2019年5月25日 (土)

大野のイタリアン Miya

30年ほど前に戻って、当時の衆議院選挙で「広島一区」は大竹から大野宮島も入っていました。寒い冬の夜、一日の選挙活動を終えて、選挙カーが大野の辺りまで戻ると、海沿いのこ洒落たレストランがどうしても目に入ります。疲れから解放されたい気持が大きかったせいだろうと思いますが、いつかゆっくりと、こんなレストランで食事が出来たらと、車中の全員の思いが一致したこともありました。

その後、何度かその夢を実現させようと試みたこともあったのですが、満席だったりお休みだったりして、とうとう今までお預けになっていました。ここ数日、海が恋しくなってきていたせいもあって、思い切って大野まで足を延ばしました。

ブログを再開してからまだエンジンが不完全にしか動いていない状態で、ブログにアップするための写真を撮ることまで頭が回りません。レストランMiyaの外観は、ホームページからお借りしました。

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中に入ってすぐ気付いたのが、緑の多いことでした。そして耳にはジャズ。外はもちろん瀬戸内海と宮島です。

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メニューでまず目に付いたのは、「アサリのワイン蒸し」です。宮島や大野の名産として名高いのはアナゴそしてアサリ。注文しない手はありません。

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この日は、家人も私も何かと忙しく、しかも残念なことに懸案の一つが未解決で達成感も持てなかったため、余り食欲がありませんでした。でも締めのアワビのスパゲッティ・ジェノベーゼは、期待を裏切らない素晴らしさでした。

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次にMiyaを訪れるのに、30年は掛らないと思いますが、30年待った甲斐はありました。帰路に就く頃には、海の向こうの船には灯がともり始めていたのですが、船でのディナーも良いかもしれないと話しながら、Miyaの余韻を楽しむことが出来ました。

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[2019/5/25 イライザ]

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2019年5月24日 (金)

クリーネックス人生論 (2)

前回は、車好きの友人Y君が還暦を迎えたときに呟いた、「死ぬまでにあと何台自分の車に乗れるのだろう」から、年を取るに従って私たちの思考のパターンが変ってくることを指摘しました。

それ以上に切実なのは、年金生活になると、毎月の「入り」は決っていますし、年金が減ることはあっても増えることはまずないという過酷な現実です。その結果、年金の範囲での生活をしなくてはならない、という枠組みに縛られます。

それと同一線上の想像力が働いたのだと思いますが、花粉症で苦しんでいたときに何枚も使うクリーネックスにイライラしていました。

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先ずは、箱を開けて最初に取る一枚は、いつも一枚ではなく、二枚一緒に出てくるのです。これを防ぐ方法もあるらしいのですが、試しても上手くは行きませんでした。そして暫らくは、スムーズに一枚ずつクリーネックスが出てきます。花粉が酷いときには、鼻の下がヒリヒリしてくるほどの枚数を使いますので、通常のものではなく湿り気を含んだクリーネックスに変えることもあります。

そして、箱の中に残っている枚数が少なくなると、一枚だけ取ろうとしても上手く行かず、箱も一緒に付いてきてしまいますので、両手を使わないと一枚が取れないことにもなります。そして、あと何枚残っているのかを考えながら使わないと、夜になって突然花粉対策が必要なときには、もう一枚も残っていないような状況になります。

あと何台自分の車に、という発想と同じように、一枚ずつ少なくなって行くクリーネックスの箱って、毎年、死に向かって生きて行く私たちと同じではないかと、ふとこの二つがつながりました。人間の命には限りがあるのですから、有限の量を持つどんな喩えを使っても同じような感慨を催すことになるはずですが、「塵も積もれば山になる」の逆も真であることを、クリーネックスから感じることになったのは意外でした。

若い頃には、自分の人生がやがては終ることなど、頭では分っていても現実としては、「無限」の彼方の可能性でした。年取って、それがより近い現実になったということだけなのかもしれませんが、その結果、毎日そして毎時間をより大切にしたいと思うようになったのも年を重ねてきたからなのかもしれません。

薄っぺらな人生論になりましたが、それも、考えてみるまでもなく無理のないことでした。薄い紙をモデルにした人生論なのですから--。

 [2019/5/14 イライザ]

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2019年5月23日 (木)

クリーネックス人生論 (1) ――年とともに視点は変る――

もう二年近く前になりますが、特定の商品名が一般名として通用するようになった例をいくつかあげました。エスカレーターやシャープペンシルなどですが、「クリーネックス」もその一つです。最近は「クリネックス」と書くようですが、私の世代が初めて、「クリーネックス」に出会った時は、長音記号の「ー」は、付いていたのです。その方が実際の発音に近いと思います。

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商品名を使わざるを得なかったのには合理的な理由があります。それ以外、良い名前がなかったからです。まず、クリーネックスを説明すると、例えば次のようになります。

「チリ紙を折りたたみ、箱に入れて、上部の開口部から引っ張ると一枚ずつチリ紙が出てくるように細工された、チリ紙の束--また、その一枚一枚のちり紙を指すこともある」

こ令和を短く分り易く簡単な日本語に置き換えることはまず不可能ですので、結局「クリーネックス」になったのでしょう。

ついでにもう一つ。最近では一般名として使われるようになった「ティシュー」あるいは「ティシュー・ペーパー」ですが、この単語の元々の意味は、「薄紙」です。良く目にしたのは、デパートなど高級店で買い物をすると、商品をまず薄い紙で包んで、それを店の包装紙で包むということをしてくれますが、その薄い紙が「ティシュー」または「ティシュー・ペーパー」の典型です。私は、「ティシュー」をこちらの意味で最初に覚えました。

前置きが長くなりましたが、「クリーネックス」に出会った頃は、「クリーネックス」を通して人生を考えることなど想像さえできませんでした。それは、車に付いても同じです。「クリーネックス」や「コカ・コーラ」、「ハリウッド」や「ハワイ」、そして「車」はアメリカの豊かさの象徴でした。いつか自分も、「自家用車」を持てるようになりたい、「ハワイ」に行ってみたいといったことが若い頃の私たちの夢でした。

経済成長の時代が訪れ、私たちの夢は実現しました。車も持てるようになり、ハワイ旅行も夢ではなくなました。それとともに私たちの世代が年を取ってきたことも、自然の摂理として避けられないことでした。車好きの同級生Y君が、還暦を迎えたときに呟いた「死ぬまでにあと何台自分の車に乗れるのかなァ~~」には驚きましたが、彼は私たちの仲間内でも、ませていたのかもしれませんし、それ以上に先見の明があったと言った方が良いように思います。最近になって、現実の選択肢として、この問を思い浮べています。

そしてY君は、還暦を迎えてから2年に一度くらいの割合で新しい車に乗っている感じですから、もう10台近くは乗り換えたことになります。

良い調子で書き綴っている内に、長くなってしまいました。この続きは次回に回します。お楽しみに。

 [2019/5/23 イライザ]

 

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2019年5月22日 (水)

積水ハウス20年メンテナンス訪問

もう3月前になりますが、積水ハウスから、築後20年になるので、「今後のメンテナンス方法等をご説明致します」ので、希望の訪問日を決めて欲しいという手紙が来ました。

実は2年ほど前にも、引き戸が重くなったときに大変迅速かつ親切に対応してくれましたので、今回も楽しみにしていました。

訪問日には、以前お世話になったTさんの他に2人が加わって、合計3人で対応してくれました。まずは、屋根と外壁の検査ですが、二階家の屋根まで届く三脚持参で屋根と外壁を丁寧に見てくれました。三階建てならこの三脚で十分届くそうです。

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人影が反射してしまっていますが、屋根の映像も御覧頂けると思います。かなり近くでチェックするのと同じです。

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屋内のチェックは、水回りを中心にして貰いました。写真を撮るのはそのためでもあります。

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今回は、引き戸も少し重くなってはいたのですが、それに加えて、一月くらい前から居間の床がギシギシ鳴り出して、ちょっと気になっていました。今回は、その対策もして貰えるだろうと期待していました。すぐ床下に潜って、問題点の診断をしてくれました。

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床下からは、どこがギシギシなっているのか分りませんので、もう一人の積水の社員にその部分に立って床を踏んで貰い、実際に音を出して貰いました。

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有り難かったのは、ギシギシとなる音が完全に解消されたことです。床が少し浮いていた部分にクサビを打ち込んでくれたそうです。もう一つ、耐震のために本棚の上に突っ張り器具を設置したのですが、その結果、壁と天井の間に隙間ができてしまいました。その部分も簡単に、コーキングをしてくれました。流石はプロの仕事です。手早くきれいに仕上げてくれました。

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これから家を建てる予定もないのに、こんなことを言って良いのかどうかと迷いはしますが、家を建てるならアフターサービスの良い、そして住んでいて快適な積水ハウスをお勧めします。

 [2019/5/22 イライザ]

 

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2019年5月21日 (火)

みんなで筋肉体操 ――これならできそうです――

ある夜更け、家人が面白そうなテレビ番組を見ています。「みんなで筋肉体操」という再放送だったようで、あちこちで話題になっているとのこと。しばらく見ていて、「これならできそうだ」と思いました。

一つには、画面に登場するのが男性ばかりであること。ラジオ体操やテレビ体操は何故か女性が3人くらい出て来て体操のお手本をしてくるのですが、体が柔らかいせいでしょうか、見ているとあまりにも簡単そうで一緒に体を動かす気になれないことが多いのです。

でも男性が筋肉を使って動いている画面には自然に引きつられて、こちらも体を動かしたいという雰囲気が自然に醸し出されていたのです。長さも5分くらいでちょうど良さそうですので、次の日から定期的にと思ったのですが、番組表には出ていません。

ネットで調べると、その日の番組は、たまたま行われていた再放送で次の再放送の予定も決まっていないとのことでした。では、YouTubeでと調べてみると、ありました。

でも、パソコンの前で筋肉運動は無理そうです。何とかならないかと考えるうちに、AmazonのFireTVを使えば、YouTubeが見られることに気付きました。早速、居間にある液晶テレビにブラウザをダウンロードして、YouTubeを開き、「みんなで筋肉体操」の画面に行き着きました。

最初の番組は腹筋でした。フルレンジ・ノンロック・クランチと言って、下にタオルを敷いて、手を前に上げ、身体を起す体操です。これはいつも腹筋の運動として繰り返しているのとそれほど変りません。

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次は、椅子に浅く座って、足を大きく上に上げる運動です。画面を見て頂くのが手っ取り早いと思います。

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インストラクターの谷本道哉近畿大学准教授は、「きゅっ」と上げて、「あー」と下す、と簡単に言ってその通りのことをしているのですが、体が硬くなってしまっている私には、こんなに高く足を上げることはできません。そう思った瞬間、次の画面になりました。

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足がそこまで上がらなくても、上げられる高さでOKだという親切な画像です。体の硬い高齢者も多く見ているということでしょう。これなら続けられそうです。

そう言えば、ホームページには、「「みんなで筋肉体操」は番組で筋トレを実践する出演者(筋肉アシスタント)を募集します」というお知らせもありました。何回か続けて、効果が現れたら、応募してみても良いいかもしれません。「あげられる高さで行えばOK」の画面のモデルとして採用して貰えるかもしれません。

 [2019/5/19 イライザ]

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2019年5月20日 (月)

炒り卵 ――同じお題で書きましょう――

「玉子料理」と聞くとすぐ思い出すのが、小学校の5年か6年のときの家庭科の時間です。まだまだ戦後の貧しさが残っていて、食べ物も不足がちなときでした。もちろん、卵も貴重でした。

家庭科の時間に教わったのは、炒り卵の作り方でした。普通の卵焼きとは違って、フライパンに溶いた卵を落してからお箸で素早く掻き回して、小さい粒状の卵焼きに仕立てるのですが、とにかく先生のお手本通りに作ってみました。

ずいぶん昔のことですので、記憶があやふやになっているのですが、出来上がった炒り卵にとてもガッカリしたのは良く覚えています。普通の卵焼きの量よりはるかに少ない量の卵焼きになってしまったからです。

普通の卵焼きなら、フライパンの底に沿って、薄い皮状に焼けるので、フライパン一杯の卵焼きなのですが、炒り卵は、丸い粒状になってしまってそれもほんの少し真ん中辺りに盛り上がっているので、量が少なく見えたのだと思います。

それがトラウマになったせいかもしれませんが、それから長い間炒り卵を作ったことはありません。

このテーマで「炒り卵」を思い出しましたので、今でも本当に量が少なく見えるのか実験してみました。誰でもできることですので、写真を撮ることもないのですが、折角ですのでアップします。まずは卵を割るところから。

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続いて掻き回します。手元がおぼつかない所まで良く写っています。

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それをフライパンに流し込みます。

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固まらない内に粒状にしなくてはならないので、お箸を高速で動かしています。

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何とか出来上がりましたが、昔ほど「量が減った」という感じがしないのは不思議です。小さい粒にならなかったのが原因かもしれません。

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お皿に移して、ビールのつまみになりました。

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 [2019/5/20 イライザ]

 

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コメント

参加ありがとうございます。

こげずに、真っ黄色で美味しそうですよ。
粒々なので、1度に沢山箸ではつまめず
おつまみにいいですね。今度やりますw

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。料理は不得意なのですが、そして炒り卵は料理の中には入らないとは思いますが、それでも褒めて頂けると嬉しいです。

酒のつまみの料理レシピ―の本も買ったことはあるのですが、難しくて自分では手が出ませんでした。炒り卵が丁度良いようです。

 

 

2019年5月19日 (日)

死刑制度 (4) ――被害者――

これまで、死刑制度について、憲法がどう判断しているのかを検証する準備として、世論や国際比較といった背景を見てきました。しかしながら、犯罪の被害者の視点を抜きにして死刑制度は論じられません。今回は、そこに焦点を合せます。

《死刑しかない》

かつて毎日新聞の社会部記者として数々の事件を取材し、また警視庁キャップとして勇名を馳せた友人A氏から聞いた忘れられない一言があります。「自分は死刑制度は廃止されるべきだと信じている。でも、たくさんの犯罪者を取材する中で、こいつは死刑になっても仕方がない、それ以外の選択は考えられないと言いたくなるくらい悪い奴のいることも事実なんだ。」私の何倍もの幅広さで社会を見てきたであろうA氏の感想に私は返す言葉もありませんでした。

事件記者としての情熱だけではなく、様々な事件の背景等についても冷静に分析ができ、人間的な優しさも持ち合わせているA氏でも、こんな思いに駆られることがあるのは、それほど死刑の正当性が社会に浸透しているからなのだと思います。そして、このA氏の頭に、死刑の可能性がある意味自然に浮かぶこと自体、死刑という制度の廃止と存続との間の線引きが難しいことを示しているのではないかと思います。

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確かに、子どもを殺された親の気持は私たちの魂を揺さぶります。共に泣き嘆き糾弾したい気持になるのも情のなせる業かもしれません。内閣府のホームページにあった、息子さんを失った一人の母、尾松智子さんの言葉です。

初公判が八月四日と決まりました。口を二度と利くことの出来ない信吾、無念の中で命を奪われてしまった信吾のために、私に出来るたった一つのこと、それはこうやって裁判を進めていただく関係者の方々に、許されれば私共の今の気持ちを伝えさせていただくこと、それが精一杯のことです。

加害者の一人が、「生きているのが辛い。」と私共に手紙の中で述べておりました。辛いと感じる命があなたにはあるし、もう一度社会を歩んでいけるチャンスが命ある限り訪れることでしょう。正直なところどんな言葉も私共には響くことはありません。罪の無い人間の命が奪われたのに、どうして罪を犯した人間がこの世に生きているのでしょう。私共は出来ることなら、許されることなら、四人の加害者に、信吾と同じ状況下で、信吾の受けた痛みや苦しみを同じように体験して欲しい。そして私たちが生きている限り、加害者の命がある限り、この社会には出てきて欲しくはない。出来ることなら極刑に処して欲しい。そう願わずにはおれません。信吾や私たちの受けた、又これからも受け続けなければならない、精神的ストレス、そして苦しみを、この四人の加害者に与えたい。それが出来るのは、極刑、死刑しかない、そう考えています。

生きている限り、加害者と言えども、その人の人権が守られることでしょう。しかし命が無くなった信吾の人権は一体どうなったのでしょう。こんなに悲しいことがあるでしょうか。命は二度と取り返すことが出来ません。犯した罪は本当に償うことが出来るのでしょうか。命有るものに対し行った残虐な行為。与えた精神的な苦痛。罪の無い人の命まで奪ったと言う事実に対し、取り返しがつかないことなのだと厳しく厳しく法の下、裁き追求していただくことを心からお願い申し上げます。

 

真正面から受け止めなくてはならない、でも受け止めることさえ難しい言葉です。ではどうすれば良いのでしょうか。簡単な解決策はないのですが、これまでの人類史を振り返ると、数えきれないほど多くの人が悲劇に遭遇し、悲しみ嘆き、持って行きどころのない気持を抱えながら生き続けてきています。そうした多くの人たちの経験の積み重ねから、私たちが学び取ることはできないのでしょうか。

例えばほとんどの宗教は、悲劇に遭遇した人々とともに存在してきました。芸術を通して悲しみが癒されることもあったはずです。そして、社会制度としての法的な枠組みにも、長い間、人類が歩んできた経験から学び未来を拓くための知恵が込められています。憲法の97条には、簡単ではありますが、人類の歩みが記されています。基本的人権の中には、「幸福追求の権利」も含まれています。抽象的なレベルでは、尾松さんに応えることにはならないと思います。それでも法治国家としてのわが国では、このような難しい問題についても憲法を元にして考えて行く必要があります。

この点については7月に法政大学出版局から刊行予定の『天皇と憲法――数学書として憲法を読む――』をお読み下さい。憲法を、あるがままに読むとどのような結論に至るのかを詳しく論じています。

しかしながら、死刑についての憲法の考え方を理解したからといって、殺人によって愛する家族を奪われた遺族の気持が自動的に癒されることにはならないでしょう。

ようやく社会的な関心も、この面に向けられるようになり、国も重い腰を上げることになりました。救済のための国の施策は始まったばかりですが、主に二つあります。経済的な支援策としては「犯罪被害者給付制度」があり、精神的社会的支援については「犯罪被害者等基本法」があるのですが、被爆者援護法と同じように、運用面でさらなる工夫も必要ですし、制度的・法的な拡充も必要でしょう。また、法律面だけではなく、より包括的な支援システムが必要なことは言うまでもないと思います。

そして、広島・長崎の被爆者たちの歩んできた道からも社会全体として教訓を汲み取り、苦しい悲しい運命を背負わされた犯罪被害者やその遺族たちのために役立てることも可能なのではないかと思います。その視点から被爆体験を生かすための調査や研究の行われることを期待しています。

[2019/5/19 イライザ]

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2019年5月18日 (土)

死刑制度 (3) ――冤罪――

Court  

 《冤罪》

これまで、死刑制度について、様々な問題点について検討してきましたが、もう一点大切なことがあります。刑罰の中で何よりも避けなくてはならないものは、罪のない人に与える刑罰、つまり「冤罪」です。中でも冤罪によって死刑を執行された人は、永遠に生き返ることがないのですから、究極の「残虐」さを持つ犯罪だと断定できます。そして冤罪による死刑の宣告が実際にあったことは、後に長く苦しい時間を経て無罪判決が出たにしろ、四大死刑冤罪事件(免田事件、財田川事件、松山事件、島田事件)をみることだけでも明らかです。

死刑判決は受けなかったけれど、服役しながら冤罪を訴え、その結果無実が証明された例はかなりあるのですが、それは、冤罪だということを本人が一番良く分っていて、その本人が熱心に訴えを続けたために裁判所も最後には動かざるを得なかったからだと考えられます。死刑を執行されてしまってから、真犯人が分り冤罪であることの証明がされたりするケースはほとんどあませんが、それは、一番の当事者である本人がこの世にいないこと、従って、本人があくまでも「冤罪」であることを訴え続けることさえできなくなった事実、が最大の原因かもしれません。

冤罪によって、罪のない人が死刑に処せられるのは「残虐な刑罰」に相当することは御理解頂けたとして、それは「絶対に」行われてはならいことが36条の規定です。「絶対に」の意味は、「一人の例外もなく」です。この「一人の例外もなく」は、民主主義の理想形で述べた、全ての人が合意しなければ民主政治・国家と言えども人の命を奪うことはできない、という原理に呼応しています。

そして、人間は神ではありませんから、過ちを犯します。その可能性を認めた上で、「ただ一人の例外もなく」冤罪による死刑が起らないようにするためには、死刑そのものを廃止する以外に道はありません。冤罪という視点からも36条は死刑を廃止すべきだと主張しているのです。

[2019/5/18 イライザ]

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2019年5月17日 (金)

死刑制度 (2) ――国際比較――

前回、死刑についての我が国の世論調査で、賛成支持が85パーセントにも上ることが分りました。では、世界に視野を広げるとどのような状況なのでしょうか。

 《死刑制度の概略》

先ず、世界的にどのくらいの国が死刑制度を廃止しているのか、死刑制度が残っているのはどの国なのかを見てみましょう。アムネスティ・インターナショナル日本による資料です。

 

あらゆる犯罪に対して死刑を廃止している国:98

通常の犯罪に対してのみ死刑を廃止している国:7

事実上の死刑廃止国:35

 

法律上、事実上の死刑廃止国の合計:140

存置国:58

 

140対58と、廃止した国の方が圧倒的に多いのですが、日本は存置国の一つです。他の57か国はどんな国なのでしょう。これまたアムネスティの資料です。

アフガニスタン、アンティグアバーブーダ、バハマ、バーレーン、バングラデシュ、バルバドス、ベラルーシ、ベリーズ、ボツワナ、チャド、中国、コモロ、コンゴ民主共和国、キューバ、ドミニカ、エジプト、赤道ギニア、エチオピア、ガンビア、グアテマラ、ギニア、ガイアナ、インド、インドネシア、イラン、イラク、ジャマイカ、日本、ヨルダン、クウェート、レバノン、レソト、リビア、マレーシア、ナイジェリア、朝鮮民主主義人民共和国、オマーン、パキスタン、パレスチナ自治政府、カタール、セントキッツネビス、セントルシア、セントビンセント・グレナディーン、サウジアラビア、シンガポール、ソマリア、南スーダ ン、スーダン、シリア、台湾、タイ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、アラブ首長国連邦、米国、ベトナム、イエメン、ジンバブエ

この中には韓国が入っていません。韓国では法律上、死刑は残っていますが、1997年以来死刑は執行されておらず、アムネスティは、「事実上の廃止国」と位置付けています。またアメリカは、死刑制度についての管轄権は州にあり、16の州が死刑を廃止しています。

特別の意味がありそうにも思えるのは、存置国と人口の関係です。人口の多い順に国を並べると、①中国②インド③アメリカ④インドネシア⑤ブラジル⑥パキスタン⑦ナイジェリア⑧バングラデシュ⑨ロシア⑩日本ですが、ブラジルは、通常犯罪については廃止していますし、ロシアは、チェチェンを除いて執行停止状態ですので、10か国中8か国が存置していることになります。人口の多い国では死刑が行われる理由があるのかもしれません。この点についての考察を探してみましたが、見付かりませんでした。何方か御存知の方に教えて頂ければ幸いです。

もう一点、法務省が千葉景子大臣の時に設置した「死刑制度のあり方についての勉強会」で日弁連の代表がプレゼンに使った地図を見ると、死刑が残っている国々は、東のアメリカから太平洋を越えてアジア、そしてアフリカまで、かなりきれいな形で帯状に続いています。この地域は気候が良くて、人口の多い国々が集まっているためにこのような地理的分布になったのか、それとは別の理由で、帯状の国々には死刑制度が残っているのか、この点についても御存知の方がいらっしゃれば御教示頂きたいと思います。

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[2019/5/17 イライザ]

 

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2019年5月16日 (木)

死刑制度 (1) ――賛成が85%――

ここ数か月、憲法をあたかも数学書として読む試みを続けてきましたが、その結果が7月頃法政大学出版局から刊行される予定です。

その中で取り上げているトピックの一つが死刑制度なのですが、「数学書として読む」立場からは、憲法が死刑を禁止している、という結論になります。詳細は、7月に出版される小著をお読み頂きたいと思いますが、それまでの間、死刑制度についての背景など考えてみたいと思います。

憲法に明確な規定、例えば「死刑は禁止する」とか「死刑は刑罰として認める」といった明示的な条文があれば、それに従うことになるのですが、そのような明示的な条文はありません。そして、こと死刑のような重大な案件については世論も重要です。そこで我が国の死刑についての世論を見てみましょう。簡単に分るように、グラフで示します。

Photo_102

これは国が行った世論調査の結果です。青が賛成、赤が反対です。賛成が増え、反対が少なくなっている傾向が分ります。

賛成と反対の理由ですが、「廃止派」と「存置派」の考え方を簡潔に整理したものが法務省のホームページに掲載されています。(「死刑制度のあり方についての勉強会」のとりまとめ報告について)

 

死刑制度の存廃に関する主な論拠

 

1 死刑廃止の立場

① 死刑は,野蛮であり残酷であるから廃止すべきである。

② 死刑の廃止は国際的潮流であるので,我が国においても死刑を廃止すべきである。

③ 死刑は,憲法第36条が絶対的に禁止する「残虐な刑罰」に該当する

④ 死刑は,一度執行すると取り返しがつかないから,裁判に誤判の可能性がある以上,死刑は廃止すべきである。

⑤ 死刑に犯罪を抑止する効果があるか否かは疑わしい。

⑥ 犯人には被害者・遺族に被害弁償をさせ,生涯,罪を償わせるべきである

⑦ どんな凶悪な犯罪者であっても更生の可能性はある

 

2 死刑存置の立場

① 人を殺した者は,自らの生命をもって罪を償うべきである。

② 一定の極悪非道な犯人に対しては死刑を科すべきであるとするのが,国民の一般的な法的確信である。

③ 最高裁判所の判例上,死刑は憲法にも適合する刑罰である。

④ 誤判が許されないことは,死刑以外の刑罰についても同様である

⑤ 死刑制度の威嚇力は犯罪抑止に必要である。

⑥ 被害者・遺族の心情からすれば死刑制度は必要である。

⑦ 凶悪な犯罪者による再犯を防止するために死刑が必要である。

 

次回は国際的な比較をしてみたいと思います。世界の多数の国々では、死刑は廃止されているのです。

[2019/5/16 イライザ]

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