2018年1月23日 (火)

『Wishful Thinking』 ――アメリカ流のユーモア――

Wishful Thinking

――アメリカ流のユーモア――

 

タイトルの『Wishful Thinking』は、私の好きな漫画集のタイトルなのですが、短い言葉でニュアンスまで含めてその意味を訳すのはちょっと難しい言葉です。直訳すると「夢想」です。「wishful」とは願いの度合いが大きいこと、つまり、「夢見るような」くらいの意味ですし、「thinking」は想いですから、「夢想」なのですが、この二文字だけで夢のようなことを自分勝手に願っている甘ちゃんの状態まで正確に描けてはいないような気がします。

 

それを、100ページほどの漫画で、自分も同じようなことをしていますよというメッセージとともに笑い飛ばしているのが、デービッド・サイプレス著の『Wishful Thinking』です。

 

                   

Wishful_thinking_20180122_18_18_07

         

コインランドリーでの「夢想」が表紙です

 

100枚ほどの漫画の中で、サイプレスの伝えようとしている「夢想」を一番よく表現しているだろうと思われるのが、第一ページ目の次の一枚です。

 

 

20180122_18_18_49

 

全てが、彼の頭の中の呟きなのですが、その意味をざっと訳しておきましょう。

 

郵便受けが叶えてくれていると好いんだけど~~。もう僕は完全に忘れてしまっている人からの手紙が着いていて、でも彼女は僕のことをずっと忘れられずにいる。もう一度会いたいだって。やがて僕は彼女と恋に落ち、結婚して一生、幸福に暮らすことになる~~~~

 

最近は、「あなたに100万ドルの遺産を贈呈します」のような詐欺メールもあるようですが、付け込まれるのは、この漫画のような「夢想」が結構あるからなのかもしれません。そんな世俗的な考えを捨て去るためには座禅やメディテーションが有効かもしれませんが、それについての漫画もありました。

 

20180122_21_25_09

 

こんな具合に自分を客観視することを教えてくれる漫画です。それもユーモアを通してですので、すんなり呑み込めるのがサイプレス漫画が好きな理由です。

 

 

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2018年1月22日 (月)

「お礼参り」のススメ ――『的外れ』という本を読んで、友達に感謝――


「お礼参り」のススメ

――『的外れ』という本を読んで、友人たちに感謝――

 

「友だちって有り難い」という気持の流れで、最近は会っていない、でも懐かしい多くの友人たちを思い出しました。彼ら/彼女らの共通点は、とても大切なことを教えて貰ったこと、温かいサポートをしてくれたこと、一緒に素晴らしい時を経験したこと等沢山あるのですが、その一人一人に、もう一度きちんと「有難う」という気持を何らかの形で伝えられればと思っています。

 

それが大切なことは今や世界的な常識にもなっているようなのですが、そのことを知ったのは、Eric Barker氏著の『Barking Up the Wrong Tree』という本を読んだからです。邦訳は『残酷過ぎる成功法則』というタイトルで出版されていますが、残念ながら邦訳には、大切なエピソードが入っていません。Barker氏は、自分のサイトhttps://www.bakadesuyo.com/ (バカデスヨ)で、この本だけではなく、最新の学術的な発見等を短い分り易い形で紹介していますので、それもお勧めです。

 

               

Barking_up_the_wrong_tree

             

 

アメリカだけに的を絞ると、米国心理学会の会長を務めたマーティン・セリグマン博士がこの点について『Flourish』という一冊にまとめています。

 

Barking Up the Wrong Tree』に戻って、その中で紹介されているエピソード、それはウォルター・グリーン氏の「お礼参り」なのですが、それを御紹介したいと思います。「お礼参り」は、英語の「gratitude visit」の訳です。「gratitude」は感謝という意味ですし、「visit」は訪問ですから、お礼をするための訪問、つまり「お礼参り」です。

 

最近の使い方では、「刑期を終えて出所したやくざなどが、自分を密告したり、自分に不利な証人となったりした人に、仕返しをすること」の意味の方が当り前に使われていますが、元々の意味は「神仏にかけた願 (がん) が成就した礼に参詣すること。報賽 (ほうさい)」です。しかし、この言葉を新しい意味、つまり、「神頼み」へのお礼ではなく、自分の人生で様々な形でお世話になった「人」に感謝をするという意味で使いたいと思います。

 

グリーン氏は、自ら始めたビジネスを成功させ、1400人の社員がいる企業にまで育ててリタイヤーしました。退職後はゴルフ三昧で過すことも可能だったはずなのですが、彼の選んだのは、自分の人生でお世話になった人々に感謝をすることでした。早速リストを作り、44人の人を選びました。

 

両親は亡くなっていましたが、妻や子どもたちといった家族も入っていますし、メンターやプロテジェ、同僚や主治医等々、28歳から83歳までの幅広い人たちのリストでした。そして彼の感謝の仕方が重要です。

 

まず、一人一人について、何故感謝をするのかを文章にした上で、その一人一人に連絡を取り、面会の約束を取り付けました。連絡を取った段階では、「気は確かか」という返事が戻って来たそうです。そしてアメリカは勿論、遠くはケニヤまで足を延ばし、一人一人に感謝の気持を伝えたのです。さらに、その一人一人から、自分がどのような人間であるのかを正直に評価して貰うことも依頼したとのことでした。それは、誉め言葉を引き出すためではなく、何十年も付き合いのある人たちこそ、自分では気付かない自分の本当の姿を知っているはずだという信念に基づいていました。

 

 

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結局、一年掛けて44人に会い、その時の様子は全て録音したそうです。音声のCDと、その時の写真、そして一年かけての「お礼参り」が自分にとってどんな意味があったのかを文章にして、44人一人一人にさらなるお礼の気持ちを伝えたのだそうです。

 

グリーン氏ほどの経済的余裕はありませんので、その真似をできる人は限られていると思いますが、私も、様々な形でお世話になった先生たち・友人たち・同僚たちに同じような感謝の気持を伝えたいと思いました。一人一人について、お世話になったお礼を文章にまとめて見たいと思っています。その中で、公表しても良いものは、このブログで皆さんにも御紹介させて頂くかもしれません。

 

 

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2018年1月21日 (日)

久し振りの新年会 ――友だちって良いですね――


久し振りの新年会

――友だちって良いですね――

 

遅ればせながら旧友たちとの新年会がありました。久闊を叙しながら、勉強にもなり日頃からの鬱憤も晴らせる有り難い一時は本当に貴重です。一献を傾けながらの食事は大変贅沢だったのですが、写真を撮る時間も惜しいほど話が盛り上がりました。

 

                 

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ほんの一部しか写真に撮れませんでした

 

でも、壁の凧や熊手と神棚に囲まれて、新年の雰囲気も味わうことができました。

 

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酔うほどに足も軽くなり、広島メモリーズに寄ることになりました。ライブのバンドのステージがあり、オールディーズを演奏してくれるお店ですが、フロアに出て踊れるのも魅力です。

 

 

20180121_1_16_07

 

ステージは十分楽しめたのですが、音量が半端ではないことは当然としても、やはりかなりのストレスになりますし、それ以上に喫煙する人が多くて、長時間我慢するのは無理でした。同じようなライブをもう少し静かに聞けて、禁煙の店を御存知の方、教えて頂ければ幸いです。

 

でも、友人たちとの新年会は何よりも楽しく若さを取り戻すことのできた一時でした。

 

 

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2018年1月20日 (土)

「故郷」は相模湖です ――「同じお題で書きましょう」――


「故郷」は相模湖です

――「同じお題で書きましょう」――

 

「故郷」と聞いて、真っ先に頭に浮ぶのは相模湖です。生まれは東京で千葉育ちなのですが、母の故郷、相模湖のイメージが心の底に焼き付いています。

 

                 

Photo

           

 

中央線で、今は相模湖駅になっていますが、当時は与瀬駅だった小さな駅で降り、暑い中、相模湖畔の道を延々と歩いて、もう疲れ切ったところで山に入り、母の兄が継いだ実家に到着したことを覚えています。従兄弟たちと楽しく遊んだことが今でも懐かしいのですが、千葉では見たこともない蚕を飼っていたのが驚きでした。

 

Photo_2

 

家のすぐ近くの崖からは相模湖が良く見えましたし、そこまで行く道端に真っ赤な彼岸花が咲いていたときもありました。

 

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近くの地名や山の名前等も、詩的で、行ったことのない場所でも懐かしさに溢れています。道志川 (当時のNHKドラマ『三太物語』の舞台でした) 、陣馬山、小仏峠、津久井郡、上野原、藤野、大月、吉野等々、昔は平家部落があったと聞いても、「そうだろうな」と思ってしまうような固有名詞ばかりでした。


帰りには、また同じ道を辿って駅まで歩きましたが、「相模湖名物」の「酒饅頭」の美味しさも忘れられません。全国どこにでもあるレシピ―のようですが、私の頭の中では「相模湖名物」で固定されています。

 

そして、まだ幼い頃、最初に相模湖に行った時のことだと思いますが、帰りの汽車は、デッキも連結器の上にまで人が乗っていて満員どころではありませんでした。当然、入口からは乗れません。結局、窓から何とか乗せて貰うことができて、新宿まで、何人かの人の膝や肩に載せて貰って、立錐の余地のないどころか、人と人とが十重二十重に重なったまま新宿に到着した思い出も、強烈に残っています。

 

でも、やはり「故郷」は相模湖です。

 

 

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コメント

参加ありがとうございます。

相模湖は40年くらい前に1回行ったことがあるのですが、たしか
かわいい遊覧船が浮かんでいたように思います。東都観光バス
のバイト添乗員で、小学校の遠足かなんかで行きました。

私は広島県福山市に生まれ育ち
結婚して千葉県にいます。

私にとって瀬戸内の穏やかな海が
「故郷」そんなことを思いました。

1960年代に生まれ、親からも
学校の教師からも戦争の記憶を
焼きつけられながら育ちました。

そんな記憶を忘れないよう
いつも読ませてもらっています(*^_^*)

「⑦パパ」様

コメント有り難う御座いました。

相模湖は、西日本ではほとんど知られていないのではないかと思います。

直接関係はありませんが、あまり知られていないということで思い出した事を一つ。千葉県には自然にできた「湖」はなくて、湖と呼ばれているのは、一般的にはダム湖です。ちなみに一番大きい内水面は「印旛沼」です。こんなこと知っていても役には立ちませんが。

「thumoria」様

コメント有り難う御座いました。また、ブログを読んで下さり有難う御座います。

広島って、素晴らしいところだと思います。その広島、そして瀬戸内を故郷に持つ方々の思いの強さは、東京の「東京広島県人会」の活動やメンバーの多さ、熱心さに良く表れています。カープへの愛も同じことだと思います。

その広島の持つ、平和についての使命も、これからも大切にして下さい。

2018年1月19日 (金)

広島駅で迷子になる ――バス乗り場案内のせい?老化のせい?――


広島駅で迷子になる

――バス乗り場案内のせい?老化のせい?――

 

記憶力が減退しているせいなのかもしれませんが、このところ何回か、駅の「案内図」が不親切だと感じる経験をしました。

 

一つは、JR三ノ宮駅です。新神戸からJR神戸駅まで行きたかったのですが、地下鉄で三ノ宮まで行ってそこからJRに乗り換えるのが良いということは分っていました。さて、JR三ノ宮駅でどの電車に乗り換えるのかで困りました。JR神戸線に乗れば良いところまでは問題なかったのですが、どちら行きに乗れば良いのかが分りません。片方は、西明石行きです。もう片方は、京都行きです。ホームの案内板には、「神戸」という文字が一切見付かりません。神戸が京都と明石の間にあることは知っているのですが、三宮の位置までは、関東の人間には分りません。

 

仕方がないので、取り敢えず入って来た電車に乗り込んで、車内の路線図を見て判断したのですが、遠くから来た人のためには「神戸」という文字がどこかにあっても良いのではと思いました。下の写真は、ネットから拾いましたが、元町と灘とどちらが神戸の方向なのかが分らない人のための案内が、他の場所にも見付からなかったのです。

 

               

Photo

             

 

でも、実際にはそんな案内はどこかにあって、私の視力が落ちてきているために見落としただけなのかも知れません。とにかく事前に調べておくことが解決策だと考えて、この件については忘れていたのですが、広島駅前のバスの案内図を見て、案内板を作る人たちには乗客の立場があまり伝わっていないのかもしれないという可能性もありそうですので、この稿を起すことにしました。

 

最近、広島市内に出るのには基本的に車に依存していますが、JRを使い、その後は路面電車かバスを使うことも多くなりました。今日はバスで、ホテルサンルート広島を目指していました。家人からは24号線のバス、吉島行きに乗るのが一番便利だと聞いていたので、その乗り場を探しました。

 

バス乗り場の前には、大きな案内板が二つありました。その一つのイメージ図です。その時点では、苦労することは考えていなかったので、写真は撮りませんでしたが、大体こんなイメージです。

 

Photo_2

 

「乗り場」と「バス路線」は違うという前提で見れば良かったのですが、これだけ見て早とちりしました。「24」と書いてある乗り場、つまり東郵便局前まで行ったのですが、何か様子が違います。元に戻って良く見ると、もう一つ案内板がありました。それはこんなイメージです。

 

 

Photo_3

 

ホテルの中には、目的のホテルサンルート広島は入っていません。仕方がないので、バスの路線番号を上から辿って、3番乗り場であることを見付けました。でも、もう少し親切な案内があっても良いのでは、というのがそのときの率直な感想です。それは、路線番号別に分けて、○○号線のバスは何番乗り場から乗れる、というリストです。大雑把ですが、イメージとしては次のような感じです。

 

                                               
 

路線番号

 
 

行き先

 
 

主な停車地

 
 

乗り場

 
 

1

 
 

広島へリポート・マリーナホップ

 
 

()

 
 

1

 
 

2

 
 

イオンモール

 
 

()

 
 

16

 
 

2

 
 

県庁

 
 

()

 
 

17

 
 

(数行略)

 
 

 

 
 

 

 
 

 

 
 

24

 
 

吉島

 
 

()

 
 

3

 

 

 

バスを良く利用している人なら、乗り場の番号も知っているでしょうし、そもそも何回か乗っていれば、乗り場番号は知らなくてもそちらに足が向くでしょう。でも、初めて利用する人、それが大人でも子どもでも、誰かに教わるのは恐らく、「○○号線の××行きのバスに乗って、ドコドコ停留所で降りる」ではないでしょうか。私のように迷って、それもつい最近そんな経験をした人以外、乗り場番号まで覚えていてそれを初心者に教えられる人は少ないように思うのですが、如何でしょうか。

 

もっとも、ここで私が経験したことは、個人的に記憶力・視力・判断力の低下が主な原因なのかもしれません。となると次には、我が家に帰れないのは、町の角々に我が家を示す矢印が貼ってないからだと、言い出しかねません。その前触れでないことを祈っています。

 

 

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コメント

いつも24号線に乗っていますが。
平和公園へ案内するときに
3番乗り場のどこかに
「平和公園行きあるいは経由」
と表示があれば
どんなに楽なのかといつも思います。
せめて英語表記も。
バスのなかで
「次は平和公園」、と英語でアナウンスしても
乗れていなくては何の役にも立たないです。

「緩和ケア薬剤師」様

コメント有り難う御座いました。路面電車の停留所の外国語表記には随分前から取り組んでいるのですから、もう少し頑張って欲しいですね。

神戸駅って影薄いですよね。神戸の中心はなんといっても三宮なので、どこに行くにも三宮経由が多くて、神戸駅ってほとんど行ったことがありません。

広島駅の南口のバス乗り場の案内図はとてもわかりにくいですね。
私も以前に経験しました。あの案内をみて乗り場に行き、たまたまそこにいたバスの乗務員さんに尋ねたら、正しい乗り場を教えてくれました。
昔に、会社の先輩に言われたことがあります。
何かの説明をするのなら、その辺にいるおばさんを読んできて説明して理解してもらえないもいけないと。
あの案内図を、広島を知らない人が見て理解できるかといえば、全く理解できないでしょうね。
理解している人しか理解できなのは、案内には不適格ですね。
駅の案内にも、次の駅名だけでなく○○方面という記載も欲しいですね。
広電でいえぼ、宇品港行きの1番と5番を乗り間違える他県の人は少なくないですね。

「影武者」様

コメント有り難う御座いました。

「神戸」という案内はあまり見かけなかったのですが、「新神戸」は致るところにありました。ですから、神戸駅から新神戸駅までは問題なく行けたのですが、「逆は真ならず」でした。

「やんじ」様

コメント有り難う御座いました。

そうなんです。路面電車の宇品港行きも、一番と五番の違いは、知らない人には分りませんね。

そうは言っても、かつて乗ったことのあるニューヨークのバスは、お釣りのない金額ピッタリを払わないと降ろして貰えませんでした。(親切な人が乗っていて、25セント貨幣をくれたので降りられましたが。) それに比べると、少々の不親切は我慢できます。

2018年1月18日 (木)

一太郎からワードへ ――昔の未整理ファイルを整理しています――


一太郎からワードへ

――昔の未整理ファイルを整理しています――

 

今日アップしようと考えていた内容が、既に「タウンNEWS広島 平和大通り」のタイトルに使われていて朝から吃驚したのですが、かなり前に一太郎で作った文書を整理しています。

 

かつて、衆議院議員として活動していた頃、国会での見聞・活動をできる多だけ多くの皆さんに報告するために、週末には、広島市内の街角で一回一時間、計二時間の街頭演説をしていたのですが、その他に、週一回、A4判一枚の『アキバ・ウィークリー』を発行していました。

 

電話のメッセージとして、固定電話に架けて貰えばメッセージを聞いて貰える仕組みにしていました。それに加えて、FAX番号を登録して頂ければ毎週一回、FAXで、このウイークリーをお届けしていました。また、プリントアウトして郵送することも同時に行っていました。その記念すべき第一号です。1992年の130日に収録、そしてFAXでお送りしました。クリックして頂ければ、大きくなります。

 

               

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ずいぶん古臭い手段ばかりですが、1990年の総選挙で、携帯電話を使っていたのは私だけ、その結果、それがニュースになった時代ですから、これでも先端を走っていたのです。

 

ワープロソフトも一太郎のシェアが大きく、使い勝手も悪くはなかった記憶があります。その結果、合計300号以上発行した『アキバ・ウィークリー』は全て一太郎で作り、その後、混乱があったのですが、スタッフの努力で現在保管されている (しかし未整理のままの) ファイルは一太郎文書なのです。

 

ファイルを開いて内容を確認、目次から作り始めていますが、結構時間が掛かります。一太郎ファイルからワード・ファイルへ変換して保存することも同時にしていますが、ワード・ファイルにしてしまうと、文字情報は問題ないのですが、レイアウトが保てず、時間を掛けて段組み設定をしなくてはならないので、それは、また先のことにする積りです。

 

 

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自分で言うのも変なのですが、読み返してみて、やはり現場から一週間毎に書いていた報告には迫力がありますし、今でも新鮮に聞える主張も結構残っています。マスコミ報道は別にあるという前提で書いていますので、その部分を「注」として補えば、若い世代の皆さんにも読んで頂けそうな気がしています。

 

そしてこんな風に、何かに手を付けると必ず仕事が増える、いや、増やす癖はなかなか治りそうもありません。

  

 

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コメント

私が一太郎を使った期間は極短いのですが、ATOKには長い間お世話になりました。

知人によると国交省地方整備局の配布している様式が未だに一太郎で、その知人は変換ソフトで使っているということでした。また、OpenOfficeにはIchitaro Document Filterというプラグインがあり、どの程度様式が保てるのか分かりませんが、徳島県庁は一太郎からワードではなく、OpenOfficeに移行し、更に今はセキュリティー重視でLibraOfficeに移行していると聞いたことがあります。

いずれにしてもアキバ・ウィークリーは価値のあるものだと思いますので、是非ともデジタル・アーカイブとして残して頂きたいと思います。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

御教示有難う御座いました。Open Office のプラグインを試してみます。もう一つ、PDFに変換して残しておくのが良いかもしれません。

2018年1月17日 (水)

勉強するジャーナリストは輝いている ――過去と未来をつなぐ力を実感しました――


勉強するジャーナリストは輝いている

――過去と未来をつなぐ力を実感しました――

 

20178月に開かれた原水禁の世界大会の分科会で、私がかねてから尊敬している元朝日新聞記者の岩垂弘氏が、核兵器禁止条約についてフロアから発言してくれました。この条約が7月に採択された歴史的背景と平和運動の役割についての言葉にも重みがありましたが、この条約についての評価を知るために国会図書館に足を運んで、全国各地で発効されている日刊紙全てに目を通したことにもさらりと触れられました。

 

もう40年近くにもなる付き合いですが、現役を退いた後も、このような努力を続けられていることに敬服すると同時に、大きな感動に包まれました。私は、日頃からマスコミに対しては厳しい批判を続けていますが、それは、若い世代のマスコミ人たちにも、岩垂さんのような偉大なジャーナリスト、さらにはかつて「原爆記者」と呼ばれた多くの広島のジャーナリストたちと同じレベルでの仕事をして欲しいという期待を持っているからです。

 

批判をしながらも、若いジャーナリストたちの中で優れた仕事をしている人たちの頑張りには声援を送ってきましたが、今日は久し振りに、「勉強振り」では先輩たちにも引けは取らないだろうと思える若手のジャーナリストに取材を受けました。仮に、「Aさん」と呼んでおきましょう。

 

 

 

               

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東京から取材に来てくれたAさんとは、プリンスホテルでお会いしました。良い天気で海が綺麗でした。

 

 

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取材の目的や具体的質問については昨年の内にメールで、詳しく丁寧に書かれたものを受け取っていました。それに返信する形で、関連する未公開の資料等もお送りしておきました。

 

送ったものを読んで貰えるだろうとの期待はありましたが、それだけではありませんでした。テーマに関連する拙著もすべて読んでいてくれただけではなく、国会図書館で私の書いた関連論文を調べ、その中でも関連の深いものを読み込んだ上での質問が続いたのです。中には私が忘れていたインタビュー記事もあり、またテーマを語る上では必須のデータをエクセル等の図表、リストとしてしかも見易く色分けして作ってきてくれていましたので、より鮮明に記憶を辿ることができました。

 

Aさんは、岩垂さんや私たちの世代と比べるとはるかに若い世代に属しますが、国会図書館の有効活用という点では、ジャーナリスト魂、研究者魂をしっかり受け継いでくれているようでした。そして、私が記憶の糸を紡ぎながら話している最中、話の腰は折らずに、テーマとは関連のない事柄についてもメモを取り続け、タイミングを見て自分の質問を発してくれました。とてもリラックスして話せましたので、記憶の再生にも役立ちました。そして恐らく「ここは使える」と考えたであろう箇所については、私の記憶だけではなく、それをサポートする「物証」を確かめるというジャーナリストの基本も踏まえてのやり取りでした。

 

特にテレビが問題ですが、最近はあまりにも政府誘導型の言説が多くて、テレビもマスコミも敬遠する日々が続いていましたが、久し振りに、多くを学ぶことのできる報道が生れるであろうとの予感がしています。それは、私たちの世代が経験してきた過去を未来につなぎ、次の世代その先の世代の政治や社会が輝かしいものになる上で、大きな貢献をすることになるだろうと信じています。

 

最後にもう一つ。東京からのお土産として私の大好物である、とらやの羊羹まで頂きました。ことによると、このブログも読んでくれていたのかもしれません。

 

 

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2018年1月16日 (火)

ICANのベアトリス・フィーン事務局長の来広 ――受賞をバネに、厳しい現実を変えるための作戦へ――


ICANのベアトリス・フィーン事務局長の来広

――受賞をバネに、厳しい現実を変えるための作戦へ――

 

核兵器禁止条約実現への貢献が評価されノーベル平和賞を受賞したICAN (核兵器廃絶国際キャンペーン) のベアトリス・フィーン事務局長が、長崎大学から招かれて来日しました。長崎での講演等を終え、15日には広島に足を延ばしてくれました。平和公園・資料館を見学の後、午後には広島の若者との対話集会があり、夜は、核兵器禁止条約のためのヒロシマ共同行動実行委員会の主催で、「核兵器禁止条約の早期発効に向けたNGO意見交換会」が開かれました。

 

核兵器の廃絶をしなくてはならないことは十分理解している人たちの集まりだから、早期発効のため、そして批准をしようとしない国にどう働き掛けるのかを中心に意見交換をするという合意で始まりましたが、それでも様々な思いが飛び交い、元気一杯の集いになりました。

 

                 

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開会前に通訳の小泉直子さんと打ち合わせをするフィーン事務局長(右から二人目)

 

行動優先の意見交換会で最初に披露されたのは、この稿がアップされる16日には、フィーンさんとICANの国際運営委員の川崎さんとが東京で、各党の代表と会い、国会で核兵器禁止条約についての討論を行うよう提言するということでした。

 

「国民に丁寧に説明する」と口だけでは曰わっても (のたまわって)、何もしない安倍総理・安倍政権ですが、日本社会特有の「外圧に弱い」ことまでは克服できていないようですので、正論に反駁はできない可能性がかなりあります。フィーン・川崎両氏に頑張って貰いたいと思います。

 

「討論」の内容は、核兵器禁止条約に日本政府は反対しているが、その姿勢を取るのであれば、最低限、この条約に参加する場合、しない場合それぞれのメリット・デメリットを事実に基づいて客観的に議論をした上で、その内容を国民に知らすべきだ、というものです。

 

フィーンさんの講演内容等は新聞やテレビでも報道されると思いますので、ここでは会場の参加者から出された意見を簡単にまとめておきます。発言者が誰なのかは省略します。

 

 イランで若者の平和グループを組織したが、全く関心を持たない人たちもいる。そのひとたちをどう巻き込んだら良いのか。

 対話は大切だが、対話をする際には方向性をハッキリさせる必要がある。そしてその方向とは核兵器の廃絶だ。

 被爆者国際署名に協力して欲しい。

 世界各地で行われているICANの活動を教えて欲しい。

 被爆の歴史や被爆体験について、日本は無知だ。そこから活動を始めなくてはならない。

 

フィーンさん・川崎さんからは次のようなコメントがありました。まず、議論は「シンプル」に徹すること、そして新たな、クリエーティブなアプローチを採用すること。例えばポップ・スターや宗教家の協力なども効果的なはずだ、加えて、インターネットなどあらゆるメディアを効果的に使う必要がある。

 

最後の閉会の言葉として、10月の総選挙で、得票数は伸びなかった改憲与党が議席の3分の2以上を占めたことを反省し新たな力を生むために、まず、2003年の平和宣言を読んで欲しいとお願いをした上で、3点を強調しました。ここではスペースがありますので、2003年の平和宣言の一部を引用しておきます。

 

世界中の人々、特に政治家、宗教者、学者、作家、ジャーナリスト、教師、芸術家やスポーツ選手など、影響力を持つリーダーの皆さんに呼び掛けます。いささかでも戦争や核兵器を容認する言辞は弄(ろう)せず、戦争を起こさせないために、また絶対悪である核兵器を使わせず廃絶させるために、日常のレベルで祈り、発言し、行動していこうではありませんか。

 

3点の一つ目は、改憲をしようとしている安倍政権の描いているシナリオを知り、その結果生まれる怒りを広げて力にしよう、ということです。9条改憲と言っても、もう存在している自衛隊を明記するだけだから何も変わらない、という説得が行われていますし、それをそのまま受け止めて「納得」している人も多くいます。でも、これまでの政府のやり方を歴史的事実に基づいて検証すれば、安倍政権の意図しているのは、その先の目標、つまり核兵器の保有だということはすぐ分ります。それを理解することで、改憲容認派を説得することが可能になります。

 

二つ目は、そのためにも必要なのですが、歴史を勉強し直すこと。私たちが教えられてきた歴史には間違いも多いのです。例えば聖徳太子は存在しなかったことが今では歴史的事実として教えられています。それと同じように国家としての日本を考えるにしても、明治維新や戦争ばかりしていた明治から昭和の時代、特に1895年から1945年を賛美する歴史ではなく、徳川時代そして1945年以降も含めての日本の本質を理解することが大切です。大河ドラマで西郷さんが取り上げられても、彼は征韓論者だったこともしっかり覚えておかなくてはなりません。

 

三つめは、社会党の最盛期に「社会党潰し」のために使われ、今でも信奉者の多い、「反対ばかりする政党は無責任」というプロパガンダに乗らないこと。人権を無視し、戦争を始めよう、環境はどうでもいい、貧富の格差がもっと広がるような施策を、国民を騙して行おうとしている政権には「NO」としか言いようがないではありませんか。正々堂々と、平和のため、正義のために「NO」と言い続けましょう。

 

明日、フィーンさんと川崎さんは国会で頑張ります。私たちは広島で頑張りましょう。

 

 

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コメント

ノーベル賞受賞でのスピーチそして記念講演で興味を持ち、普段は殆ど読まない小説を読みました。カズオ・イシグロの「日の名残り」です。記憶を辿る物語の展開にも感心しましたが、意見を言わないことの責任など、民主主義の根幹に関わる問題提起も多く、長崎生まれのイシグロ氏が「平和のための賞」と聞かされて育ったノーベル賞に相応しい作品だと思いました。

それにしても安倍首相はベアトリス・フィーン事務局長との面会を断ったということですが、日本政府の対応は本当に残念なことです。

今でも信奉者の多い、「反対ばかりする政党は無責任」というプロパガンダに乗らないこと。 これは大事だと思います。今なら「日本共産党や立憲民主党は無責任(非現実的)」というプロパガンダでしょう。そりゃあ、無茶苦茶をやる政権にはNOというのが「責任ある対応」であり「現実的対応」であると切り返していくべきですね。

「工場長」様

コメント有り難う御座いました。

カズオ・イシグロ氏の作品も読まなくてはと思いつつ、読みたい本・読まなくてはと自分に言い聞かせている本のリストばかりが長くなっています。

安倍総理には、市民の声が聞こえるように、マギー審司のびっくりデカ耳をプレゼントしてみましょうか。

「hiroseto」様

コメント有り難う御座いました。

権力者側が、弱者に対して取り続けている態度は、基本的な部分では全て「NO」なのですが、「騙す」側は、ちょっぴりの「Yes」を前面に掲げ、「NO」は「Yes」なんだよと信じ込ませる詐術を使います。オーウェルは、そのような構造を良く見ていました。「hiroseto」さんも頑張っているように、その点も突いて行きましょう。

2018年1月15日 (月)

あゝモンテンルパの夜は更けて ――キリノ大統領の決断――


あゝモンテンルパの夜は更けて

――キリノ大統領の決断――

 

フィリピン、歴史、歌 (「昭和の歌を守る会」があったので) という三つの言葉から思い出したのが、渡辺はま子の『あゝモンテンルパの夜は更けて』ですし、フィリピンのアキノ大統領でした。

 

この歌は、作詞代田銀太郎、作曲伊藤正康によるもので、1952年に渡辺はま子と宇都美清が歌って、20万枚の大ヒットになりました。

 

 

作詞・作曲をした二人は、当時フィリピンのモンテンルパにあった刑務所に戦犯として収容されていた死刑囚でした。そこには、戦争犯罪者として100人以上の旧軍人が、あるいは死刑を前にあるいは刑期を全うするため生活していたのですが、既に14人は処刑され、望郷の念が増す日々を送っていたことが記録されています。

 

代田・伊藤による『モンテンルパの歌』という曲を受け取った渡辺はま子は、タイトルを『あゝモンテンルパの夜は更けて』に変えレコーディングし、紅白歌合戦にも取り上げられました。そしてこの年に渡辺はま子はモンテンルパを訪問し、戦犯たちのために往年のヒット曲を披露し、最後に『あゝモンテンルパの夜は更けて』を歌っています。

 

渡辺はま子をこれほどまでに駆り立てたのは、モンテンルパで教誨師として戦犯たちの助命嘆願の活動をしていた真言宗の僧侶加賀尾秀忍の熱意でした。彼は、マッカーサー元帥や日本の指導者、ローマ法王等に、人道的立場からの助命嘆願書を送り、ついには、フィリピンのエルピディオ・キリノ大統領とも会見します。

 

その際に、『あゝモンテンルパの夜は更けて』を奏でるオルゴールを贈呈しています。その曲と説明を聞いてキリノ大統領が心を動かされたとも言われています。

 

最終的にキリノ大統領は、195377日の独立記念日に、大統領令によって、モンテンルパ刑務所に収容されていた戦犯114名全てに特赦を与え日本への帰国が実現することになりました。

 

特赦の理由としてキリノ大統領は感動的な言葉を残しています。

 

個人的な立場だけからなら、私が日本に対して最も強い恨みを持っているのかもしれない。妻と三人の子どもたちが日本軍による機関銃で殺されているからだ。

 

しかし、私はこの気持ちを私の子どもたちや孫たち、そしてフィリピン国民に持って欲しくはない。それは、日本との友好関係を築き、輝かしい未来をフィリピンにもたらす可能性を摘んではいけないからだ。

 

反日感情がまだ強く残っていた時期に特赦を与える行為は勇気のいることでしたが、蒋介石の「以徳報怨-怨みに報いるに徳を以てなす」も併せて考えると、このようなアジア的な平和の思想こそ危機的状況にある世界を救う上で、私たちが拳拳服膺しなくてはならない哲学のような気がしています。

 

そして、この寛容さを受け止める我々の側では、最高度の謙虚さを身に付けること、そして己を律するに当っては最大限の厳しさが必要とされることは言を俟ちません。

 

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コメント

その最高度の謙虚さのあらわれが、
憲法前文の誓いであり9条であったはず。

昨年4月刊岩波『私にとっての憲法』で保阪正康氏が
...この憲法は、いってみれば非軍事憲法である。...
(...この非軍事憲法を平和憲法に格上げするには...と続きますが)
非軍事憲法。このnamingはsimpleかつpowerful(変換可能なものでつい)。
加憲だ何だを蹴散らすにはこれに限る。もっと広まってくれれば。

「されど映画」様

コメント有り難う御座いました。

「非軍事憲法」という捉え方には「平和憲法」とは違う力を感じます。"simple" and "powerful"は、ICANのフィーンさんも強調していました。

それは、オーウェルの『1984年』の中の「戦争は平和だ」を進めている安陪政権に対抗する上で、大切だと思います。

2018年1月14日 (日)

兵庫教育大学での講義 ――今年も熱心に聞いて貰いました――


兵庫教育大学での講義

――今年も熱心に聞いて貰いました――

 

一年ぶりに兵庫教育大学の大学院で話をしました。今回も、教育現場で教員として働きながら大学院でグローバル・リーダー育成の専門家としてさらなる研鑽を積んでいる皆さんが、熱心に話を聞いてくれました。昨年は、3人の学生諸君とじっくり議論ができましたし、それに加えての一般講演もあったのですが、今年の学生は9名(うち女性7名)で、小学校の先生が5人、高校が3人、教育委員会の方が1人でした。

 

昨年と今年の大きな違いは、核兵器禁止条約ができたことです。成立の経緯や、今後の展望等も講義に加えたのですが、かなりの時間を割いて説明することになったのが、原爆という大きな悲劇を体験した日本が、何故原発に走ってしまったのかという歴史です。一人の学生からの質問に対する回答でした。

 

念のために付け加えておきたいのは、一部の論者による事実誤認と被害者非難です。つまり、「ヒロシマ」が核兵器廃絶には熱心なのに、原発については無関心だった、あるいは推進する側に回っていたのは怪しからん、という調子での論難です。機会があれば、詳しく調べた上で反論をすべきなのだとは思っていますが、それだけの時間が取れるかも問題ですので、今回は問題意識の共有だけにしておきます。

 

学生の質問から分ったのは、戦後の時代には生れていなかった人たちが勉強を続ける中で、原爆による被害からは、さらにそのかなりの部分は放射線被害であるという事実からは、原発という選択はあり得ないという因果関係を理解していること、にもかかわらず原発が推進されている現状には納得ができないと強く感じていることでした。

 

「フクシマ」後にも、原発が再稼働され政策の変更がないのはなぜかという疑問と重ねての質問だということも理解した上で、終戦直後には専門家といえども放射線についての理解には限界があったこと、被爆体験の意味を苦しみながら模索していた人たちに取っての「平和利用」という名の「夢」が大きな意味を持っていたこと等を話しました。同時に、少数のリーダーたちが警鐘を鳴らしていたにもかかわらず、「原子力 ムラ」が作られて行った背景を、日米それぞれに分けて説明しました。

 

合計約3時間話をしましたが、最後の方は駆け足になってしまいました。パワーポイントを映すのは、スクリーンではなく、大型の液晶装置でしたしHD画像でしたので、細かい字も良く読めたようです。

 

               

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そして、昨年は友人との話に夢中になって気付かなかった、ハーバーランド・キャンパス前のキリンのオブジェ (頭が切れてしまいましたが――) と、キャンパスのある建物の写真も撮れました。

 

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こちらにはキリンの全体が写っています

 

「来年は、政治の世界の話をもっと聞きたい」というリクエストを貰って、神戸を後にしました。

 

 

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