました。大量の書籍や書類を移動するのに、精密機械の傍を通らなくてはならないのですから、家族は勿論、引っ越し業者さんたちからも嫌がられていたのですが、それがiPodで大きく変わりました。ポケットにiPodを入れてイヤホンで音楽を聴きながら引っ越しができるようになったからです。

 

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家族や業者の皆さんにとっては音楽があってもなくても良かったのですから、何も問題はありません。私だけの自己満足で周りの人たちに掛けていた迷惑がなくなったのですから、良いこと尽くめだったのです。

 

良いこと尽くめの一つは、心配から解放されたことです。大きな声では言えませんでしたが、引っ越しが終るまで、ステレオに傷が付かないか内心ハラハラしていたのです。それなら、ステレオは最後に据え付ければ良いのですが、悪い癖からはなかなか抜け出せませんでした。その心配から解放されたのもiPodのお蔭です。(迷惑を掛けられていた側から見れば、本当に勝手な言い分なのですが――)

 

それほどの大恩あるiPodを、iPhoneが便利だからと言って邪険には扱えません。いわば「糟糠の妻」として、大切にしています。

 

 

 

 

 

 

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コメント

かつての愛妻は古女房となり、今はSiriがベターハーフです。

「恐妻家」様

コメント有難う御座いました。Siriは、恐妻家さんの良きパートナーだったのですね。ということで、小生が呼び掛けても、良い返事がなかなか返って来なかった訳が分りました。

Cortanaさんとの相性はまあまあなので、今はそちらに頼っています。

2016年6月23日 (木)

好きな辞書

好きな辞書

 

「ヒロシマ演説を読み解く」シリーズが続きましたので、もう一息入れたいと思います。実は今、ビールを飲みながら好きな本を読んでいるのですが、その「好きな本」を紹介したいと思います。たくさんありますのでシリーズになりますが、第一弾として、「好きな辞書」です。これも何回か続きます。

 

『サウンド・オブ・ミュージック』には良い歌がたくさん出てきます。簡単で、しかも子どもたちにも分り易いのは「私の好きなもの」かもしれません。「好きなもの」リストがそのまま歌詞なのですが、「バラの花びらの上の雨のしずく、子猫のひげ」から始まって、全部で10以上の「好きなもの」が挙げられています。そして最後は、「犬に吠えられたり、蜂に刺されたり、悲しい気持になった時に、私の好きなものを思い出すと悲しみが飛んで行く」で終ります。

 

でも「好きなもの」の中に、「好きな本を読む」が入っていません。なぜなのかずっと不思議でしたし、その疑問は今でも未解決です。男の子と女の子の違いや年の違いもあるのかもしれませんし、どの本なのか一冊選べと言われても困るからなのかもしれません。でも、好きな本を「見る」だけ、手で「触れる」だけでも嫌なことを忘れられる多くの皆さんには、私の疑問に頷いて頂けると思います。

 

好きな本はたくさんありますが、中でも長く手元において、ページ毎のイメージまで覚えてしまっているものと言えば辞書でしょう。その中でも、内容も説明も紙の質や活字まで一番気に入っている一冊と言えばこれをおいて他にありません。『日米口語辞典』です。英語のタイトルは『Modern Colloquialisms Japanese-English』です。

 

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英語に訳すのが難しい日本語はたくさんあります。その全てではないにしろ、それをすんなりと、いとも簡単に、すっきり、綺麗に、美しい英語にしている見事な辞書です。それも、最初のページから最後のページまでですから、一度読み始めると途中で止めるのが難しい、と言うより勿体なくて止められません。それも編者名を見れば納得です。サイデンステッカー氏と松本道弘氏ですから。

 

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例えば、ここに広げた2ページを見ただけでも、「ひとかどの人物」という日本語で説明するのさえ難しい単語は、一刺しで「somebody」です。「お人よし」も難しいですが、「soft-hearted」つまり、「心がソフトだ」あるいは「心がやわだ」です。そして「人事(ひとごと)ではない」も、核心を突いています。「You might be next.」、訳すと「次はあなたかもしれない」。核戦争の危険性について、被爆者が言い続けて来た本質をズバリそのまま英語に訳してくれています。

 

ここまで読んで、アマゾンをクリックしたくなった方もいらっしゃるかもしれませんが、実はこの本、出版元では品切れ、重版は未定です。中古品はあるようですが――。

 

という訳で、できるだけ早く重版が出版されるよう、出版社に働き掛けるのが次の私の「目標」になりそうです。

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2016年6月22日 (水)

初夏、梅雨、6月の社会福祉法人安芸の郷 6月20日

初夏、梅雨、6月の社会福祉法人安芸の郷

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社会福祉法人安芸の郷は2002年8月に設立され、翌2003年10月に森の工房AMAを建設、完成し障害者が日中通所する事業所としてスタートした。その後新たに利用する方々の受入が困難となってきたため、2つ目の事業所として写真左側の建物の第2森の工房AMAの建設に着手し、2012年8月に完成し日々障害者の方々が利用している。設計は堺市の濵口建築設計事務所。(写真右側奥は原爆養護老人ホームおりづる園、さらに右に折れると森の工房AMAがある)

 

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第2森の工房AMAの広い庭の手前にはcafeさくらがある。昼休みには事業所に通う利用者のみなさんが元気に過ごしている。

 

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この事業所の後ろは森があり、2階建ての屋上はいずれも屋上緑化がされており、今の季節は早生のブルーベリーの収穫時期で防鳥ネットを設置して、利用者、職員がブルーベリーの摘みとりを行っている。取れた実は量は少ないがJA果実連のブランドで市場出荷も行っている。

 

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ブルーベリーの選別、加工は最初の建物森の工房AMAにある森の工房みみずくの食品班が手がけている。そして、事業所が開いている月曜から金曜日まではcafeさくらに100gパックのブルーベリーとブルーベリーがたっぷりのったスイーツが限定で販売されるが、毎朝みみずくの職員がよく熟れたブルーベリーを摘みとったものが一部スイーツにのせられる。(エチョータとスパルタン、ダローの大きくておいしい品種が摘みとられる)

 

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その足元にはあちこちでツユクサは生え、花を咲かせ始め、目を和ませてくれる。(6月17日)

 

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果実はブルーベリーだけのワッフルコーン。ブルーベリーの下はカスタードクリーム。(cafeさくらの陳列ケース)

 

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第2森の工房AMAにも広いデッキがある。6月9日は激しい雨が降った。屋上に降る雨は30cm厚さの土の底に4cm厚さの砂利が敷き詰められているのでゆっくり建物の床下に貯水される。その量は60トン。この機能は雨を一時的に屋上にためるので、専門用語で流量調整機能をもっている。都市で起きる急激の雨での洪水を多少とも緩和できる機能ともいえる。マツダスタジアムの下にも大きな貯水槽が設置されている。第2森の工房AMAの雨水は自動潅水装置でブルーベリーの水遣りに再利用されている。

 

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もうひとつの建物森の工房AMAの庭にネムノキがある。屋上からは満開の花が目の前に広がる。(6月10日)

 

その屋上にそろそろネジバナが咲く頃だが・・・。

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あった。毎年少しずつ増えている。(620日)

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同じ庭の緑の中に梅雨の定番のアジサイ ではなく赤いノカンゾウが咲く安芸の郷の初夏。(6月17日)

 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

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2016年6月21日 (火)

卵と私

卵と私

 

「ヒロシマ演説を読み解く」シリーズが続きましたので、息抜きに食べ物の話です。

 

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子どものころ、卵は貴重でした。朝、卵かけご飯は一つの卵を兄弟三人で分けなくてはなりませんでした。十分にかき混ぜないでご飯にかけると、白身のところがずるっと一人目のご飯にかかってしまい、「ずるい」と言われてしまいます。そうならないために、卵のかき混ぜ方は名人級になりました。

 

炒り卵を初めて作ったのは、小学校の家庭科の授業でした。一つの卵の量が減ってしまうような気がしましたが、直径数ミリの玉状の卵が沢山出来て、綺麗で美味しそうだったことが今でも記憶に残っています。

 

ちょうどそのころ、「コロンブスと卵」「立春には卵が立つ」の話を聞いて、しばらくは組中で練習をしていたことも思い出しました。

 

炒り卵を英訳すると、「scrambled eggs」ですが、「egg」ではなく「eggs」であるように、アメリカで食べた「scrambled eggs」には吃驚しました。量が違うのです。炒り卵だと数ミリだった「玉状」の卵が、どわっとお皿の上にあったのです。

 

目玉焼きにもいろいろ種類のあることも知りました。「sunny-side up」は普通の目玉焼きですが、「over easy」では両面を焼いて、でも黄身は半熟っぽい、もっと焼くと「turn over」になることも食べながら学びました。

 

黄身が半熟よりもしっかり焼けていた方が好きだったのですが、そのためには、フライパンの中に水を入れて蓋をすると熱い蒸気で上の方まで熱が通ることも教えて貰いました。

 

一番の得意はゆで卵です。ゆで卵の殻をむくときに、殻が卵に付かないでつるっとむけるような技術だけは身に付けた積りです。これと、オートミールで朝はすっきりです。

 

自分ではあまり料理をしたことのない告白になってしまいましたが、最近は「プレバト」での卵焼きを見たり、毎朝卵焼きを作っているブロガーの皆さんの記事を読んだりして、卵とは言え「奥が深い」とつくづく感じ入っています。

 

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コメント

家庭科の授業で、オムレツのテストがあると云う週に、
家族全員、一生分のオムレツを食べさせられましたw

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。オムレツ好きでも、一週間となるとちょっと辛いですね。通じるかどうか分りませんが、一週間「笑味」できるかどうか微妙かも。

当然最初はいくつもいくつも失敗するわけで、1日に10
個以上のオムレツが作られます。そこで、「ちゃんと見と
けえよ」と私もママも見本を見せようとするので、オムレ
ツの数はさらに増えまして・・・w

「⑦パパ」様

再度のコメント有難う御座いました。

なるほど。お手本として作るオムレツまでは、数に入れていませんでした。やはり卵料理は奥が深いですね。

2016年6月20日 (月)

「ヒロシマの心」とは道義的な目覚め (ヒロシマ演説を読み解く――その9)

「ヒロシマの心」とは道義的な目覚め

(ヒロシマ演説を読み解く――その9)

 

オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げています。演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。

 

これまでオバマ大統領は、私たちが世界を変える力を持っていることを具体的な事例で示しました。最終段階の仕上げでは、段落(t)から始まって、変革の本質とは何かを示し、「ヒロシマの心」の意味を明らかにします。

 

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出発点はアメリカの独立宣言です。その中でも中心的概念である「life, liberty and pursuit of happiness」がテーマです。直訳すれば、「生命、自由、そして幸福の追求」です。その意味をオバマ大統領は原爆以前に戻って、広島の家庭の団欒を描くことで示しています。生命が大切なことは言うまでもないのですが、「幸福の追求」の意味を、このような日常生活そのものと重ねたことは、ウエスト教授の4原則の言わんとしていることの視覚化だと考えられます。そして、「自由」とは、このような「生活」が、国家とか宗教、科学技術、そして人間の傲慢さというような「力」によつて歪められずに継続できる状態を指していることも明らかでしょう。

 

このような価値観を持つ世界中の多くの人間たちの代表として、いわゆる「リーダー」と呼ばれる人たちが、自分たちに与えられた「力」を行使して社会を変えて行く際に、一人一人の生命や生活を最優先することこそリーダーとしての義務であり、そこから豊かな未来が開けることを、段落(x)では述べています。これがウエスト教授のリストでは第④原則として掲げられていることなのです。

 

そして、段落(y)では、こうした変革が子どもたちのために行われるのだという、ウエスト④原則中の第③原則が確認されています。ここだけではなく演説中には子どもへの言及が多いのですが、この段落でその全てを言い尽くしていると言って良いでしょう。

 

最後の段落(z)では、再度、広島と長崎の持つ意味を再確認していますが、それは人類が子どもたちのために世界観を変え、戦争のない未来、核兵器のない未来を築くことであり、それが可能であることの再確認です。広島・長崎の経験がこれまでの人類の過去からの教訓を生かせる新たな「目覚め」としての役割を担っており、その意味を理解することこそ、私たちが輝ける未来を拓く力なるという、被爆者たちのメッセージそのもの、つまり「ヒロシマの心」であることを宣言する締めの言葉です。

以上、オバマ大統領の「ヒロシマ演説」とウエスト教授の「変革のための4原則」とが、いわば表裏一体の関係にあることを説明してきました。その背景には、人種差別を撤廃するためのアメリカ社会の数世紀にわたる歴史があります。それが、人類未曽有の体験である「ヒロシマ・ナガサキ」から被爆者が創り出した哲学と本質的につながっていること、両者とも、人類の抱える本質的な問題を出発点にしつつ、未来への力強いメッセージになっていることが少しでも伝わったでしょうか。

 

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2016年6月19日 (日)

現実を見て共感の輪を広げる (ヒロシマ演説を読み解く――その8)

現実を見て共感の輪を広げる

(ヒロシマ演説を読み解く――その8)

 

オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げています。演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。

 

前回取り上げた限りでは、オバマ大統領は決意表明をし、パラダイムの転換を促した後、理想を実現するために私たちが何をして来たのかを振り返っています。

 

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しかし、段落(m)から(q)までは、スピーチ全体のトーンとはかなり違った趣を持っています。それは、新たな世界観に転換しようという呼び掛けとは裏腹に、それとは正反対の選択をし行動をして来たことの言い訳のようにも聞えるからです。

 

とは言え、段落(n)(o)そして(q)は、事実を踏まえた記述です。問題は前にも述べたように段落(m)です。つまり、「あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択を行ってきました。米国と日本は同盟を築いただけでなく、友情をはぐくんできました」という下りが単に「日米同盟」を表面的に美化しているだけではなく、事実なんですよということを「証明」するために(n)(o)(q)も使われていることが問題なのです。

 

さらに、(m)に続いて(p)では、これまで折角「力の支配」からの脱却を主張してきたにもかかわらず、「力の支配」の正当性を認めてしまっています。

 

さらに問題を複雑にしているのは、その段落(p)中で、広島演説中、最も大切な主張の一つがここで述べられているからです。それは「我が国のように核兵器を持っている国は恐怖の論理から脱し、核兵器のない世界を目指す勇気を持たなくてはいけません」です。その通りなのですが、この「勇気」ある主張は、続く言葉で否定されています。つまり、「私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、たゆまない努力で破滅の可能性を少なくすることはできます」です。

 

賢明なオバマ大統領がこのようなジレンマに気付かない訳がありません。いや、彼の書いたスピーチですから、このような「揺れ」には意味があるはずです。

 

一つの可能性は、プラハ演説で「核なき世界」を提唱したオバマ大統領を自分たちの陣営に取り込もうとした「軍産複合体」とか「官僚体制」に属する人々の力がこんなところで現れた、という解釈です。もう一つは、ホスト国である日本政府に対する配慮としての発言だという解釈です。

 

その他の可能性もあります。こちらの方が説得力はあるように思うのですが、それは、オバマ大統領に続くアメリカの大統領の広島訪問にイチャモンを付けさせないための布石だというものです。軍産複合体や原子力ムラ等、核抑止論が嘘っパッチだと分ってしまうことで大きな損害を受ける人たちには、「恐怖の論理から脱し」という言葉は受け入れ難いはずです。アメリカの大統領が広島を訪問するたびに自分たちの利権が大きく浸食されることになれば、当然、防衛のための方策を考えるはずです。そのような考え方の人たちが反発するだけの内容にしてしまうのではなく、「良く読めば、自分たちの主張をなぞっている」と安心できるような言葉も使って、未来の大統領の広島訪問が確実にできるような土壌を作っておくことも目的の一つだとは考えられないでしょうか。

 

それ以上に注目すべきなのは、「私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが」と、プラハ演説で述べた「消極的」な条件を再度登場させていることです。悲観的に解釈すれば、オバマ大統領には、自信がないからなのかもしれません。でも現役の政治家として、わざわざ自信のなさを強調するでしょうか。

 

この表現が「時間枠の設定」として重要であることは、何度かここで 指摘してきました。

 

それは、十分承知の上で、広島で再度持ち出した意図が、私たちへの挑戦だとしたら納得が行くのではないでしょうか。プラハ演説後、平和活動家の中には、「自分が生きている内にはできないかも」を、オバマ大統領が真剣に核廃絶に取り組もうとしていない証拠だと断定して、彼を支援することを止めてしまった人もいました。逆に、核廃絶なんて夢物語だ、いや廃絶なんて絶対にさせないと考えていた人たちに取っては、「核廃絶論者の耳には快く聞こえるけれども、実際のところオバマは自分たちの仲間なのだ」とも解釈できる一節でした。

 

実際は、このどちらとも違う意図があったことは皆さんには御理解頂けたと思います。その点を再度広島で持ち出すばかりでなく、プラハより後退してしまっている点も重要です。プラハにはなかった「たゆまない努力で破滅の可能性を少なくすることはできます」が加えられているからです。「核なき世界」ではなく核があっても「破滅の可能性が少ない世界」が目標になっているように読めるではありませんか。

 

この違いで、オバマ大統領は何を意図したのでしょうか。完全に私流の読み方になりますが、これはプラハ演説が期待した通りの筋書きで進まなかったことへの反省だと思います。もっと遡れば、1986年にレイキャビックでのレーガン=ゴルバチョフ会談において「核兵器の全廃」という合意ができたにもかかわらず、それが実行されなかったことへの反省だと思います。それは強力な世界の世論の後押しを創れなかったからです。

 

この部分でオバマ大統領は、「エッ! なんで?」という私たちからの反応を期待していたに違いありません。良い演説をしたからと言って、その演説者人一人に全て任せてしまって何もせず、後は「核廃絶実現!」というニュースを座して待っている人ばかりの世界で、核兵器の廃絶はできないのです。

 

それを可能にするのは私たち市民です。ヒロシマ演説の最後の部分で彼が強調しているように、最終的な力を持っているのは私たち市民だということです。オバマ大統領が何と言おうと、私たちがオバマ大統領を担いで、リーダーとして「活用」しながら動く以外に効果的な方法はないのです。

 

その点を、私たちに気付かせ、「しっかりしなさいよ」と喝を入れ、「オバマさん、あなたは自分の生きている内にはできないかもしれないといったけれど、私たち市民の力で実現させてみせる」という声が世界を覆うような動きを触発するための「挑発」的な言葉、私たちに対する「挑戦」なのだと考えたいのですが、如何でしょうか。

 

それと同時に、核抑止論者たちの描く「現実」にも目を向けつつ、段落(r)では、「私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません」とも明確に宣言していることで、「挑戦」の内容がさらにはっきりしてきます。その流れで、「力の支配」から脱却して「法の支配」「理性の支配」を支配原理として採用する世界の実現をアピールしています。それをさらに敷衍して、段落(s)では現状を変える力は私たちにあることを確認し、その「証明」として二人の被爆者の言動を引用しています。

 

段落(t)からは、前にもコメントしたように原理原則の再確認をしクライマックスに至る仕上げの部分です。それは「変革のための4原則」の意味をもう一度噛み絞めることでもあります。

 

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2016年6月18日 (土)

戦争と暴力はどう「正当化」されて来たか (ヒロシマ演説を読み解く――その7)

戦争と暴力はどう「正当化」されて来たか

(ヒロシマ演説を読み解く――その7)

 

オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げています。演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。なお、「変革のための4原則」の番号との混乱を避けるため、演説の段落はローマ字に変えました。

 

記憶をリフレッシュするため、「変革のための4原則」を再度、掲げておきます。

 ①変革のための力は私たちの中にある。歴史的な文脈を踏まえた上での私たちであり力である。

 Life」が基本。生命・日常生活・人生・人類--身近なところから始めて、多くの人と共鳴し、人類が一体となって行動する。

 変革は未来の世代・子どもたちのためにする。

 こうした変革を行う上で、古い枠組みに捉われない勇気あるリーダー、同時に、”Better Angels of Our Nature(私たちの中にある最善のもの)を引き出すことのできるリーダーが必要。

 

オバマ大統領のヒロシマ演説は、なぜ広島を訪れるのかという問が中心になっていることは、前回述べました。それは私たちの持つ力をどう発揮するのかという問とも重なり、その私たちの力とは何かを確認するために「私たちは誰なのか、そしてどこに行くのか」を問うことになりました。そして、これこそが広島訪問の意味なのだという点も重要です。

 

「どこに行くのか」を考える上で、「どこから来たのか」も最低限お浚いしなくてはなりません。それが歴史的な文脈を設定し歴史を振り返ることでした。その結果、前回は第二次世界大戦まで辿り着くことが出来ました。

 

こう考えて来ると、ヒロシマ演説は、私たち一人一人がそして人類が生きる上での基本的な問である「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」への答を示そうとしていることも分ります。

 

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ポール・ゴーギャン『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』

 

淡々と戦争の歴史を振り返った先には、世界各地に戦争の惨禍を示す施設、「墓地」に相当するものがあります。戦争の悲惨さの象徴だとも言える施設ですが、それは広島だけに限られたものではないことは、段落⒞で既に指摘されています。広島の特徴があるとすればそれは、伝統的に教えられてきた歴史の中に、人類が抱え込んでしまっている矛盾のあることを示していることだ、というのが次の展開です。

 

その矛盾とは、戦争や暴力を正当化すするために使われてきた口実のリストと言っても良いでしょう。それは、全ての「人工」物に代表される、人間が自然を征服できると信じて行動してきた傲慢さです。

 

次の点は再度検証し直したいのですが、オバマ氏は宗教もこの「人工」的産物の中に入れているのかもしれません。それはともかく、宗教という名の下に暴力が正当化され戦争が起こされたこと、国家という権力が偉大な成果を生んではいるけれども同時に戦争を含む人権蹂躙の手段としても使われたこと、最後に科学技術の力が人類を破滅に導く現実的可能性を作り出してしまったことが、典型的な「人工」物です。

 

段落(j)では、「これこそ私たちが広島を訪れる理由です」(毎日訳では「これが」になっていますが、「が」が重なることと、意味としてここは強調すべき点ですので、「これこそ」に変えておきました)と総括しているのは、それまで(e)から(h)までに指摘し、その矛盾を解消する必要があるという主張を実現するためだということになります。「矛盾を解消する」と言ってしまえば簡単なのですが、これは私たちが持ち続けて来た世界観を変えることに他なりません。これを表現するのに「パラダイムの転換」という言葉も使われます。

 

世界観を変えると口では言えても簡単にできることではありません。しかし、その重要性を次の段落(k)で強調することで、つまり、慰霊碑の言葉「過ちを繰り返しませんから」を言い換えた「このような苦しみを再び繰り返さないため」の責任があり、その責任を共有してきたことに言及して、オバマ大統領は、決意を表明しています。

 

その決意は次の段落(l)で、被爆者の声やメッセージを私たちが記憶し続けることで「道義的」な想像力の向上、それは前に矛盾に満ちた「世界観」として把握されていますので「世界観の転換」と言い換えても良いと思いますが、が可能になる、つまり私たちが、慰霊碑の言葉を実現する力を持っていることを再確認しています。

 

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2016年6月17日 (金)

なぜ広島を訪れるのか (ヒロシマ演説を読み解く――その6)

なぜ広島を訪れるのか

(ヒロシマ演説を読み解く――その6)

 

オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げています。演説の文章を参照したい方は、[参考資料]

を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。なお、「変革のための4原則」の番号との混乱を避けるため、演説の段落はローマ字に変えました。

 

私たちが何らかの行動を取るとき、必ず目的があります。「お腹が減ったからご飯を食べる」というように、その目的を具体的に示せる場合もあれば、もう少し抽象的に「都政の混乱を避けるために、辞職する」というようなものもあります。もっと大きく括ると、「変化を起こす」ためです。つまり目的は「変革」なのです。

 

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プラハ演説では、「核なき世界の実現」がその変革の内容でした。プラハでは、アメリカ合衆国の大統領として、その出発点となる具体的な政策が述べられました。その後、その全てではありませんでしたが、いくつかの課題は乗り越えることが出来ました。しかし、残念なことに道はまだ遠い状況です。

 

そのような背景がある中での「広島訪問」ですが、その行動によって、何をどう変えようとしているのか、それを説明しているのがヒロシマ演説だと考えて良いでしょう。

 

さて、ウエスト教授の4原則に照らすと、第①原則の「変革の力は私たちにある」ことは、既にプラハで確認済みです。「Yes, we can.」が何よりも強くそのことを示しています。ヒロシマ演説でも何度かこのことは確認されますが、力を発揮する上で大切なのが、歴史的な文脈です。

 

段落(a)では歴史的に大きな枠組みとして、世界が変り、人類滅亡の可能性まであることを指摘しています。その枠組みの中で、段落(b)で、広島へ来ることの意味を問うているのですが、それは私たちの持つ力をどのように活用すべきなのか、という問でもあります。4原則の内の第①を深めているのです。

 

答は、まず核時代について考え、原爆の犠牲になった死者を悼み、さらに、死者の魂が私たちに問い掛けている「我々は誰なのか、そしてどこへ行こうとしているのか」を考えるためだということになります。

 

次の(c)(d)では、最初に、広島が他の地域や時代と違っているとすれば、それは戦争があったという事実だけに依るのではないと断って、人類の戦争の歴史を振り返っています。「だけ」ではないという意味は後段で明らかにされます。

 

そして、戦争の手段、動機、被害を思い起こし、文明や豊かさの半面、戦争の起きる土壌も準備されていたことを想起し、最後に第二次世界大戦の総括に至ります。

 

この部分を読んで、どうしても比較せずにはいられないのが、昨年発表された総理大臣の戦後70年談話です。オバマ大統領の描く戦争やその被害の歴史には当事者意識がはっきり表れています。つまり「私たち」人類の歴史だという当事者としての気持が込められています。安倍総理の談話は、「他人事」としての歴史としか感じられませんでした。当事者としての責任を回避する意図だけははっきり出ていましたし、戦争に至る「口実」も白々しいものだったことも残念でした。

 

 

次回は、戦争の歴史の中でも、「口実」を取り上げた部分を読みたいと思います。

 

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2016年6月16日 (木)

ゲティスバーグ演説 (ヒロシマ演説を読み解く――その5)

ゲティスバーグ演説

(ヒロシマ演説を読み解く――その5)

 

オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げています。演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。なお、「変革のための4原則」の番号との混乱を避けるため、演説の段落はローマ字に変えました。

 

なかなか「変革のための4原則」に戻れませんが、今回は、ヒロシマ演説のもう一つの「下敷き」の紹介です。と言っても、皆さん良く御存知の演説です。それはオバマ大統領も尊敬しているリンカーンのゲティスバーグ演説です。

 

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最初に、岩波文庫版の和訳を掲げておきましょう。

 

八十七年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐぐまれ、すべての人は平等につくられているという信条に献げられた、新しい国家を、この大陸に打ち建てました。  現在われわれは一大国内戦争のさなかにあり、これによりこの国家が、あるいはまた、このような精神にはぐくまれ、このように献げられたあらゆる国家が、永続できるか否かの試練を受けているわけであります。われわれはこの戦争の一大激戦の地で相会しています。われわれはこの国家が長らえるようにと、ここでその生命を投げ出した人々の、最後の安息の場所として、この戦場の一部を献げるために来たのであります。われわれがこのことをするのはまことに適切であり適当であります。しかし、更に大きな意味において、われわれは、この土地をデディケートすることはできません聖め献げることができません聖別することができません。生き残っている者と、戦死した者とを問わず、ここで戦った勇敢な人々こそ、この場所を聖め献げたのでありまして、我々の微力をもってしては、それに寸毫の増減も企てがたいのであります。われわれがここで述べることは、世界はさして注意を払わないでありましょう。また永く記憶することもないでしょう。 しかし彼らがここでなしたことは、決して忘れられることはないのであります。 ここで戦った人々が、これまでかくも立派にすすめて来た未完の事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろ生きているわれわれ自身であります。われわれの前に残されている大事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身でありますそれは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽つくして身命を捧げた、偉大な主義に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれがいっそうの献身を決意するため、これら戦死者の死をむだに終らしめないように、われらがここで堅く決心するため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります。

[岩波文庫版高木八尺・斎藤光の訳]  

 

614日のエントリー、「ヒロシマ演説の視点とアウトライン (ヒロシマ演説を読み解く――その3)」 

では、演説の「話し手」と「聞き手」という視点から、演説の全体像を考えましたが、今回は、どのような構成なのかという点を問題にしてみたいと思います。

 

短い演説を要約するのは難しいのですが、ゲティスバーグ演説は、まず、①「ゲティスバーグ」という場所の重要性を大きな枠組みの中で設定しながら、なぜこの場所に来たのかを確認します。②それは、戦死者を弔う墓地を造るためなのですが、死者を悼みながら、③死者そして死者が命を賭けて守ろうとした、そして私たちに残した責任に注目します。それは、①に述べられている大きな目的を完成させるためである事とその責任を果す決意を述べ、④その責任を果す上で、新たな価値観が実現する必要のあることを説き、⑤それは市民の力で達成できる、と締めくくっています。

 

ヒロシマ演説も(a)で「世界が変り」「人類が自分自身を破壊する手段を手に入れた」ことに言及して、大きな枠組みを作っています。これが、ゲティスバーグ演説の①(以後、ゲ①と表記します)に相当します。次に(b)で、「なぜ広島に来るのでしょうか」と問いかけ、(j)で「これが私たちが広島を訪れる理由です」と述べているように、(c)から(i)の間に、広島の被害も含めて、人類がこれまで経験してきた戦争や暴力による被害を概観し、(e)では、その犠牲を記念する施設、つまり「墓地」に相当するものの存在を示しています。これは、ゲ②に対応しています。

 

その中でも(f)からは既に、ゲ③に入っていて、(i)に至るのですが、その原因になっている国家や宗教、科学技術、自然を超えられると考える傲慢さを挙げています。ここはまだ問題がどのようなものであるかについての説明ですので、場所としては「責任」とは分けてあるのかもしれません。

 

そしてその後、(k)からが「責任」の内容についての説明ですが、その中、(l)の「いつの日か、証言をする被爆者の声を聞くことができなくなります。しかし、1945年8月6日朝の記憶は決して消してはいけません。その記憶があるからこそ、我々は現状に満足せず、道義的な想像力の向上が促され、変われるのです」は、ゲティスバーグ演説中の、「彼らがここでなしたことは、決して忘れられることはないのであります。」を意識しての表現です。

 

続いて、ヒロシマ演説では、(m)(n)で、これまで「私たち」がどのように責任を果してきたのかをまとめています。ゲティスバーグ演説では、生きている自分たちが死者の遺志を継いでどのように責任を果してきたのかについての記述はありませんが、それは、時間枠の違いのせいだと思います。ゲティスバーグ演説はまだ戦争が続いている中で行われたからです。

 

(o)から(s)までは、ゲティスバーグの演説では短く「新しく自由の誕生をなさしめるため」としか描かれていませんが、南北戦争という病、あるいは一つの「死」とも言える経験から「再生」することを指している言葉です。ここでは、これまで人類が陥ってしまった罠、国家や宗教、科学技術、自然を超えられると考える傲慢さ等から抜け出すための新たな世界観がどのようなものであるのかを説いています。

 

そして(t)から(y)では、「ヒロシマ演説を読み解く――その1 [平和市長会議] 

でも述べましたが、ゲティスバーグ演説では「神」として扱われていた、人間が生きる上での基本的な価値観、生命から始まり市民の日常生活に代表され、全体としては人類をも含む存在の大切さを強調しています。

 

特に、(x)で、「国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう」と宣言しているのは、ゲティスバーグ演説の「人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため」の全人類版と言えるのではないかと思います。

 

実は、ゲティスバーグ演説のこの個所を論理的に読むと、「人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させない」力を持つのは「人民」あるいは私流に言い換えると「市民」なのです。なぜなら、仮に、独裁者が「人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させない」方策を取って、「人民の、人民による、人民のための、政治」が続いたと仮定すると、その時点で既に「人民による政治」ではなくなってしまっているからです。「絶滅させない」結果を生むためには、「人民」の力にしか頼れませんし、リンカーンは「人民」がその力を持っていることを前提に、実現可能な目的を謳ったのです。

 

オバマ大統領は、ヒロシマ演説の中で、この点を現在の世界の流れに沿って、世界規模の民主主義が可能であることを、リーダーたちの取り得る選択肢の一つとして提唱しています。

 

最後の(z)「これこそが、私たちが選択できる未来です。広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりであるべきです」はもちろん、演説全体のさわりの部分です。

 

 

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コメント

 ゲテイスバーグ演説の岩波文庫(高木・斉藤訳)版を引用されていますが、この訳で原文第10文が何をいっているのか、一読して理解できますか?実は大方の米国人はこのような理解をしないのです。第10文にresolveがあり、その下に3個のshallがあります。このshallは話者(Lincolnないしwe)の主語(shallの前に在る主語)に対する意思を表します。上記文庫訳はこの文法に無関心です。いきおい、原文を読んでからこの訳を読むと、何を言っているのか途方に暮れる始末です。なぜ文庫訳がこのような迷路に入ってしまったのかについては理由があるのですが、結局訳者の不勉強と言わざるを得ません。
 リンカーンはgovernmentを日本語の「政治」という意味で用いているのか・?LincolnはLibertyとfreedomを1語づつ用いていますがどれも単に「自由」でいいのか?一度本気でゲティスバーグ演説を読んでみませんか。
 拙著「"Government of the people, by the people, for the people,"とは何か?」(2013. 近代文芸社)をご覧頂ければ幸いです。

「小林宏」様

コメント有難う御座いました。御指摘のように、様々な日本語訳にはいろいろ問題点があります。

小生も高校時代に留学した際、最初は英語でこの演説を宿題で読まされ、暗記させられるという経験から始まって、何十年も付き合ってきた演説ですので、多くの皆さんにリンカーンの真意を理解して貰いたいと、常々思っていました。岩波文庫を引用したのは、何版であろうと、多くの皆さんの手に入り易いという理由からです。

貴兄の著書も読んで見たいと思いますが、ネット上では、明治学院大学の渡部純氏の論考が手軽に読めますので、関心のある方には入口としてはお勧めします。

http://www.meijigakuin.ac.jp/~cls/kiyo/94/hougakukenkyu94_watanabe.pdf

2016年6月15日 (水)

きのこ雲の下からの視点 (ヒロシマ演説を読み解く――その4)

きのこ雲の下からの視点

(ヒロシマ演説を読み解く――その4)

 

オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げますので、演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。

 

言葉の使い方について一言お断りしておきます。オバマ大統領の演説を比較する際には、プラハと広島とがありますので、それぞれ、「プラハ演説」「ヒロシマ演説」と書いて違いが分るようにしていますが、平和宣言等広島で行われた演説との比較の場合、「ヒロシマ演説」では混乱が生じますので、「オバマ演説」と書くことで違いが分るようにしたいと思います。

 

最初に取り上げるのは、第(a)段落です。

71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。閃光(せんこう)と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました。

 

これと、過去の平和宣言の冒頭部分で、似た表現のあるものを比較してみましょう。

 

 

 

先ず、1964年の平和宣言(浜井信三市長)です

19年前のこの日、広島市は、一瞬にして焦土と化し、無数の人命が奪い去られた。しかも、そのとき人体深く食い入った放射能は、今日なお、被爆者たちの生命を脅かし続けている。

 

Photo

浜井市長著『原爆市長』

 

次に、2007年の平和宣言(秋葉忠利市長)です。

運命の夏、815分。朝凪(あさなぎ)を破るB-29の爆音。青空に開く「落下傘」。そして閃光(せんこう)、轟音(ごうおん)——静寂——阿鼻(あび)叫喚(きょうかん)。 

 

オバマ演説の冒頭部分は、最初の「空から死が降ってきて世界が変わりました」がなければ、平和宣言の一節だと言っても分らないような表現です。平和宣言もオバマ演説も、原爆の投下と原爆が作り出した生き地獄を「この街」の出来事として描いています。その場にいた被爆者の一員としての視点だと言っても良いでしょう。

 

ただし「空から死が降ってきて世界が変わりました」に違和感を持つのは、被爆者はその時「死が降ってき」たことは知らなかったからですし、また世界が変ったことも認識していなかったからです。

 

オバマ演説の採用した視点についてさらに言葉を重ねる前に、ここで掲げた視点以外のものとしてどのような可能性が考えられるのか「思考実験」をしてみたいと思います。

 

例えば、原爆投下は正しかったと信じ込んでいる大統領なら、次のようなことを言ったかもしれません。(ケース 1)

71年前、晴れた空に投下された原子爆弾により、卑劣な真珠湾攻撃という行為で始まった戦争は正義の結末を見るに至った。多くの死者が出たことは残念ではあるが、アメリカ合衆国の科学技術力により開発された原子爆弾は、日本人25万人、アメリカ人25万人の命を救ったことが示すように、人道的な武器だったことが証明されている。

 

わざわざこんなことを言うために広島に来る大統領などいないことを想定しての「思考実験」ですが、考え方が大きく違う人たちとも何とかして協力関係を作ろうとする場合には、このような試みも相手を知る上で役に立ちます。

 

謝罪をテーマにして、別の視点からの演説の可能性も考えて見ましょう。(ケース 2)

71年前の晴れた日に、我々アメリカ合衆国がこの地広島に投下し、その結果、多くの死者と苦しみを生んだ原子爆弾は、明らかに国際法違反であるだけでなく、究極的な悪であり、アメリカ国民を代表してここに道義的責任ならびに国際法に照らしての責任を取りたい。

 

結局、オバマ演説は「ケース1」とも「ケース2」とも大きく違っていますが、平和宣言とはかなり近い感じがします。それは、被爆者の視点で、つまりきのこ雲の下の視点で世界を見ているからなのではないでしょうか。「hibakusha」という言葉も2回使っています。これが重要であることは、「「被爆者」を英語で何と呼びますか? にも説明しましたので、御覧下さい。

 

さらに、客観的な歴史の記述をするときにも、被爆者だけでなく戦争の被害者の視点で、過去を捉えています。ホロコーストの犠牲者や捕虜として過酷な運命に耐えた人たちにも言及しています。

 

例外として第(m)段落を挙げましたが、その他にもぎりぎりセーフの個所もあります。

 

今回も長くなりました。そろそろ「変革の4原則」に辿り着きます。

 

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2016年6月14日 (火)

ヒロシマ演説の視点とアウトライン (ヒロシマ演説を読み解く――その3)

ヒロシマ演説の視点とアウトライン

(ヒロシマ演説を読み解く――その3)

 

今回は「逐条的」に演説を読んで行く予定だったのですが、全体像がハッキリしない中で一つあるいはいくつかの段落だけに注目すると、各段落が「独り歩き」してしまい誤解を招きかねないことに気付きました。いつも早とちりしてすぐに修正しなくてはならないことを繰り返していますが、御寛恕頂ければ幸いです。

 

今回はヒロシマ演説の全体像を俎上に載せたいと思います。

 

演説ですから当然話し手がいて、聞いてくれる人がいるのですが、平和公園の慰霊碑の言葉が示しているのは、「話し手」とは碑の前に立つ人を含めた人間の集合であり、その範囲は碑の前に立つ人の気持によって変るということです。そこに「私」が含まれているのは、「変革のための4原則」の①が指摘しているように、変革する力は自分が持っているからです。

 

 

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527日に平和公園で演説したのは紛いもなく、「アメリカの大統領」なのですが、演説の中の「話し手」は、これまでの人類の歴史を背負った良識ある市民の代表であるように思えました。そして「聞き手」は、被爆者も含めた「ヒロシマの心」なのだと言いたいのです。この「話し手」と「聞き手」の想定から離れる箇所もあるのですが、その前に「話し手」と「聞き手」の関係をどう捉えたら演説の内容が正確に理解できるのかを考えてみたいと思います。

 

 

今回の訪問が、「ヒロシマの心」の招待で「世界市民」が足を運んだと考えると、まず、「ヒロシマの心」はどのような理由で招待をしたのかが問題になります。この点については、これまで口が酸っぱくなるほど説明しましたので、繰り返しません。このブログの「オバマ関連」というカテゴリーに入っているエントリーを再度お読み頂ければと思います。

 

その招待を受けて広島にやってきた「世界市民」は、今回の訪問はホストであるあなたの気持が十分理解でき、それに共感したからですと先ず述べています。さらに、訪問すること、さらに「ヒロシマの心」から教訓を得ることが「世界市民」にとって、また世界に取っていかに大切であるのかをホストに伝え、ホストと共にその意味を世界に発信しているのがヒロシマ演説の中身だと言って良いように思うのですが如何でしょうか。

 

ここまでは、「話し手」が「世界市民」そして「ホスト」である「ヒロシマの心」という単純な設定で話を進めてきましたが、「理想を掲げる--その1で説明したように、核兵器や戦争と平和に関わるプレーヤーは多様です。その中から、「脇役」として無視できないプレーヤーが「二集団」います。その一つは、「オバマ効果」 やその他のエントリーで取り上げた、「原爆投下は正しかった」と信じているアメリカ人たちです。そしてもう一集団は、「大統領の謝罪 No. 2」 で取り上げ、BS朝日の「いま世界は」でも責任を問うた外務省、ならびに日本政府です。

 

実は日本政府は「脇役」どころか、政府対政府の関係では今回の訪問の公的なホストです。ヒロシマ演説中、全く無視できる存在ではありません。

 

こうした現実を反映して、演説の中で、視点が変っている箇所が何カ所かあります。ここで必要があれば、[参考資料]として掲げた演説の全文を参照して頂きたいのですが、例えば、演説の(a)段落で「空から死が降ってきて世界が変わりました」と「人類が自分自身を破壊する手段を手に入れた」、そして(b)段落では「それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれた」という表現があります。簡単に「原爆投下」という言葉を使っての表現、あるいは投下を正当化している人たちなら「戦争を早期に終らせた原爆投下」を使って言ったとしてもおかしくはない個所です。もちろん、投下したのはアメリカ合衆国ですから、これらの段落の主人公はアメリカ合衆国ならびにその大統領です。

 

しかし、「原爆投下を考えるために広島に来た」と言ってしまえば、それは「謝罪」だと短絡的に取られてしまう可能性が大き過ぎるのです。それこそ人類的な立場の表現によって、「正当化信奉者」の反発が起きないように配慮しているのがこれらの個所です。こうした手法は、安倍総理の戦後70年談話で多用されているのですが、これについてもまたの機会に譲ります。

 

その安倍政権への配慮がはっきり現れているのが、(m)段落です。日米両政府の戦後を振り返ると、それが「希望をもたらす選択」だけではないことは、オバマ氏自身十分理解しているはずです。例えばベトナム戦争があります。しかし、「同盟」について言及することは安倍政権から強く要請されていたのでしょうから無視する訳には行かず、未来の視点からは問題のある同盟だと、この場では言えないでしょうから、せめて「希望をもたらす」と「同盟」とは切り離して (これは、プラハ演説の「核兵器を使用した唯一の核保有国」と「道義的責任」をほんの少し離したのと同じ手法です)、さらに市民のレベルであれば「友情をはぐくんでき」たのは確かですから、それを国家レベルとも読める文脈で表現するという、高度の手法を使って凌いでいます。 

 

今回も考えていたより長くなってしまいました。もう一カ所、「被害」と「加害」を対比して強調してきた立場の方々であれば、問題視するであろう点があります。問題視するであろう転換点があります。この点については (再考の結果、先送りしない限り) 次回論じたいと思います。

 

 

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[参考資料] オバマ大統領によるヒロシマ演説全文 (毎日新聞訳)

[参考資料] オバマ大統領によるヒロシマ演説全文 (毎日新聞訳)

 

この演説に言及することが多くありますので、ブログ上、このページに全文を掲載しておきました。どの段落に言及しているのかが識別ができるよう、何段落目かを示すローマ字を付けておきました。

 

(a) 71年前、晴天の朝、空から死が降ってきて世界が変わりました。閃光(せんこう)と炎の壁がこの街を破壊し、人類が自分自身を破壊する手段を手に入れたことを示しました。

(b) 私たちはなぜここ広島に来るのでしょうか。それほど遠くない過去に恐ろしい力が解き放たれたことを考えるために来ます。また、10万人を超える日本の男性、女性、子ども、多数の朝鮮半島出身者、12人の米国人捕虜の死者を悼むために来ます。その魂がもっと心の内を見て私たちは何者なのか、私たちはどのようになれるのか、振り返るよう語りかけてきます。

(c) 広島を際立たせているのは戦争という事実ではありません。人間が作った道具は暴力的な紛争が古くから行われてきたことを教えてくれます。私たちの先祖は石から刃物を、木から槍(やり)を作ってきました。これらの道具はただ単に狩りをするためでなく、人間に対しても使われてきました。どの大陸においても文明の歴史は戦争に満ちています。食料不足や黄金への渇望、民族主義的、宗教的な熱狂から戦争が起こり、帝国が台頭し、衰退してきました。そして、人々は支配され、解放されてきました。その時々で数えきれない犠牲者が出て罪のない人々が苦しみ、犠牲者の名前は時とともに忘れ去られました。

(d) 広島と長崎で残虐的な終わりを迎えた世界大戦は、最も豊かで強い国々の間で戦われました。その文明は世界にすばらしい都市や美術を生み出してきました。そして、思想家は正義や調和、真実という進んだ考えを見いだしてきました。しかし、最も単純な部族同士の紛争の原因のように、支配、征服を欲する本能という同じ根本から戦争は起きてきました。つまり、古いパターンが制約が働くことなく、新しい能力により増幅されてきました。ほんの数年間で6000万人が亡くなりました。男性、女性、子ども、私たちと全く変わらない人たちです。銃で撃たれ、殴られ、行進させられ、爆撃され、拘束され、飢餓に苦しみ、毒ガスにより、亡くなりました。

(e) 世界にはこの戦争を記録している施設がたくさんあります。記念碑は勇ましさや英雄的な物語を伝え、墓地や収容所の跡は言い表せないほどの恐ろしい行為がなされたことを示しています。しかし、この空に上がったキノコ雲の姿は、最も明確に人類が抱える矛盾を想起させます。思想、想像、言語、道具作りなど、人類が自然界から離れ、自然を従わせることができると示す能力は、同時に、比類のない破壊力も生み出したのです。

(f) 物質的な進歩や社会の革新が、どのくらいこうした真実を隠してしまっているでしょうか。私たちはどれだけ簡単に、暴力を崇高な理由によって正当化してしまっているでしょうか。すべての偉大な宗教は、愛や平和、公正さにいたる道を説いていますが、どの宗教も信仰の名のもとに人を殺す信者を抱えることを避けられません。

(g) 国は犠牲や協力によって人々が団結するという物語を語り、台頭して偉大な成果を生みました。その同じ物語は、自分とは違う他者を虐げたり、非人間的に扱ったりすることに使われてきました。

(h) 私たちは科学によって海を越えてコミュニケーションできますし、雲の上を飛ぶこともできます。病気の治療や宇宙の解明もできます。しかし、そうした発見が、効率的に人を殺す機械になり得るのです。

(i) 近年の戦争は私たちにこうした真実を伝えています。広島も同じ真実を伝えています。技術のみの発展だけでなく、同様に人間社会が進歩しなければ、我々を破滅させる可能性があります。原子を分裂させた科学の革命は私たちに道徳的な進歩も要求しています。

(j) これが私たちが広島を訪れる理由です。

(k) この広島の中心に立つと、爆弾が投下された瞬間を想像させられます。混乱した子供たちが抱いた恐怖感を感じ、声にならない叫びを聞きます。むごたらしい戦争、これまで起きた戦争、そしてこれから起こるかもしれない戦争による、罪のない犠牲者に思いをはせます。言葉だけでは、このような苦しみを表すことはできません。しかし、私たちは正面からこの歴史に向き合い、このような苦しみを再び繰り返さないためにできることを問う責任を共有してきました。

(l) いつの日か、証言をする被爆者の声を聞くことができなくなります。しかし、1945年8月6日朝の記憶は決して消してはいけません。その記憶があるからこそ、我々は現状に満足せず、道義的な想像力の向上が促され、変われるのです。

(m) あの運命の日以来、私たちは希望をもたらす選択を行ってきました。米国と日本は同盟を築いただけでなく、友情をはぐくんできました。それは戦争よりもはるかに人々にとって有益でした。

(n) 欧州の国々は貿易と民主主義の結びつきによって戦場に代わって連合を作りました。抑圧された人々や国家は自由を勝ち取ってきました。国際社会は戦争を避け、そして核兵器を規制、削減し、最終的には廃絶することを求めた機構や条約を設けてきました。

(o) しかし、私たちが世界で目にする、すべての国家間の侵略行為やテロ行為、腐敗、残虐行為、そして抑圧は、私たちの仕事がまだ終わっていないことを示しています。

(p) 私たちは悪を行う人類の能力をなくすことはできないかもしれません。だから、私たちが築いた国家や同盟は、私たち自身を守る手段を持たなければなりません。しかし、我が国のように核兵器を持っている国は恐怖の論理から脱し、核兵器のない世界を目指す勇気を持たなくてはいけません。私が生きているうちに、この目標を達成することはできないかもしれませんが、たゆまない努力で破滅の可能性を少なくすることはできます。

(q) 私たちはこれらの核兵器をなくす道のりを描くことができます。私たちは新たな(核兵器の)拡散を止め、狂信者から核物質を守ることができます。これだけでは十分ではありません。なぜならば、原始的なライフルや「たる爆弾」ですら、非常に大きな規模での暴力をもたらせるからです。

(r) 私たちは戦争自体に対する考え方を変えなければいけません。外交を通じて紛争を防ぎ、始まってしまった紛争を終わらせる努力をする。相互依存が深まっていることを、暴力的な競争ではなく、平和的な協力の名分にする。国家を、破壊する能力ではなく、何を築けるかで定義する。そして何よりまして、私たちは人類の一員としてお互いのつながりを再び想起しなければなりません。このつながりこそが我々を人類たるものにしているからです。

(s) 私たちは過去の失敗を繰り返すよう遺伝子で決められているわけではありません。私たちは学ぶことができます。選ぶことができます。子どもたちに違う方法を伝えることができます。共通する人間性を説明し、戦争が起こりにくく、残虐性が簡単には受け入れられないようにする物語です。被爆者の方たちの話から、それらが分かります。原爆を落とした爆撃機を操縦したパイロットを許した女性がいました。それは彼女が、自分が本当に嫌悪しているのは戦争そのものだと気付いたからです。広島で殺された米国人の家族を捜し出した男性がいました。なぜなら彼は、その米国人たちの喪失感は彼自身のものと同じだと確信していたからです。

(t) 私の国の物語は(独立宣言の)簡単な言葉で始まります。「すべての人類は平等に創造され、創造主によって奪うことのできない権利を与えられている。それは生命、自由、幸福追求の権利である」。しかしその理想を実現することは、米国内や米国民の間であっても、決して簡単ではありません。しかし、その物語にあくまでも忠実であろうとすることに価値があります。それは努力しなくてはならない理想であり、大陸と海をまたぐ理想です。

(u) 全ての人のかけがえのない価値です。全ての人命は貴重であるということです。私たちは一つの家族の一部であるという根源的で不可欠な考え方です。それが私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

(v) だからこそ私たちは広島に来るのです。それによって、私たちは、愛する人たちに思いをはせます。朝一番の子供たちの笑顔。食卓での配偶者との優しい触れ合い。親の心地よい抱擁。そうしたことを思い、そうしたかけがえのない瞬間が71年前のここにもあったのだと考えることができます。亡くなった方々は私たちと全く変わらない人たちでした。

(w) 普通の方々はこうしたことを理解できると思います。彼らの誰もがこれ以上、戦争を望んでいません。むしろ科学の驚異を、命を奪うのではなく、もっと人生を豊かにすることに役立ててほしいと考えています。

(x) 国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう。

(y) 世界はここで永遠に変わってしまいました。しかし、広島の子供たちは平和に日々を送っていくでしょう。なんと価値のあることでしょうか。それこそが守り、そして全ての子供たちに広げていく価値があることなのです。

 

(z) これこそが、私たちが選択できる未来です。広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりであるべきです。

2016年6月13日 (月)

ヒロシマ演説を支える「時代精神」とは (ヒロシマ演説を読み解く――その2)

ヒロシマ演説を支える「時代精神」とは

(ヒロシマ演説を読み解く――その2)

 

歴史に残る名演説は、いわゆる「雄弁術」等という言葉で呼ばれる技術的な面はさておいて、二つの相反する特徴を持っています。一つは、永遠の真理を述べていること。もう一つは、その時代、時代の空気、あるいは「時代精神」を反映していることです。

 

古代ローマのキケロの演説やリンカーンのゲティスバーグ演説がそのお手本です。もう少し現代に近いものでは、1961年のジョン・F・ケネディ―大統領就任演説、1963年のキング牧師による「I have a dream」演説などがあります。

 

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ケネディー演説を起草したのは、当時のアメリカを代表する知識人たちでした。多くの市民がマスコミ等を通して読んだり聞いたりしていたことを実際に書いたり喋ったりしていた人たちの言葉がそのまま演説になったのですから、「時代精神」そのままと言っても良いスピーチだったのです。

 

御記憶の方もいらっしゃると思いますが、1960年代のアメリカにおける公民権運動、それと連動したベトナム戦争反対運動のリーダーの一人がキング牧師でした。彼はその時代の精神を創った人たちの中でも大きな役割を果しました。その彼の演説が時代精神の表現だったことは、言うまでもありません。

 

オバマ大統領のヒロシマ演説も当然、今の時代精神を反映しています。それをどう表現すれば良いのか迷うところですが、前にも書いた通り、アメリカの言論界で注目されてきた何冊かの書物の内容を紹介するのが一番早道だと思います。これらの著作とヒロシマ演説とを比較してみたいと思います。

 

その内の一冊が、コーネル・ウエスト教授の『人種の問題』です。署名は既に御紹介済みですし、オバマ大統領の広島訪問の意義もこの本に言及しながら説明しました。でもそれだけではこの本の重要性を示したことにはなりません。少し過激になりますが、この演説の「種本」だという言葉を使いたいほどの一冊です。その中でウエスト教授が整理してくれた「変革のための4原則」は、610日付けのブログで紹介しましたが、再度掲げておきます。

 

 変革のための力は私たちの中にある。歴史的な文脈を踏まえた上での私たちであり力である。

 Life」が基本。生命・日常生活・人生・人類--身近なところから始めて、多くの人と共鳴し、人類が一体となって行動する。

 変革は未来の世代・子どもたちのためにする。

 こうした変革を行う上で、古い枠組みに捉われない勇気あるリーダー、同時に、”Better Angels of Our Nature(私たちの中にある最善のもの)を引き出すことのできるリーダーが必要。

 

また、この4つの内の②と④については、不十分な形ではありますが、同じく610のブログで取り上げました。

 

さらに、65日付のブログ、「ヒロシマ演説を読み解く――その1[平和市長会議]では、ヒロシマ演説の最後に近い部分を取り上げて、それが平和市長会議の考え方をなぞっていることを指摘しました。そこで引用した部分の直前はアメリカの独立宣言中の有名なフレーズ、「生命、自由、そして幸福の追求」でした。

 

「生命」から始まって、次に65日のブログで引用した部分では普通の人々の「生活」に思いをはせ、原爆で亡くなった方々の「人生」を振り返っています。これは、原則の②、英語では全て「life」なのですが、の大切さを強調している部分です。

 

さらに、「ヒロシマ演説を読み解く――その1[平和市長会議] で引用した部分に続いて、ヒロシマ演説では「子どもたち」を取り上げています。これは原則の③です。そして最後の文章で、「これこそ、私たちが選択できる未来です」と締めくくっているのは、①を確認していることになります。つまり、変革の力は私たち自身が持っているということなのです。

 

この部分だけに注目しても、『人種の問題』が大きく影を落としていることを理解して頂けると思います。

 

今回は、65日と、10日のブログで取り上げた個所の補足説明から始めましたが、次回は最初から順を追って、「逐条的」に演説の内容を考えて行きたいと思います。

 

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2016年6月12日 (日)

「核なき世界実現のための一里塚として」 (オバマ大統領広島訪問の先を考える) [『世界』7月号]

「核なき世界実現のための一里塚として」

(オバマ大統領広島訪問の先を考える)

[『世界』7月号]

 

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『世界』7月号の内容はこれまでこのブログで書いてきたことをまとめたものです。ブログをお読み下さった皆さんにはお分り頂けると思いますが、分量はかなりありました。しかし、活字媒体のために、ずいぶん努力をしてコンパクトにしました。当然、捨てなくてはならないトピックや考え方がそれなりにあります。でも残しておきたい気持ちも強くあります。その葛藤の中から妥協点を見付けるのですが、いつもこうした努力の後に思うのは、「無理だ、これ以上削れない」を乗り越えることで得るものの大きさです。

 

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何とか残せたものの一つに「Wish List」あるいは「欲張りリスト」と名付けたリストがあります。「Wish List」の方は、単に「願望」を示しているという意味ですが、「欲張りリスト」の方は、広島ではプラハ演説を超えて欲しい、そのためにはこのような「サプライズ」が考えられる、という過大な期待が元になっている言葉です。リストには三つの項目があります。

 

 核即応態勢の解除を宣言

 核保有9カ国によるNPT6条遵守会議の開催を宣言

 任期中に長崎を訪問

 

まず①ですが、今、核保有国は、ボタン一つで核兵器が発射されるような態勢を取っています。これを解除して、核兵器の使用が簡単にできないようにする、そして「核戦争」中のようなメンタリティーから脱却することが目的です。その結果として、偶発核戦争、というより偶発的に人類が滅亡してしまう危険性をかなり減らすことができます。

 

次に②ですが、その背景として、核保有国は核不拡散条約の第6条、「誠実な交渉」義務違反をしていることが挙げられます。核廃絶に至る条約を締結するための交渉です。46年間、核保有国がこの義務を果していないということが、核廃絶の最大の障害になっています。この障害を取り除くために、オバマ大統領が核保有国全てに、この第6条を遵守するための準備会議を開こうと提案するのです。

 

そして、③は、大統領の真剣さを示すために、もう一度被爆地を訪れ、そこでは充分時間を取って被爆者の体験証言に耳を傾け、最後に上のような「宣言」をしてしまうという提案です。

 

このような提案をオバマ大統領が任期中に実行してくれる可能性は低いと思いますが、それを言うなら、10年前に戻ればアメリカの大統領が広島を訪れる可能性も随分低かったのです。それでも実現したことを考えると、大切なのは、もし実現したとすると大きなインパクトのある提案、または提言を続けることだと思います。また、「他人任せ」にするのではなく、こうした提案実現のための市民レベルでの努力も組織的・系統的に行うことです。

 

それぞれの項目について詳しく説明したいのですが、まずは②を取り上げましょう。これは大統領退任後に、相手は現職の大統領や首相でも良いですし、「元」職に呼びかけても効果がある点が重要です。

 

オバマ氏が、アメリカ以外の8カ国の首脳あるいは元首脳に呼び掛けたとしましょう。それを世界に公表して、世界が注目する中、一カ国ずつ返事を貰うようにします。「行かない」という国、返事をしない国等もあるでしょう。しかし、北朝鮮はどうでしょうか。必ず来ることになるか、あるいはオバマ氏を北朝鮮に招待することになるかのどちらかの選択肢を選ぶのではないでしょうか。とにかく、アメリカに自分の方を向いて貰いたいと思い続け、ありとあらゆる手段を講じているにもかかわらず、それでもアメリカの方針は「無視」という状況に照らすと、効果があるはずです。

 

そして、世界が注目するその場では、「平和を愛する、核兵器を廃棄したい北朝鮮」というイメージ以外、北朝鮮が世界にアピールできる切り札はないでしょう。

 

 これが実現するだけで、世界は大きく変わります。しかも、このような会議の開催提案をして、仮に実現しなかったとしても実害は何もありません。「夢」のような話かもしれません。でも、空を飛ぶこともかつては夢でした。「夢のような話」と決めつけてしまって、誰も努力をしていなかったら、今でも夢のまま残っていたかもしれないではありませんか。

 

 

 

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コメント

I have a dream.

「Gen」様

コメント有難う御座いました。

「dream」大切にして下さい。

2016年6月11日 (土)

無事、引っ越しが終りました

無事、引っ越しが終りました

 

御心配と御迷惑をお掛けしましたが、無事引っ越しが終りました。引っ越しの目的は、複数のライターが自由に原稿をアップできるようにするためでした。それに伴ってサイトの引っ越しが必要になったのですが、今度はライター側の都合で、複数のライターの魅力的なエントリーが現れるまで、もう少し時間が必要です。どうかお楽しみに!!

 

引っ越しには、工場長さんと広島ブログの皆さんに助けて頂きました。大感謝です。そして以前、引っ越しのときに助けて貰った「中国トラック」も頭に浮かびました。また近い内にお世話になるかもしれません。

         

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なお、これまでのバックナンバーの本文は、このサイトで読めますが、コメントは引っ越しできていませんので、旧サイトで御覧下さい。

http://hiroshima2016.cocolog-nifty.com/blog/

 

 

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「とある」ブログと「かぶる」かもしれませんが ――違和感のある言葉4――

「とある」ブログと「かぶる」かもしれませんが ――違和感のある言葉4――

「とある」ブログと「かぶる」かもしれませんが

――違和感のある言葉4――

 

今日、時の記念日はなぜか忙しい日になってしまいましたので、どうしようかと迷っている内に、「とある」トピックを思い出しました。「違和感のある言葉」です。

 

最近は、このような形で、「ある」の代りに「とある」が使われる頻度が高くなっているようです。タイトルも、正確に言い直せば、このトピックは「ある」ブロガーさんの取り上げるトピックと「重なる」かもしれませんが、の意味です。

 

さて意味の違いです。「とある」とは、「偶然性」を示している「と」と一緒ですから、偶然目にしたり、行き当たったりした場所であることを示す言葉です(三省堂『大辞林』)。「ある」は、「(事物・人・時・場所などを漠然と指していうときの語、あるいはそれらをはっきりさせずにいうときにも用いる」のですから偶然性のあるなしにかかわらず使われる言葉です。

 

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この違いを覚えておくために便利なのは、日本古来の知恵です。「昔々、とあるところに、おじいさんとおばあさんが住んでいました」とは言いません。「あるところ」は偶然ではなく、例えばあなたの住んでいるところかもしれないですよ、という意味まで持たせているのです。

 

もう一つ、「とある」を考える上で参考になるのは「と、その時」です。「とある」は場所の場合もありますので空間的な事柄についての言葉ですが、「とその時」は時間的な言葉です。アインシュタインを引っ張り出す必要はないのですが、「時間と空間」は交換可能だと考えることで、面白い発想が生まれます。

 

「とその時」、それを誇張して書くと「と、その時」になりますが、これは例えば次のような場面に使われます。シャーロック・ホームズが密室の謎を解明すべく、熱心にある部屋のクローゼットを調べていたとしましょう。「とその時、ホームズの後ろのドアが音もなく閉じた」というようなパターンで使われるのが普通でしょう。この場合も、意外性や偶然性を表しています。

 

「銀行強盗たちは、ようやく12時になって、金庫の鍵を開けることに成功した。丁度その時、警備員が部屋に入ってきた」の「その時」を「とその時」に変える訳には行きません。警備員が定期的に巡回していることくらいは当然頭にあるはずだからです。

 

時間と空間の互換性まで引っ張り出して、「とある」のおかしさを問題にしてきましたが、「盾」と「矛」のケース でも問題提起をした通り、「盾」が「矛」の役割を果たしてしまうことも現実には起っています。「とある」辞書では、「とある」と「ある」とは同じ意味だと書いてあるのです。念のため、これは皮肉です。「ある」と書く理由は、この辞書を特定しない方が良いという意図を示しているのですが、本とか辞書などには全く縁のない人がたまたま手に取ったのが辞書で、その中にこう書いてあった、という意味ではありません。

 

いつにもなく、(いや、いつも通りというべきなのかもしれません)、熱が入りかつ長くなってしまいました。

 

次に「かぶる」の番なのですが、「かぶる」については上智大学の伊藤潔先生のブログ に簡潔かつ的を射た記述がありますので、それを御覧下さい。伊藤先生の記述と「かぶる」ことを避けたいという意図もあります。

 

タイトルに掲げた「とある」、元へ、「ある」ブログ、ブロガーとは誰か、皆さんお分りですよね。誰でも知っている事物・人・時・場所を特定せずに、「ある」と表現することで、奥床しさを表現できることも示したかったのですが、果たして上手く行ったでしょうか。

 

 

[おしらせ] 都合があって、このブログのサイトを引っ越しました。「広島ブログ」の中では新しいエントリーになります。これまでのエントリーやコメントは次のサイトで御覧頂ければ幸いです。

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数日間、両サイトとも、「広島ブログ」に登録させて頂きます。今後とも仲間として宜しくお願い申し上げます。


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コメント

「とあるブログ」とあるのは、どのブログなんだろう?

「かぶる」の連用形は、馬鹿にされたようで嫌いです。
ごめんなさい。真面目なブログに下ネタを書いてしま
った(汗)

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。「とあるとある」とあるのは語呂合わせですね。流石です。ブログを書く皆さん言葉にはこだわっていらっしゃいますね。もちろん、最初に頭に浮かんだのは「⑦パパ」さんですが、「ふぃーゆパパ」さん--古い方のサイトにコメントを頂きました--その他、とても勉強になりす。でも広島弁までは到達していません。

2016年6月10日 (金)

変革のための4原則 (理想を掲げる――その3)

変革のための4原則 (理想を掲げる――その3)

変革のための4原則

(理想を掲げる――その3)

 

「ある理想について、現実を変える力を持っている人がその力を行使しないにもかかわらず、その理想を掲げ続けて公にアピールして良いのか」

という形の問題提起から始めて、理想も現実も複雑であること、現実に働き掛ける「プレーヤー」も多様で、それぞれのプレーヤーが理想と現実の間の「折り合い」をどう付けているのかが問題だ、という形で問題提起を整理してみました。その上で、プレーヤーの中でも典型的なケースであるアメリカの大統領の場合の「折り合い」の付け方として、リンカーンとブッシュ両大統領について振り返ってみました。

 

しかし、その他にもプレーヤーは多くいます。私たち一人一人もプレーヤーです。その点も頭に置きながら、現実を変え、理想を実現するための努力の仕方について、コーネル・ウエスト教授の「変革のための4原則」を元に考えて見たいと思います。なぜこれらの4原則が大切なのかという説明は省きます。詳しいことは、ウエスト教授の『人種の問題』をお読み頂ければ幸いです。

 

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ここで一つ注釈を付け加えておきたいのですが、最初の問題提起で「その力を行使しないにもかかわらず」と書きましたが、これは、その人が意図的に力を使わなかった場合だけではなく、結果として効果がなかった場合全てについて言及している積りです。私たち一人一人の持つ力は小さいですから、元々大きな結果につながる可能性は低いのですが、それでも努力をし、その結果が十分に現れなかった場合なども含みます。

 

またまた、「能書き」が長くなりましたが、「変革のための4原則」です。

 

 変革のための力は私たちの中にある。歴史的な文脈を踏まえた上での私たちであり力である。

 Life」が基本。生命・日常生活・人生・人類--身近なところから始めて、多くの人と共鳴し、人類が一体となって行動する。

 変革は未来の世代・子どもたちのためにする。

 こうした変革を行う上で、古い枠組みに捉われない勇気あるリーダー、同時に、”Better Angels of Our Nature(私たちの中にある最善のもの)を引き出すことのできるリーダーが必要。

 

オバマ大統領の広島訪問とヒロシマ演説が、これら4つのポイントを踏まえたものであることは、「ヒロシマ演説を読み解く」で詳しく説明したいと思っていますが、ざっとお読み頂いただけでも、大枠では賛成して頂けるのではないかと思います。今回はこれに関連して二点だけ取り上げておきます。

 

一つは、多くの人がヒロシマ演説に感動したことです。その結果、核兵器の廃絶や世界の平和のために自分も何かをしなくては、何かをしたいという気持になった人が多くいたということです。仮に、その気持が長続きしなかったり、具体策につながらなかったりといった結果になったとしても、次に同じような刺激を受けた時には力になる準備活動として評価できるケースもあるでしょう。

 

また、「何かをしたい」という気持は、一人の人間の中で新たなエネルギーを生み、それが核や平和という分野ではなくても次の行動につながる可能性は大きいはずです。「私たちの中にある最善のもの」を引き出すとは、このようなことを指すのだろうと思います。ブッシュ大統領の非拘束者取扱法についての考え方は、「私たちの中にある最善のもの」ではなく、極論すれば「最悪のもの」を引き出すことにつながったのではないかと思います。

 

次に、当然、廃止されるべき岩国基地を廃止せずに、岩国では米兵の激励をして軍国主義的な傾向を煽った、それは許されるのか、という問題提起に一理あることは認めます。

 

先ず、それが意図的であるかどうかは別として、オバマ大統領が岩国基地を廃止する上で、私たち一人ひとりより大きな力を持つことは当然ですが、リンカーンの場合と比較しても、一人で廃止できる立場にあるのかどうかは疑問です。とは言え、どの程度廃止のための努力をしたのかは、事実として確認しておくべきことなのかもしれません。

 

しかし、岩国基地があるという前提、また広島は訪問するという前提で考えると、岩国での言動は基地に配属されている米兵たちが持ったかも取れない反発を、「広島訪問は良かった」という「共鳴」に変える力があったように思います。②の原則が大切な所以です。

 

しかも、「煽った」のとは逆に、もっと長くても良かった演説を短くしその代り握手に変えたこと、そして短い演説の中でも、軍事行動以上に災害の救助や支援の活動に力を入れたこと等、力の支配を是認し軍拡を奨励することはできるだけ抑える努力をした、と私には読めました。

 

次回は「ヒロシマ演説を読み解く」に戻って、「理想を掲げる」で考えたことも含めて論じられればと思います。

 

[お断り]  都合があって、このブログのサイトを引っ越しました。「広島ブログ」の中では新しいエントリーになりますので、今後ともお仲間として宜しくお願いします。これまでのエントリーやコメントは次のサイトで御覧頂ければ幸いです。

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2016年6月 9日 (木)

理想を掲げる――その2 リンカーンの理想、そして乗り越えた現実

理想を掲げる――その2

リンカーンの理想、そして乗り越えた現実

 

その1の最後に「整理しておくべきことの一つが、現実と理想の折り合いをどう付けるのかという点です」と書きました。さらに、「プリンストン大学の哲学者、コーネル・ウエスト教授の『Race Matters (人種の問題)』が参考になります」と続けたのですが、ウエスト教授にはもう少し後にお出まし頂くことにして、今回は「現実と理想の折り合い」を付けて上手く行った例、リンカーンの業績を紹介しておきます。

 

「オバマ効果」 のコメントにも書きましたので、一部重複しますが、やはり本文を読まれる方の方が多いと思いますので、それに免じてお許し下さい。

 

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リンカーンが奴隷解放の立役者だったことは良く知られています。しかし彼は、1861年大統領に就任して即座に奴隷解放を行ったのではありません。それどころか、奴隷制度の存在は容認しその拡大を防ぐという立場を取りました。その理由の一つは、大統領は憲法を遵守する義務があり、当時のアメリカ合衆国憲法は奴隷制度を認めていたからです。もう一つは、奴隷州からなる「南部」がアメリカ合衆国から独立して新たな国を作るという動きが強まっていたからです。事実南部のサウスカロライナ州、フロリダ州、ミシシッピ州、アラバマ州、ジョージア州、ルイジアナ州およびテキサス州は合衆国を脱退してしまいます。こうした動きがあったにもかかわらず、リンカーンは、アメリカが分裂しないことを最優先していました。つまり、奴隷制度の廃止以上に一つのアメリカを保とうとしていたのです。

 

そのリンカーンの姿勢は南部、北部両サイドから批判されます。南部からは奴隷廃止論者として敵視され北部の奴隷制度廃止論者からも奴隷制度を擁護していると非難されました。

 

しかし、1863年には、戦争に勝つためという大義名分を使って、軍の最高責任者として奴隷解放宣言を出しました。これは憲法の改正ではありません。そもそも大統領が憲法改正の権限を持っている訳ではありませんので、これは当然なのですが、念のため確認しておきました。

 

名前は「奴隷解放」宣言なのですが、全ての奴隷を即座に解放したのではなく、解放されたのは、例えば北軍が領土とした南軍の旧支配地に住んでいる奴隷、あるいは北部に逃げてきた奴隷でした。さらに、奴隷州ではありながら北軍についたメリーランド州、デラウェア州、テネシー州、ケンタッキー州とミズーリ州では奴隷制度は合法だとみなされたのです。

 

これでは、奴隷解放論者からも奴隷制度維持論者からも批判されても仕方がないのですが、それはリンカーンの優柔不断さでもなく、狡猾な詐術でもなく、極めて複雑な現実の中で、それでも理想を実現しようとして一歩一歩進んで行く中での勇気ある決断だったのだと思います。

 

もっと詳しく説明したいところなのですが、スペースがありませんので先に進みます。このように、1863年の奴隷解放宣言だけでは全ての奴隷は解放されませんでしたので、1865年に憲法の修正第13条という形で、奴隷制度が完全に、法律の上では廃止されました。それから100年以上も人種差別が続いたことも皆さん御存知の通りですが、それはまたの機会に取り上げられればと思います。

 

もう一つ、奴隷解放宣言に関連した出来事として、140年後の2005年、ブッシュ大統領はリンカーン大統領の奴隷解放宣言の発令と形式的には同じだという理屈を付けて、アメリカによって拘禁された人たちに対する「残虐、非人道的若しくは品位を傷つける取扱い」の禁止を主たる内容とする「非拘束者取扱法」に従わないという方針を打ち出しました。元々は、イラクのバグダッドにあったアブ・グレイブ収容所で米軍が収容者を虐待した事件が発端となって虐待を禁止する目的で作られた法律ですが、それには従わないという意思表示です。

 

流石にこのように乱暴な解釈は批判されましたが、形の上ではリンカーンと似た手法です。リンカーンは良くて、ブッシュが批判される根拠として、人権の尊重が直ちに挙げられますし、法の遵守を柱とする「法の支配」という大原則に照らしても問題です。

 

ここで、オバマ演説の素晴らしさとの対比で浮き彫りになるのが、ウエスト教授の「変革のための4原則」なのです。次回はお待たせしたウエスト教授が登場します。

 

 

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2016年6月 8日 (水)

理想を掲げる――その1

理想を掲げる――その1

 

「通りすがり」さんの問題提起について考え始めたのですが、思っていたより複雑でした。その問題提起を私なりに表現してみました。

ある理想について、現実を変える力を持っている人がその力を行使しないにもかかわらず、その理想を掲げ続けて公にアピールして良いのか。

 

私は、一般論として「良い」と言いたいのですが、上の文章の中の個別のフレーズについて、もう少し丁寧に吟味しないと決定的な結論は出せないということにも気付きました。

 

先ずは、「丁寧に吟味」したいと思います。

 

最初に確認しておきたいことは、全ての人の理想が同じではないことです。つまり、戦争反対の人の理想と死の商人の理想とは違っていると考えた方が良さそうですし、自分は誰よりも優れていると信じ込んでしまっているお金持ちの描く理想の総理大臣像と、極貧の生活に甘んじて隣人の幸せを最優先する宗教家の描く総理大臣像は違って当然です。

 

核兵器についても、圧倒的に多数の人は廃絶すべきだと信じていますが、核兵器のあることこそ理想的な状態だと信じている人も恐らくいるはずです。口では信じていると言いながら本音では信じていない人もいるでしょう。そして仮に核兵器の廃絶という理想は共有していても、その理想を実現する道筋、シナリオについての考え方も多様です。

 

核廃絶に至るシナリオに従って自らに課した責任をしっかり果している人もいますし、悲観的なシナリオしか描けなくて、理想は理想だが現実問題としては不可能だと結論付けて諦めてしまっている人もいるでしょう。それほどではないにしろ、理想の実現するのは二世紀も三世紀も先だというシナリオの持ち主も確かにいます。

 

シナリオの違いが生じるのは世界観の違いだと言ってしまえばそれまでなのですが、現実の世界・社会を動かしているプレーヤーやそれぞれのプレーヤーの持つ力、力関係、そして何がその力の元になっているのか、その力をどう使うのか等についての認識の違いが関係しています。こうしたことについて詳しく論じるのが政治学の一つの役割だと思いますが、それは専門家に任せて、ここでは常識の範囲内でさらに考えを進めたいと思います。

 

プレーヤーの中には、まず国家、都市、市民等がありますが、それぞれの構成単位としては大統領や総理大臣といった行政の選ばれる立場のトップ、その一部ではあっても大きな力を持つ官僚制度ならびに官僚、裁判所等の司法、議会、経済界、マスコミ、オピニオン・リーダーとして影響力を持つ様々な専門家集団、NGO、宗教界等々があります。個々の市民、市民の集まりである都市も重要です。

 

一口に市民と言っても、年齢、性別、職業、宗教、政治信条、経済力等々、どうまとめるのかによって違うプレーヤーとして考える必要も出てきます。

 

こうしたプレーヤーが働き掛けるのが「現実」ですが、理想に向かって現実をどう変革して行くのかが、シナリオだということになります。その中で、概念として整理しておくべきことの一つが、現実と理想の折り合いをどう付けるのかという点です。

 

ようやく到達しましたが、これが、「通りすがり」さんの問題提起なのだと思います。この点を考えるに当り、プリンストン大学の哲学者、コーネル・ウエスト教授の『Race Matters (人種の問題)』が参考になります。オバマ大統領のヒロシマ演説の中にもウエスト教授の影が見えますが、詳しくは次回に。

 

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2016年6月 7日 (火)

わたしにとってエースとは

わたしにとってエースとは

 

サッカー・スタジアムで言えば、当然、ウェンブリー・スタジアム。ロンドンの隣町にあります。今年の1月、ロンドンでの仕事で泊まったホテルが、このスタジアムの真ん前でした。部屋の窓から撮った写真です。

 

20160116_111454

 

またとないチャンスだったので、スタジアム・ツアーに加わってゆっくり中を見てきました。もちろん、世界中のチームのエースたちのユニフォームもロッカー・ルームに飾ってありました。

何と言ってもロナウド、メッシー、イニエスタは外せません。

 

20160115_155545

 

そしてララーナ他のリバプールFC。

 

20160115_155815

 

「大満足でした」と書きたいところなのですが、サッカーを見ていると自分で動きたくなる気持が強くなって、見るのは不得手です。

 

と言うことで、息子の講釈を聞き齧ってうろ覚えのままの、「わたしの」エースの紹介になりました。

 

 

 

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コメント

参加ありがとうございました。
サッカーのエースもありますよね、気が付かなかったw
私のサッカー選手でのエースはなんといってもペレですね。
豪快に蹴り込む弾丸シュートではなく、相手を何人もかわして
ゴールの隅にゴロのシュートを軽く転がす感じのゴールが美し
かったと思います。エースじゃなく、神様でしたね。

エースはファンの夢でもありますね。

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。

神様 > エース という図式ですね。そこで、「お題」として「とうかさん」ともつながるとは、流石です。

「ふぃーゆパパ」様

コメント有難う御座いました。

こちらは、エース = 夢 という図式が当てはまるのでしょうか? それこそ、夢のある「お題」ですね。

サッカー選手はタトゥが多いという印象がありますが、ロナウドはしてなくて、その理由は「子ども達のために頻繁に献血したいから」と聞き感心したことがあります。
(タトゥをすると感染症予防などのために一定の制限を受けることがあります)

「工場長」様

コメント有難う御座いました。心温まる考え方、そして行動ですね。そう言えば、バッジオも2010年に広島で、ノーベル平和賞受賞者サミット平和賞を受けています。

サッカー選手もそうですが、スポーツ選手は多くの人たち、特に子どもたちから注目されます。社会貢献という面でもロール・モデルになることの影響は大きいですね。

2016年6月 6日 (月)

藤沢市も頑張っています

藤沢市も頑張っています

 

今日は、藤沢で阿部知子後援会と民進党の共催で「憲法フォーラム」が開かれました。演題は「核廃絶と憲法」でしたが、オバマ大統領の広島訪問にかなりの時間を割くことになりました。

 

阿部知子衆議院議員とは、脳死を人の死として認めるかどうかが問われた「臓器移植法案」審議の頃からのお付き合いで、尊敬する小児科医であり政治家です。彼女の活動についてはこちらを御覧下さい。

 

雨の中、200人以上の方が来場、熱気に包まれた会場のエネルギーが勝ったのだと思いますが、講演会が終った時は陽が差していました。それは、藤沢市をはじめとする湘南の自治体さらには神奈川県全体が、これまで核兵器廃絶のために熱心に取り組んできた歴史を考えると頷けることでした。

 

一例として、2010年に当時の海老根市長のイニシャティプによって藤沢市が主催して開かれた「平和の輪をひろげる湘南・江の島会議」があります。11月の27日と28日の二日間にわたっての集会でしたが、自治体関係者、平和団体、NGO、藤沢市民等、合計1000人が参加した大きな会議です。

 

Photo

会議の様子

 

開催趣旨は、「広島と長崎が被爆して65年、未だに核兵器の廃絶には至っていない。今こそ、恒久平和の実現に向けて、都市と都市とが手を結び、市民と市民が手を携えていかなければならない。世界の子どもたちの輝く未来のために、ここ湘南・江の島から平和アピールを発信し、大きく平和の輪をひろげていきたい」と謳われています。またこの日までに、神奈川県下の全ての自治体、34が平和市長会議に加盟した上で、「湘南・江の島 かながわ自治体平和アピール」を採択してくれました。アピール文の一部を御紹介します。

 

「ここ湘南・江の島に集うかながわの34自治体は、市民の生命と暮らしの安全を守る自治体としての原点にたち、核兵器廃絶に向けた平和の取り組みをしている世界中の多くの人々とともに、2020年までの核兵器の廃絶を目指す。

 

そして34自治体が、核兵器のない平和な世界を目指して、これまでにも増して緊密に連携し、行動していくことを高らかに宣言し、湘南・江の島かながわ自治体平和アピールとする」

 

オバマ大統領がこのアピールを読んでいたとは思えませんが、昨日取り上げた「ヒロシマ演説」の内容と見事に符合していることが、単なる偶然ではあり得ないという証明になっているような気がします。

 

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2016年6月 5日 (日)

ヒロシマ演説を読み解く――その1 [平和市長会議]

ヒロシマ演説を読み解く――その1

[平和市長会議]

 

何回かに分けて、オバマ大統領のプラハ演説とヒロシマ演説についての感想をお読み頂きたいと思います。「読み解く」と書いたのは、丁寧に読んで、演説に中に埋もれている宝を見付けたり、関連する考え方やそれが詳しく書かれている本について、私の知っている範囲で気付いたことを、忘れないように記録しておくという意味を込めています。

 

前にも書きましたが、オバマ大統領の声と同時通訳の声が重なってしまって、演説の全てを「同時に」聞き取ることが出来ませんでしたので、毎日新聞に掲載された英語とその訳を元にしています。

 

Photo_2

 

最初に取り上げるのは、演説の最後近くの、理念を具体的にまとめた部分です。説明し易くするために、本文にはない番号を振りました。

 

 全ての人のかけがえのない価値です。全ての人命は貴重であるということです。私たちは一つの家族の一部であるという根源的で不可欠な考え方です。それが私たちが伝えていかなくてはならない物語です。

 

 だからこそ私たちは広島に来るのです。それによって、私たちは、愛する人たちに思いをはせます。朝一番の子供たちの笑顔。食卓での配偶者との優しい触れ合い。親の心地よい抱擁。そうしたことを思い、そうしたかけがえのない瞬間が71年前のここにもあったのだと考えることができます。亡くなった方々は私たちと全く変わらない人たちでした。

 

 普通の方々はこうしたことを理解できると思います。彼らの誰もがこれ以上、戦争を望んでいません。むしろ科学の驚異を、命を奪うのではなく、もっと人生を豊かにすることに役立ててほしいと考えています。

 

 国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう。

 

これほど分り易く、「平和市長会議」の意味を表してくれた文章はないように思います。

 

最初から横道に逸れてしまいますが、ここでは正式名称の「平和首長会議」ではなく、古い名称である「平和市長会議」を使います。「市長」だと「町長」や「村長」、「知事」が入らない、という理由で名称を変えたようなのですが、それなら、正式名称として「平和市長・町長・村長・知事会議」を採用して、略称として「平和市長会議」を使うという手があったように思います。

 

何故、「首長」という言葉を避けた方が良いのかという理由は、これが官僚用語で、私たち市民が使う言葉でないからです。例えば「市長さん」とか「村長さん」という呼び掛け方はありますが、「首長さん」と呼び掛けることがない言葉なのです。この点を問題にしているのは「平和市長会議」の依って立つ理念と関係があるからです。

 

②で、オバマ大統領が描いているのは、普通の市民の生活です。このように生活する市民が集まって、都市が出来ています。市民の視点からの世界の描き方です。この市民の日常語には「首長」はありませんし、恐怖を元にした国同士の戦争政策もありません。このような生活を守る立場から、都市が手をつないで核兵器をなくし、戦争のない世界を創ろうというのが「平和市長会議」の目的です。

 

これをまとめてくれたのが、③で、科学にも触れています。演説の前半でも科学についての言及がありますが、この点については「平和宣言」との関連で、再度取り上げます。

 

③では、平和を求める気持は全ての市民に共通だという点が強調されていますが、国と国との違いを超えて、例えばイスラエルの都市もパレスチナの都市も「平和市長会議」に加盟しています。しかしそれは、国と国との違いを代弁するのではなく、都市や市民の、平和を求める気持をつないで協力するためです。その基盤としてこうした共通理解があるのです。

 

それに続く④では、国つまり国家が、このような市民の気持、ということは都市の考え方と言い換えられるのですが、を元に国の政策を作れば、世界が平和になると述べています。これこそ正に「平和市長会議」が国に働き掛けて来た理由なのです。

 

例えば、アメリカの1,200ほどの人口3万人以上の都市が集まっている「全米市長会議」という組織があります。「全米市長会議」はアメリカの連邦政府とは違って、1970年代から核兵器の廃絶を訴えてきました。平和市長会議の「2020ビジョン」も全面的に支持をしてくれました。総会毎に、満場一致で支持決議を採択してくれています。その決議の中で、2010年には、オバマ大統領が広島・長崎を訪問するように勧告してくれています。

 

オバマ大統領は、就任当時から広島に来る強い気持を持っていたことはプラハ演説からも分りますが、④を通して読むと、自らの信念に従って、市民や都市の「英知」を国の方針として採用したと解釈することも可能です。元々そのような英知を内面化していた人なのだと言っても良いでしょう。

 

こんなに素晴らしい理解者を得て、「平和市長会議」の活動がますます活発になることを期待しています。

 

 

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コメント

私はオバマ大統領の広島演説を聞きながら、秋葉市長の平和宣言を聞いているような気分になりました。立場の違いはあるものの、市民目線でヒバクシャという言葉も使い、人類の向かうべき道が示されました。

オバマ大統領の言葉からは「戦争という馬鹿げた行為を続ける人類に対する怒り」を感じ、しかし「過去に過ちを犯したが、別の道(=核廃絶)も選ぶことができる」という希望もあり、それを「ヒバクシャ」が語っているという行は、まさに初めて秋葉市長の平和宣言を聞いた時の感動と同じでした。

米軍の最高司令官が「戦争を紛争解決の手段であるとする(原爆投下を正当化してきた米国の)考え方を改めねばならない。紛争を外交的手段で解決する必要がある」と言ったことは大きいことだと思いました。

一つ残念に感じたのは唯一の被爆国としての日本政府の役割への言及がなかったことですが、何もかもオバマ大統領に期待するのも間違いで、これは広島市民、日本国民の役目なのだとも改めて思った次第です。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。

確かに、平和宣言と同じ言葉がありますし、問題意識も似ているところがあるように思います。どなたか簡単な比較表を作って頂けると有難いのですが--。

2016年6月 4日 (土)

「原水爆禁止なくして被害者救済なし」


先ず、[蛇足]です。

 オバマ大統領の歴史的広島訪問から、もう一週間経ってしまいました。信じられない思いですが、それでももう、その一週間前があたかも過ぎ去った「歴史」のような回想が行われ始めています。仲間褒めは見苦しいかもしれませんが、以下の金子代表委員の力の入ったエントリーに、私は感動しました。初心に戻って、被爆者の命のある間に被爆者の悲願を実現すべく、「私たち」があと一歩踏み出す勇気を持つことが如何に大切か、決意を新たにしました。

 

     

 

「原水爆禁止なくして被害者救済なし」

 

先日「広島県被団協結成60周年記念の集い」が開催されました。広島県被団協が結成されたのは、1956年5月27日。原爆を投下した国アメリカの現職大統領としては初めてオバマさんが広島を訪問した日は、くしくも60年目のその日でした。

 

オバマ大統領訪問からわずか二日後の開催となったこの「集い」で、記念講演を依頼された私は「核と人類は共存できない―反核の父・森瀧市郎先生に学ぶ―」と題して40分間のお話をさせていただきました。

 

今日は、その講演でも取り上げた「第1回原水禁世界大会の宣言文」(1955年8月8日)について考えてみたいと思います。オバマ演説の「核なき世界」を実現させるうえで、考えるべき大切なテーマを含んでいると思っているからです。

 

「原水禁世界大会の宣言文」には次のような一節があります。

 

「原水爆被害者の不幸な実相は広く世界に知られなければなりません。その救済は、世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。それが本当の原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被爆者を救うことができます。」


森瀧市郎先生は、著書「反核30年」(1976年刊)で、この一節が書かれた経緯について次のように述べられています。少し長くなりますが引用します。

 

「こうしたこともあって(金子注:大会で人の被爆者代表の訴えだけでなく六つの分散会場で十数人の被爆者が訴えた)、『広島宣言』には『原水爆被害者の不幸な実相は世界に広く知られなければなりません。この救済は世界的な救済運動を通じて急がなければなりません。』と書かれた。私は起草委員会で、そのすぐつぎに『それが本当の原水禁運動の基礎であります』と加えた。すると平野義太郎氏が更にそのつぎに『原水爆が禁止されてこそ真に被害者(原文のまま)を救うことができます』とつけたした。この二句で後年の原水爆禁止運動と被爆者救援運動との密接不可分の関係が明示されたのであった。」

 

森瀧先生は当時、現地事務局長として大会成功のため奔走されていました。

Photo

 

私がここで特に強調したいことは、平野義太郎氏が加えたと言われる「原水爆が禁止されてこそ真に被害者を救うことができます」という一節です。私はこの言葉を「原水爆禁止なくして被害者の救済なし」と表現しています。それは脱原発運動(脱原発なくして福島の被害者の救済なし)にも通じることですが。ですから私は、被爆者の命がある間にこそ「核なき世界」を実現しなければならないといつも決意しながら、運動を続けてきました。

 

被爆71年目を迎えた今、最も若い被爆者(胎内被曝)でも年齢は七〇歳です。


「被爆者の命がある間」といえば、残された時間はあまり長くありません。


そう考えると、55回目の誕生日(八月四日)を迎える若きオバマ大統領には「私が生きているうちには---できないかもしれない」などとは言わずに、もうひと踏ん張りしてほしいとついつい考えてしまうのはあまりにも欲張り過ぎでしょうか。

 

それよりももっと考えなければならないことは、オバマ演説の陰で、被爆国として核兵器廃絶の先頭に立つべき責務を負いながら、常に「究極的な核廃絶」を枕詞にして「核抑止力」を肯定し、世界の人々が求める「核兵器禁止条約」締結の動きに背を向けるどころか阻害し続ける日本政府の姿勢である。この日本政府の政策を変えることこそ、日本の反核運動に強く求められています。私たち自身の課題です。

 

 繰り返すようですが「核なき世界」は、なんとしても「被爆者の命がある間」に実現しなければなりません。

 

61年前の第1回原水禁世界大会の宣言文に込められた「原水爆禁止運動と被爆者救援運動との密接不可分の関係」をいま改めて再確認することは、そのためにも大切だと思います。もう一度原水禁運動の原点に立ち返る意味でも多くの人たちにこの宣言文を読み返してほしいと願っています。

 

広島県原水禁代表委員・元衆議院議員  金子哲夫

 

以下、第一回原水爆禁止世界大会宣言の全文です。

 


第一回原水爆禁止世界大会宣言

1955.8.8

  原水爆禁止を要望する最初の世界大会が、1955年8月6日-世界最初の原爆投下の日-から3日間、この原爆の地「ヒロシマ」にひらかれ、ヨーロッパ、アメリカ、アジア諸国の代表をふくむ日本各地からの5千人をこえる代表たちが集まりました。

 ここに集まった人々のうしろには、原子戦争反対を署名した全世界数億人の世論の支持があります。その支持の上にたって本大会は、原水爆禁止がかならず実現し、原子戦争を企てている力をうちくだき、その原子力を人類幸福と繁栄のためにもちいなければならないことの決意をあらたにしました。

 この広島に集まったすべての人々は、原水爆被害者の苦しみをまのあたりに見ました。10年の悲劇のあとはいまなおぬぐいさられておりません。また、この会議に参加した各専門科学者の意見をきいていよいよ非人道的な恐ろしさが私たちの心をつよくうちました。将来もし原子戦争が起こるならば、世界中が、ヒロシマ、ナガサキ、ビキニになり、私たちの子孫は絶滅するでしょう。

 原水爆被害者の不幸な実相は、ひろく世界に知られなければなりません。その救済は世界的な救済運動を通じて急がれなければなりません。それがほんとうの原水爆禁止運動の基礎であります。原水爆が禁止されてこそ、真に被害者を救うことができます。

 私たちは、世界のあらゆる国の人々が、その政党、宗派、社会体制の相違をこえて、原水爆禁止の運動をさらにつよくすすめることを世界の人々に訴えます。

 この原水爆禁止大会が、世界平和の世論によって開かれたジュネーブ四巨頭会談の直後にもたれたことは、きわめて意義深いことであります。私たちはこの力の発展が、国際緊張を緩和し、国際連合軍縮委員会、四カ国外相会談において、この問題についての協定を成功させる大きな力となるよう全世界に訴えます。

 けれども私たちの力は、また原水爆を現実に禁止するところまではきていません。原子ロケット砲の持ち込み、原子兵器の貯蔵、基地拡張は、すべて原子戦争に関連しております。日本の沖縄ばかりでなく、世界のあらゆる地点に原子戦争準備が停止されておりません。その故に、基地反対の闘争は、原水爆禁止の運動とともに相たずさえてたたかわねばなりません。

 私たちの運動は、むしろ今日が出発点であります。私たちは、まず原水爆が禁止され、その貯蔵が破壊され、さらに軍備が縮小されて、人類の上に真の平和が来る日まで、ひろく全世界の憂いを同じくする人々と手をつないでこの運動を展開してゆかねばなりません。

世界平和への望みは未来に輝いております。

 

 広島

1955年8月8日

原水爆禁止世界大会

 

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2016年6月 3日 (金)

盾が矛を防いだ

盾が矛を防いだ

 

矛盾の意味は皆さん良く御存知だと思います。どんな盾も貫ける最強の矛の攻撃を、どんな矛でも防ぐことのできる最強の盾が防げるかの物語ですが、ここで大切なのは、盾も矛も一人の商人が売っていることなのではないでしょうか。

 

実は、ほぼこの通りのことを今日ネットで経験してしまいました。

 

私の使っているメール・ソフトの一つがセキュリティー面でちょっと問題があるようで、先日から詐欺目的のメールやフィッシングらしきもの、ウイルスに感染させる目的のもの等、何種類かの迷惑メールが届き続けています。アドレスが簡単なので便利なのですが、でも、ウイルスや詐欺の被害を受けたら大変です。

 

そこで、セキュリティーソフトの出番なのですが、私が使っているのは、ESET ファミリー・セキュリティです。実は迷惑メールを削除する積りでクリックしていて、間違って添付ファイルを開く羽目になってしまったのですが、このソフトが瞬時に除去してくれました。そのお蔭で、今もこの作業をしていられます。かなり優れたソフトだと思います。でもそれ以上かもしれません。

 

その背景です。実は以前、工場長さんから教えて貰ったHave I been pwned?から、何日か前に、私のメールアドレスを含む、LinedInというサービスの情報が漏れたという知らせがありました。全部で16000万以上の件数が漏れたようです。しかも漏れたのは2012年だとのことですので、ようやく最近になって、その情報が悪用され始めたということなのでしょうか。仕方がありませんので、今、懸命にパスワードを変えています。

 

さて、ESET ファミリー・セキュリティに戻って、ESETからは使用者向けに定期的に色々な情報を伝えるためのメールが送られてきます。普段はあまり見ている時間がないのですが、LinkedInの件があったので、今日は開けてみました。その結果です。

 

Eset

 

お分りでしょうか。ESETからの情報を見るために、ESETのサイトを開けようとしたら、「なりすましサイト」の可能性があるという注意が出てしまいました。ESETは、自分自身の情報までブロックしてしまう素晴らしい「盾」だということを実証してくれたのです。そのくらい強力なセキュリティーに守って貰っていると安心していてもいけないのですが。

 

できれば、もっと詳しい説明を「工場長」さんに、御自分の記事ででもお願いしたいところです。

 

 

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2016年6月 2日 (木)

東京で食べたもの

東京で食べたもの

 

一息吐けると思っていたのですが、根っからの貧乏性ですぐ次の仕事を作ってしまっています。ある程度形ができた段階で報告させて頂きますが、今日は、皆さんに倣って、東京で食べたものです。

 

とは言え、写真が上手くないですし、何という料理なのかもメモを取らず、美味しかったとは思うのですが、それをどう伝えたら良いのかさっぱり分らない、Z級グルメ・レポートです。

 

先ずはどこで食べたのかですが、東京と言えば六本木ヒルズです。「古い」という声も聞こえますが、そこは無視をして、ハリウッド・プラザです。

 

160601


レストランは、ドイツ料理店ですが、名前をメモしませんでした。ブログで報告するならそのくらいは最低限必要ですよね。次回からは、気を付けます。食べたものは、これも名前が分りません。サラダです。

 

20160601_22_08_57

 

翌日です。今度は麹町。「こ洒落た」居酒屋です。店名はうろ覚えですので書けません。食べたものは。

 

20160601_22_08_31

 

メインはサラダと、お造りでした。

 

次に上京するときは、スカイツリーの近くから、Z級レポートをお届けしたいと思っています。「ぜし」楽しみにしていて下さい。

 

 

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コメント

江戸っ子だった、元東映の土橋正幸さんがクイズ番組で
「しの用心」て答えを書かれました。チャキチャキの江戸っ
子は、文字でも「ひ」が「し」になるんだと大笑いしましたw

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。それで思い出したのが、英語のジョークです。日本人が「L」の発音のできないことを笑うものがたくさんあります。事前に知っておくことで、カウンター・パンチの準備もできますが、品がなくなりますので、別の機会に譲ります。

2016年6月 1日 (水)

仕事が一段落して一息入れています (違和感のある日本語 その3)

仕事が一段落して一息入れています

(違和感のある日本語 その3)

 

東京でのマスコミ関係の仕事が一段落して、一息入れています。で、今日はマスコミとは離れた話題です。マスコミの横暴についてはまたの機会に――。

 

ところで皆さん「一段落」を何と読みましたか。「いちだんらく」なら正解です。でも「ひとだんらく」と読んだ人もいるかも知れません。これは間違いなのですが、こう引っ張られるのも分ります。それは、次に来る「一息」は「ひといき」ですし、「一段落」と同じ意味を持つ「一区切り」は「ひとくぎり」だからです。

 

この件についてはこれで「一区切り」が付いたとして、次の画像を見て下さい。

 

Photo

 

布団をどうしているのでしょうか。布団を「敷いている」が正解ですが、これは「しく」と読みます。間違えそうな場合は、「敷布団」を思い出してください。これはさすがに「ひき布団」とは読まないでしょう。

 

でも、「布団をひく」という人もかなりの数に上っています。特に関西では、こう読む人が多いと言われています。それは、関西とそれ以西では「し」を「ひ」、「七」を「ひち」と発音する傾向があったからです。「七福神」を「ひちふくじん」とか、「質屋」を「ひちや」という類です。

 

さらに最近では、関東でも「ひく」と読む人が増えているという報告もあります。方言の全国共有化が進んでいるからだとも言われています。

 

もう一つ、ことを複雑にしているのは、元々の江戸っ子は、関西とは逆に、「ひ」を「し」としか発音できない人が多かったのです。タクシーに「日比谷まで」と言って「渋谷まで」連れていかれた話はその典型です。そのことを意識するあまり、本来は「し」と読むべきところまで、頑張り過ぎて「ひ」と発音してしまうことも多かったのです。

 

ちなみに、江戸っ子だった私の父は、何度注意しても、死ぬまで「布団をひく」と言い続けていました。

 

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