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2016年5月

2016年5月31日 (火)

オバマ効果 (プラハ演説 その2)

オバマ効果

プラハ演説 その2

 

2

 

前回は、オバマ大統領には広島を訪問するという強い意志があったことをプラハ演説の言葉から説明しました。このことは、2010年にオバマ大統領とお会いしてから確信に変わりました。これについては、511日のエントリーを御覧下さい。

 

オバマ大統領の思いを実現する上でのアメリカ国内での障害は、「原爆投下は正しかった」と信じている人たちが圧倒的多数だったことでした。つまりアメリカの世論ですが、その世論の変遷を見てみましょう。

 

1945年、原爆投下直後の世論調査の結果はいくつかありますが、どれも85%から90%の人が「正しかった」と答えています。間は飛ばしますが、それが2009年には67%まで減りました。10年ごとに約3%ずつ減っていることになります。

 

それが、2005年には56%になりました。一年単位だと1.8%ですが、10年として数えると、18%減っています。それ以前のペースの6倍です。これは注目に値します。

 

一つには、三分の二(2/3)の人がオバマ大統領の広島行きに反対していると考えると、その世論に背くリスクはかなりのものになると考えられます。でも二分の一(1/2)、つまり半数ほどの人が広島行きに反対している環境ならつまり五分五分の状況で、リスクを犯しても、万一の場合のダメージは何とかコントロールできる範囲だと考えられるのではないでしょうか。三分の二が重要なのは、憲法改正の発議の条件にもなっている通り、「圧倒的な世論」の指標になっているからです。

 

それが、二分の一になったということは、オバマ大統領にとっては、「環境が整った」ことを示す最重要のシグナルだったのかも知れません。

 

次に、なぜこれほどの変化が生じたのかを考えたいのですが、これが本稿の主題です。 

 

私の親しいアメリカの友人たちはほとんど全て、原爆投下について、犯罪的行為だという自覚を持っています。「とんでもないことをアメリカがしてしまった」という意識です。そして、「投下は正しかった」と言っている人たちの多くも、心の底では「酷いことをした」と思っています。正直にこのことを認めた上で、でもあの時点では「仕方なかった」あるいは「正しかった」という考えを表明する人も多くいます。

 

さらに、その上で、正直に自分の気持を確かめてみると、「間違っていた」としか考えられないという人もいます。それに自分自身、気付いたとしても、そう言ってしまうと自分の家族や友人、同僚などから「裏切り者」扱いをされると感じて、「正しかった」と言い続けた人もいるはずです。

 

でも、アメリカのリーダーであり、戦争についての最高責任者である大統領が「道義的責任」があると言ったのですから、その文脈が違っていたとしても、「ああ、自分の直観は正しかったのだ」あるいは「大統領があそこまで言っているのだから、本当のところ原爆投下は間違っていた」と自分が言うことも許される、と感じた人もいるはずです。その気持を直接言わないにしろ、「正しかったとは言えない」くらいのことは公言するようになったのではないでしょうか。

 

これを「オバマ効果」という言葉で表したいと思います。それに加えて、ヒロシマ演説での「オバマ効果」もあるのですが、これについても、取り上げて行きたいと思います。

 

そして、この考え方が正しいとすると、プラハ演説ではしっかりと自らの意思を表明し、その実現するための障害を越える手段まで提供したことになります。この意味まで含めて考えると、プラハ演説の本当の凄さが伝わってくるように思います。

 

 

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コメント

長谷川豊のブログでオバマ訪問を評価しないと書かれていましたが、コメントは圧倒的にオバマ評価でした。参考まで。

http://blog.livedoor.jp/hasegawa_yutaka/archives/47650082.html#comments

「読者」様

長谷川豊氏のブログを紹介して下さり、有難う御座いました。かなり長い感想ですし、コメントも多いので読むのに時間が掛かりましたが、参考になりました。

共同通信のアンケートでは98パーセントの人が、オバマ訪問を評価しています。ほとんど全ての人ということが、ちょっと心配ですが、ただ単に政治家 としてというだけではなく、人としてまた世界的なリーダーとしての評価だと思います。このような資質を持つ人物が我が国にはいないこと、でもそのような リーダーを渇望している多くの人の気持が98パーセントになったのかもしれません。

ついでにもう一つ、ご存知かも知れませんが天木直人さんのブログを紹介しておきます。
「見事だったオバマの広島訪問」と題して、オバマ大統領と安倍首相を「見事」と皮肉り、秋葉前広島市長の「今回が最後ではなく、最初になってほしいと。」 という言葉を「この言葉こそ、今度のオバマの広島訪問を正しく評価する見事な意見だ。」本当の意味で「見事」だ。と書かれています。

http://天木直人.com/2016/05/28/post-4642/

「読者」様

天木氏のブログを紹介して下さり、有り難う御座います。彼は私が尊敬する友人の一人ですが、オバマ大統領の今回の広島訪問が出発点だということを同じく感じて貰えたことをとても嬉しく思います。

日経の記事を訂正しておくと、私は「出発になってほしい」とは言っていません。「これが最初で最後ではなく、現職のアメリカ大統領からこれから何人も広島を訪問する出発点であることが大切なのだ」と言っています。

逆に、日本の政治や社会の責任者が、日本政府や軍部の被害を受けた地域に出掛けて、「謝罪」するかどうか別として、「追悼」の意思を示すくらいは最低限必要だと思います。

そもそも米国は移民が先住民を皆殺しにして大陸を奪い果ては太平洋の真ん中まで占領した単独派遣国家であるが、その大統領は世界で最も多くの核兵器を持つ米国の最高権力者であると同時に世界中に戦争を仕掛けている米軍の最高司令官であり、広島で述べたように戦争が人類最大の愚行で核兵器が人類の邪悪さの象徴だと言うのなら、今すぐにでも大統領令を発し米軍が仕掛けて継続している戦争をやめて自国の核兵器の廃棄を進めれば良いだけにも関わらず、核戦争を始めるためのカバンを持って来日し、岩国米軍基地では兵士を激励したすぐ後にオスプレイを従えて広島に行き「戦争は人類が持つ最大の矛盾だ」と崇高な詭弁を巧妙に語り自らが戦争という過ちを繰り返す人間の矛盾の見本をまざまざと見せつけた。オバマ大統領は安倍首相の人気取りの道具に使われてまで、その矛盾を反面教師として見せつけたかったのであろうか。

「通りすがり」様

コメント有難う御座いました。

おっしゃる通りです。世界の悪、その中には当然アメリカという国の持つ悪さらに他の国々の悪も入りますが、それをただし、正義を実現することには大賛成です。そして、「通りすがり」さんが鋭く指摘して下さっているように、現実の世界は矛盾に満ちています。その一つは、強大な権力を持つアメリカの大統領でも、仮に正義を実現したいと思っていても、自分の意思で「国」という不思議な存在、そしてその集合である世界を自由に動かすことが難しいということです。

理想を実現しようと具体的に動いても、上手く行かなかった例には事欠きません。1986年にレーガン大統領とゴルバチョフ書記長はレイキャビックで会談し、二人の間では両国の核兵器を全廃するという合意に至りました。

しかし、それは「冷戦を維持し続けていたテクノクラート聖職者」とも呼ばれた官僚や軍産複合体、マスコミ、経済界等の力によって潰され日の目を見ませんでした。

奴隷解放を強く主張していたリンカーンは、大統領になるや、奴隷制度を容認しました。大統領は憲法を遵守する義務があり、当時の憲法は奴隷制度を認めていたからです。しかし、1863年には、戦争に勝つためという大義名分を使って、大統領としてではなく軍の最高責任者として奴隷解放令を出しました。

アメリカの大統領でも瞬時に理想や正義を実現するのは難しいことはお分り頂けたと思います。アメリカ社会の持つ価値観や歴史観、議会の勢力関係等々、障害は多くあります。その一つが「原爆投下は正しかった」という、アメリカ社会の持つ「信仰」です。それも、プラハ演説の影響で変わりつつありますし、今回の広島訪問でさらに加速すると思います。それは、核なき世界に一歩近付くことを意味します。

そのような状況下、これまでの大統領は誰も「核なき世界を目指す」とは言いませんでした。初めてその意思を大統領として表明したことには大きな意味があるのではないでしょうか。広島での演説の中でオバマ大統領は、その意思を確認し、「ヒバクシャ」という言葉をそのまま使い、「ヒロシマの心」に寄り添う立場を示しています。これも大切です。

こうしたことが多くの被爆者や市民を動かしています。あの演説になぜ多くの人が感動したのかを考えて見ることも大切です。それは人類的なレベルで、オバマ大統領が理想を語り、核なき世界を市民の視線から始めて世界のリーダーたちをさらには「国」という存在を変えて行くという道筋を示した点が大きいように思います。

「ヒロシマ演説」にインスピレーションを受けて、核のない平和な世界を創るために行動しようと決意した人も多くいます。このような創造的エネルギーを生んだ事実も無視してはならないと思います。

コメントだけでは十分に意を尽せませんので、これからの記事の中でさらに詳しく論じられればと思います。

 

2016年5月30日 (月)

もう初夏。ブルーベリー農園の様子。

もう初夏。ブルーベリー農園の様子。

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東広島市豊栄町のブルーベリー農園には休日に行って農作業をするので、行くたびに表情が変わっている。農園は畑と山とあるが、写真の山のブルーベリー園ではこの時期は竹の子が2~3m顔を出し、背を伸ばしているし、草は膝より少し上まで茂っている。

 

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草むら巡回すると、トンボに出会う。ネットで調べてみる。「ハラヒロトンボ」のようだ。

 

 

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野アザミも満開。

 

 

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満開も、3分咲きも、蕾もどれも美しい。野にあるのでなおさらでもある。

 

 

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草むらの中のブルーベリーの実もまだ若草色だが、だんだん大きく膨らんでいる。山のブルーベリー園は早生の品種が一部にあり、6月中旬に草を刈り、下旬から青色に実るので摘み取りが始まる。

 

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写真の上がブルーベリー園だが、すぐ近くで竹の子を狙ってイノシシも大きな穴を掘る。あとで埋めるのがしんどい作業。

 

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今日の作業場所はここ畑のブルーベリー園。草を刈り、防草シートを2重に敷く作業が6月まで続く。

 

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午後2時すぎから6時前までの数時間の農作業を終えての帰り道で見る田植えから数週間の田んぼ。稲の苗はまだ小さく、はった水が夕暮れの光に反射。これもこの時期の風景。

 

社会福祉法人安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

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2016年5月29日 (日)

プラハ演説

プラハ演説

 

世界にとっての歴史的な日から一日経って、少し冷静に考えることができるようになりました。

 

そして、広島ブログのブロガーの皆さんのエントリーの素晴らしさに感動しています。お一人お一人にコメントを差し上げたい気持はあるのですが、とにかく時間が見付かりません。この場をお借りして感謝の気持を捧げます。「ヒロシマの心」とは、そうした皆さんの思いの総称だということを改めて実感しています。


広島ブログ

 

さて、27日に戻って、オバマ大統領が被爆者と広島・長崎(以下、「ヒロシマ」と略します)に寄せる思いの強さは、一時間足らずであってもその間のオバマさんの言動で明らかですが、もう一度プラハ演説まで戻って、その点を確認しておきたいと思います。

Photo_2


 

プラハ演説の特徴の一つは、一国家の代表としての枠を超える三つの表現を使って、ヒロシマへの思いを述べたことです。

 

一つは「核兵器を使ったことのある唯一の核保有国」です。次に「道義的責任」、そして「私の生きている内に」です。最後の「私の生きている内に」については既にここで二度にわたって 説明しましたので重複を避けますが、その前の二つについて説明したいと思います。

 

これらの言葉を、仮に使わなかったとしても演説は分り易く大統領の意思は通じ、名演説であるという評価を受けたはずです。それだけではなく、使うことによって、かなり厳しい批判が出て来ることは予想できた言葉です。

 

それは、「核兵器を使ったことのある唯一の核保有国の道義的責任」と並べると、ほとんどのアメリカ人は、原爆投下についての道義的責任と受け止め、「責任」と言っているのですから、「悪いことをした」あるいは「罪を犯した」ことに対する責任、という風に理解します。つまり「罪を認めた」ことになるのです。となると次には「謝罪」をしなければなりません。これは、「原爆投下は正しかった」と信じ込んでいる人たちにはとても受け入れられるはずがありません。

  

それが「オバマは謝罪をした。怪しからん」あるいは「トルーマン大統領を侮辱した」といった形の批判になりました。

 

でも演説の中では、「核兵器を使用したことのある唯一の核保有国として合衆国には行動する道義的責任がある」としか言っていないのです。さらに行動する目的は「核兵器のない世界を創る」ことなのです。演説に記されている言葉通りに読むと、歴史的な事実として原爆投下をしたことについての言及はあっても、それが間違っているとは言っていませんし、間違っていると言ったと主張するにはかなり無理があるのです。

 

結局、演説に対する批判に対しては、演説の本文を良く読んで見ろ、と突っぱねることが可能なのです。

 

ここまで周到に準備をしてまで、オバマ大統領は、使わなくても良い「核兵器を使用したことのある唯一の核保有国」と「道義的責任」を使いました。その意味は、もう明らかです。ヒロシマに対するオバマ大統領の思いをヒロシマに届けたい、そして世界に宣言したかったからです。

 

その時点で、オバマ大統領が広島を訪問する意思のあったことも、当然です。その意思を実現する上では、「原爆投下は正しかった」と信じ込んでいる人たちを説得する必要があったのですが、実は、それもプラハ演説の力で実現できたのです。その点については次の稿で。

今夜は6時54分からBS朝日「いま世界は」を宜しくお願いします。

 

 

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2016年5月28日 (土)

明日29日、午後6時54分からは BS朝日「いま世界は」

明日29日、午後654分からは

BS朝日「いま世界は」

 

広島にとっては勿論ですが、世界にとっての歴史的な日から一日経って、少し冷静に考えることができるようになりました。

 

そのタイミングで明日、BS朝日の「いま世界は」に出演します。時間は午後654分からです。レギュラー・コメンテーターの宮家邦彦さん(キヤノングローバル戦略研究所)と藤原帰一さん(東京大学大学院教授)それに青木理さん(ジャーナリスト)と御一緒します。

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昨日は一日中、「全く普段と変わらないなぁ。これだけ人間が出来ているのだ」、これが「従心」なのだと思い込んでしまっていたのですがなかなか寝付かれず、朝になって、昨日一日かなり神経が昂っていたことに気付きました。まだ余韻は残っています。

 

まだまだ修行が足りないようですが、逆に考えるとまだまだ若いということになります。明日までまた一勉強して、「ヒロシマの心」を伝えられればと思います。

 

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2016年5月27日 (金)

歴史的一日でした

歴史的一日でした

 

 

広島にとって、今日は歴史的な一日でした。

 

「政治利用」についての心配もありましたが、日本側の露骨な意図に対して、アメリカ側についてはそれほど目立たちませんでした。岩国基地でのスピーチも、米軍に治外法権があるという前提で、米兵への激励と考えれば、「政治利用」と言えるのかどうかは微妙です。

 

一方日本側は、自衛隊員は、字幕が付いてテレビの画面には表れなかったものの、安倍総理は爆心地から200メートルの地点に自衛隊の軍用機で降りました。安倍スピーチも核依存国の立場をそのままなぞったもので、「漸進主義」と呼ばれる、一つの目標の前に別の目標を立てて、その前にもう一つという具合に、前進のための障害を最優先する立場を繰り返したものでした。被爆者の代表坪井直氏とオバマ大統領の会話を、傍にいた安倍総理が止めようとした姿も見苦しいものでした。

 

日米どちらの意図なのかは分りませんが、資料館見学は短過ぎたと思います。肌で感じることが可能なのかもしれませんが、駆け足で見ても45分は掛かる内容を10分では、恐らく伝わるものも伝わらなかったのではないでしょうか。

 

次に、約17分掛けたスピーチについての論は分かれるだろうと思います。その理由の一つは、私が「サプライズ」でも良いから盛り込んで欲しいと願っていた、核廃絶についての具体的な言及がなかったことです。この点については別稿で考えたいと思いますが、ジャーナリストの木村太郎氏はこれがオバマ大統領の能力の「限界」だと表現しています。実はその時点では私もそう思いました。(木村さん、心変わりしてしまい、ごめんなさい。)

 

 

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TSSスタジオ内で

 

しかし全文を読んでみてこのスピーチの素晴らしさが分りました。同時通訳の声と、オバマ大統領の声とが重なって、それぞれ半分ずつしか聞こえなかった時点での全体の四分の一の理解に基づいた感想ではやはり不十分でした。全体像がつかめて、オバマ大統領の思いが伝わってきました。


まず、具体性に乏しいとは感じましたが、それは任期の残り少なくなった大統領としてこれからできることが少なく、その範囲内での現実的な内容を選んだ結果だと判断した方が良さそうです。

 

その代りに、一人の良識ある人間としての心情を吐露した内容です。大統領退任後に、国境を超えた全人類的な立場で核廃絶の仕事をする上での決意表明だと受け止めたいと思います。

 

また演説中に「ヒバクシャ」という日本語をそのまま使ってくれたことを評価したいと思います。平和運動に関心のある活動家たちは別として、この単語は世界的にはまだ広く認知されている訳ではありません。広島でのオバマ・スピーチを契機として、この言葉がもっと多くの人に理解され使われる出発点になることを願っています。「ヒバクシャ」については前にも触れていますので、お読み頂ければ幸いです。

 

被爆者二人との会話も感動的でした。思いの丈を話せたであろう被団協の代表委員坪井直氏の笑顔が印象的でした。被爆死した米兵捕虜についての活動を続けてきた森重昭氏とオバマ大統領との涙ながらのハグもテレビの前の全ての人の感動を呼んだはずです。お二人ともしっかり「ヒロシマの心」を伝えてくれていました。

 

一昨日も書きましたが、マスコミの活躍も素晴らしかったと思います。70周年の昨年以上に「ヒロシマの心」が世界に届いたことを確信しています。特に、TSSは、政治的な考え方が恐らくはかなり違う木村太郎・秋葉忠利の二人をゲストとすることで多様性を確保するという、「寛容」な番組を作ってくれました。1963年に故ケネディー大統領が述べたように、平和とは寛容に他なりません。その平和の精神そのままを番組として具現化してくれたことに拍手を送りたいと思います。


オバマ大統領が広島を離れて間がない時点での感想ですが、オバマ大統領の人間としての真摯な姿勢、短い時間ながら被爆者そしてヒロシマとまっすぐに向き合ってくれた事実を前に、多くの被爆者は救われた思いだったのではないでしょうか。そして、オバマ大統領の英断と被爆者・ヒロシマの熱意によって実現したこの広島訪問が歴史を変える大きな契機になるであろうことを再確認できた一日でした。


スピーチの全文を読んだ時点で、内容の一部を変えさせて頂きました。こちらのバージョンが最新です。この項は明日も続きます。


[お断り] 今日から頂いたコメントにお礼の言葉を付けられるようになりました。とは言え、遅れることはあるかも知れません。

これまでコメントを頂いた方の内、こちらの不注意で消してしまったものもあるかも知れませんので、そのような場合、申し訳ありませんが、再度コメントをお寄せせ頂ければ幸いです。

 

 

 

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2016年5月26日 (木)

明日27日は TSSみんなのテレビです

明日27日は TSSみんなのテレビです

 

歴史的な一日になるであろう明日527日ですが、まず今日の平和大橋、物々しい警備で、これが「平和?」と皮肉を言いたくなるような光景です。

 

Photo

 

そして明日、被爆者の被爆体験証言は聴かないようですが、被爆者との接点はあるようです。そして、その様子を中継しながらどのテレビ局も特別番組を組みますが、一押しはTSS みんなのテレビです。午後350分から始まって、終るのは7時半頃のようです。理由は、下の画像の右下の小さい文字を拡大してみて下さい。

 

Tssk

 

明後日は、スタジオ内の画像もアップできそうです。

 

明日という日が被爆者にとって、全ての戦争犠牲者にとって、また世界の未来にとって意義ある日になることを祈りつつ。

 

 

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2016年5月25日 (水)

ヒロシマに注目!! マスコミに感謝

ヒロシマに注目!!  マスコミに感謝

 

このところ大変忙しくなって、ついに昨日のエントリーはできませんでした。お忙しい中、一日も欠かさずにブログを届けていらっしゃる、広島ブログランキング上位の皆さんに、心から敬意を表します。それができる理由の一つに「若さ」があるのかもしれないと思ったのですが、でも同世代の「辛口」さんたちも頑張っていらっしゃいます。

 

毎日継続できる力は、英語だと「grit」という言葉で表現されますが、「やる気」「困難さに挫けない意志」「継続する勇気」等と訳される資質かも知れません。最近アメリカの心理学者の間では、能力よりこの「grit」が注目されています。[どこかのテレビなら、「注目を集めています」と言いそうですね] これについては今、勉強中ですのでまた報告させて頂きますが、今日のエントリーは、マスコミの役割についてです。

 

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2日で、オバマ大統領が広島に来ます。流石に「来ない方が良い」という人は少数です。では大統領の来広が何故大切なのか、来ることがなぜ良いのかと問われて、被爆の実相を見て貰える、核廃絶に弾みが付く等の答が出て来るのは当然ですが、意外に評価されていないのが、マスコミです。マスコミ自身がその重要性を強調するのは自画自賛になるので控えているのかもしれませんが、オバマ大統領の広島訪問に関連して、ヒロシマや被爆者について、また核廃絶についてのマスコミ報道が数倍どころか、数百倍とも思えるほど増えています。

 

中にはとんでもない内容のものもあるのかもしれませんが、私が見たり読んだりしたものは、どれも内容の濃い若い世代にも伝わるであろう記事や番組ばかりでした。国内向けの番組も大切ですが、全世界が広島そして被爆者に注目してくれるのは素晴らしいことだと思います。

 

160525_2

 

私には個人的な思い入れがあるのですが、アメリカに住んでいた頃、ヒロシマ・被爆者についての情報があまりにも少ないことに気付き、アメリカのジャーナリストを広島に招待して取材をして貰う、その結果を記事や番組としてアメリカ市民に届けて貰うプロジェクトを広島国際文化財団にお願いして始めて貰いました。約10年掛かって40人規模の優秀な記者の方々がこのプロジェクトに参加してくれましたが、それと比べてみて下さい。毎日、日本国内だけでも何百人単位の記者さんたちが活躍し、その結果はゴールデンタイムに報道されています。

 

それは、アメリカの大統領の力ですが、それだけマスコミの注目度が高くなっているだけで、政治的な利用をされても、謝罪がなくても、かなりの価値があると考えられないでしょうか。27日にはサプライズで、被爆者の出番があることを祈っていますが、仮にそれがなくても、様々な新聞記事やテレビ番組に被爆者が登場していることで、普段はこのような問題に無関心な人でも、大切な情報に触れています。

 

お金に換算する必要はないかもしれませんが、これだけの時間そしてスペースをコマーシャルや広告という形で「買う」となると、何億何十億の単位になるのではないでしょうか。それだけで判断してはいけませんし、できないことではあるのですが、広島そして被爆者に焦点を合わせてくれているマスコミに、(普段は注文を付けてばかりいるのですが)、この機会に感謝したいと思います。

 

 

 

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コメント

“ヒロシマの心を世界に” さんのブログに感心している「辛口」です。
今日は記事に載せてくださって恐れ入ります。
最近は時間の過ぎ去るのが早く、行動も年齢と共に緩慢になってきました。「こんな筈ではなかったが」の心境です。
いよいよ明日はオバマさんが広島にやって来ます。いろいろ思いはありますが、「死に体」と言われながらも現職大統領として初めrて広島にやってくることが、核兵器のない世界の一歩になって欲しいと思います。
セレモニーなどに不満な方も沢山織られるでしょうがこれは始まりだと思いますす。
しっかりと見つめようと思います。

マスコミに取り上げられるだけでも大前進ですよね。

ところで、東京都知事選には立たないのですか?w

「気まぐれ辛口」様

コメント有難う御座いました。お礼が一日遅れてしまいましたが、今日は歴史的一日になりました。

日米とも、そして世界的に歴史を客観的に見詰めて、未来への共同作業が加速することを祈っています。

私も辛口さんの鋭くかつ機知にとんだエントリーを楽しませて頂いています。続ける力、「grit」力にも敬服しています。

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。お礼が一日遅れましたが、今日は歴史的な一日でした。

都知事選の話、受けなかったジョークで揶揄わないで下さい。「ジョーク」というより「悪い冗談」だと受け止められたようでした。

 

2016年5月23日 (月)

オバマ大統領広島訪問についての記者会見 @日本記者クラブ

オバマ大統領広島訪問についての記者会見

@日本記者クラブ

 

オバマ大統領の広島訪問が後、4日になりましたが、日本記者クラブでは、シリーズでこの件についての関係者の記者会見を開催しています。今日の記者会見の様子がアップされていますので、リンクを貼っておきます。

 

丁寧な記事を書く時間的余裕がなくて申し訳ありませんが、この動画を見て頂くことで、少しは様子がお分り頂けると思います。

 

ただし、このブログの読者の皆さんにとっては、既にお読み頂いた内容ばかりですので、本題よりは、あまり面白くない「ジョーク」で笑って (面白いから笑うという意味ではなく、つまらないから「笑う」方の意味で使っています) 頂ければ幸いです。


また、途中かなりの時間、パワーポイントの映像が映らなかったようですので、説明が分り難いところもあると思いますが、その部分はブログの記事を御参照頂ければ幸いです。


リンクはこちらです。

 

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2016年5月22日 (日)

清々しい5月です

 

清々しい5月です

命の洗濯も必要です

                


 

テレビや新聞、ネットで報じられる様々な出来事に追われてしまって、でも、努力してもなかなかすぐにはその結果が見えてこない―――そんな思いにとらわれるとき、散歩に出かけます。

 

素晴らしい自然に囲まれている皆さんには毎日見慣れた風景かもしれませんが、清々しい5月が広がっていました。

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心洗われた思いで、LINEで家族や知り合いに送っています。

 

今日も素晴らしい一日になりますよう!!!

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2016年5月21日 (土)

リオオリンピック開会式で黙とうを

リオオリンピック開会式で黙とうを

 

8月にブラジルで開催されるリオデジャネイロオリンピックの開会式は、現地時間で8月5日の夕方に行われます。開会式の行事が実施されている時、日本では8月6日の午前8時15分を迎えます。広島に原爆が投下された時間です。

 

リオデジャネイロで行われるオリンピック開会式が、世界で最初に原爆が投下された場所である広島での平和記念式典と時を同じくして行われていることに気付き、その同時刻にオリンピックの開会式会場でも黙祷することができたらと考えたブラジル人が、脱原発運動で来日していた今年3月、日本人に相談しました。その相談を受けた一人が、実現に向けて何ができるか広島に協力を求めるメールを送ってきました。その相談を受けた私は、実現させるには、まずなによりブラジル在住の被爆者たちが声をあげることが大切だと思い、旧知のブラジル被爆者平和協会の皆さんにメールを送りました。その上で「リオデジャネイロ市も加盟している平和首長会議(現在は「平和市長会議」から名称変更)の会長である広島市長からも要請してもらうよう働きかける」ことなど、私たち日本側でできる協力は全面的にすることを提案しました。

 

私からのメールを受け、ブラジル被爆者協会でも緊急に相談の場が持たれ、ブラジル国内の協力者と連携し、積極的に取り組むことが決まりました。わずかひと月余りの間に、急速に取り組みが進展しました。その一つとして、広島市長にも協力要請のメールが送られました。その結果、昨日(5月20日)広島市長からリオ市長、IOC会長あてに、「私は平和首長会議会長として、オリンピック開会式の参加者すべてに対し、武力紛争やテロのすべての犠牲者に一分間の黙祷を捧げるよう呼びかけること、そして、持続可能な平和の確立に向けて暴力の撲滅を求めて、オリンピック期間中の戦闘休止を復活させることを貴台にご提案したいと思います。ひとときの黙祷の実現に向けて我々が共に尽力し、暴力の撲滅を求めて声を合わせていけるよう希望します。」ことを中心とする要望書が送られました。

 

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ブラジル被爆者平和協会は、すでに22日から24日の間に、リオ市長に直接会い要請の行動を行うことになっていましたが、広島市長からの要請文も間に合い、その写しが、一緒に手渡されることになりました。

 

要請文にもありますが「オリンピック競技は元来、平和構築の観点から考案されたもの」であり、「真の恒久平和は人類が最も強く希望するものの一つ」であり続けなければなりません。さらに、オリンピックは、世界中のアスリートが集まるだけでなく、都市が開催することに大きな意味があります。そのオリンピック開会式で広島と同時に黙祷が実現すれば、核兵器廃絶だけでなく紛争が続く今、戦争のない世界を実現させる力強いメッセージとなることは間違いありません。

 

私も、様々な人々の思いが実り広島市での平和記念式典と同時に開催されるリオオリンピック開会式で黙祷が実現することを強く願います。

 

広島県原水禁代表委員・元衆議院議員  金子哲夫

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2016年5月20日 (金)

オバマ大統領に手紙を書こう

オバマ大統領に手紙を書こう

被爆体験こそ聞いて貰いたい

 

緊急のお願いです。東京のアメリカ大使館ケネディー大使経由で、オバマ大統領に手紙を書いて下さい。はがきサイズの本文と宛名は、下記の通り準備してあります。これをプリントアウトして、御自分の言葉を一言添えて署名して下さい。それに52円切手を貼った上で、投函して頂けますでしょうか。

 

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オバマ大統領の広島訪問について、これまで報道されている主なことをまとめてみると、次のようなリストになります。

 

 平和記念資料館の見学と慰霊碑への献花は行う。

 被爆者の体験を聴くことはしない。

 被爆者と手短に話をするくらいの接触はあるかも知れない。

 長いスピーチはせずに簡単に感想を述べる。

 安倍首相が同行する。

 米兵を激励し、自衛隊員にも会う。

 

ここで最大の問題は、②です。何故、被爆者の証言が駄目なのでしょう。一説には、アメリカ側が「謝罪」に取られると困るという理由で実現しないとも言われています。でもこの言い訳は全く説得力がありません。被爆者の体験証言を15分から20分にして、その全てを当日広島に集まっている世界中のテレビ局に、最初から最後まで中継して貰えば良いからです。オバマ大統領が謝罪をしないことも、被爆者の証言が如何に人を動かし、核のない平和な世界しか選択肢はないという事実も余すところなく伝えて貰えます。

 

「時間がない」という言い訳も出されています。でもそれなら、⑥で調整すれば良いだけの話です。広島をヒロシマたらしめているのは、自衛隊員でも米兵でもありません。被爆者です。その理屈か分らない安倍政権ではないはずです。特に外務大臣は広島出身なのですから。

 

しかし、彼等に取ってはそれ以上に重要な政治的な意図があるとしか考えられません。それは、オバマ大統領というスーパースターを使って、「ヒロシマ」という世界的な平和ブランドを掲げて、安倍政権の進める「集団的自衛権」「戦争法」そして「改憲」を、「平和」というオブラートに包みこんで、世界に認知させようとする意図くらいしか考えられないでしょう。それで良いのでしょうか。

 

そこで私たちの登場です。オバマさんに手紙を書きましょう。最終的にオバマさんの目には触れないかもしれません。しかし、何らかの僥倖で目に触れるかもしれませんし、政権の中の誰かの目に触れて、その人が動き出すかもしれません。でも私たちが何もしなければ、そんな可能性はゼロのままなのです。

 

ここで大前提として仮定しているのは、様々な妥協を強いられても、オバマさんは広島に来たいという強い意志を持っているということです。そうであるのなら、最後の最後まで、広島訪問が本来の目的である、被爆者との対話が実現するよう彼も考え抜くはずです。

 

最低限、平和記念資料館を見学することで、オバマ氏は「ヒロシマの心」には触れることが出来るでしょう。そしてこれから先、広島を訪れるであろうアメリカの現職大統領たちは、時間が間に合えば、被爆者の話にも耳を傾け、その結果としてヒロシマの意味は広くアメリカのみならず世界に伝わり、核なき世界も実現することになるはずです。その過程で謝罪も実現するでしょう。

 

でも、今私たちが一歩踏み出すことで、これらのことが加速する可能性があるのなら、試しに一歩踏み出す価値はあると思うのですが、如何でしょうか。

 

 

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2016年5月19日 (木)

「シンポジウム」に寄せられた意見

「シンポジウム」に寄せられた意見

――「和解」と、{「謝罪」と「赦し」}の違いとは その3――

 

『ひまわり』の第二部は「シンポジウム」という位置付けで、50人以上の識者が、サイモン・ヴィーゼンタール(以下、「サイモン」と略記します。) の提起した問題についての考え方や自分の経験に照らしての感想を寄稿しています。いくつかを御紹介しておきます。それぞれの寄稿は、皆、深い思考や謙虚な内省の結果で、要約することさえ恐れ多いのですが、私たちもそれに倣って考えて見る上でのヒントになればと思います。

 

[デズモンド・ツツ  1984年のノーベル平和賞受賞者]

南アフリカのアパルトヘイト時代に苦しんだ多くの人々が、その後、酷い暴力によって苦しめられたにもかかわらず、差別をした人々を赦す崇高な行為を重ねたことを見てきている。当然、赦すことのできない人、赦さない人も多いのだが、それはなおさら赦しを貴重なものにしている。

 

ネルソン・マンデラは、27年間獄中生活を送ったが、釈放され、その後アパルトヘイト撤廃に尽くして、南アフリカ最初の民主的に選ばれた大統領になった。就任式には、かつて収監されていた監獄の白人の獄吏を招待している。

 

死を前にして「父よ、彼らを赦し給え。彼らは自分が何をしているのかを知らないのだから」と言ったキリストに従って、他の人たちを赦す人々を見ながら、深刻に分裂し傷付きトラウマを抱えているこの国に癒しと和解をもたらすプロセスを前に、深く感動している。

 

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             ダライ・ラマとデズモンド・ツツ

 

[ダライ・ラマ  1989年にノーベル平和賞受賞]

個人や人類に対して恐ろしい罪を犯した人間を赦すことは当然である。しかし、それは、このような罪を忘れてしまうことではない。これは、特にチベットと、中国との関係に当てはまる。

 

中国がこれまでしてきたことを考えれば、中国の酷さを列挙して、中国に怒り、中国を憎み、敵だと決め付け、私たちの胸の内から消し去ってしまうことさえ可能性としては考えられる。しかしそれは、仏教的な非暴力と共感の文化ではない。

 

つい最近、18年間中国に囚われの身になった後、インドに逃れた、1959年以来音信が分らなかった僧侶に出会うことが出来た。「監獄の中で最も恐れていたことは何か」と聞いたのだが、返ってきた答は、私が予想だにしないことだった。それは「中国に対する思いやりの心を失うこと」だった。

 

[アルバート・スピアー  ニュルンベルグ裁判で有罪になったナチスの将校]

多くの人々に、特にユダヤ人に限りない苦しみと悲しみを与えた罪に対して、ニュルンベルグで有罪になり、20年間服役したことは、法的な意味での罪についての裁きだが、それで私の倫理的な関わりが終ったのではない。

 

『ひまわり』に触発され、6か月間、サイモン、あなたと手紙を交換した後に3時間、相対して私の目を見つめてくれたことに心から感謝している。「私は赦すべきだったのか」という問に対して、自分自身さえ赦せない私が何と答えられるのか。手紙の中で私はあなたに「あなたのしたことは正しい」と書いた。あなたは何も言わなかったが、シュトゥットガルトへの辛い旅に出て、カールの母親には息子の罪を語ることなく、彼女の心を思いやった。死の床にあったカールを赦すとは言わなかったが、彼の手を振り払うこともしなかった。私と会ったときに、私の罪を詰ることもなく、心の傷に触れることもしなかった。

 

人間は誰でも重い荷物を背負っている。誰は、他の人の背負うその荷を取り除くことはできない。でもあなたに会ってから、私の荷は軽くなった。あなたを通して、私は神の恩寵に触れることが出来たのだ。

 

[この項は続きます]

 

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2016年5月18日 (水)

安芸の郷の建物 屋上緑化

安芸の郷の建物 屋上緑化

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社会福祉法人安芸の郷が建設した、森の工房AMA200310月に屋上を緑化した建物として完成してから13年が経過している。関係者の皆さんが心配していた雨もりもなく年月の経過に伴い、緑が厚く広くなってきた。日々利用していて、夏の暑い日も体感的には天井からの熱気は感じられず、庭の地面の反射熱の方が熱く感じられる。写真は20065月に安芸区矢野中学校屋上から撮影したもの。後ろの山が日浦山でふもとに瀬野川が流れている。森の工房AMAの敷地は戦前に山を削って敷地ができた。ちなみに山を削った土は現在の陸上自衛隊の第13旅団の場所の埋め立てに利用されたと地元の方から聞いた。(旧日本軍→占領軍→自衛隊と変遷)。山の緑の復元も願って屋上緑化、庭へのたくさんの樹木の植樹を開所時に行って今日まで来ている。

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20136月の森の工房AMAの屋上の様子。ブルーベリーと周囲の生け垣としてヒラドツツジが植えてある。右隣の建物が広島原爆養護老人ホーム「おりづる園」(社会福祉法人常光福祉会が運営20074月開所)、左隣が生協ひろしま海田支所で非営利の団体が隣り合っている。

 

この森の工房AMAの建物は、緑の建築家といわれる大阪の美建・設計事務所の石井修所長(故人)の設計によるもので、屋上を利用してブルーベリーの畑を作り、生食やジャムに加工して販売し、ここで働く障害者の皆さんの工賃の原資にしたいとの願いを建築物として実現して頂いたもの。

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建物は20067月に広島市の第10回街づくりデザイン賞の緑化部門賞を受賞、当時の秋葉忠利市長から表彰状と写真の通り石でできたプレートを頂いたので事業所自家製の額縁に入れて、入口のレンガの塀壁に取り付けてある。

 

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今年5月に森の工房AMAの屋上から左上の矢野中学校を見る場所から撮影。ブルーベリーの下はノシバで覆われている。屋上に工事で出た土をそのまま利用して厚さ30センチに敷き詰めて、最初だけラジノクローバーの種をまいたのちクローバーや月見草など下草となる雑草は様々なせめぎあいの結果ノシバが隆盛を誇っている。

 

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それでも野原の中で今の時期はニワゼキショウや

 

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オオニワゼキショウが咲いている。屋上緑化はともすればきれいに手入れされた空間が多いが森の工房AMAではブルーベリーの畑なので、年数回の草刈りと刈った草はそのまま土に返す方法を繰り返しているので、ゴミはゼロ。屋上に降る雨は床下に集めてブルーベリーの潅水に再利用している(貯水量40トン)。この緑に覆われた屋上は夏の断熱、冬の保温、コンクリートの紫外線からの保護、周辺の温度上昇の抑制などの恩恵をもたらしてくれるので、省エネ、省電力に貢献してくれている。その上にブルーベリーの果実も生産している。ちなみに冷暖房は都市ガスを利用した方式で過度に電気に依存することを避けてエネルギーの分散を実現している。建物面積は993.62㎡、地上1階、地下1階、屋上緑化面積約700㎡あまり。

  社会福祉法人 安芸の郷 理事長 遊川和良

  

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2016年5月17日 (火)

被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える--「目標」リスト その3

被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える

――「目標」リスト その3――

 

 

1960年--被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える

 

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エルムウッド・パークの同級生--社会科の時間

 

AFSという高校留学のお世話をする団体があります。1914年にできたのですが、元々は、第一次世界大戦中に戦場で救急車の運転をボランティアで行うアメリカの若者の集まりでした。当時AFSは、American Filed Serviceつまり、戦場で奉仕をするアメリカの団体という意味だったのです。

 

第二次世界大戦でも救急車の運転手としてのボランティア活動を続けたのですが、戦争が終ってから、それまでの活動を振り返って新たな使命を見付けたのです。それは、戦争が起きてからの活動も大切だが、戦争が起きないような活動をすべきではないか、という問題提起になり、世界の若者にアメリカへの留学の機会を提供しようという結論になったのです。最初は大学生の留学が中心だったのですが、その後、地域社会に溶け込んで日常生活を経験することの大切さに気付いて高校生の留学を促進することになりました。

 

さらに、最初は経済的格差も大きかったために、アメリカに留学し、アメリカの学生が他の国に留学するという、アメリカ対世界という図式だったのですが、今は、世界の国々の間の様々な組み合わせで留学をする形になっています。インドネシアからノルウェーに、ベネズエラから中国へといった具合です。

 

そのAFSは、1959年、海外旅行そのものがまれだった時代に高校生の私にアメリカ留学の機会を与えてくれました。シカゴの近くの小さい町、エルムウッド・パークで、ホスト・ファミリーの一員になり一年近く過ごすことになりました。日米の格差が今とは比べ物にならないほど大きかった時代です。見るもの聞くもの驚きの連続でしたが、その中でも一番大きなショックを受けたのは、アメリカ史の授業で教えられた原爆投下についての考え方でした。


それは投下直後にトルーマン大統領が記者会見で披露した通りの内容でした。つまり、原爆よりパール・ハーバーが先だった、原爆により戦争が早く終わった、その結果、アメリカ側で25万人、日本側でも25万人の命が救われた、だから原爆投下は正しかったというものです。

 

反論を試みましたが、先生と級友全てを向うに多勢に無勢でしたし、私自身の英語力や知識、そして説得の仕方等も不十分でした。その時の悔しさはやがて形を変えて、私自身の「宿題」になりました。全ての人を説得するのは難しいとしても、私自身が納得の行くレベルで被爆の実相や被爆者のメッセージをアメリカ社会、そしてできれば世界中に伝えることが、AFSから私に与えられた「宿題」だと考えるようになったのです。

 

「被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える」ことは、その後、様々な形で続けてきています。今もその努力は続いていますし、生きている間は続けることになるだろうと思います。

 

次回は、

1963年--被爆者の言葉が十分通じていないところで代弁をする

を取り上げます。

 

[凡例]

 下線を引いてあるのは、未達成

 ○印は進行中

 ☑は実現済み

 

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2016年5月16日 (月)

ヴィーセンタールの『ひまわり』

ヴィーセンタールの『ひまわり』

――「和解」と、{「謝罪」と「赦し」}の違いとは その2――

 

先ず、第一部ではヴィーセンタール自身の強制収容所での体験が述べられています。

ある日、仕事をしている間に、看護師に「あなたはユダヤ人か」と聞かれ、「そうだ」と答えると、近くの病院に連れて行かれる。そこで「カール」という名の若いナチスの将校の病室に導かれる。カールは顔全体を包帯で覆わなくてはならないほどの酷い怪我をしており、瀕死の状態でヴィーセンタールに話をする。

 

カールがロシアに派遣されていた時、ある街の広場に連れて来られた200人余りのユダヤ人を迎えることになる。この200人以上の人々を広場の前の建物に押し込み、火を付けて焼き殺すよう命令されたのである。その上、熱さに耐えられず、窓から飛び降りるユダヤ人たちを射殺するようにも命じられ、カールたちはそれに従った。その後、クリミアに移動しそこで怪我をしてこの病院に送られたということだった。

 

カールは、ヴィーセンタールに「赦し」を請う。赦して貰えなければ、心乱れるままに死ぬことになる。(英語では、「die in peace」することが出来ないという表現なのですが、上手く日本語になりません。)

 

ヴィーセンタールは、カールの願いに何と言って答えたら良いのか分らず、病室を後にする。

 

何年か経って、ヴィーセンタールはカールの母親がシュトゥットガルトに住んでいることを知り、母親を訪ねる。カールのしたことを母親に告げるべきかどうかもヴィーセンタールとしては決めなくてはならない。母親からは息子の若き日のことを聞き、両親の反対にもかかわらずナチスの一員になったことも知る。結局、ヴィーセンタールは、カールの罪については母親に語ることなく、その場を去る。

 

その後、病院での自分の行動が正しかったのかどうか、母親とのやり取りもそれで良かったのか悩むことになる。ヴィーセンタール自身は、カールを赦せるのは、カールによって苦しめられた人だけだという結論に達する。しかし、それですべてが終わったのではなく、ヴィーセンタールは、この結論で良かったのか、多くの人の意見を聞きたいと考え、「シンポジウム」と名付けた第二部に、寄稿を求めることになる。強制収容所で運命を共にしたかつての仲間や、神学者、哲学者、政治家等々の意見である。

 

「シンポジウム」に寄せられた考え方のいくつかは次回に紹介したいと思います。

 

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2016年5月15日 (日)

「和解」と、{「謝罪」と「赦し」}の違いとは その1

「和解」と、{「謝罪」と「赦し」}の違いとは その1

 

オバマ大統領の広島訪問に関係のある事どもを取り上げてきましたが、その中心になるのが、被爆者の到達した「和解」の哲学です。このブログでも何度か解説をしてきましたが、例えば、「和解」の力 

あるいは、大統領の謝罪 No. 2 (「和解」の力 その4)

またその前後のいくつかのエントリーをお読み頂ければ幸いです。

 

今回は、これまで触れてこなかった「赦し」という概念について考えて見たいと思います。一つには、「赦し」と「謝罪」が対概念だからです。簡単な図式では、誰かが罪を犯すという形で悪いことをした、それについて犯罪者が謝罪をし、被害者がその罪を赦す、あるいは許す、というパターンです。

 

しかし、現実を見ると、ものごとはそんなに簡単ではありません。例えば死刑制度の是非を論じる際にしばしば登場する被害者の遺族の持つ切ない気持があります。子どもを殺された母親が「犯人があの子と同じ目に遭わない限り、あの子は浮かばれません」という気持に何と答えたら良いのでしょうか。これを「赦し」と考えられるのでしょうか。さらにそれは、「目には目を、歯には歯を」というルールの意味とも関わってきます。

 

英語で「赦し」は「forgiveness」です。動詞になると「forgive」つまり「赦す」です。この言葉と一対の言葉として、英語を母国語として育った人たちの頭に浮かぶのは「forget」です。つまり、英語圏では「赦す」と「忘れる」とは、対の概念として扱われています。そして、多くの人が「正しい」対応の仕方として受け入れているのが「forgive but not forget」です。つまり、「赦すけれど忘れてはいけない」です。

 

でもそれだけではないのです。こんな表現が意味を持つのは、それと違う考え方もかなり根強いからなのです。例えば、子ども同士の喧嘩や兄弟喧嘩のときに、親が子どもに諭す言葉はしばしば違っていて、「forgive and forget」なのです。「お兄ちゃんだって悪いことは分っているんだから、もう好い加減にして忘れなさい」くらいの意味でしょうか。

 

それに加えて、「Men forget but never forgive. Women forgive but never forget.」という俚諺まであるのですからことは複雑です。加えて、「赦し」には宗教的な意味もあります。仏教や神道にはあまり現れないようですが、キリスト教やユダヤ教では中心的な概念の一つです。

 

本題に入る前に、くどくどと背景の説明をする悪い癖が出てしまいましたが、その「赦し」について深く考える上で貴重な本があります。サイモン・ヴィーゼンタール著の『The Sunflower(ひまわり)』です。サイモン・ヴィーゼンタールは、1100人以上の元ナチス犯罪者を探し出し、法の裁きに従わせたことで知られています。もっとも著名なのは、アドルフ・アイヒマンの裁判かも知れません。

 

今回は、表紙の写真だけ御紹介しましたが、次回にはその内容と、本の第二部に載せられている50人以上の知的な分野でのリーダーたちの「赦し」についての「シンポジウム」の内容も御紹介したいと思います。

 

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2016年5月14日 (土)

「目標」リスト その2――「核兵器を廃絶する」

「目標」リスト その2――「核兵器を廃絶する」

 

1954年--核兵器を廃絶する

 

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195431日、ビキニ環礁での水爆実験

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ビキニの水爆実験によって、その近くで操業していた第五福竜丸が被曝し、その後、無線長の久保山愛吉さんが亡くなりましたが、放射線で汚染されたマグロが大問題になりました。杉並の主婦たちが始めた運動が全国に広がり、原水爆禁止運動として、翌年の1955年には第一回の世界大会が開かれています。

 

第五福竜丸が被曝した原因となった核実験を禁止せよ、という声が大きく取り上げられましたが、同時に全ての核兵器を禁止すべきだという強い意思も生まれました。

 

ちょうどこの頃、日本は大きく変わりつつあったのです。その2年前の1952年に、日本は独立し、それまで国内の報道を縛っていた「プレス・コード」と呼ばれた検閲制度も廃止になったからでもあります。その「プレス・コード」は特に原爆関係の情報には厳しく適用され、例えば広島市内でも原爆についての情報が規制され被爆者にも何が起きているのか十分には伝えられていませんでした。「空白の10年」とも言われたこの期間に、行政、特に国の手が全く差し伸べられていなかったことがその理由の一つですが、同時に情報が規制され、被爆者も普通の市民も、何も分らない状態に置かれていたことももう一つの大きな理由です。

 

知らされないどころか、嘘の情報をばら撒かれたケースもあるのです。例えば、胎内被爆--母親のお腹の中で、16週から25週くらいのときに高放射線量を浴びた場合、知的障害児の誕生頻度が高くなるという事実は、原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究者は知っており、論文まで発表されていたにもかかわらず、これらの子どもたちの母親には「栄養不足が原因」といった虚偽の説明をしていたことが知られています。

 

しかし、1952年からは、検閲制度がなくなり、原爆についての情報も日本全国に伝わるようになりました。その一環として、原爆をテーマにした映画も作られました。特に『原爆の子』(新藤兼人監督・長田新氏編の『原爆の子』の映画化、1952)と『ひろしま』(関根秀雄監督・日教組プロ製作、1953)が有名ですが、私は、学校の団体鑑賞でこれらの映画を見ることが出来ました。

 

同級生も皆同じようにショックを受けたのですが、原爆のシーンが頭を離れず、私は2日間、学校を休みました。2歳半のときの空襲の記憶とも重なったために、ショックは増幅されたのだと思います。この「恐ろしい」という気持と、第五福竜丸事件の衝撃とが重なって、こんなに恐ろしいことを絶対に繰り返してはいけないとも思うようになりました。

 

その時点では、「核兵器の廃絶」という表現でその気持を伝えるまでにはなっていないのですが、子ども心に感じたことを短く、端的に表せば、「核兵器を廃絶する」になります。それも当時の感覚では「夢」なのですが、時間の経過と共に「被爆者の生きている間に」という有限時間の「目標」になりました。

 

この目標はまだ達成されていません。

 

次回は、

1960年--被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える

を取り上げます。

 

[凡例]

 下線を引いてあるのは、未達成

 ○印は進行中

 ☑は実現済み

 

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2016年5月13日 (金)

「目標」リスト その1

「目標」リスト その1

 

平和市長会議の「2020 ビジョン」の意味を説明するために、「夢」と「目標」との違いに注目して欲しいことをいろいろな場面で強調してきたのですが、昨年の夏、被爆70周年にあたり、私自身の掲げ来た目標がどのくらい達成されているのかをチェックしてみました。驚いたことに、かなりの数の目標が実現済みあるいは現在進行形だったのです。

 

昨年の時点で、はっきり残っていたのは、核兵器の廃絶、被爆者へのノーベル平和賞、そしてアメリカ大統領の広島訪問でした。最後の目標は、オバマ大統領の広島訪問で実現することになりましたので、残りは二つになりました。三つの内の一つが実現した、つまり「打率」は3割以上ですので、残る二つも遠からず実現するだろうと楽観的に考えています。

 

御参考までに、昨年整理した目標のリストです。「目標」にもいろいろ種類がありますので、極めて個人的なものなどは除いて、被爆体験や核兵器の廃絶、戦争と平和、日米の違い等に関わりのあるものだけを選んだ結果です。なぜ、それぞれの目標が大切だと思ったのか、次回から順次説明する積りです。

 

前口上はこのくらいにして、私の「目標」リストです。古い順にリストしました。改めて眺めるとまだまだ他にもありますので、その内に追加リストも御披露しましょう。

 

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『ヒロシマの記録』

 

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The Meaning of Survival 英語版『ヒロシマの記録』

 

 

[凡例]

 下線を引いてあるのは、未達成 (2015年8月時点で)

 ○印は進行中

 ☑は実現済み

(ア) 「実現済み」とはすべて自分の力で実現したという意味ではありません。他の人が、あるいは時代の流れで実現されたものも含めています。大切なのは、「目標」に掲げたほど重要な課題が現実のものになったという事実です。また、何年にこの目標を掲げたのかという時期も、大雑把に捉えました。大体その頃だったという意味で御覧頂ければ幸いです。

 

1954年--核兵器を廃絶する

1960年--被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える

1963年--被爆者の言葉が十分通じていないところで代弁をする

1968年--数学を社会に役立てる

1975年--アメリカの子どもたちに英語で読める資料を作る・芸術を通してメッセージを届ける

1979年--『はだしのゲン』の英語版を完成させる

1980年--アメリカの大統領に広島を訪問して貰う

1980年--大学で「ヒロシマ・ナガサキ講座」を開く

1982年--『ヒロシマの記録』を英訳する

1982年--被爆者に感謝する

1987年--被爆体験とその意味を伝え、アメリカ人にインパクトを持つ英語の本を書く、または書いて貰う

1990年--被爆者にノーベル平和賞を授与して貰う

1999年--都市として、強力に核廃絶運動に関わる

2007年--『ほのぐらい灯心を消すことなく』の復刻版を出す

 

[お断り]  大変忙しくなり、頂いたコメントに「回答」する時間が取れない場合が出てきそうです。公平を期するために、しばらくの間、頂いたコメントは私たちが丁寧に読ませて頂きますが、アップするのは控えさせて頂きます。

 

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2016年5月11日 (水)

オバマ大統領来広決まる

オバマ大統領来広決まる

 

 

オバマ大統領の広島訪問が本決まりになりました。本当に嬉しく思います。今日はそのことに関連しての第一稿です。

 

まず、被爆者の高齢化が進み、平均年齢は80歳を超えましたが、数万の被爆者の皆さんが御健在の内に広島に来られることの意味は大きいと思います。

 

一つには、何度も繰り返してきましたが、広島に来ることで人生が変わった多くの人を知っているからです。オバマ大統領も同じような影響受けることになるはずですが、そのためにも是非、被爆者の被爆証言を聞いて頂きたいと思います。

 

さらに、オバマ大統領はプラハの演説で、文脈としては不必要な「道義的責任」に言及することによって、被爆者に敬意を表しました。広島訪問によってその被爆者の哲学、和解の哲学に触れて貰えるはずです。それが、核なき世界実現のための大きな一歩につながることを期待しても良いと思います。

 

プラハ演説が、大統領としてのオバマさんの出発点であるならば、ヒロシマ演説は着地点になるからというのが大きな理由です。その内容に期待をしても良いという意味ですが、それについては稿を改めたいと思います。

 

人類史的な意味を持つ広島訪問が実現する過程で、私も小さいながら大切な役割を果すことができました。例えば20101月にホワイト・ハウスでオバマ大統領にお会いして、直接、広島に招待することができました。その責任を全うするために、出来ればこの広島で、「ようこそいらっしゃいました」と一言御挨拶できたらと願っています。

 

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「あい」様

コメント有難う御座いました。13日のエントリーに書いたのですが、再掲します。宜しくお願いします。

[お断り]  大変忙しくなり、頂いたコメントに「回答」する時間が取れない場合が出てきそうです。公平を期するために、しばらくの間、頂いたコメントは私たちが丁寧に読ませて頂きますが、アップするのは控えさせて頂きます。

なお、パール・ハーバーについてはコメントではなく、近い内に記事として取り上げる積りです。

同じお題で書きましょう--「仕送り」

同じお題で書きましょう――「仕送り」

 

初めてアメリカに行った頃は一ドル360円で、毎月10ドルと決められていた小遣いを「仕送り」して貰うのも大変な時代でした。

 

その後、アメリカで就職したのですが、少しはお金が貯まったら両親に送ろうと考えながら、1ドル360円だからと、捕らぬ狸の皮算用をしていました。ところが、1971年の暮、「ニクソン・ショック」と呼ばれた措置によって為替レートは一気に1ドル308円になりました。

 

このまま、円高傾向が続くと、同じ額のドルでも日本にいる両親には、もっと少ない金額しか届きません。とにかく、今送金しなくてはと、慌てて「仕送り」の手続きを取りました。

 

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100ドルが約3万円に

 

その後も、プラザ合意とか様々な出来事を経て、円高が続いています。しばらくは、円安で安定していましたが、最近はその動きが少し変って、「円高」とも言われます。しかし、外国為替の動きに翻弄されながらも、ドルを円に換えて、かつての私のように日本に「仕送り」をしている若者もいるのだろうと思います。彼らと私の昔を重ね合わせながら、「仕送り」のときだけは、少しでも「円安」になることを祈っています。

 

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コメント

普通に考えて、アメリカから日本に仕送りするより、日本からアメリカなどに仕送りする人の方がずっと多いと思うのですが…

「通りすがり」様

コメント有難う御座いました。

確かに、日本からアメリカの方が多いかも知れません。でも、アメリカあるいは外国からの仕送りをしている人も結構いると思います。私自身、今でも忘れられないのが、ニクソン・ショックですし、その後の為替相場です。

お題への参加ありがとうございます。

1回海外出張に行った程度ですので為替とかドルに
ピンと来ないのですが、大学時代の沖縄出身の同級
生が「子供の頃1ドルあれば、映画を観て外食も出来
た」と言っていたのを思い出しました。

「⑦パパ」様

コメント有難う御座いました。そうですね、ドルの価値が大きかった時代ですね。

1960年代のアメリカでは、スクール・バスが、25セントでした。バスに乗らずに歩いて貯金したお金でレコードを買いました。

2016年5月10日 (火)

美術展へのお誘い

美術展へのお誘い

―子どもを育てた平和教育―

 

 自宅すぐそばにあるうどん屋(水木や)さんから出てこられた吉野誠さん(直前には被爆者の坪井直さんも)の姿を見て声を懸けました。吉野さんとは、以前にはよく集会や講演会で顔を合わせていました。しかし最近はあまり姿を見掛けることもなく、お元気だろうかと心配していましたが、83歳という年を感じさせないほど元気な姿でした。毎週月曜日には、がん予防の治療?のため千田町の病院に通っておられるようで、その帰り道の出会いでした。

 

「金子さん廿日市の方に行くことはないですか」と手渡されたのが、2枚の美術展の案内状でした。

Photo

美術展の案内状

 

うれしそうな顔で、「私が教えていた二つの中学校の教え子たちと美術展です。時間があったらぜひ見に来てください。」「私も30年前の版画を出品していますから。」とのこと。

「30年前の版画と言えば、森瀧市郎先生の慰霊碑前での座り込みを描いたものもありましたよね。」と私。「そうです。当時は30人ぐらいの被爆者に体験を聞かせてもらい、その人たちの版画を作りました。元資料館館長の高橋・・・えーと、そうそう昭博さんの姿も版画にしましたよ」

 

私の記憶のなかにも、核実験抗議の座り込みの中で、いつも参加者の様子をスケッチされていた姿が、はっきりと残っています。家に帰って、「確か、吉野さんの版画集があるはずだ」と家を探しましたが、残念ながら今日のうちには見つけ出すことができませんでした。

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反核詩画集ヒロシマ

版画集は見つかりませんでしたが、詩人栗原貞子さんの8冊目の詩集となった「反核詩画集 ヒロシマ」は、すぐ目にすることができました。「詩画集」の名のとおり、詩人栗原貞子さんと画家吉野誠さんの共同の著書。この詩集の奥付に記された発行日は「1985年3月15日」。吉野さんの話にあった30年前です。

 

「あとがき」で、栗原さんは、「今回、広島の中学で、長い間美術を通して平和教育を熱心に続けてこられた画家の吉野誠さんの協力を得て、詩と画で語りつぐ『ヒロシマ』を刊行しました」とし、さらに「ユニークな版画で若い皆さんに訴えてくださいました画家吉野誠先生」と吉野さんのことを紹介されています。もちろんこの詩集には、栗原貞子さんの代表作「生ましめんかな」が収録されていますが、吉野誠さんの版画「生ましめんかな」も収録されています。

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吉野誠作版画「生ましめんかな」

今日吉野誠さんから手渡されたもう一つが、アルミ板を加工して作った「ハト」のブローチでした。吉野さんは、このアルミ板を加工して様々な作品を作ってこられました。また吉野さんは、平和教育の教材としても生かしてこられました。アルミ板を加工した作品に共同制作「人間の墓標」があります。平和教育の中で、廿日市中学校の2年生全員(144人)が力を合わせて完成させたものです。「みんなが協力して作ったこの素晴らしい作品、この仲間の力、人間の力を信じて、私は平和のために何かしたい」作品作りに参加した子どもたちの声です。詳しい授業の様子は、上記の「詩画集」の中で詳しく述べられていますが、丸木夫妻が「原爆の図」を書かれる時の手法を取り入れるなど、何よりも「子どもたちに被爆体験を継承させる」ことに全力が注がれています。

 

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ハトのブローチ

 

吉野さんの指導によって作られた中学生の作品の一つ「共同制作『生命の叫び』(木彫)」は、埼玉県東松山市にある丸木美術館2階のベランダに展示されています。現在の様子を訊ねようと丸木美術館に電話をしたのですが、電話に出る人がいなくて確認できませんでした。私も一度現地で見たことがありますが、きっと今も参観者に見守られていると思います。

 

吉野さんのような多くの先輩教師の努力によって花開いた平和教育。しかし、現在の学校現場は?

いま改めて平和教育の大切さが強く問われているように思えます。

 

吉野誠さんの教えを受けた教え子たちの美術展。きっと素晴らしいものとなることでしょう。

 

金子哲夫(広島県原水禁代表委員・元衆議院議員)

 

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2016年5月 9日 (月)

 同じお題で書きましょう―――「ゴールデンウィーク」

 同じお題で書きましょう―――「ゴールデンウィーク」

 

By 木原省治 (「原発はごめんだヒロシマ市民の会」代表)

 

「毎日が日曜日」の立場にある僕ですが、やはりいつもとは違う10日間でした。小学校に入学したばかりの孫が、5月2日は遠足、6日は4月に行われた土曜日参観日の代休ということで、彼もゴールデンウィークでしたから。

 

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この10日間を振り返ってみました。4月29日は、山口県周東町(現・岩国市)に実家がある友人宅にタケノコ掘りに行きました。といっても、僕が山に入って掘る訳ではありません。「ここに生えているよ。先っちょが出ている」と言ったら、友人が掘ってくれます。もう30年くらい前からの、この時季の恒例行事です。友人から4月の半ばに「いつ来る~」という電話が掛かってくるのですが、どうも最近、その電話が少しずつ早くなるようです。温暖化のためでしょうか。

 

30日は、高校野球の春季大会を観戦しました。応援チームは勝ちましたが、残念ながら優勝にはなりませんでした。しかし、今から夏が楽しみです。プロ野球はほとんど観ないのですが、高校野球は好きです。

 

1日はニューズレター用の原稿を2本、ひたすら書いていました。「電力小売り完全自由化問題と原子力発電」というシリーズ物と、「コラム」です。コラムは「チェルノブイリから30年、フクシマから5年」というタイトルで書きました。コラムは字数というか行数が決まっているので、引くのも足すのも苦労です。

 

2日は中国電力に今年の株主総会への、株主提案議案の字句の最終調整のためです。株主提案議案は28日に提出済みでしたが、これまた「てにおは・句読点」を含め、提案理由文は400字という制限が在って、400字より少ないと「損」をした気持ちになりますし、多いと減らさなければならない代物です。

 

ちなみに、今年の中国電力株主総会は6月28日火曜日、午前10時から本店2階講堂で開催となっています。そして今年も9電力会社すべてで株主提案議案の提出ができました。しかし株主総会開催日は、全て6月28日となっていて、世の流れとは逆行して集中しています。

 

3日は義兄の3回忌法要のために、米子市に行きました。お寺でのお経の後は皆生温泉の旅館で食事、1泊しました。久しぶりに姉や甥・姪らの親戚と喋り飲み楽しい時間を過ごしました。翌4日は、横浜から来ていた甥らとともに、境港市の「妖怪ロード」と松江市内を観光、帰広しました。まあーなんと風の強かったこと。吹き飛ばされそうになりました。

 

5・6日は何をしていたのでしょうか。7日に上関原発問題で特に「埋め立て免許問題」を話してくれと頼まれていた関係で、調べたりレジュメを作ったりしていました。

 

7日は、その話しをしてくれと頼まれた本番でした。上関原発の埋め立て免許問題では、山口県当局の「いい加減・あいまい・県民無視・自主性無し」のために、山口県から中国電力への「補足説明要求」、それに対する中国電力から「回答」という猿も怒る「猿芝居」が続けられており、7度目の回答日が6月22日となっています。この問題については、後日詳しく書きたいと思っています。

 

そしてゴールデンウィークの最終日の今日は、廿日市市の洞雲寺(とううんじ)の花祭りに孫と二人で行きました。子どもの頃、母に連れられて行ったことのある、懐かしいお寺の祭りです。ビックリしたのは、周辺の変化でした。まず、ひと山無くなっていたのと、新しい道路が出来、住宅地に変貌していました。以前の山に囲まれた面影は無くなっていました。

 

ざっとこんな10日間でしたが、晴れた日には毎日のように近くの公園で孫とミニサッカーをして汗を流しました。「ご苦労さんです」とか、近所の方から励まされ?ますが、僕の方はまずはメタボ気味の腹のラード(固型油)を取りたいという思惑が働いています。しかし、効果は見えてきません。

 

そのことを友人に伝えたら、食事制限と激しいトレーニングをしないとダメ。ハリウッドスターが役作りでやるやつみたいな。もちろん彼らには大きな目的があるから頑張れるのだけどもね。

やる気を無くさせる友人です。

 

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コメント

イタリアでも国民投票で原発再開が否決されましたね。それも95%が反対票だということです。ドイツでもスイスでも原発廃止を決めていますが、過酷事故を起こして収束のめども立たない日本で原発が再開されることが信じられません。これが日本国民のレベルなのでしょうか。

日本が原発を止められないことについて、私は一つには、立地自治体というところが原発マネーに浸かれきっていること。二つには、経済界の力。そして三つ目には、対アメリカとの関係で、日本が世界の原発商人という存在にあることだと思っています。核兵器を持ってはいけない国である日本に、プルトニウムの所有が認められているというねじれた国です。しかし、3・11以降も各種の世論調査でも「原発反対、再稼働反対」の数字は減っていませんし、多くの国民世論は正しい判断をしていると思います。新聞投書を見ても、ほとんど原発反対、再稼働反対ですからね。

私は原発反対派ですが,義兄が中電に勤務しているのでお手柔らかにお願いします(笑)

中電は、この地方では大会社で、働いている人も多いし「中電がらみ」で仕事をしている方はたくさんおられますよ。もちろん僕の関係でも。しかし会社の中にも、原発推進を前面に打ち出している姿には、疑問を持っている人は、これまたそれなりにいます。会社の「原発進め」と働いている人の思いのギャップから、悩んでいる方も。私は、中電内部の方とも一緒になって、原発を止めさせたいと思っています。コメントありがとうございました。

中国電力は沖縄を除く大手電力会社の中では最も原発依存が低いのは木原さんなどの活動の影響もあるのだと思い感謝もしています。
私の知人の中国電力の社員などは「中国電力は脱原発どころか、水力をメインとした100%自然エネルギーでもやっていける」と言っていました。
オバマ大統領の広島訪問が決まりましたが、核兵器の廃絶にアメリカの意志が重要なように、脱原発のカギを握るのも電力会社だと思います。

2016年5月 8日 (日)

従心――心の欲するところに従いて矩を踰えず

従心――心の欲するところに従いて矩を踰えず

 

集中して片付けなくてはならない仕事が続いています。そこで今日も、「衣食住」の基本に戻って、「飲」の思い出です。「鯨飲」「牛飲」ができた時代もありましたが、最近は、「心の欲するところに従って」飲んでも「限界を超える」ことはなくなりました。

 

「鯨飲」したのはビールです。でも、「鯨飲」だけがビールの飲み方ではありません。爽やかな思い出は最初の一杯、時にはそれでおしまいになった一杯です。

 

例えば、30年ほど前、元気だった両親と我々子どもたち3人で、千葉駅前に開店したばかりの和食店に行きました。茹だるような暑さの日で、まずはビールを注文しました。ギンギンに冷えたビールが出てきましたが、それがサントリー・ビールでした。しかも初めてのサントリー・ビール。それ以来、「あの時ほどおいしいビールを飲んだことはない」が頭の中に刻み込まれてしまっているほどの美味さでした。

 

でもサントリー・ビールとの蜜月は長く続きませんでした。アサヒスーパードライが登場したからです。熱しやすく冷め易い性格のせいもあって、アサヒスーパードライ(コマーシャルの独特の言い回しでこの部分を書いています)の虜になりました。

 

それから一年間、何が何でもアサヒスーパードライでした。一杯一杯が至福の時でした。その後、スーパードライの立役者だった樋口廣太郎氏に偶然お会いして、80歳を超えてもなお鋼鉄のような脹脛を触らせて貰って感激した記憶も鮮明です。

 

しかし、別れは突然やってきます。場所や時間は思い出せないのですが、ある日、アサヒスーパードライを口にした途端、「もう飲めない」と感じて、それ以来、どうしても仕方がない時は別ですが、自分からアサヒスーパードライを飲みたいと思ったことがありません。

 

それからの長い間、様々なビールに出会い、別れた記憶も懐かしいのですが、機会を改めて私の「ビール遍歴」にお付き合い頂ければ幸いです。

 

現在、私の愛するビールはエビスです。シールを貯めてディスペンサーなどの素晴らしい景品まで頂くほど肩入れをしています。エビスに飽きて他のビールに恋することなど考えられませんが、アサヒスーパードライに溺れていたときもそう考えていたのですから、明日はどうなるか分りません。でも、70を過ぎ、心身ともに「心の欲するところに従いて矩を踰えず」の状態から判断すると、「until death do us part」になりそうです。

 

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コメント

ビール好きなら銀山町の「ビールスタンド重富」です。
開店前から行列が出来る人気店なのでご存知かも知れませんが、基本はスーパードライ、期間限定でキリンラガー、サッポロ黒ラベル、サントリーモルツもあったりします。
メニューはビールのみで、つまみも料理もありませんが、注ぎ方は4種類あり、その注ぎ方の違いによる味の違いを楽しめるお店です。

「ビール好き」様

コメント有難う御座いました。「ビールスタンド重富」の名は聞いていますが、まだ行ったことがありません。今度寄らせて頂きます。

2016年5月 7日 (土)

ないものねだり

ないものねだり

 

憲法記念日の集会は全国で開かれましたので、私が参加した神戸の様子をお知らせする積りだったのですが、メモを取れませんでしたので、中途半端な報告しかできません。急遽、別のトピックをと考えてみたのですが、このところ時間の掛かる仕事を抱えているため、続編をお約束しているいくつかのテーマも未消化な状態です。そこで、最近、私がはまっている食べ物、飲み物を紹介させて頂きたいと思います。

 

とは言っても、「広島ブログ」で多くの皆さんがアップしていらっしゃる、写真入りのしかも詳しく役に立つおいしそうなレポートはとてもできそうにもありません。では、このエントリーに何のメリットがあるのかと言えば、人間は昔食べたものの記憶を持ち続けていて、それも歳とともに変わっているらしいという感想くらいしか思い付きません。

 

昔、アメリカにまだ日本食のレストランも少なく、あっても値段が高く頻繁には行けなかった頃のボストンなのですが、それでもうどんやそばはありましたし、新鮮な魚も手に入りましたので、刺身くらいは食べられました。肉は豊富にありますし、醤油も手に入りましたので、すき焼きもできました。てんぷらは難しかったのですが、恐らくケンタッキー・フライド・チキン等、アメリカの食べ物を代用品として食べることで何とか満足していたような気がします。

 

一番食べたくて、食べられなかったのが、酢の物です。お酢はあっても、料理の知識のない私が作るのは無理でしたし、ピクルズ等で代用するには味が違い過ぎました。日本に戻ると美味しい酢の物が食べられて、ホッとしたことを覚えています。

 

でも、生活の本拠が日本に移ると、その酢の物に執着することが少なくなりました。今度は、アメリカで食べていて、なかなか日本では手に入らないもの、あるいは日本では高価なものを渇望するようになりました。

 

その一つが、マカデミア・ナッツです。下の写真はハワイからのお土産として貰いました。今、毎日数粒ずつ大切に食べています。ここで、変なカタカナ語との関連に気付いたのですが、日本では普通「マカダミア・ナッツ」と表記されます。元々の英語表記は「macadamia nuts」ですので、これをローマ字読みにして「マカダミア」にしたのだと思いますが、これでは恐らく通じません。より正確には「マカデイミア」に近いのです。略して「マカデミア」の方が通じるはずです。

 

一時オーストラリア産のものがかなり手に入ったのですが、最近はスーパーでもほとんど手に入りません。ということで「ないものねだり」。

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次の好物はオートミールです。しかも「クエーカー」ブランドです。朝食には欠かせません。ヨーグルトやレーズンをかけて食べる人もいますが、私はお湯をかけるだけ。これで朝がすっきりします。これも普通のスーパーでは手に入りません。あるスーパーでどこにあるのかを聞いたら、隅っこの方に小さいパケッジがあって、200グラム500円でした。こんなものが好きなのですから「ないものねだり」と言われても仕方がないのかもしれません。

 

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最後は、これです。コカ・コーラ。世界中で飲まれていますので「ないものねだり」には入りませんが、若かりし頃、アメリカで飲んで病み付きになりました。最近のことですが、「飲み物は」と聞かれて「コカ・コーラ」と言ったら、「えっ。あれは若い人の飲み物でしょう」と言われたました。「年寄りの冷や水」ならぬ「年寄りのコカ・コーラ」です。お後が宜しいようで。

 

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コメント

まだ成り立ての前期高齢者ですが初めてコーラを飲んだ時は、まるで薬のように不味く飲めたものではないと思ったものです。
確かコカ・コーラも最初は広島の飲料メーカーに製造販売で提携しようと考えたものの、そのメーカーをはじめとする日本の飲料メーカーはどこも「こんなものを飲む日本人はいない」と断られて止む無く直接日本進出したとか聞いたことがあります。ところでアメリカではコークというのが一般的でしたっけ? あれは何かのキャンペーンでしたっけ?

「前期高齢者」様

コメント有難う御座いました。初めてコークを飲んだ時の「不味さ」とか「違和感」は、戦後世代には共通の経験だと思います。「薬のような」味というのも、その通りで、元々は薬として発売されていたものです。

「コーク」(Coke)もコカコーラの商標です。それに対抗する「ペプシ―」もありますし、テキサスあたりに行くと「Dr. Pepper」のシェアがかなりあります。「コーク」の方が短いので、良く使われているのだと思います。

2016年5月 6日 (金)

ブルーベリーとレンゲとヒロシマ

 

       

新たなライターの登場です。社会福祉法人安芸の郷の理事長を務めている遊川和良さんです。


 安芸の郷の建物と四季

 豊栄のブルーベリーの四季

を中心に、月数回寄稿して下さいます。「連載」を楽しみにしています。第一回は「ブルーベリーとレンゲとヒロシマ」です。
 

 

 ブルーベリーとレンゲとヒロシマ

 

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東広島市豊栄町で、ブルーベリー農園を始めて16年になる。標高が400m前後あり田植えも5月のゴールデンウイークがピークになる。近年田の法面にシバザクラを植えて景観保全をする農家が増えて4月の田園風景を彩ってくれる。写真後ろの右の頂きが板鍋山。

 

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この栽培地は2か所ある。妻の実家の前に広がる田んぼ3反ほどと、松くい虫で枯れた松林を伐採した家の裏山に2反あり、休日を利用して広島市安芸区から70~80分かけて農作業に出かけている。今の時期は枝の剪定(毎年大幅遅れ)。木と木の間は2m、列の間隔は2.5m。足元には、季節の野の花と出会いことになる。今の時期はレンゲ。

 

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数年前に種をまいたものがあちこちに移動しながら咲いている。

 

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デジカメ時代。フィルム枚数を気にすることなく撮影できるのでクローズアップも気軽。

ブルーベリーの栽培は無農薬、有機栽培で行っており、果実は広島市安芸区の障害者の事業所の社会福祉法人安芸の郷に納品している。

 

緑いっぱいの自然に囲まれたこの豊栄町でも86日の原爆投下された日には町内の多くの方々が市内に救援に行くなど色々な体験をされている。その体験とこの地の四季にふれながらヒロシマの心の大切さをともにしたい。

 

社会福祉法人 安芸の郷 理事長 遊川和良

 

 

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2016年5月 5日 (木)

新緑の渓流は、空気もきれい

新緑の渓流は、空気もきれい

―釣りに誘われてー

 

私の友人は、解禁(川によるが3月か4月1日)になると休みの度、毎週と言ってよいほど、県西部や島根県六日市などに「フライフィッシング」に出かける。会うたびに、「先日の釣果は、・・・」と話を聞かされ、「いつか一緒に行こう」と誘われ続けていた。

 

その友人から朝電話が入り、「フライフィッシング」に同行して太田川の源流の一つ中津谷川の支流・小川川(廿日市市吉和)に行ってきた。もちろん?というのも変だが、私は釣りをしない。ただ同行するだけである。しかし、楽しい一日だった。

 

広島から車で約1時間半。国道186号線から左折して「対向車が来たらどうしよう」というような細い道を20分ぐらい車を走らせると現地に到着。

 

まず、釣りをしない私のために、山菜取りから始める。自然に生えたタラの芽摘み。高枝切りばさみを準備してくれていたので、たくさん収穫。次は、こごみ。蕨。柔らかそうなふき。とりあえず、私のための作業は終了。(我が家では、てんぷらにして美味しく食べた)

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美しい渓流

 

何とも言えないほどきれいな渓流。水も川を形作っている岩も。そして空気も。丁度芽吹いたばかりの木々。白と言ってよい芽。薄黄緑色の葉。鮮やかな新緑の景色である。これだけでも、ここの来た甲斐があった気持ちになる。

 

いよいよ今日の目的釣りの開始である。ポイントにフライを投げ込みながら、渓流を川下から上っていく。川岸から見ている私の目にも、フライに食いつく魚影が見える。それほど水は澄んでいる。

 

最初に釣ったのは、アマゴ。この渓流は、「キャッチアンドリリース」のフライ専用の川。釣った魚はすぐ川に戻す。使用する針も、出来るだけ魚を傷めないよう返しのない針。だから、引っかかっても手元に引き上げるまでに逃げることもたびたびあるようだ。私も何度か目にすることになった。

 

逃げた魚は大きいとよく言われるが、今度のかなり大きいと思われるアマゴを一度は針にかけながら、逃げられてしまった。「あれは、大きかったぞ」とは私の声。

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アマゴ

 

この川には、中国山地にだけ生息するという「ゴギ」が住み着いている。「ゴギ」も何度か、釣り上げられた。

 

最初は何の気なしに見ていたが、友人は獲物を釣り上げ、川に離すとき、必ず水に手を付けてから魚体に触る。そのまま触ると手のぬくもりで魚はやけどをするそうである。そうなれば、せっかく川に戻しても命を奪うことになってしまう。

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ゴギ

 

昼食をはさんで、約2時間半ぐらい。あっという間に時間が過ぎた。

 

ところで、この釣り場に来る途中、、杉の倒木をたくさん目にした。今年は、雪の量は少なかったが、重たい雪が降ったようで、それに耐えかねた杉が倒れてようである。しかも、途中から折れたのではなく、根こそぎの倒木。初めて見る景色だった。あらためて、山の植樹ということを考えさせられた。

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根こそぎ倒れた杉

 

友人のおかげで、釣りをしない私でも十分楽しい時間を過ごすことができた。感謝、感謝。

 

金子哲夫 (広島県原水禁代表委員・元衆議院議員)

 

 

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2016年5月 4日 (水)

5.3ヒロシマ憲法集会に2000人参加

5.3ヒロシマ憲法集会に2000人参加

 

ストップ!戦争法広島実行委員会が主催する「平和といのちと人権を!5.3ヒロシマ憲法集会」が、午後1時から広島市中区のハノーバー公園(旧市民球場北側)で、雨にもかかわらず2000名が参加して開催された。

 

集会は、尾道から駆け付けた竹本信也さんと平田康さんのライブでスタート。

 

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最初に主催者としてあいさつに立った佐古正明戦争をさせないヒロシマ1000人員会共同代表は、「憲法違反の戦争法が、施行されたかが、運動を強め発動をさせない戦いを進めよう。戦争法の廃止を実現させるためにも、安倍政権を終わらせるためにも7月の参議院選挙が重要。力を合わせて頑張ろう」と呼びかけ、石口俊一広島県9条の会ネットワーク事務局長は「これまで別々に憲法集会を開催していた団体が今年は一緒になったこの集会を開催することができた。体が震えるような気持ちでいっぱいだ。」とこの集会がどれだけ重要な意味を持っているのかを強くアピールした。

 

主催者のあいさつに続いて、この集会のメインスピーカー落合惠子さんが、大きな拍手(雨の中傘を持つ手ではなかなか難しかったが)に迎えられて登場。「今だから、今こそ!」と題して講演。

 

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まず北海道5区の選挙結果に触れながら「1月には10ポイント以上の大差だと言われていた選挙。しかし野党の統一で、1万数千票差まで追い上げた。今度の大事な参議院選挙、野党が柔らかな感覚で統一すれば、必ず良い結果が出る。」と参議院選挙での野党共闘の大切さを強調。続いて雨降りの天気になぞらえて「『雨にも負けず』と言ったのは、宮沢賢治さんですが、今は『安倍にも負けず』です」。

 

さらに被爆詩人栗原貞子さんの「生ましめんかな」の詩を朗読し、「地下室の暗闇の中で起きた出来事を想像することができない政治家に、政治は託せない」と政治家を厳しく批判。

 

戦争で子どもを奪われたお母さんが言い続けてきたことを詩に託した詩人の話。招集された子ども出征時、「必ず生きて帰って来いよ」と言って見送ったお母さんが、その後村人から「非国民」と言われ村弾きになった話などなど。・・・この後も大切な話が続いたが、メモも取れない雨の中、何とか私の頭に残っているのはここまで・・・ 最後には、改めて「『雨にも負けず』は宮沢賢治。私たちは『安倍にも負けず』でがんばりましょう」。滑舌の良い話し言葉にただただ聞きほれるだけだった。

 

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次の登壇したのは、今も様々な立場で活動を続ける市民によるリレートーク。最初に「安保関連法に反対するママの会@広島」の村田麻実子さんが、仲間と一緒に「子どもたちを絶対に戦場に送らないためにも頑張ります」とアピール。次に「憲法違反の安保法制と闘う弁護士の会・広島」の金井啓祐弁護士が「弁護士もみなさんとともに憲法違反の戦争法廃止まで頑張ります」と力強く決意を表明。

 

雨の中時間短縮でリレートークは、ここで終了。

 

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最後に難波健治ストップ!戦争法 ヒロシマ実行委員会事務局長が「全国2000万署名は、県内で20万筆を超えた。引き続いて目標である県内50万を実現させるために頑張ろう」と行動を呼びかけ、「安倍は今すぐやめろ」のシュプレヒコールで集会を終えた。

 

毎年それぞれ取り組んできた「輝け9条・活かそう憲法5.3ヒロシマ集会」(広島県平和運動センター・広島県原水禁・憲法を守る広島県民会議など主催)と「ヒロシマ憲法集会 マイライフマイ憲法」(同実行委員会主催)が、初めて共同で「憲法集会」を開催できたのは、昨年来の「戦争法反対」の共同行動の積み上げが大きな力となった。

 

安倍政権が、改憲への道を突き進もうとする今、護憲の勢力が力を合わせることなくして、その流れを止めることはできない。その意味からもこの集会は、意義あるものとなった。

 

金子哲夫 (広島県原水禁代表委員・元衆議院議員)

 

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2016年5月 3日 (火)

憲法第99条

憲法第99

 

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憲法記念日ですので、憲法を守ることについて簡単に触れておきたいと思います。憲法遵守の規定は憲法第99条です。条文は次の通りです。

 

99条  天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。

 

ここで使われているのは「尊重」と「擁護」ですが、簡単に「遵守(じゅんしゅ)」とまとめて、「遵守義務」と書くことにしますが、これが大変重い規定であることはお分り頂けると思います。何しろ、天皇にまで憲法遵守義務があるのですから。

 

そうではあるのですが、ちょっと不満です。それはアメリカの大統領が負っている義務と比べると、内容が薄められているような気がするからです。テレビで御覧になったことがあると思いますが、アメリカの大統領就任式では、聖書に手を載せて宣誓をします。そのときの言葉は次の通りです。

 

「アメリカ合衆国の大統領という職務を忠実に執行し、私の能力が許す限りの最大の努力をして、合衆国憲法を維持し、擁護し、防衛することを厳粛に誓います。」

 

憲法についての部分は、「憲法を維持し、擁護し、防衛する」と三つの約束をしています。それぞれの英語は「maintain, protect, defend」です。

 

憲法を「維持」することは今まで通り憲法を変えないということですし、それを保護あるいは擁護するイメージとしては、母親が身体を覆って雨から子供を守るような感じです。そしてdefend とは、攻撃を加える敵に対して、こちらも力を使ったり闘ってでも守るイメージです。法律的には、それぞれ、意味のある言葉のはずですが、イメージとしてはかなり強烈な義務なのです。defendの訳として「防衛」という言葉を使ったのも、これほど強い意味があるのだという点を伝えたかったからです。

 

99条の「尊重」と「擁護」はこれに比べて、かなり緩い義務のように感じられますが、それでも「遵守」という言葉で表現できるだけの義務は課していると思います。

 

問題はそこではなく、憲法で規定している義務が、解釈によって義務ではなくなってしまっている点です。

 

その理由は裁判所がそのような判決を出しているからです。昔、百里基地訴訟と呼ばれる裁判があったのですが、その第一審の判決(1977年、水戸地方裁判所)と控訴審の判決(1981年、東京高等裁判所)での判決では、99条は「法的義務」ではなく「道徳的要請」だということが確定しています。

 

私は法律の専門家ではありませんが、法律的に様々な解釈があるだろうことは分ります。でもそこは専門家、特に憲法学者の皆さんにお任せして、純粋に論理的に話を進めると、憲法を守ることが法的義務ではなく道徳的要請なら、それは憲法の全ての義務に適用されるはずです。となると、特に、30条の「納税の義務」も「道徳的要請」になるはずです。「万歳」と言って良いかどうか分りませんが、税金は払わなくて良くなってしまうのです。

 

ここを出発点にいろいろと議論ができるのですが、それはまたの機会に譲るとして、今日は、「公務員」の皆さんへのお願いという形で終りたいと思います。それは次のようにまとめられます。

 

上の議論をまとめると、解釈によって国務大臣や国会議員、裁判官その他の公務員が憲法を守らなくても良いという判断を下すと、その見返りとしてとんでもないペナルティーが付いてくるということなのです。「公務員」の皆さん、つまり政治的権力を様々なレベルでお持ちの皆さん、憲法を守らない等ということは夢にも思わず、99条をしっかりと遵守する決意を、改めて憲法記念日にはして下さい。

 

改めて憲法を勉強したいとお考えの皆さんにお勧めしているのは宮澤俊義・国分一太郎共著の『新書 わたくしたちの憲法』(有斐閣選書)です。

 

 

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コメント

ずっと不思議に思っていましたが、国民の三大義務の一つとして勤労の義務がありますが、それを具体的に書かれた法律はあるのでしょうか。資産 家で働いていない人は多く、子供も専業主婦もそうですし、高齢者にも働いていない人は多くいます。なんかそれを根拠に徴兵なんて怖いことにならないかが心 配です。

「ケン」様

コメント有難う御座いました。鋭い指摘、大切な点だと思います。

そして、こちらの義務も、99条と同様に「義務を宣明している」に過ぎないと解釈するのが普通らしいです。

でも、敢て「数学的に読む」と銘打って、純粋に論理的にこの義務の解釈をしてみたのてすが、とても興味深い結論に至りました。近い内に、世に問いたいと思っています。

2016年5月 2日 (月)

変なカタカナ語

変なカタカナ語

 

工場長さんのコメントから、カタカナ語への思いが再燃し、いくつか「愚痴」を聞いて頂くまでに発展しました。何故「愚痴」なのかなのですが、カタカナ語の場合、私にとっては「音」も大事だということはコメントでも書きました。そうは言ってもかなり好い加減なところもあるので、「愚痴」のレベルだと考えて頂いた方が良いのかもしれないと思った次第です。

 

まず「コンピュータ」ですが、敢て「コンピューター」と語尾を伸ばして発音しても余り違和感はありません。音としてどっちでも良ければ、書くときには短くした方が節約になるという考え方は合理的だと思えるのですが、如何でしょうか。

 

長音符と呼ばれる「ー」を付けるか付けないかで、「コンピュータ」と同じくらい気になるのが「ドア」と「ドアー」です。「コンピュータ」の場合と違って、こちらは耳で聞いた時の違いがかなりあります。実際に発音して比較してみて下さい。

 

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元々の英語の発音は「dɔ'ːr」です。最後は子音の「r」です。日本語では子音で終ることは原則としてありませんので、耳で聞いた場合「ドア」に近く聞こえるのだと思います。それに対して「ドアー」は母音である「ア」を伸ばしています。発音記号で記すと、「dɔ'ː ɑ'ː」に近くなり、これだと一音節増えてしまいます。その違いのせいで違和感を持つのではないでしょうか。

 

しかも、短い単語ですので、その中で「-」が付くとかなり長く感じます。先日、上京した時に山手線の車内で、「ドアーが開きますので、御注意下さい」といったアナウンスを聞きましたが、間延びしていてあまり注意喚起の意味をなさないような気さえしました。その上、車内の別のところには「非常ドアの開け方」という注意書きがあり、両方使うなら、アナウンスには短い「ドア」の方が良いのにな、と思ったのです。

 

でも「シンガーソングライター」は変だと思いませんし、「ベターハーフ」もそのまま受け止めています。発音記号では「ər」ですので、「door」とは少し違いますが、このあたりの受け止め方の違いについてどなたか、説明して頂けると有難いのですが--。

 

それで思い出すのが、これまた酷い使い方です。皆さん「award」をどう読まれますか。発音をそのままカタカナで書いたとするとどうなるのでしょうか。「アウォード」が一番自然なような気がします。発音記号では「əwˈɔːd」です。これと似た単語が「warm」ですが、「ar」の部分の発音は同じです。

 

award」には、「賞」という意味がありますので、賞の名前として、日本語でも「○○ Award」として固有名詞としても使われます。でもその際のカタカナ表記は「○○アワード」が頻繁に使われています。「アウォード」だと、促音の「ォ」が煩いので、それをさけようとして、「アウード」ではおかしいし「アオード」では、力が抜けるので、妥協して「アワード」になったのではないかと推測しています。

 

「アワード」だけならまだ罪は軽いのですが、「warm」も「ワーム」となってしまいます。これだと「虫」を意味する「worm(「ウワーム」)との違いが分らなくなってしまいます。

 

もっと悲劇的だったのは、ある反戦集会でのシュプレヒコールの場面でした。マイクを握ったリーダーが、「No nukes, no Abe, no war!」と数千人の声をまとめるために呼びかけました。その発音はカタカナ表記だと「ノーニュークス、ノーアベ、ノーワー」だったのです。「ノーウォー」なら力が入るのですが、「ノーワー」では力が抜けてしまいます。

 

こんな悲劇が起るのは、旧仮名遣いを止めてしまったことに原因があるのかもしれません。旧仮名では「ワイウエオ」は「ワヰウヱヲ」 でした。これを使えば、「アワード」と無理をしなくても、カタカナ3文字と間に長音符を入れて、「アヲード」で済んだはずですし、発音も「アウォード」とほぼ同じだったのではないでしょうか。

 

細かいことにこだわる悪い癖を持っているのはテレビの中だけではないことの証明になったような気がしていますが、それでも、カタカナ表記のおかしさについて、これからも続けます。御寛恕のほどお願い申し上げます。

 

 

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コメント

オーストラリア人の喋る英語は全く理解できません。
どうなっているでしょうか?

旧仮名遣い、なるほどと思いました。

それから、ニューヨーク行きの切符を買うのに「To NewYork」と言うと切符が2枚出てきたので「For NewYork」と言うと4枚出てきて「えーと…」と悩んでいると8枚出てきた、という笑い話も思い出しました。

音を中心に考えられたのがジョン万次郎の英語だと思いますが、Siriに話しかけてみて下手なカタカナ英語よりずっと通じることに驚きました。

それにしても、人間の耳(脳)が優秀なだけに、自国の発音にない言葉は補正されてしまうので聞くことができず、結果、発音もできないようです。英語ではRとLが区別できない代表格ですが、韓国語でも「ん」が3種類もあり、日本人に区別することは殆ど不可能で、成人は、いずれも口の形で覚えるしかないようですね。

「宇品灯台」様

コメント有難う御座いました。オーストラリア人の英語が分らない人の数はかなり多いようです。でも、それも慣れれば問題はないようです。

「工場長」様

コメント有難う御座いました。

10代の前半くらいまでなら、外国に住んでその国の言葉の発音を脳が処理できるようですね。もっともそれより若い時だと、その後の再学習でその能力は失われてしまうということもあるようです。

ヨーロッパでは、小さい時から数か国語を並行して学ぶことで、マルチリンガルになっている人がかなりいるようです。

口の形を読むのも難しいですし、それを自分の口で再現するのは不可能に近いのかもしれません。

口の中の部位の使い方が違うから、英語の発音をカタカナにするには、さて、どうだろうかと悩みますね。
例えば、HIROSHIMを日本人が発音してカタカナにすれば、「ヒロシマ」と書くとおもいますが、
アメリカ人の発音を聞いてカタカナで書けば「ヒロシーマ」となるように感じます。
TOKYOも、日本人なら「トウキョウ」ですが、オリンピックの開催地が決まった時の発音は、「トキョ」に聞こえました。
わかりにくい時には、iPhoneで発音をひらがな入力すれば、英単語がでてきますからでてきたらOKとしています。
記事の内容と異なりますが、カタカナは日本人の最高の発明?だそうですね。
カタカナという文字があることで、どんな言葉も日本語にできますから。
漢字だけの中国は、漢字の意味と外国語が合うようにかなりの工夫が必要なようですが、日本はカタカナであることで文字の意味を考慮する必要がないですからね。

「やんじ」様

コメント有難う御座いました。外国語の単語を発音するとき、特に固有名詞の場合、その国の言葉の中でそれなりに自然に聞こえるくらい変ってしまうことに、お互い寛容になる必要があるのではないかと思っています。

でも、とても困るのが日中関係です。

日本の地名を中国語で書いたり読んだりすると、漢字も中国流、発音も中国流で、中国語で書かれたり言われたりしても、それが何なのか分らないことが多いのです。

例えば「秋葉原」ですが、中国語の表記は「秋叶原」です。これ「秋葉原」のことだよと言われるとようやく分ります。発音は「チィゥイェユェン」だそうですが、これは全く分りません。

逆に、日本でも同じことをしています。「重庆」が中国表記です、発音は「チョンチン」ですが、日本語では「重慶」、発音は「ジュウケイ」になってしまいます。

うまい解決方があると良いのですが。

一番ワケがわからんと思うのがお経です。
日本語化されているものもありますが、多くは原語でもなく中国語訳されたものを日本語読みするという、どこの国の言葉でもない意味不明の呪文です。
どうしてこんなことになったのか何人かのお坊さんに聞いてみましたが「そう言われればそうですね」と明確な答えはありませんでした。

「ドクター」様

コメント有難う御座いました。おっしゃる通りですね。どなたか、絵解きをして頂けると有難いのですが--。

何とか意味の分るのは、庶民の立場を考えて親鸞聖人が採用した「南無阿弥陀仏」それから、日蓮上人の「南無妙法蓮華経」くらいでしょうか。「南無」が「おすがりします」とか「帰依します」の意味であることも何となく分かります。

2016年5月 1日 (日)

修学旅行生の案内

こどもの日にはまだ数日ありますが、私たちが社会に働き掛けより良い明日を創り出したいと努力しているのは、子どもたちのためです。特にヒロシマは、子どもたちを大切にしてきました。修学旅行生に優しい平和公園の大切な支え手は、子どもたちを案内し真実を伝えるボランティアの皆さんです。

 

 

今日は、その一人として活動を続け、反原発の市民団体である「原発はごめんだヒロシマ市民の会」の代表としても、存在感ある発言を続けてきた木原省治さんの寄稿です。

 

 

被爆二世の木原さんは、御自分のブログ省ちゃんの前向き語り」でも、ユニークな発言を続けています。今回は、そのブログの4月27日の記事をこちらにも使わせて頂いています。

 

     

 

修学旅行生の案内

160421

雨の日の平和公園

 

 

平和公園は、外国人が多いですね。そして、これからは修学旅行生の多い季節です。特に中学生が多いように思います。昨日はチェルノブイリディの座り込みが原爆慰霊碑前で行われたのですが、その時もたくさん見かけました。

 

この季節、修学旅行生に原爆のつめ跡というか慰霊碑案内をさせられることが多いのです。僕はまだ少ない方ですが、今日の午後が今シーズンの最初です。岡山県の中学生で、三十数人を4人で案内するので一人の受け持ちは8人程度です。来月は今のところ2回ほど予定が入っています。

 

これまでも何度かやっているのですが、中学生の案内というのは、それなりに気を使うものです。そもそも自分から好きこのんで広島市に来た訳ではないでしょうし、原爆のことを勉強したいという生徒は稀だと思いますし、何よりも楽しいことではありませんから。そして案内時間は多くて2時間くらい今日は1時間で、これは案内役にとってはとても難しいものです。

 

この時間に中学生と最低限でも感じの良い人間関係を築き、大人になった時に「あー中学校の修学旅行で広島へ行った時、変なおじさんが話したなあー」ということを懐かしく思いだして欲しいと思うと、大人に話すより緊張するかも知れませんね。

 

ボランティアで平和公園のガイドをしている知人に電話をして、改めて平和公園ガイドの1~2時間ではどういうコースを選ぶかなどを、現地で事前学習させてもらいました。

 

今はレストハウスになっている、原爆当時は「燃料会館」だった建物は平和公園内では珍しい被爆建物です。頑丈なコンクリート建物だったために半壊にとどまったそうです。この「燃料会館」の地下室には許可を得れば入れるということで、許可を得ておきました。

 

話し・見学・そして出来れば折り紙で鶴でも作ってみて、71年前をほんの少しでも想像して欲しいものです。もちろん両親のことや原爆後の暮らしなど、親の「生きざま、死にざま」についても話すつもりです。しかし、嫌味たらしくなく、誇張することなく、淡々と、分かりやすく、何よりも「みんなと会えたことが嬉しい」という気持ちでやってみます。そして、短い時間ですが広島で得た経験、感じたことを今の世界に、日本のこれからに、生徒同士の人間関係の中でどう生かしていくかということを、感じて欲しいのですがね。

 

大人を案内する時、「中学生の時に平和公園に来て、それ以来はこの度が初めてなのですよ」という方も多いのです。何十年前?のことをリアルに覚えていると、それが気持ち良いプレッシャーにもしたいのですが。外は雨ですね。

 

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