ゲティスバーグ演説 (ヒロシマ演説を読み解く――その5)
ゲティスバーグ演説
(ヒロシマ演説を読み解く――その5)
オバマ大統領のヒロシマ演説を取り上げています。演説の文章を参照したい方は、[参考資料] を別のウィンドウで開いて頂ければ幸いです。なお、「変革のための4原則」の番号との混乱を避けるため、演説の段落はローマ字に変えました。
なかなか「変革のための4原則」に戻れませんが、今回は、ヒロシマ演説のもう一つの「下敷き」の紹介です。と言っても、皆さん良く御存知の演説です。それはオバマ大統領も尊敬しているリンカーンのゲティスバーグ演説です。
最初に、岩波文庫版の和訳を掲げておきましょう。
八十七年前、われわれの父祖たちは、自由の精神にはぐぐまれ、すべての人は平等につくられているという信条に献げられた、新しい国家を、この大陸に打ち建てました。
現在われわれは一大国内戦争のさなかにあり、これによりこの国家が、あるいはまた、このような精神にはぐくまれ、このように献げられたあらゆる国家が、永続できるか否かの試練を受けているわけであります。われわれはこの戦争の一大激戦の地で相会しています。われわれはこの国家が長らえるようにと、ここでその生命を投げ出した人々の、最後の安息の場所として、この戦場の一部を献げるために来たのであります。われわれがこのことをするのはまことに適切であり適当であります。しかし、更に大きな意味において、われわれは、この土地をデディケートすることはできません―聖め献げることができません―聖別することができません。生き残っている者と、戦死した者とを問わず、ここで戦った勇敢な人々こそ、この場所を聖め献げたのでありまして、我々の微力をもってしては、それに寸毫の増減も企てがたいのであります。われわれがここで述べることは、世界はさして注意を払わないでありましょう。また永く記憶することもないでしょう。
しかし彼らがここでなしたことは、決して忘れられることはないのであります。
ここで戦った人々が、これまでかくも立派にすすめて来た未完の事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろ生きているわれわれ自身であります。われわれの前に残されている大事業に、ここで身を捧げるべきは、むしろわれわれ自身であります―それは、これらの名誉の戦死者が最後の全力を尽つくして身命を捧げた、偉大な主義に対して、彼らの後をうけ継いで、われわれがいっそうの献身を決意するため、これら戦死者の死をむだに終らしめないように、われらがここで堅く決心するため、またこの国家をして、神のもとに、新しく自由の誕生をなさしめるため、そして人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため、であります。
[岩波文庫版高木八尺・斎藤光の訳]
6月14日のエントリー、「ヒロシマ演説の視点とアウトライン (ヒロシマ演説を読み解く――その3)」
では、演説の「話し手」と「聞き手」という視点から、演説の全体像を考えましたが、今回は、どのような構成なのかという点を問題にしてみたいと思います。
短い演説を要約するのは難しいのですが、ゲティスバーグ演説は、まず、①「ゲティスバーグ」という場所の重要性を大きな枠組みの中で設定しながら、なぜこの場所に来たのかを確認します。②それは、戦死者を弔う墓地を造るためなのですが、死者を悼みながら、③死者そして死者が命を賭けて守ろうとした、そして私たちに残した責任に注目します。それは、①に述べられている大きな目的を完成させるためである事とその責任を果す決意を述べ、④その責任を果す上で、新たな価値観が実現する必要のあることを説き、⑤それは市民の力で達成できる、と締めくくっています。
ヒロシマ演説も(a)で「世界が変り」「人類が自分自身を破壊する手段を手に入れた」ことに言及して、大きな枠組みを作っています。これが、ゲティスバーグ演説の①(以後、ゲ①と表記します)に相当します。次に(b)で、「なぜ広島に来るのでしょうか」と問いかけ、(j)で「これが私たちが広島を訪れる理由です」と述べているように、(c)から(i)の間に、広島の被害も含めて、人類がこれまで経験してきた戦争や暴力による被害を概観し、(e)では、その犠牲を記念する施設、つまり「墓地」に相当するものの存在を示しています。これは、ゲ②に対応しています。
その中でも(f)からは既に、ゲ③に入っていて、(i)に至るのですが、その原因になっている国家や宗教、科学技術、自然を超えられると考える傲慢さを挙げています。ここはまだ問題がどのようなものであるかについての説明ですので、場所としては「責任」とは分けてあるのかもしれません。
そしてその後、(k)からが「責任」の内容についての説明ですが、その中、(l)の「いつの日か、証言をする被爆者の声を聞くことができなくなります。しかし、1945年8月6日朝の記憶は決して消してはいけません。その記憶があるからこそ、我々は現状に満足せず、道義的な想像力の向上が促され、変われるのです」は、ゲティスバーグ演説中の、「彼らがここでなしたことは、決して忘れられることはないのであります。」を意識しての表現です。
続いて、ヒロシマ演説では、(m)と(n)で、これまで「私たち」がどのように責任を果してきたのかをまとめています。ゲティスバーグ演説では、生きている自分たちが死者の遺志を継いでどのように責任を果してきたのかについての記述はありませんが、それは、時間枠の違いのせいだと思います。ゲティスバーグ演説はまだ戦争が続いている中で行われたからです。
(o)から(s)までは、ゲティスバーグの演説では短く「新しく自由の誕生をなさしめるため」としか描かれていませんが、南北戦争という病、あるいは一つの「死」とも言える経験から「再生」することを指している言葉です。ここでは、これまで人類が陥ってしまった罠、国家や宗教、科学技術、自然を超えられると考える傲慢さ等から抜け出すための新たな世界観がどのようなものであるのかを説いています。
そして(t)から(y)では、「ヒロシマ演説を読み解く――その1 [平和市長会議]」
でも述べましたが、ゲティスバーグ演説では「神」として扱われていた、人間が生きる上での基本的な価値観、生命から始まり市民の日常生活に代表され、全体としては人類をも含む存在の大切さを強調しています。
特に、(x)で、「国家が選択をするとき、国家の指導者がこのシンプルな英知をかえりみて選択すれば、広島から教訓を得られたと言えるでしょう」と宣言しているのは、ゲティスバーグ演説の「人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させないため」の全人類版と言えるのではないかと思います。
実は、ゲティスバーグ演説のこの個所を論理的に読むと、「人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させない」力を持つのは「人民」あるいは私流に言い換えると「市民」なのです。なぜなら、仮に、独裁者が「人民の、人民による、人民のための、政治を地上から絶滅させない」方策を取って、「人民の、人民による、人民のための、政治」が続いたと仮定すると、その時点で既に「人民による政治」ではなくなってしまっているからです。「絶滅させない」結果を生むためには、「人民」の力にしか頼れませんし、リンカーンは「人民」がその力を持っていることを前提に、実現可能な目的を謳ったのです。
オバマ大統領は、ヒロシマ演説の中で、この点を現在の世界の流れに沿って、世界規模の民主主義が可能であることを、リーダーたちの取り得る選択肢の一つとして提唱しています。
最後の(z)「これこそが、私たちが選択できる未来です。広島と長崎は、核戦争の夜明けではなく、私たちの道義的な目覚めの始まりであるべきです」はもちろん、演説全体のさわりの部分です。
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ゲテイスバーグ演説の岩波文庫(高木・斉藤訳)版を引用されていますが、この訳で原文第10文が何をいっているのか、一読して理解できますか?実は大方の米国人はこのような理解をしないのです。第10文にresolveがあり、その下に3個のshallがあります。このshallは話者(Lincolnないしwe)の主語(shallの前に在る主語)に対する意思を表します。上記文庫訳はこの文法に無関心です。いきおい、原文を読んでからこの訳を読むと、何を言っているのか途方に暮れる始末です。なぜ文庫訳がこのような迷路に入ってしまったのかについては理由があるのですが、結局訳者の不勉強と言わざるを得ません。
リンカーンはgovernmentを日本語の「政治」という意味で用いているのか・?LincolnはLibertyとfreedomを1語づつ用いていますがどれも単に「自由」でいいのか?一度本気でゲティスバーグ演説を読んでみませんか。
拙著「"Government of the people, by the people, for the people,"とは何か?」(2013. 近代文芸社)をご覧頂ければ幸いです。
「小林宏」様
コメント有難う御座いました。御指摘のように、様々な日本語訳にはいろいろ問題点があります。
小生も高校時代に留学した際、最初は英語でこの演説を宿題で読まされ、暗記させられるという経験から始まって、何十年も付き合ってきた演説ですので、多くの皆さんにリンカーンの真意を理解して貰いたいと、常々思っていました。岩波文庫を引用したのは、何版であろうと、多くの皆さんの手に入り易いという理由からです。
貴兄の著書も読んで見たいと思いますが、ネット上では、明治学院大学の渡部純氏の論考が手軽に読めますので、関心のある方には入口としてはお勧めします。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~cls/kiyo/94/hougakukenkyu94_watanabe.pdf
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ゲテイスバーグ演説の岩波文庫(高木・斉藤訳)版を引用されていますが、この訳で原文第10文が何をいっているのか、一読して理解できますか?実は大方の米国人はこのような理解をしないのです。第10文にresolveがあり、その下に3個のshallがあります。このshallは話者(Lincolnないしwe)の主語(shallの前に在る主語)に対する意思を表します。上記文庫訳はこの文法に無関心です。いきおい、原文を読んでからこの訳を読むと、何を言っているのか途方に暮れる始末です。なぜ文庫訳がこのような迷路に入ってしまったのかについては理由があるのですが、結局訳者の不勉強と言わざるを得ません。
リンカーンはgovernmentを日本語の「政治」という意味で用いているのか・?LincolnはLibertyとfreedomを1語づつ用いていますがどれも単に「自由」でいいのか?一度本気でゲティスバーグ演説を読んでみませんか。
拙著「"Government of the people, by the people, for the people,"とは何か?」(2013. 近代文芸社)をご覧頂ければ幸いです。
投稿: 小林 宏 | 2016年6月16日 (木) 12時06分
「小林宏」様
コメント有難う御座いました。御指摘のように、様々な日本語訳にはいろいろ問題点があります。
小生も高校時代に留学した際、最初は英語でこの演説を宿題で読まされ、暗記させられるという経験から始まって、何十年も付き合ってきた演説ですので、多くの皆さんにリンカーンの真意を理解して貰いたいと、常々思っていました。岩波文庫を引用したのは、何版であろうと、多くの皆さんの手に入り易いという理由からです。
貴兄の著書も読んで見たいと思いますが、ネット上では、明治学院大学の渡部純氏の論考が手軽に読めますので、関心のある方には入口としてはお勧めします。
http://www.meijigakuin.ac.jp/~cls/kiyo/94/hougakukenkyu94_watanabe.pdf
投稿: イライザ | 2016年6月16日 (木) 12時43分