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2016年4月24日 (日)

被爆者はどこにいても被爆者

被爆者はどこにいても被爆者

郭貴勲・回想録

 

思いもかけない本を贈呈していただいた。「お世話になった金子さんには必ず渡してください」の伝言を添えて。

 

                   Photo_3                          郭貴勲・回想録

 

韓国人被爆者・郭貴勲さん(現在91歳)が、2013年に著された「私は、韓国人被爆者だ」を翻訳し、郭さん自身が日本語で加筆・修正された「被爆者はどこにいても被爆者―郭貴君・回想録」である。

 

在外被爆者問題に関心を持つ人ならだれもが知っている郭貴勲さんが、自らの人生を綴られたものである。

 

まだ本を全部は読んでいないので、その感想を語ることはできない。

しかし、早く紹介したいので、本に同封された「贈呈のご挨拶」の中からいくつか引用してみたい。

「韓国被爆者のみならず海外に住み日系人被爆者への援護を実現させた郭貴勲さん」

「日本が植民地支配した朝鮮半島から徴兵され1945年8月6日広島で被爆し、大やけどを負った末に助かった郭さん」

「帰国後、教育者の道を歩み、1967年の韓国原爆被爆者協会の創設に参画、日韓両政府から置き去りにされた同胞の救援につとめた郭さん」

「半生を懸けた取り組みは、『被爆者はどこにいても被爆者』と自ら原告となって日本の司法に訴え2002年被爆者援護法の適用を勝ち取った郭さん」

でもその真骨頂は、「なぜ原爆に会わなければならなかったのか、どんな思いで生きてきたのか」「日本と韓国の和解にはお互い何が大切なのか」が率直な言葉で綴られていることである。

「未来に向けて忘れてはならない日韓の歴史が記録されている」

 

この挨拶文を読むだけで郭さんの思いが伝わってくる。

 

私と郭さんの出会いは、在外被爆者にも援護法適用を求めた郭貴勲さんの裁判を支援する活動であった。大阪地裁、大阪高裁で判決が出されたその時期、国会内で「在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会」を作り、その事務局長として一緒のがんばり、上告断念を勝ち取ってことは今でも忘れられない。というより、私の短い議員活動の中でも、もっとも「頑張ったな」と言える活動の一つであるだけに郭貴勲さんとの出会いは忘れることができない。

  

Photo_4   

                                Photo_5


「被爆者はどこにいても被爆者」

郭貴勲さんの名言である。どれだけ多くの在外被爆者が救われたことか。

 

目次を見ると私の知らない郭さんの姿が次々と現れる。

 

これからじっくりと時間をかけて読みたいと思う。

 

郭貴勲さん、ありがとうございます。

 

またこの夏も元気な姿で、原水禁大会に参加してください。

 

お会いするのが楽しみです。

 

金子哲夫 (広島県原水禁代表委員・元衆議院議院)


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