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2016年5月14日 (土)

「目標」リスト その2――「核兵器を廃絶する」

「目標」リスト その2――「核兵器を廃絶する」

 

1954年--核兵器を廃絶する

 

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195431日、ビキニ環礁での水爆実験

キャッスル・ブラボー

 

ビキニの水爆実験によって、その近くで操業していた第五福竜丸が被曝し、その後、無線長の久保山愛吉さんが亡くなりましたが、放射線で汚染されたマグロが大問題になりました。杉並の主婦たちが始めた運動が全国に広がり、原水爆禁止運動として、翌年の1955年には第一回の世界大会が開かれています。

 

第五福竜丸が被曝した原因となった核実験を禁止せよ、という声が大きく取り上げられましたが、同時に全ての核兵器を禁止すべきだという強い意思も生まれました。

 

ちょうどこの頃、日本は大きく変わりつつあったのです。その2年前の1952年に、日本は独立し、それまで国内の報道を縛っていた「プレス・コード」と呼ばれた検閲制度も廃止になったからでもあります。その「プレス・コード」は特に原爆関係の情報には厳しく適用され、例えば広島市内でも原爆についての情報が規制され被爆者にも何が起きているのか十分には伝えられていませんでした。「空白の10年」とも言われたこの期間に、行政、特に国の手が全く差し伸べられていなかったことがその理由の一つですが、同時に情報が規制され、被爆者も普通の市民も、何も分らない状態に置かれていたことももう一つの大きな理由です。

 

知らされないどころか、嘘の情報をばら撒かれたケースもあるのです。例えば、胎内被爆--母親のお腹の中で、16週から25週くらいのときに高放射線量を浴びた場合、知的障害児の誕生頻度が高くなるという事実は、原爆傷害調査委員会(ABCC)の研究者は知っており、論文まで発表されていたにもかかわらず、これらの子どもたちの母親には「栄養不足が原因」といった虚偽の説明をしていたことが知られています。

 

しかし、1952年からは、検閲制度がなくなり、原爆についての情報も日本全国に伝わるようになりました。その一環として、原爆をテーマにした映画も作られました。特に『原爆の子』(新藤兼人監督・長田新氏編の『原爆の子』の映画化、1952)と『ひろしま』(関根秀雄監督・日教組プロ製作、1953)が有名ですが、私は、学校の団体鑑賞でこれらの映画を見ることが出来ました。

 

同級生も皆同じようにショックを受けたのですが、原爆のシーンが頭を離れず、私は2日間、学校を休みました。2歳半のときの空襲の記憶とも重なったために、ショックは増幅されたのだと思います。この「恐ろしい」という気持と、第五福竜丸事件の衝撃とが重なって、こんなに恐ろしいことを絶対に繰り返してはいけないとも思うようになりました。

 

その時点では、「核兵器の廃絶」という表現でその気持を伝えるまでにはなっていないのですが、子ども心に感じたことを短く、端的に表せば、「核兵器を廃絶する」になります。それも当時の感覚では「夢」なのですが、時間の経過と共に「被爆者の生きている間に」という有限時間の「目標」になりました。

 

この目標はまだ達成されていません。

 

次回は、

1960年--被爆の実相と被爆者のメッセージを伝える

を取り上げます。

 

[凡例]

 下線を引いてあるのは、未達成

 ○印は進行中

 ☑は実現済み

 

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